二子玉は百貨店、小洒落た花屋を脇目に通り過ぎ、結局はフロアを一周する形で入店したのは前々から殺風景な玄関に気の利いた植物などがあってもよいのではないかと思っていた。
こちらヴィム・ヴェンダースを信奉する身としては荒野に寂れ立つサボテンが第一の理想にあるが、アロエヨーグルトですら時にむせ返る男にその育生のハードルは高かろう。
いや失礼、ここでハードルという言葉を惰性にかまけて安易に使いたくない。
それは末席ながら文章を綴る者としての矜持、あるいはプライドとして聞き受けていただいても構わない。
アロエヨーグルトですら時にむせ返る男にその育生のレオタードはきつかろう。
よし、ハードルですね。
それから後ろ手に店内を見て回り、狐の尾に商秋を思わせたパンパスグラス、気まずいぐらいに鮮やかなワインレッドは鶏頭、そしてついに運命的な出会いに導かれた。
先の尖る縞模様の分厚い葉々が競うように宙へ伸び、その無垢で健気な姿にしばらく見惚れる。
そして鉢に刺さる名札が目については即座の得心、ツルツルとした手触りからその名が付いたのだろう。
後ろ手を崩さぬまま「このサルスベリアは持ち帰れますか」と店員にポンと投げかけたところ、彼女はメジャーリーガーばりに「サンスベリアですね」と打ち返してきた。
それは世間的に「サンスベリア」というのかも知れないが、後ろ手に紳士を気取るお客様が「サルスベリア」と発したのなら差し当りスッと流してもよいではないか。
なにも「サンスベリア」を「ビッグブラジャー物語」と大胆に読み間違えたわけではない。
それでもサルスベリアと間違えたからにはサルのように顔を赤らめつつ店員による育生レクチャーをおとなしく受ける。
要約するとサンスベリアとは初心者にお誂え向きの植物であり、水をあまり必要としないばかりか冬場などは努めて控えるべきと念を押され、せめてもの手間として「葉に埃が溜まりやすいので時々ティッシュで拭いてあげてください」とのことであり、こちらの他意のない「あまり手が掛かりませんね」という言葉にある種の寂しさをみたか、彼女は「たまに話し掛けてあげてください」といって梱包を始めた。
サンスベリアとは風水学の見地よりその鋭い葉先によって邪念邪気を退散させて幸を呼び込む効能があるという。
ここでこちらの近況を明かせば「サラダ感覚」という言葉に酷く取り憑かれており、会話や独り言へ強迫的に捻じ込まずには居られない。
例えば運転中など「前のダンプ、サラダ感覚で車線変更するじゃない」といった具合に口を衝き、いずれは自分自身が「サラダ感覚」のように軽薄な男に成り果ててしまうのではないかという懸念がある。
だが、それも今日までのこと。
うがい手水に身を清め、いざおもむろに紙袋からサンスベリアを取り出し、玄関の然るべきスポットに配置を叶えたのなら憂う空に陽が差し込み、セネガルの水汲み少女はその長い帰路にて七色に輝くガラス玉を見つけ、カナダの少年は渓流に釣り糸を垂らし釣り人であった亡き父と心が繋がり、そしてこちらは「サラダ感覚」という呪縛から解放されるのであろう。
帰路、二子玉川駅から乗り込んだタクシー、ヘッドレストに下がるドライバーの自己紹介には奇しくも「趣味 観葉植物を育てること」と記され、その左証として助手席のドリンクホルダーに小さな白い花をつけた植物を備える。
防犯板越しに見受ける還暦に絡む男性シニアドライバー、その物腰は至って朗らかに柔らかく、これは購入したばかりのサンスベリアから早速贈られた幸運に違いない。
速度こそ気合の入ったトラクターばりだが、アクセルの加減やブレーキの踏み具合がなんとも優しい。
植物を愛する者は優しくなるのか、はたまた優しい者ゆえに植物を愛するのか。
後部座席にて答えのない自問にしばらく思い耽けては精神に渇きを覚え、そのうち明確な答えという潤いを運転席に欲する。
「そちらはなんというお花ですか」
「こちらはチェッカーベリーのみゆきと申します」
信号待ちでもその優しさに抜かりはなく、前車への配慮からヘッドライトを落とす。
「みゆきさんですか」
「えぇ、名前をつけることでより愛着が湧きますからね」
「あぁ、そうですね。そうですよね」
「もうそちらのサンスベリアにはお名前をつけましたか。つい目に入りまして」
予期せぬ問いにこちらも車窓よりつい目に入ったものを咄嗟に読み上げる。
「タイヤ館」
運転手さんは「お珍しい名だ」とだけいってヘッドライトをオン、例によってアクセルを優しく踏み込むと思いきや、心なしか怒気を内包する走り出しを尻肉に感知する。
それも無理はなく植物を愛する者とは自他の所有に関わらず広くそれらを愛するがゆえ「タイヤ館」などと悪戯に名付けられては憤りを覚えて当然だろう。
車内に冬を先取る冷ややかな沈黙が訪れ、用賀から桜新町を抜けて駒沢に差し掛かる頃合いで「タイヤのように力強く転がり続け、いつしか立派な館に飾られる一角の植物となって欲しいのです」と放つ。
受けて運転手さんは「それは素晴らしいお名前だ」といって眉間が緩んだ弾みか、欧米的なコブサラダ感覚で堂々と消防署の真ん前に止めたの。
fin