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蓄光のソフトボーンズに寄せて

 

十月一日(火) とても純粋な男がいる。そんな彼の携帯には夜な夜な橋本環奈より「何も聞かずに四万円振り込んでください」との無心メールが来るらしい。だが彼は彼女の人生を親身に思い、心を鬼にして返信はしていないとのこと。

十月二日(水) 何はさて、南知多ビーチランドは海底探検の入り口よ。

十月三日(木) それはあたかもカラオケで気の利いたバラードを熱唱している最中に次曲の登録に勤しむ者が女性ヴォイスボタンを押してしまいテーブルがぶっ倒れるような心持ちであった。

十月四日(金) 何気なくYouTubeを覗いていたところ、どうやら今日日の欧州では日本の犬が大変にもてはやされている。「ほん」などとつぶやいて展開を追ってみると「カメ」と名付けられた秋田犬のメスの赤ちゃんが登場する。「犬じゃ!」との反射的な突っ込みも入れつつ、あれよあれよと赤ちゃんは里子に出される運びと相成る。引き取り手のおじさんは「ジョナタン」という。「は?ジョナサンじゃねぇの?なになにジョナタンって!お前はもうアレか!お前はもう女子校の舐められた教師か!」という長い突っ込みの舌の根も乾かぬうちにさらなる悲劇が巻き起こる。そのおじさんは慈しむ眼差しで「ナオキ」と命名した。メスじゃ!

十月五日(土) 混沌の中に真実があるのではなく混沌そのものが真実だったりすんから困るよな。や、全然困んねぇか。

十月六日(日) 目の前に配膳された二つの半チャーハンに戸惑いを隠せない年上の方をみた。

十月七日(月) 「俺は世界で一番頭が悪いと思って生きてんの。その方が楽だから」と若人にアドバイス。受けて彼は「じゃあなんで世界で一番頭の悪い人にアドバイスされなきゃならないんですか」と口答え。そらもうビンタですよ。やっぱり最後は暴力ですよ、えぇ。

十月八日(火) 宅配ピザを頼んだところ、かなりお年を召された方と東南アジア系の若者がやって来た。「クイズ!新人はどっちでSHOW!」が急遽開催される。

十月九日(水) 常に調子の良さそうな男に普段の心がけを問うた。すると何やらシトルリンなるサプリを摂っているという。しかしどうだ、漢がちまちまサプリなど飲んでいては末代までの恥ではないか。そこで食物に摂れないものかと相談を向けたところ、これは突出してスイカがいいらしい。「いやぁでもスイカは時期があんじゃん。ほんでスイカジュースにしても俺アレ嫌いなのよ」とのこちらの面倒な返答にも彼は日々にシトルリン効果を享受してか苛つくことなく最善の案をこちらに提示した。なんかね、毎日きゅうりを57本食えってさ!新聞載るわ!

十月十日(木) 本日が目の愛護デーであることはいうに及ばず、本日は布団の日でもあり窓ガラスの日でもあり転倒予防の日でもある。そら「布団干すべ」なんつって窓開いてないのに突っ込んで転ぶわ。

十月十一日(金) Tシャツひとつにしても純白に臆して生成りやアイボリーへ逃げる繊細さが時として漢には必要なのです。

十月十二日(土) 大勢の人にとって、今日はその日ではない。

十月十三日(日) 古代インカ神話におけるクスコ王国初代国王であるマンコ・カパックの研究が一向にはかどらない。本当に申し訳ございません。

十月十四日(月) 「馬刺しと私どっちが大事なの!?」と詰められる。

十月十五日(火) 冬がシガーロスを連れて来るのか、シガーロスが冬を連れて来るのか。

十月十六日(水) 若女に「一日だけ男になれるなら何をする?」と尋ねた。すると「手当たり次第ギャルを一日中ヒーヒーいわす」との粗野に力強い返答があった。「でも体力的にしんどいだろ。もうその辺のしゃもじとかも使っちゃう?」との問い掛けには「しゃもじもリセッシュの角も使う」と息巻いてみせた。日本の未来もまだまだ捨てたもんじゃないぜ。

十月十七日(木) ある男が神妙な面持ちで「実は私、タイムマシーンで2025年からやって来ました」との白状に及ぶ。なんでもいいけど未来サイドはよく出発許可出したな!

