月別: 2020年9月

艶笑オルタナティブ小噺

 

「ヒヤシンスの花言葉が乳首舐め手コキだとしたら、その快楽の最中に頭の中で咲き乱れたヒヤシンスの美しさは己だけのもの」

晩夏に差し掛かる夕暮れのベランダにてそのようなことを思見るとパルシステムの牛にすらムラムラしかねない近頃の荒ぶる肉欲には辟易している。

巷ではロードバイクに跨るご婦人がとみに増え、疾風の如く抜き去ってゆくその卑猥な尻肉をいつまでも凝視して飽きず、サドル後部に取り付けられた尾灯が遠く離れても「旦那!お尻はここですよ!」と点滅してこちらを導けばひとり照れ笑いを浮かべて「サンクス」と口にする人生をおれは愛している。

すると類友のシステムに則り「どうにかしてけん玉をセックスに持ち込みたい」と言って聞かないチャレンジャーが身近にいる。

彼は幼少よりそのフォルムに性的なものを感じていたらしく、ムラムラがピークに達したある晩に妻の了承を得て実行に移した。

シャワーを浴びて寝室に入ると全裸の妻が「うさぎとかめ」を口ずさみながらけん玉に興じており、そのうち調子に乗り出すと素っ裸のままヨーロッパ一周すると筋金入りの痴女めいたことをいう。

あられもない姿で大きく振りかぶり、成田空港より滞りなくテイクオフしたと思いきや、半円の弧を描いた玉がアッパーカットの要領で彼の陰嚢を強かにカチ上げた。

「バ、バードストライク」と言い遺して倒れ込んだ主人に駆け寄る妻は動転しており、謝罪を差し置いてこのような言葉が口を衝く。

「…はい、090の?」

たまっていたたまの休みにたまがたまたまたまに当たってたまらないとなれば最早セックスなどする気も失せて「ガンジス川で延々とだるま浮きをしていたい気分だった」と彼は回顧した。

このようにけん玉をセックスに持ち込む計画は頓挫の憂き目にあったが、その尊いチャレンジ精神には同じ漢として落涙を伴う共感を禁じ得ない。

以前、濡事に及ぼうとしたところでひらめきに包まれた。

「あの、ちょっとお願いがあんだけど」

無言で頷く女の色気に言いそびれそうになるも、我を通してミッドナイツ。

「すごい気持ちいいと思う場面に出くわしたら迷わずこう言って欲しい」

こちらの継ぐ句を待ち受ける女はやはり受け身の性である女そのものだった。

「ではぁ!こ、こらたまらんわい!」

 

性交を終え、満たされては失うという反物質のような不可解さを抱えて堕ちる性欲の奈落。

そこへ長い濡羽色の髪が垂らされ、救われた謝意を込めて指先で梳かせば寝物語、ピロートークの段。

「なんで言ってくんなかったのよ」

努めて丸みを帯びた語気を用いたところ、女とはその最中には別世界へ飛び立っておりそのような訳の分からないことなど忘れているという。

すると何かこちらの性技を賞賛されたような心持ちになるも、ホタルイカをからし酢みそで一杯引っ掛けるおじさんを性交中に突如登場させることによる平々凡々とあくびまじりの公務に就く「時を司る神」への挑発は失敗に終わった。

それから半月が経った頃「ニコラス・ケイジの臍の緒をドデカミン漬けにして保管しています」というこちらの甘くスパークリングな誘い文句を受けてノコノコやって来たのは件の女。

ロングから内巻きボブとなった大胆なイメチェンが玄関モニターより確認されるとこちらも何かチェンジしなくてはならない。

よって幼稚園に通う友人の娘より賜ったトイレットペーパーの芯で作成した眼鏡を手に取る。

そのフレームは芯を輪切りにしてヤケクソに連結したものであり、さらにレンズが無いと来ればそれはそれはドM仕様となっており、掛けて昇天、鏡の向こうにちょっとしたサイボーグ桃白白がいるじゃない。

これではとてもじゃないが太刀打ちできないと諦め、なにも代わり映えしない男のままで女を迎え入れる。

なにかDVD鑑賞をしたいという女の嗜好を下手に伺ってみればタイタニックのような壮大で物悲しいストーリーに少しばかり天使にラブソングを的な要素もありつつ後味はハンサム・スーツみたいな映画がいいという。

まるでヤクザは若頭補佐のような要望だが、こちらにはそれらをすべて叶える古今亭志ん朝のDVDを所持している。

ここで頼まれもせずに振り返ると、これまでの人生にはその時々に憧れの存在があった。

中学時分に甲本ヒロトに優しく胸ぐらを掴まれ、カート・コベイン、トム・ヨーク、マイルス・デイビスに次いで古今亭志ん朝というラインナップはその字面を眺めているだけで己の人生が豊かなものだと錯覚しては退屈しない。

