疫病と海のマリアージュ

 

日本政府による非常事態宣言が発令されて二週間。

新型コロナウイルスは未だピークの見えない甚大なダメージを全世界に与え、その罹患の有無に関わらず人々の心にまで深く浸潤しつつある先日のこと、地元の旧友から東京の現状を問われた。

「東京は今どんな感じよ」

「どんな感じ。んん、人と車は確実に減ったな」

「あぁこっちもそんな感じだわ。でな、俺はちょっとコロナ鬱っぽい」

「お前はコロナ鬱という字面に引っ張られてんだけだろ」

「いや、近頃ではもう眼鏡を外すことすら億劫でな」

「大丈夫かよ三児の父が」

なんでも朝は眼鏡ごと洗顔し、夜は眼鏡と共に湯船に浸かり、そのまま眼鏡を掛けた状態で床に就くという。

一家の大黒柱がフルタイムで眼鏡を掛け狂う様にさぞご家族は不安な毎日を送っていることだろう。

「もう朝起きると眼鏡が実験に失敗した博士みたいになってんのよ」

つらい現状をひた隠し、自虐に走る彼はさらにその速度を上げて結論らしきものへと辿り着く。

「人道的に許されるのなら顔面に眼鏡を埋め込む手術を受けてもいいと思っている」

遠因にせよここまでの覚悟を仕向ける新型コロナウイルスの正体とはいかに。

ザリガニをザリッピと呼んでいるようであればまだ良い奴なのかも知れない。

だがみだりに増殖を繰り返すこと人々の生命を容易く奪い、旧友を眼鏡移植にまで踏み切らせようとするその所業から極めた大悪党であることは明々白々たる事実。

しかし、身近の聡明なる者に言わせるとこう来る。

「これは人類にとって大変な苦難に違いありませんが、同じく人類にとって進化に必須である新たな抗体を得るチャンスなのです」

そのように小難しい角度から照らす見解もあるのだろうが、この乱れた世相を好機と捉えることは日々の実害を得つつに難しい。

旧友は前向きな言葉をこちらへ、そして自らに向けた。

「コロナが収まったら子供達と海に行きたい」

 

我々湘南に育った者は海と共に生きてきた。

海はときに厳しい父であり、また優しい母の面影も忍ばせながら気の置けない友人であると同時に睦まじい恋人のようでもあり、ぶっちゃけ海であった。

そんな海には数え切れないほどの思い出がある。

段ボールで雨風を凌ぐおじさんや夜のさざ波を聴き入る恋人たちにロケット花火を撃ち込んだこともある。

またそうかと思えば純情極まりロマンチックにメッセージボトルなんぞを水面に投げ入れたこともある。

書き出しは渾身の「Hi ! what’s up !?」に威勢良く幕を開けるも拙い英文で綴った自己紹介の後がどうにも続かず、しょがないので急に実印を押してみるという暴挙に出た。

そして住所を記す頃にはオーストラリアに住むアヴリル・ラヴィーン的な女の子がフードを被りて犬を連れ、海岸を散歩している映像がクランベリーズのドリームスをBGMとして脳裏に浮かんでいた。

今にして思えばそこが盛り上がりの頂点であり、ちょっとした漁船のような大五郎(4リットル)のボトルを海に投げ入れるとそのまま数ヶ月忘れた。

「あんたに手紙が届いているわよ」

垂乳根の言葉に暫しの時を要し、ハッとしてそれを奪い取っては自室に籠る。

宛先には極寒の地でつららの先に墨をつけて書いたような震える字で「かめたれんたろう様」としてある。

「せめて宛先だけでも日本語で」というアヴリルのいじらしい気遣いに甚く感動した。

国際結婚も視野に入れながら封筒を裏返すと差出人は岩井茂。

気の利いたオーストラリアンギャグに軽く吹き出すと増しての好感を持つ。

「初めまして、茅ヶ崎に住む岩井茂(76)と申します。先日海岸でメッセージボトルを拾った者です。投下地点から余りにも近過ぎるのでずいぶん悩みましたが、このようにお返事させて頂いた次第です」

それは親父のキャビンを一本くすねた荒む14歳の夏だった。

 

「眼鏡を外す時はちゃんと動画に収めて送るから」

もはや義を重んじる痴漢に成り果てた旧友との通話を終うと夕刻、食材の買い出し、その帰りしなは駒沢公園へ立ち寄った。

風が大樹に茂る葉を揺らし、それが大歓声のように聞こえるのは先日購入したジョージ・コックス(五万九千円)のパンキッシュながらにジェントルも兼備したどこまでもクールなフォルムのせいだろう。