十月十八日(金) いずれは映画、漫画、小説の類は錠剤として飲み込むことでその世界体験を味わえるのだろう。だがロキソニンと併用した場合、登場人物の心の痛みまで抑えられてしまうのではないかという個人的な懸念がございますです、えぇ。

十月十九日(土) トーキングヘッズの『Remain in Light』を聴きながら眠るとサイケな夢が見れると聞き及んでは実行。梅沢富美男がチンパンジーの上唇がひっくり返る度に少しキレながら手で戻していました。

十月二十日(日) 「テレビが次の日の話題であった世代はこれより先、画面上に認識していた方々が次々とお亡くなりになるという心揺さぶられるツケを支払わなければならない」とでも言いたげにひん曲がるママチャリのサドルをみた。

十月二十一日(月) 印象の売り買いは可能なのだけど、印象を売り買いしたという印象も引き受けなければならないよNE。

十月二十二日(火) 漫画喫茶で漫画喫茶に行く夢を見てんじゃないの。ね。

十月二十三日(水) 「うちの奥さん今父親の看病で和歌山の実家に帰ってるんだけど、あんまり調子が良くないらしくてね。夫としてなんと声をかけていいものかわからないんだけど、戻り次第アヴリルラヴィーンのガールフレンドって曲のドラムを教えてあげてくれない?」という幻のような頼み事があった。

十月二十四日(木) 真夜中、自販機がこちらを認識して照明を灯す。この世界は俺が創り出した幻想ではないのかも知れない。恐怖、安堵、がぶ飲みメロンクリームソーダ、売り切れ。

 

fin

溺れる者はバナナバウムをも掴む

 

九月一日(日) 後ろから肩をたたかれ振り返ると「だーれだ?」と自らの両目を隠した女がいた。その独創的なビッグミステイクに戸惑いはしたが何の事はない、向こうの人違いであった。今思い返せば全くの他人であるこちらに全くの他人が与えた「一瞬だけ顔から手を外す」というスペシャルヒントが時間差で切ない。

九月二日(月) すべてが錯覚ならそれも錯覚だという思いも錯覚であり又しても錯覚という錯覚ですら錯覚。

九月三日(火) 物に推し量っては不粋なのだが、人生の出来不出来はその家の客人用布団の有無にある。

九月三日(火) 合羽橋にて食品サンプルの製作体験に興じる。初心者にしては海老に衣をまとわせるのが上手だと先生に褒められたところで続く中年白人男性が震える手でカレーパンのサンプルに衣をまとわせた。凍てる雪山にでも行くのか。

九月四日(水) ふいに若者がテレビを一枚と数えた。もはやテレビは油揚げのような扱いなのだろう。

九月五日(木) や、人生は一度きりなのだから何もしなくてもいいのよ。

九月六日(金) 朝肌に秋の微触、ラジオDJが力強く終了しているイベントの告知をカマす。

九月七日(土) まぁ、なんだ、その、他人の個性は迷惑ですよね。

九月八日(日) 近頃では暖簾に高じて通り掛かる店先を見入る習慣に生きている。それが汚れているほど繁盛している道理にも感銘を受けては芹沢銈介の作品集まで触手を伸ばしているところ。

九月九日(月) バイオリニストである葉加瀬太郎氏が神経症を患い「パピプペポが言えない」とのニュースに際する。病は自然なことでありアイス・ラテを吹き出したこちらの反応も自然なこと。

九月十日(火) かんかん照りの世田谷通り。十字架のネックレスを下げてネットに入ったにんにくを携えた若い男とすれ違う。もうなんかドラキュラに対する配慮がなさ過ぎだと思います。

九月十一日(月) マシュマロにまったく興味がないことで逆にマシュマロからの興味を引いてしまっている気がしないでもないような気がしないでもないようで気にしないように気にしてはやはり気がしないでもないような気がしています。

九月十二日(火) 巷に聞き及ぶ尿管結石の尋常でなく最早わけのわからない痛みは「野良犬に給料明細を見せるような」とここに形容させていただきます。

九月十三日(水) 自分より劣る人間しか愛せないの巻。

九月十四日(木) 「モンキーバナナという物があるのだから猿が普通のバナナを食ったら怒りますよ」とでも言いたげな理不尽な豪雨に見舞われる。

九月十五日(金) 偉人の格言が全く頭に入らないのも偉人が成せる驚くべき配慮なのでしょう。

九月十六日(土) 年下の者に「お前なら段ボールを使ってどう自殺する?」と問うた。彼はこちらをしかと見据えて「段ボールに入ったコブラに噛まれます」と答えた。お前何勝手にコブラ発注かけてんのマジで。段ボールクレオパトラがマジで。