ちなみに身近な者のラインナップも人それぞれ千差万別という意味合いでこちらに記す。

千堂あきほからマイク・タイソン、そして森高千里を経ての再びマイク・タイソンという興味深い憧れの経歴にその詳細を尋ねたところ、このような返答があった。

千堂あきほとマイク・タイソンの間に親の離婚があり、さらに森高千里とマイク・タイソンの間には母親の再婚があったという。

なんともわかり易く、またなんとも切ない人生の軌跡がそこにあった。

 

「あ、コツの妻ならお向かいのおかみさんです」

噺の終始、女の挙動ばかりが気に掛かるも一聴にしてサゲを理解した上に「面白い」という。

さらに「このおじさんの落語は魅力的で引き込まれるけど、一番落語の魅力に引き込まれているのはこのおじさんでしょ」などという。

なにか小学生とバッティングセンターへ行き、目の前で140キロのカットボールをきっちりセンターに打ち返す姿を目撃したかのような心持ちがするとこちらも打席に入らなければならない。

「憚りながら古今亭志ん朝を語らせてもらうと師匠の話芸というのは日頃に馴染んだ唄、舞踊、はたまた歌舞伎にいたる科がかった所作を噺に落とし込むことによって大江戸八百八町の情緒を立体的に体現している。そういった意味では落語は聴き手の想像力に委ねられる部分が多分にあれど、志ん朝さんはそこをもう一歩こちらに踏み込んで来る。しかし、それは威勢のよい江戸っ子というよりは足立ナンバーのハイエースにクラクションを鳴らす時のようなエンジェルタッチながらも聴く者を掴んで離さないところに美濃部強次という男の本質があるのだと思う」

と、言い切って女を覗くとTHE土偶のような面構えをしており、自らの雄弁を小っ恥ずかしく思っていると「今長々としゃべった一部に渡辺徹マヨネーズちゅーちゅーを組み込んでみて」という。

それは仰ぐ師に対して無礼であると拒否すれば「はい、じゃあ今日はノーセックスです。残念でした」という。

するとあの耳触りのよい師の声が天上より降りそそぐ。

「君ね、据え膳食わぬは男の恥ですよ。私のことなど気にしてはいけません。焼きおにぎりはニチレイですよ」

まさかご本人から背を押されたのなら何もためらうことなどありゃしない。

「憚りながら古今亭志ん朝を語らせてもらうと師匠の話芸というのは日頃に馴染んだ唄、舞踊、はたまた歌舞伎にいたる科がかった所作を噺に落とし込むことによって大江戸八百八町の情緒を立体的に渡辺徹マヨネーズちゅーちゅーしている」

そう言い終えた唇を奪ったのは内巻きボブの女ねずみ小僧。

「太てぇアマだ」とそのまま引っ捕らえ、御用提灯の揺れる元、男の力で押し倒すと妙にしおらしい。

それをいいことにブラを剥ぎ取り、その柔肌についた赤い跡を舌先でなぞると塩辛く、サテン地の紐パンに手を掛けようとしたところで「あらやだ!紐の端を咥えてツツと引張りそれを解けばいいじゃない!」という小粋且つ官能的な着想が我ながらにして末恐ろしい。

いざ紐の端を艶らしく咥え、顎をクンと引き、儚くも蝶の型崩れる様が目先に展開すればゆっくりゆっくり頑強に固結び。

以前、ガールズバーの女たちにセックスにおける興醒めする瞬間を挙げてもらったことがある。

まずはゴムをつけるのにバルーンアートさながらプードルを作る勢いで手間取る男。

次いで元カノと名前を間違える男にトランクスがチキンラーメンの男。

そして紐パンを固結びにしてしまう男も何気にチャートインしていた気がする。

だが不幸中の幸いに女は未だ気づいておらず、ならばと発電機を始動させるがごとく歯茎をすべて剥き出しにしたフルパワーで引張ったところ、もう一生サテン地の紐パンで生活しなければならないであろうその冷凍庫の霜に埋まるチューペットのような硬い結び目に女の末路を哀れむ。

するとこちらの動きが止まったことを不審に思った女はすぐさまその結び目に手をやり、こちら主犯格の男と物理の法則および宇宙に対して「チィッ!」とひとつ舌を打って紐パンを自ら縦に下ろした。

それはまるでチャキチャキの江戸っ子のようであり、おそらく先刻に鑑賞した落語が確実に影響している。

そしてぎくしゃくした雰囲気からなんとか本線へと色々な意味で立て直しての挿入。

「の」を腰で描きながら高度なピストンに励んでいると次第に女のひざの裏が湿り始め、なにか言葉を発する。

「するってぇとなにかい?するってぇとなにかい?ではぁ!こ、こらたまらんわい!」

 

fin