月別: 2021年1月

丑は蹴り初めて頌春

 

昨年におかれましてはどなた様もコロナ野郎に手酷く翻弄された一年となりました。

こちらもご多分に漏れず、様々な場面で支障をきたしては苛立ち、当てのない矛先がいつしか己に向くことを恐れるとかぶを漬けて気を紛らわせ、通販より密教の法具である独鈷杵を取り寄せることで心の拠り所としてはみたものの、年明け早々ウーバー兄さんの自転車が脱輪を起こして大転倒、干支の縁起を担いだ牛タン弁当がぺちゃんこに潰れるという不穏極まる年始の滑り出しにがっくりきているところで明けましてあめでとうございます。

さて、年始の恒例であるポストチェックをしたところ、近頃にはめずらしい手書きの年賀状が入っており、すぐさま目に付いた裏面には太筆でこのように書してある。

「祝SEX三年!ヒューヒューだよ!」

そしてボールペンに持ち替え、猫の額のようなスペースに「最近セブンイレブンのタコスチーズブリトーにハマっています!」と近況シャウト。

差出人は確認するまでもなくIQが低過ぎてIQすら読めない恐れがある地元の古い連れであり、とどのつまりは郵便局に腹が立ってくる。

「仕分けの時点で燃せ燃せ!」

またこのようなアジャパーな年賀ハガキを丁重に抱えて神奈川と東京の県境をノコノコ越えた輸送業者にも腹が立ち、更にはこのような愚かしいハガキに限って切手シートの当たる確率が高いという宇宙のルールにも腹が立つ。

しかし年初めから怒ってばかりいてもしょうがなく、目が汚れたのなら美しいものに眼福を求めればよい。

新春の空の下、羽子板に興じる近所の幼い兄妹を微笑ましく見つめる祖父母の姿、また先日より放置されながらも無事に年を跨いだデカビタの瓶に刺さる花は美しい。

次第に毛羽立つ心はなだらかに落ち着き、目の前を大柄の白人男性がタンクトップに短パン姿で走りゆけば仄かな鉛筆の芯の香りに触発、今年に延期されたオリンピックは一体どうなるのだろう。

開催の是非に関しては目下喧々と揉めに揉めており、なかには大会の縮小案というものもあるようで個人的にはそれに賛成であり、その骨子となるプランはすでに打ち出してある。

もう贅沢は言いません、メイン会場は茅ヶ崎と平塚を繋ぐ湘南大橋より臨む大神スポーツ広場。

車が出せる父兄さんがあればお願いをして、豚汁はJOCサイドから出るのでおにぎりは各自持参とする。

そして動きやすい格好で集うという限りなく少年野球の納会的な開催の仕方はどうだろうか。

 

炬燵に入り紅まどんなに爪を立てたその時、年下の友人より「もしお暇なら今から駒沢公園に来ませんか」と誘いのメールが入る。

「なんか催し物でもあんの?」

「彼女に自転車の乗り方を教えるだけなんですが、なんとなく。ビールありますよ」

「あぁそう。あの五重塔辺りに行けばいい?」

出不精の自分がふたつ返事をした理由は以前より自転車に乗れない大人に興味があった。

時に自ら乗れない者を演じてサドルに跨るも、幼い頃に苦戦した思いなどすっかり忘れてどうしても運転できてしまう。

それに引き替え、乗れない彼ら彼女らには未だ穢れのないイノセンスがその身に宿っている気がするとそれは興味とは名ばかりの紛れもない嫉妬であることを認めなければならない。

メルカリで落としたZARAのボアコートを纏い、徒歩で駒沢公園へ向かうその道途にはセブンイレブン、何か差し入れでもと店内をうろつけば導かれたようにタコスチーズブリトーを手に取っていた。

それは血の巡りが悪いスーパー馬鹿野郎がハマり込んでいる品ではあるも、それを癪に食わず嫌いをするのは大人のやることではない。

その他諸々を買い込み、自由通りをひたすらまっすぐ進むと年始の駒沢公園は意外や人出があり程よい活気があった。

五重塔の真下に待つふたりと新年の挨拶を交わし、早速ビールを開栓。

「お前はダメだよ。これから自転車に乗るんだから」

彼氏にそのようなことを言われ、頰を膨らませてはむくれてみせる少し肉付きのよい榎本加奈子似の彼女。

そのようなこともあろうかと先のコンビニでノンアルビールも購入していたこちらの年の功が中央広場に冴え渡ると思いの外に小っ恥ずかしく、急いての照れ隠しにタコスチーズブリトーをふたりに勧めると年下の友人は一口でその虜となったようで、次いだ彼女も大絶賛と来れば殿に控えるこちらに注目が集まる。

「うん、旨いけど、なんだろ、うん、もうちょっとソースに辛味を入れて欲しいかな」などと述べてはみたが、一番入れて欲しいのは己の棺桶の中であり、とんでもなく美味いブリトーに出会ってしまった松の内。

すかさず地元のイカれた連れが「だべ?美味いべ?」と脳裏に迫り邪魔臭いことこの上なく、また彼女の膝当て、肘当て、ヘルメットという完全防備の装いに関しても準備万端この上ない。

元ヤンの彼から借りたのであろうコルク半のヘルメットには旭日旗のステッカーに「即死」という二文字が大々と記され、暴力的なまでにやる気が充ち満ちているではないか。

「じゃあそろそろ練習を始めようか」

「ちょっと待って!やっぱ無理無理!だってこんな細い二つのタイヤが横じゃなく縦に並んでるし!絶対に無理!」

そのような大人らしからぬ申し立てが辺りに響くとこちらとしては何かを感じずにはいられない。

そうだ、乗れない者とは乗る前から自転車のことで頭の中が九割を占め、残りの一割で自転車を発明した偉人のおでこを熱々のフライパンに押し付けたいと本気で願っているのだった。