九月十七日(日) 今は昔、はなきんデータランドという番組があった。悠久の時を経て同級生が改名を施した「たまきんデータランド」が息を吹き返しては噴飯に至る。くだらねぇのは元よりたまきんのデータは少ないぞぉ。

九月十八日(月) 何気なく社交ダンス教室を覗いていたところ程なくカーテンが閉められた。社交とは名ばかりの仕打ちにBOXステップで対応。

九月十八日(火) いつの日か花言葉を尋ねるようにパンツの色を尋ねられたのなら。

九月十九日(水) パレスホテルにてステーキサンド。「旨いだけじゃ物足りないぜ」との放言が祟り、帰りの扉にサンドされる。

九月二十日(木) 俺は君ではないが君は俺の可能性がある。

九月二十二日(金) ケンタッキーにてセルフレジに困惑する高齢女性をみた。「お先にどうぞ」との申し出を受けるもそれはソフトに排してパネルの操作方法をお教えする。ワンプッシュにつき深々としたお辞儀がついて回り、なんと謙虚なお方なのだろうと思いきや「よくばりセット」をお求めになられた。や、いいのいいの。

九月二十三日(土) 大手術を控える方にアメフクラガエルの尻画像を送ったところ大変に喜ばれまして。

九月二十四日(日) 畏れながら宇宙の創造主は把握されているのだろうか。気心知れた者と飲み交わし、何かの冗談に「もう帰るわ!w」と立ち上がってはややあって着席する一連の営みを。

九月二十五日(月) 近所のおばあちゃんが真っ青なキャッチャーミットを杖でツンツンしていました。ヤシガニの可能性も考慮していました。

九月二十六日(火) 三年前の今頃か、婦警コスチュームに身を包んだ女と事に及んだ。双方即興の才あってか卑猥な取り調べを経て突如お弁当屋を開こうと意気投合。まず二人はオリジンにて修行を積んだ。着乱れた婦警と全裸のこちらで懸命にフライパンを振るう。こちらは全裸ゆえ生姜焼きの脂がはねて「熱ッ!」という細やかな演技も織り交ぜながら。そう、あれは三年前の今頃か。

九月二十七日(水) ある時バカは気がついた。自分はアホなのではないかと。

 

fin

あなたのボンベは昨日確かに見ました。

 

前日の記者会見にて「飛ぶ鳥と飛ぶ勢い」と世間に言い放った気鋭のヴィジュアル系バンド「Purple suicide」が初の武道館ライブを迎えた。

ギタリスト鶴岡八幡Gooの選曲によるシンディ・ローパーのSEが消え、次いで客電が落ちると個々人が一万五千の声援に呼応してどこまでも相乗に湧き上がる。

「TORIKABUTO」の激しく凶々しいイントロが轟き、真っ赤に染まる天井をみつめたヴォーカルJ・I・Nは押し寄せる感動を払い除けてこう思わずには居られない。

「すごいうんこがしたい」

 

最前列の女性客が取り乱して泣いている。

その姿はバンド冥利に尽きるものではあるが、何はさておき俺はすごいうんこがしたい。

すぐ後に控える約三十秒間のギターソロに乗じてトイレに直行したとて戻っては来れまい。

ならばトイレにマイクを持ち込み、前代未聞のうんこをしながら歌い上げるという誰もが不幸になる選択肢も現実味を帯びてきたところでそれすらも許さぬと無慈悲が舞い降りた。

なんと初の武道館に高揚した鶴岡八幡Gooが一曲目にも関わらず己のソロプレイに酔いしれながら行く手を阻むようにしてこちらへ向かって来るではないか。

そして寄り掛かるだけにとどまらず、背中合わせのその身を深く上下に擦りつけてはこちらの排便を促した。

ここで漏らしたのなら「J・I・N」ではなく八代先まで「う・ん・こ」と世間に呼ばれるだろう。

脂汗が冷や汗となり首筋をつたい、極まる不快をシャウトに込めればオーディエンスは大いに盛り上がる。

望んでいたとはいえなんと因果な職に就いたものだ。

すごいうんこがしたい。

 