ベンチに腰を下ろすと「お疲れぃ」などと呟いてのハイネケン。

向かいのベンチでは若い白人の男が読書の傍ら、銀のスキットルを時折に煽っている。

するとこちらの視線に気づいたか、人懐こい笑い皺を目尻に寄せて「乾杯」のような仕草をするではないか。

唐突の舶来じみた小粋な振る舞いに際してついハイネケンを掲げて頷いてしまった。

単に無精髭と形容してはこちらが無精となり得る雄感をナチュラルに醸した髭に黒いハットを浅く被り、トムフォードの眼鏡に黒のスキニーと白い無地のTシャツ、そしてつま先の地が剥き出しになった皮のブーツ。

活字を追うその姿は知を猟るワイルドなハンターのようであり、完全にこの空間のイニシアチブを先取されてしまった。

おそらく下ろし立てのジョージ・コックスも彼が履いた方が似合うのだろう。

同じヒト科野郎部門に属してはいるが、何一つとして優位にたてる気がしない。

しかし馬齢ながらに重ねた経験という部分ではこちらにも勝機はあるのではないか。

草木も眠る丑三つ時、人の気配を察してエロビデオの自販機と壁に挟まるように隠れるも次の客に滞りなく発見された宇宙規模の恥ずかしい経験など彼にはないだろう。

また丹沢のキャンプ場へ家族で行った時のこと、コテージに入ると床に正露丸大の黒い物体が落ちており、母親がそれを拾ってスンと嗅いでは驚きの鑑定結果を発表した。

「これうんこよ!」

自分と親父の「あぁそう。じゃあ早く捨てろよ」のようなつれない態度が面白くないのか「これ絶対うんこだから!ちょっと嗅いでみて!ほら!うんこうんこ!」と啖呵売の如くに連呼。

雄大な大自然に囲まれたキャンプ場に到着してからもう「うんこ」しか言わない母親を持った経験は彼にはないだろう。

順調に勝利を連ねると運もこちらに加勢する。

彼の座るベンチの下にはピルクルの紙パックが潰れて横たわり、対抗意識からこちらも屈んでベンチの下を確認したところ何かとんでもない物がヘナと横たわっているではないか。

おニューの靴では気が引けるも踵で踏みつけてそれを引きずり出し、つま先で広げてみるとこれでもかと親不孝な配色を展開したド派手なジョギパンと来た。

蛍光オレンジを基としてショッキングピンクやラメったパープルのラインが縦横無尽に入り混じり、そこへ酒乱の父が帰って来て遂にはお神酒に手を出すとお婆さんは泣きながらそれを止め、お爺さんが警察へ通報しようとするも気が動転してリカちゃん電話に掛けまくり「こんばんは私リカだよってさ!」とカチキレたお爺さんのこめかみに浮かんだ青筋のような太いラインもよくわからない幾何学模様を成してはジョギパンに尽くしていた。

それは日和るピルクルなどに到底勝ち目はなく、結果、白人の若者を完膚無きまで叩きのめしてしまった。

するとどこからともなく「勝者の虚無」が現れ、ハイネケンの缶をどかして真横に腰掛けた。

「どうだ、虚しいだろ」

「えぇ、勝者というのは虚しいものですね」

「その虚しさの中には敗者だけが味わえるナルシズムに対する嫉妬も混じっているのだ」

「もうどっちが勝ったのかわかりませんよね」

程なく白人の若者はこちらに軽く手を振りその場を去った。

主を失い、ベンチ自身が主と成り代わった目の前の光景に思うところは何もなく、それよりも彼は日本語訳の「老人と海」をどれほど理解できたのだろうか。

こちらこそ読書に疎い者ではあるが、いつだったかタイトルの「海」に惹かれて読んだことがある。

うろ覚えのところを歯茎を剥き出しにして捻り出すと確かロボコップに憧れる青年が床屋で角刈りに挑むまでを追った青春群像ドキュメンタリー的な物語であったと記憶している。

