月別: 2024年3月

うも

 

「今日日辺りは梅の盛りだ」と年上の方が仰った。

それに返す言葉を持ち合わせない無粋なこちらを不憫に察して「寒風にそよぐ紅梅に心揺さぶられることなく何に揺さぶられよう」として自ら引き取られた。

このように風流な方ではあるが、それも行き過ぎてか鼻くそが飛び出している。

するとこちらの視線を察して「これは鼻くそではない。瘡蓋だ」とすかさずの断りをお入れになった。

なんでも長らく左右の鼻腔内が荒れており、生じた瘡蓋を無理に剥がしたところガソリンスタンドで大出血という惨事に見舞われて以来一切触らずの自然治癒に任せていたが、それをよいことに近頃では際限なく迫り出してきたとのこと。

そして「人間は多少病んでいた方がよい。なぜなら患いの水底から見上げる眩い光に新たな叡智を賜ることが出来るから」と述べられた。

「ときにお前、観梅は好むか」

「んん、まぁ、どうでしょう、行ったこともなく好きも嫌いもないのですが、何というか魚肉ソーセージと同じ位置付けですね、えぇ」

そのような話の流れから近々某公園にて梅まつりが催されるとのことでその誘いを受ける。

 

当日は車を出していただき、しばらくは環七を北上、ハンドルを握る年上の方は厳めしいトムフォードのサングラスとバランスを取るようにして鼻くそ風の瘡蓋で抜け感を演出されていた。

「お前のブログみたいなものを読んだ」

「え、や、それはお目汚しで」

「お前、よもや己にユーモアの才覚があるとでも思ってないか」

「いえ、そんなことは滅相も」

「いや、それが文脈より不快に透けてみえる。ならばこれより梅の健気な姿に悔い改めよ」

「すみませんでした」

梅まつりの会場は国内外の老若男女で混み合っており「梅は玄人好み」という定説は雑踏に紛れて消えた。

どこからか雅に爪弾く琴の調べが漂う。

咲き誇る種々の梅からは妖艶な香りが強く醸され、それは鼻の穴が瘡蓋で詰まり狂っている年上の方にも十分に届いたようで古い小唄よりこのような引用をなされた。

「梅は匂いよ木立はいらぬ。人は心よ姿はいらぬ」

そう言い終えると予めのセットであったか、仕込んでいたカリカリ梅を慌てたように勧めて来られた。

 

梅木の元、そぞろ歩けば「野点・茶の湯」というブースにつきあたる。

和装の女性が茶を点てるとあってそれはそれは大の人気、待てない性分のこちらとしては避けたいところだが「これも一興」と仰られたからには長蛇の列に倣うまで。

「教えておく。茶道とは人を愛する過程の道名なり」

もう何というか、NASAの職員を強く惹きつける赤黒い隕石のような巨大な瘡蓋が鼻毛を巻き込んでお出かけモードに突入されていた。

それでも列は無情に進み、やがては野外に設営された茶席に招かれる順となる。

年上の方は配された茶をたなごころに二度ほど回して小川を流れる美しい所作で喫されたのだが、その顔面に際した若い女性給仕の表情が忘れられない。

脱水後の洗濯機からブラジャーを取り出しチューチューと追い脱水を敢行する義父を目撃したような表情が忘れられない。

 

次いでお隣は「作句コーナー」として短冊に筆ペンが用意され、書した作品を各々竹垣に立て掛けてはちょっとした発表会のような趣向となっていた。

「ほう、これまた一興。さすれば一句拵えようか」

先客の残した作品を眺めるにその多くが梅や春を主題としていたが、やはりはみ出し者はどこにでも存在するようで。

「ボブスレー 乗り遅れるな もうだめだ」

こんなにも諦めの早い句は初めてみた。

そして仲間内に急かされてか「すぐそこの ダイドー自販機 梅よろし」と自我が全く内在しない稀な句も発見する。

小さな兄弟が広場を駆けまわり、それを祖父母が写真に収めていた。

ならばこちらは目前の温かな場面に流れる春風に筆を委ねて詠う。

「花の兄 弟桜 春兄弟」

予習の成果より花の兄とはよろずの草花に先駆けて花開く意味合いから梅の異名を取っており、そこを花兄と縮めて書せば全て漢字表記に整うのだが、それでは花田虎上的なニュアンスが出てしまうという懸念があった。

それでもオオサンショウウオの好物のようなものを鼻先に垂らしたお方からは上々の評価を受ける。

ベビーカーに乗った小さな丸い子が梅を指差して「うも、うも」とそれは愛らしい。

ふと、年上の方にもこのような幼気な時期があったのだろう。

近頃では聴力の老いがみえ、おすすめを問われた居酒屋の店員が「燻りがっこのクリームチーズです」と答えたところ「助っ人外国人のバナナデイズ」と取り返しのつかない解釈をなさる始末。

それでも憎めないのはあちらの徳に由るものなのだろう。

おもむろに筆ペンと短冊を携え、神妙な面持ちで虚を見据えることしばらくあり「心中偽りなき言葉を起こすはただただ苦なり」と呟かれた。

「憚りながら、その苦を人は芸術と呼ぶのではないでしょうか」

かすかに震えた筆先が紙面に触れる、途端に解き放たれ、一息に綴り上げては圧巻を溢れる。

「鼻の中 瘡蓋だって 鼻くそだ」

それは限りなくボブスレーのテイストに近く、それでいて真実に近く、梅空は遠く。

 

fin