舞台袖、感涙に咽ぶマネージャー堀田をみた。

彼は心優しく涙もろいが言うべき時は言う男でありメンバーの信頼を一手に引き受ける。

だがしかし、今の俺は我が肛門括約筋だけを信頼している。

もっともこの窮地の内情を知れば堀田はまたしても感涙に及んでは得心に至ることだろう。

二曲目の「IMAWA-NO-KIWA」が毎晩馬車に轢かれる夢をみるドラム立石with youのカウントにより口火を切る。

本来であればこのタイミングでハットを客席に投げ入れる予定であったが、いよいよの最終手段として用いる器として保持すべきだと反射的な判断を下した。

嗚呼、うんこがしたい、うんこをしたい、うんこにしたい、うんこもしたい、うんことしたい。

内腿が震え出せば、膝が笑う。

俺は大衆の面前でうんこを漏らす為にこの日まで生きてきたのか。

大衆は俺のうんこを漏らす姿を見る為にこの日まで生きてきたのか。

 

ベースの破れ鍋に綴じ蓋郎が一万五千人を恒例の悪口(あっこう)で煽るに煽る。

「おいおいおいおい糞野郎ども!!もっと揺らせ揺らせ揺らせ!!使えねぇビチ糞どもがオラ!!」

会場は爆発的な盛り上がりをみせるが、もう俺がピンポイントで怒られているとしか思えない。

それから状況は刻一刻と悪化の一途をたどり、もはやカッターナイフで指先をピッと切ったのならそこからうんこがミチミチと溢れんばかりの体たらく。

だが幸いにして歌詞は自ずと出て来るものであり、それに加えてただならぬ便意による殺気がともすれば外目に映えているのではないかというヴォーカリストの矜恃は辛うじてキープしているつもりではある。

三曲目の「K・A・M・A・K・I・R・I」では武道館中の人々が両手を鎌に大いに弾けた。

その狂乱姿より脳を占拠する強いイメージはその身体にも多大な影響を及ぼすとの触発を受ける。

ならば至急うんこ以外を考えるに努めたい。

「最近ひょうたん見てないな」

するとどうだ、苛烈な便意は強烈な便意へと等級を落とす。

「パチパチと青白く発光する霧状の地球外生命体になぜ甲子園のバックネット裏に陣取る野球少年たちはユニフォーム姿なのか順を追って説明できる人物になりたい」

するとさらにどうだ、身が軽くなったように思えた。

ならばここは駄目押しに最新型IH炊飯器のキャッチコピーでもひとつ捻ってみようではないか。

言わずもがなキャッチコピーとはその時代時代に即したものであるところ、昨今の世界情勢から戦争の加味は必須に思えた。

最前列の泣いていた女性客に耳打ちをする男が目に入る。

なんとなく女性の方にそれを避ける微動が見て取れると「友達以上恋人未満」というワードがひらめく。

最新型IH炊飯器、戦争、友達以上恋人未満の三役が揃い踏み。

「飯盒以上ステルス爆撃機未満」

我ながらなんと秀逸なキャッチコピーなのだろう。

だが炊飯器の蓋がパカと開いた場面を想像するにそれはうかつにもトイレを連想させた。

すごいうんこがしたい。

 

ライブはアコースティックセットに移行する。

もうとにかく座りたかった。

それは初武道館に燃え上がり激しく動き回ったメンバーたちも同じ気持ちであろうことは想像に易く、さらにこちらは椅子に腰掛けることで臀部を密閉してはうんこの無断外出を食い止めることができる。

一旦幕が下り、スタッフが椅子やアコースティックギターなどの準備に入る。

「これはトイレへ行けるのではないか?これはうんこだけに大チャンスなのではないか?」と思いきや、彼らの手際の良さはF1のタイヤ交換ばりに迅速であった。

うなだれながら真っ赤なチェスターフィールドに腰を下ろせば「ンビヴィ!」と尻の下で鳴った。

自覚のない屁、これはもう長時間に耐え抜いた肛門括約筋が限界を迎えたサインに違いない。

何か尻下より異を感じ取る。

座面のカバーをめくり上げるとそこにはブーブークッションが伸されていた。

このようなくだらない悪戯をする者など鶴岡以外に考えられない。

だがおかしなことに奴は汗をぬぐいモンスターエナジーをがぶ飲みするばかりでこちらに注目するそぶりがまるでない。

これは疲労により仕込んでいたことを忘れたのだろう、他のメンバー、スタッフ、幕外の観客にも取り立てた反応はない。

アベンジャーズのような屈強なる便意に胸ぐらを掴まれた者がブーブークッションを尻で踏むというあるまじき惨劇は人知れず過ぎ去っては重ねる惨劇にしてまた過ぎ去っていった。

 