気にしいなB型気質からウィキペディアでそのあらましを確認して驚愕、うじきつよしをつまようじと読み間違えた親父よりもひどい間違えであった。

老漁師のサンチャゴは四日に渡る格闘の末、大きなカジキマグロを釣り上げる。

しかしその帰港の途、小さな帆掛け船に縛り付けた獲物をサメたちに食い散らかされてしまう。

だが気丈にもサンチャゴは不屈の気概を露にする。

「人間は負けるようにはできていない」

それは奇しくも昨今におけるコロナ禍の世に響く言葉ではないか。

再び風が大樹の葉を揺らすとそれは心地よい波音となり沖の向こうに小さな帆掛け船が見えた。

その美しい情景とバランスを取るように現れた「我」とはコロナ収束後の小旅行に想いを馳せることで自分なりの「老人と海」を思い描くことだった。

 

どこか名もない漁港町、それもどこかこじんまりとした釣り宿などがいい。

少しばかり腰回りに脂身のついた小綺麗な女将がそら豆でも剥いていたか、エプロンで手を拭きながら小走りにやって来てはこちらを出迎える。

「まぁ遠路お越しいただきありがとうございます」

上がり口には酒屋のカレンダー、それを死守する形の兜を被ったキティちゃん、そして周富輝をセンターに据置いて宿の者たちがそれを取り囲んだ記念写真。

先ゆく女将のパン線を凝視、二階へ通されると開けっ広げの窓から望む海に心を奪われる。

そこへお茶を淹れる女将が耳触りの良い声で「それだけが取り柄の宿でして」と控えめに添えた。

しばらくぼんやりとやり過ごし、微睡む手前で散歩を思い立つ。

漁港では目やにだらけの野良猫たちが商いに欠いた鮮魚を常時漁師から仕入れてか、すっかり干上がり地面に張りついたハゼなどには目もくれない。

「あら、いいご身分ですこと」

それを脇目に港を抜け、宿の二階より着目していた防波堤に腰を下ろす。

ラジオアプリからはカザルスによるチェロの独奏が流れ、重厚に色めき立つ低音は目下に広がる緩やかな波に幾分か寄与している。

心が満たされると鼓膜のタトゥーが疼きだした。

それは幼い時分に友人が夕暮れの海岸で言い放ったこと。

「海の水が全部アジャコングだったら」

その突飛な発想力に将来は大人物になるであろうと幼心に感じたものだが、世間がそれを許さず彼は現在お後二年の懲役を務める立場にある。

宿の女将が良かれと竿などを持たせていたがそのような気にはなれない。

日に照るウミガメの甲羅、その模様がにゅらにゅらと海面近くに揺れ、旋回を繰り返すことで徐々に内輪を縮めてクラゲに狙い澄ましている。

ついには噛みつくもその獲物はクルと体をかわした証に赤い印字を水面に表し、その文字こそ判然としないがビニール袋であることは間違いない。

「あら、これはいけませんよ」

すぐさまビニール袋を跨ぐ形で仕掛けを投げ入れ、糸を手繰りながらこちらへ誘導すると上手い具合に釣り上げることができた。

赤い印字とはところどころに擦れながら「ママの口ぐせ肉は三河屋」としてある。

「兄さん、そりゃ何よりの釣果じゃないか」

「え、あぁ、どうも」

「兄さん、もしかしたら今夜あたり竜宮城に招待されるかも知れんぞ、ははは」

「いやぁ、ね、まぁ、どうもどうも」

そこにはパレットを親指にはめ込んだ老人が立っており、その向こうにはキャンバスが画架に固定されている。

「何をお描きになっているのですか」

「うん、まぁなんてことはないんだがね、私はこの歳までありとあらゆる物を描いてきた。そしてとうとうキャンバスに寸分違わぬキャンバスを描こうと思い立ったのだがね、困ったことに描かずして既に完成しているのだよ」

「それは画家としての極致ではないですか」

「確かに極致と言えば収まりがいいのかも知れないがね、私はそのような言葉に縛られるより死ぬまで創作に苦しみ、死ぬまで創作に喜びを見出して生きたいのだよ」

「素晴らしい!極致という崇高な安住の地をかなぐり捨て、攻めて攻めて攻める筆にこそ画家本来の魂が宿ると!」

「まぁそんなに攻めなくてもいいのだが、確かに攻めの姿勢を忘れてはいけないな。よぅし!私は攻めていないようで攻めている、そんな作品を描いてみせる!兄さん、私は決めたぞ!」

「攻めていないようで攻めている……ベージュのTバックなんかどうでしょうか!」

「べべべベージュのTバックとな!見事に攻めていないようで攻めているではないか!まさに今の私にベストフィットした題材だ!!あらやだ、履き心地抜群!!」

「メイドイン……パ、パ」

「パリか!?メイドインパリスなのか!?」

「パ、パプアニューギニア」

「そら攻めてるねぇ!」

 

fin