早速彼女の身体からイノセンスが立ち昇るとこちらは凍てる風に嫉妬を冷ます。

「まずは漕がなくていいから跨いで向こうまで歩いてみようか」

「無理無理!怖いよ!だってこんな細い二つのタイヤが横じゃなく縦に並んでるんだよ!?」

「大丈夫、五つのタイヤが斜めに並んでないだけありがたいと思って」

渋々に自転車を跨ぎ、とぼとぼ歩き始めた彼女とそれを見送るふたりの男。

「一応今日中には乗れるようにしたいのですが、どうですかね」

「んん、そらもう偏に彼女の努力次第だべな」

なんでも彼女には同僚たちとのサイクリング大会が一週間後に控えており、さらにはインド人もびっくりの幹事を務める身であるという。

「なんでまた幹事なんて」

「よくわからないところで無駄に責任感が強いんですよ。まぁとにかくサイクリング大会の幹事が自転車に乗れないなんて八代先まで笑われますよね」

 

広場で遊ぶ少年少女の奇異な視線を一手に集めては帰還直後に「はい、今日はもう終わり。てか恥ずかしい」と無愛想に言い放った彼女。

受けて平時に温厚な彼の口調が少々乱れた。

「恥ずかしいのはいつも困難にぶつかるとすぐ逃げ出すピヨたんたんの甘ったれた根性だろうが!はい、もう一回!」

「嫌だ嫌だ!恥ずかしいよ!怖いし!」

「嫌もヘチマもあるか!本来自転車は小さい頃にクリアすべき第一のハードルなの!そこからケツを割った奴はいつかそのツケを払わなきゃならねぇの!ほら立って!もう一回!」

次第にピヨたんたんのすっぴん顔が崩れ、子供のようにボロボロ泣き出すと震える声で「ちんこ小っさ!」と急遽彼の陰茎お得情報を露わに吐き捨て、再び自転車に跨り歩き出した。

「ちょっと厳しいんじゃない?」

「いや、時間がないので多少は。お聞き苦しいところすいません」

「彼女のこと愛してんだ」

「はい」

それからというものスパルタ自転車教室の厳しさは一段に増し、一度だけ「もうサイクリング大会には車で参加する!」という前向きな暴言もあったが、彼女は何度も転び、何度も起き上がった。

「だから転ばないようにバランスを取るのと前へ漕ぎ出す作業を二つに分けちゃダメだって!同時同時!」

そのうちこのような具体的な指導の声が飛ぶとそれはそのまま彼女の成長の証であり、これは今日中に乗れるのではないかと園内全域に思わせたが、もう一息のところでうまくいかない。

「ちょっと小便行って来るから、休憩ね」

自転車にひょいと跨り、颯爽とトイレに向かう彼の姿を目の当たりにした彼女の表情に有り有りと羨望が浮かぶとこれがまた非常にいじらしく、こちらの琴線にリンボーダンスでジリジリと迫り来るではないか。

彼が戻ると特訓は再開され、緊張よりも疲労が勝りつつある彼女の懸命な姿にはやはり何か決定的なものがひとつ足りないようであり、本人は元より指導にあたる教官すら分かりかねている。

日も暮れかかり、彼女のイノセンスに対する嫉妬の感情が薄闇に紛れるとここはひとつ翼となりうる言を贈ろうと思い立つ。

「あのさ、ピヨたんたんの姉ちゃん、ちょっと自転車を思い切り蹴り倒してみ」

「え、なんでなんで」

「自転車に思い知らせてやんの。あんたを操縦するのはこの私よ!って。物事の全ては心の持ちようだから」

「うん、わかった。やってみる」

大袈裟な構えから繰り出された彼女なりの蹴りとは驚きのサドルにかかと落としであり、自転車は倒れずこちらが倒れそうになる。

「うん、違う違う。なんつーかもっとこう、ほら」

そして聞く耳を持たぬ矢継ぎ早の第二弾はタイヤにローキックという地味なダメージを与えようとして止まない。

そこへ盛り上がる友人が「もっと強く蹴らなきゃ!もっと強く!図書館でアメリカンクラッカーをしている奴を蹴り倒す感じで!」と畳み掛ければついに彼女は腰の入った前蹴りでもって自転車を倒すことに成功する。

やはり心の持ちようとは技術の前に立つ肝要なものであり、彼女の辿々しいハンドル操作がそのうちに影を潜めると目を見張る進歩の果ては広場を縦横に乗りこなすまでに到った。

 

それから一週間を過ぎた頃、キャップに入れ過ぎた柔軟剤を本体へぷるぷる慎重に戻しかけたところに入ったメールは年下の友人からであり、先日の礼を義理堅く口切りにこちらも気にかけていた例のサイクリング大会における事の次第がつぶさに綴られていた。

どうやらあれからも日々の特訓は続き、大会前日には人並みに乗れるようになったと。

「へぇ、すごいじゃない。頑張ってたもんな」

そして当日、会場である昭和記念公園に着いたところで初めて不安になったらしい。

今回は乗り慣れた自転車ではなくレンタル自転車であり、同僚がその冴えない顔色を心配したが幹事たる者ここで怖気付いてどうすると持ち前の責任感。

彼女は施設の方がいる前で自転車を蹴り倒して反射板を割ったらしい。

深呼吸をひとつ、携帯画面をそっと消し、柔軟剤を本体へ戻す作業に戻る。

手のぷるぷるが先刻よりも心なしか激しく。

 

fin