今朝方、母より「お父さんね、熱中症になって今病院で点滴しています」との報を受けていた。

不吉の予兆は靴紐が切れるというが、この度は時間差を設けた尋常でない便意を以ってしてそれに成り代わったのであれば父は今頃どのような状態にあるのだろう。

熱中症など物ともせず自転車柄のブラジリアン・ビキニ姿で陰嚢を放り出しながら女子中学生の自転車のチェーンでも直しているのか。

アコースティックセットはこちらの独り弾き語りに締めとなり、ピンスポットを真上から照らされては超微弱な圧にすら耐えかねて遂にうんこの先っぽが外気に触れた。

爪弾くアルペジオは乱れに乱れ、極まる不安から辺りに一瞥配すも聴く者たちはそれに反して恍惚を浮かべていた。

すべては許される為に存在する。

ならば「うんこを漏らす」のではなく「うんこをする」という前向きな言葉の中に生きていたい。

スローバラードにそぐわぬ弦が切れんばかりの狂ったストロークは一万五千人を前にして排便を決意した者の弱さにして強さ、儚さゆえの美しさに鳴り響く。

 

fin

軋む短夜のヒンジ

 

七月一日(月) あちらに見えますのがこの村で唯一のS字パンティーウォッシャーケースの専門店になります。

七月二日(火) 遡れば大化の改新の結果が現代に生きる我々の姿であり、大政奉還、第二次世界大戦、延いては中日宇野のヘディング事件も我々に寄与して疑いもなく。

七月三日(水) 外国人の彼女より「こんや、めちやくちやにしてあげぬ」という歯切れの悪すぎるLINEを受けた男が十字を切る。

七月四日(木) 「既成概念とは愛で出来ているのだからいくらぶち壊してもそれが既成となり愛からは決して逃れることはできない」とでも言いたげな鴉がオン・ザ・バルコニー。

七月五日(金) 宇宙いわくにクラムチャウダーと留守電はもう同じものだという。失礼しちゃう!

七月六日(土) ぬか床に使用している木桶のタガが割れてきたので様々なものを巻いて補強を試したところクロムハーツのケルティックローラーベルトがジャストフィッツ。

七月七日(日) 織姫は思った。一年ぶりに逢った彦星の眼鏡のレンズが巣鴨の地蔵ばりに皮脂で汚れており「バリア〜」と。

七月八日(月) 大手貿易会社に勤める男が晴れて出世を果たすも「忙しいさなかに部下が増えて個々に出した指示がこちらでわからなくなる」との悩みをこぼした。なるほど、尻でエアコンのリモコンを踏んでしまい「ピッ」と鳴っては指示がこちらでわからなくなるストレスに同じだろう。その意味合いで「あぁ、わかるわぁ」といっておきました。

七月九日(火) 近所の公園にて裸眼のフットサル。草をむしるおばあさんに「へい!パス!」と。

七月十日(水) 身近な男がとあるフリマアプリで『ヨウジヤマモト』を根気よく『ジョージヤマモト』と検索しては「なんか放浪酒・城崎の雨しか出てこねっぞ!」とこぶしを効かせる。

七月十一日(木) 寝ているところを起こされて「今何時?」と聞かれる。

七月十二日(金) 我的に「あぁ、名前は聞いたことあんけど」の代表格はやはりアガサ・クリスティだろう。

七月十三日(土) や、だから繰り返しになってしまうけど大切な奥さんの肛門のシワの数くらい知っておけって話ですよ。

七月十四日(日) 本日パリにて五輪聖火リレーがスタートすればもうこの際はっきりとさせたい。オリジンの海苔弁に付いてる醤油は磯辺揚げでいいのね!?いいんだろ!?

七月十五日(月) インドネシアへ赴いた男の土産話によると現地で知り合った純朴な若者が立派なワニ皮の財布を持っていた。「いい財布だね」と何気なくいったところ「これは父を丸飲みしたワニから作りました。今でもこの財布に父を感じています」との若干に栄養学をかすめる返答があったという。

七月十六日(火) 十年に継続する感動とはある意味で感性の停滞を指す。ことヴィム・ヴェンダースの写真集とミッドタウンは虎屋菓寮の暖簾をみる度におれは悲しいふりをする。

七月十七日(水) それはちんぽこ丸出しでハンドルを握る露出狂のおじさんが首都高の合流でうろたえるような朝焼けであった。

七月十八日(木) ガールズバーにて「まぁ、なにはさて個性とはすべての元凶なのよ」とガールズたちに説いた瞬間、後方よりダーツの「キューン!」というブル音。何か多方面に刺さったようでありがとうございます。

七月十九日(金) 「女子中学生のスポーツブラで首を吊って死にたい」と願う男がインプラント費用の貯金を始めた模様。そう、生きるんだ。

七月二十日(土) 早朝のすき家にて泥酔したキャバ嬢たちの会話が耳に入る。「あんさぁ、プロ野球とJリーグはキックベースで統一した方が絶対よくね?みたいな」という寝起きの独裁者のような暴論にその相方が「そんで火、金だけ分けるみたいな」とゴミの分別的な方向性を大胆に打ち出した。

七月二十一日(日) 先日より我が家の傘立てに「私」と書かれたビニール傘がある。

七月二十二日(月) とある民家の前に「ご自由にお持ちください」との張り紙。そこにはスリッパと飯盒が貰い手を請うており、先着のおばあさんがやおら飯盒をハンドバッグ的に前腕にかけた。今思えばスリッパで思い切り後ろからつっこむべきであったか。

七月二十三日(火) 身近なヤングたちが口を揃えて「出会いは欲しいですけどナンパなんてできません」「無視されたら立ち直れません」などと情けないことをいうものでここはひとつ100パーセント成功するナンパ術を指南するに至る。「お前ら今日から一週間水も食事も一切摂るな。そしてゲッソゲソのカッスカス状態からお姉さんお茶しませんかと懇願するんだ」と講じたところ、ややあって聡明なヤングが膝を打ち「あぁ、そうか説得力がまるで違う」と悟れば時を移さず残る者に伝播する。こうなればこちらのお役は御免、ヤングたちの「さらに震えながら杖をつくことで迫力が爆上がりするよな」「もうお茶ではなくお姉さん経口補水液しませんか?でもいいと思う」「くぼんだ目を擦りながらついに普通の自転車が電動アシスト自転車に見えて参りましたというセリフを添えてもいいかも」などという若く熱い議論を背に受けて立ち去る。

七月二十四日(水) 今秋のトムヨークソロライブ、売り切れ。これはトムヨークにとって亀田錬太郎が売り切れたと言い表すこともできる。うん、できる、できんの。

七月二十五日(木) ある男が広告代理店の面接で小テストを受けた。そのお題は「各駅停車のよいところを挙げなさい」というもので男は悩んだ挙句に「比較的席が空いている」と答えて精一杯だった。「お前だったらなんと答える?」と振られたので「準急、急行では停まらない弱小駅への慰問による人道的な心が養われる」と答えた。男は「あぁ!それだ!」と。

 

fin

クリームがかる緑と紫の狭間で

 

六月一日(土) 近所に新築の家屋が建つようで地鎮祭のセッティングが厳かに行われていた。近くに停まるステップワゴンに目をやると扉が全開となっており、中に座する神職の方が女子バドミントン奥原希望選手のサインばりに絡まったイヤホンのコードを解いていた。なにかいたずらにお守りを開けてしまったような涜神たる心持ちに沈めば初夏のこと。

六月二日(日) 高速道路を逆走する者が後を絶たない。ならばその者、着ているTシャツも裏返しでなければおれを納得させることはできない。できないぜ。

六月三日(月) 確かにサングリアをサンガリアと言い間違えた客に強炭酸水をサーブするような小粋なバーテンダーに憧れていた時期もございました。

六月四日(火) 来たる新時代には「村一番のヤリマンカツカレー」を三十秒のジェスチャーのみで先様へ伝え切る力が須要となるだろう。

六月五日(水) 話せる連れの者と「死とは正解か不正解か」という夜深のテーマに論じる。多角的な意見が交わされるにつれ感傷も入り混じれば色濃い有意義な時が流れた。結論には至らぬまでも「ライスペーパーを丸めれば大きな米粒になると思っていたら大火傷すっぞ!」という互いの共通認識に落とし所をつける。

六月六日(木) クリオネに、腹巻きを、着せようとした、ギネス級に、お節介な、男を、知っている。

六月七日(金) 銀行の窓口にて番号札をもらい座して待つ。そこへハンチングを被った中年男性が来店し案内役の行員に「あの、カードも通帳も印鑑も免許も保険証も失くしたのですが今の私に出来ることを教えてください」とほとんど強盗みたいなことを告げた。あなたは滝に打たれなさい。

六月八日(土) 年上の方が会話の中で「トップシークレットブーツ」と真顔で仰ったのだが、隠し事の順位までは知らんがな。

六月九日(日) 本日、ロックの日。右手を最大限に広げ、親指と中指で両乳首を触るという破天荒な行為に及ぶ。

六月十日(月) 諸説の弱い勢に愛嬌を感じます。

六月十一日(火)  永遠というものは存在しない、永遠に。

六月十二日(水) 世の中に言い切れるものはごく少ないのだが、自分は幼いうちに意図せず発している。それは近所の女の子とシルバニアハウスでままごと遊びに興じていた時のこと。こちらが「じゃあお父さんはもう寝るから」と二階へ続く米海兵隊のブートキャンプばりにそそり立つはしごを登り切ったと思いきや、迂闊に手を滑らせ父ウサギを垂直に滑落させてしまった。女の子は「お父さん!お父さん大丈夫!?誰か救急箱!誰か救急箱を!!」と大いに取り乱した。そこへ反射的に放った「箱より車!」という幼く甲高い我が声が未だ脳裏にこだまする。

六月十三日(木) シャングリ・ラ東京はラウンジにて古い友人と落ち合う。彼を真似ては山崎12年、そのチェーサーにフレッシュメロンジュースが寄り添えばそこは都心の喧騒を浮力とした二十八階のラグジュアリープレイス。我々は摩天楼を視界に据え置き「忘れられない屁」という話題に語らう。互いの屁のような屁のエピソードは屁にも関わらず不発に終わる。

六月十四日(金) 今日も日本のどこかで「パンツなんてただの布じゃん」と女はいう。その一件につき我が家のドアスコープが外側に1センチずつせり出す。だからもうそういうこと言わないでくんない!?

六月十五日(土) 近頃は高齢ドライバーがコンビニに突入するというニュースに出くわす度にお後は四十年も経てば我がことだと身につまされる。想像するに散らばったガラスの破片やひん曲がって倒れた棚に囲まれてどのような顔つきで車から降りればよいのか。そしてその開口一番にはどのような言葉がふさわしいのだろう。結局のところ驚愕と困惑にうっすらと絶望の微笑を浮かべては「今夜九時からダイハード3!」しかないのか。

六月十六日(日) 今年の聖夜に向けてサンタクロースが半年がかりの準備に入ったと聞く。毎年恒例の「えっと、手袋手袋、あったあった」と鍋つかみ。そこへおばあさんによる強めの肩パンが入ってはこれもまた恒例のようで。

六月十七日(月) 髪をほどいた 君の仕草が がんもを長押ししているようで 胸が騒ぐよ

六月十八日(火) 男子中学生が隣を歩く学友に「金玉って色的には銅玉だよね」といった。水たまりに緑葉が浮かぶ。日本の未来もそう悪くはないのではないか。

六月十九日(水) 近頃いたくお気に入りであるチキンサンドのキッチンカーについて夢中に語るがゆえにチッキンカーといってしまった年上の方の心のケアはいかにして。

六月二十日(木) とある翻訳サイトで微糖のパンチパーマを英訳したところ、間もなく画面がフリーズを起こし、出前館より遅配メールが届いた。お気をつけください。

六月二十一日(金) デリケアM’sをDCM’sと呼んでんのは関東甲信越でお前だけだぞ。

六月二十二日(土) 「昨日彼女に思いっきりヴィンタされまして」じゃねぇ!

 

fin

お狂気入門の門

 

落語の大河、その中洲にて江戸文字と出会って久しく、近頃ではご縁がありその道の師に手解きを受けている。

師が常々口にされるのは「その筆跡に江戸の風情を」というお言葉であり、ときにこちらの無理なリクエストに応えて「ミンティア」と勘亭流に書されたのだが、それは見事に江戸は八百八町、裏長屋の掃き溜めに至るまで清涼なる薫風が吹き抜けるようであった。

そんなつい先日のこと「江戸文化と庶民の暮らし」というイベントの一枠に江戸文字の精通者として師が招かれた。

「ご来場の皆様が江戸文字に触れて少しでも親しんでもらえれば」

そのような師の慎ましい動機からこちらも快く随伴させていただいたのだが、会場である小さな会議室に着くなり驚愕の光景が待ち受けていた。

受講者、三名。

内二名が頭部をスカーフで覆った外国人女性であり、残るは中年男性のみ。

そのうちにわんさと集まってくるのだろうと楽観していたのだが、結果として一時的に中年男性がお手洗いに立っては受講者二名、彼が戻ることで従来の三名となりそのまま定時を迎えた。

こちらはおこがましくも師への気遣いから最前列のど真ん中に陣取り、その背後の列にお三方が座するというフォーメーションが形成され、そのうち半纏姿の師が現れると若干の前屈みに揉み手をたずさえた一礼は見事に江戸を憑依させた米問屋の番頭のようであった。

 

師はホワイトボードを多分に活用されては江戸文字の起源にまで遡り、同時期の西洋文化にも触れることでその背景を分かり易く立体的に示され、崩しの規則性を統括した御家流に付随する広義と狭義の解釈を途切れなく小一時間に渡り熱く講話なされた。

物音ひとつ立てない背後の動向が気になる。

さりげなく振り返ってみたところ、外国人女性たちは言の疎通が叶わぬことでさらにも増して異文化に引き込まれているご様子。

そして中年男性は睡魔と丁々発止の死闘を繰り広げており、首は座らず、目は寄り目、口は半開きといった末期の様相を呈していた。

この顔、近頃にみた覚えがある。

そう、徹マン明けで子供の運動会に参加し散々走り回った後に父兄の飲み会に突入、その後再び雀卓に舞い戻ったあいつの東二局の顔ではないか。

とはいえ正直なところ、こちらも集中に欠けてきた。

受講中ではあるがポケットよりガムを取り出してみれば「Clorets」という表記が目に入ると「C」の中に赤い玉のようなものが幽閉されていることに気づく。

師はひたむきに身振り手振りの解説を続けているが、まさか目前の愛弟子が「C」と「l」に閉じ込められた赤玉を慮りて同情、それでも僅かな光を宿している様に前向きな含蓄を見出していたとは夢にも思わなかっただろう。

 

ホワイトボードに番付表が貼り出されると相撲字の講釈と相成る。

外国人女性のふたりはかの熱量をキープすること最早その眼差しは上がり座敷より稽古を見守る親方のよう。

中年男性も引き続き睡魔に土俵際まで攻め立てられてはいたがどことなく諦めを纏う一種の光悦が見て取れると、それはあたかも一人娘が紹介したいと連れてきた男がついぞ持参の割り箸ゴム鉄砲を片時も手放すことはなかったという表情であった。

「さて」と師、こちら受講者の四名を呼び寄せれば江戸文字の実地体験となる。

先ずは師が手本として墨をたっぷりと湿した筆で江戸情緒ほとばしる「正」を書き起こせば喝采が起こる。

「それでは皆さんもお書き下さい」

その声にすかさずの反応を示したのは外国人女性の二人組。

異国の方が古来より脈々と紡ぐジャパニーズ・カルチャーに嬉々として臨むその姿こそ師の本懐であると察するに涙腺が緩む。

外国人女性たちはどちらから書すかについてこれもまた嬉々と話し合っており、それでも埒が明かないという流れから各々手の平に拳を乗せポンポンと勢いをつけては異国のじゃんけん的な展開を目の当たりにした。

独特の掛け声と共に、片や手を蛇のように、片や熊手のような形を取る。

熊手の彼女がガッツポーズを決めればどうやら勝ったとみえ、敗者である蛇の彼女は「ウォーター」とのコメントを残した。

わからない、ウォーターがわからない。

それは会議室に満ち満ちた江戸文化が突如として異文化にひっくり返された瞬間であった。

さらに熊手の彼女が書き上げた「正」に際して中年男性が「僕も正です」とこれまた異文化なタイミングで自己紹介に及ぶ。

あの日、あの時、あの場所のみに生じた名もなき真理。

それは異文化とは国で別れるものではなく、異文化とは個々人に別れる宇宙のことであった。

 

「これをもちまして私の江戸文字講義を終わらせていただきますが、最後に何かご質問などございましたらお答え致します」

質問者、0名。

なんとも歯切れの悪いフィナーレにこちらが頭を抱えていたところで中年男性が気を使ってか「お好きな食べ物はなんですか」と体育館の天井に挟まったバレーボールのような質問を発した。

「茶豆でした」

その帰路、馴染みある師と並んで歩いてはいるが異文化という目に見えぬ壁を感じていた。

同じ人間という生き物ではあるが、この瞬間に何を思考しているのかまるでわからない。

ことによれば「強制送還では機内食は出るのか」という自問に思いを巡らせている可能性もゼロではなく「やはり強制送還なのでタラタラしてんじゃねーよが一袋だろう」という結論に至っていてもなんら不思議はない。

わからない、茶豆に対する私怨もわからない。

目の前をゆく自転車のおじさんがカゴにカゴを入れている。

わからない、もうおれにはわからない。

 

fin

あなたは私がイカのボディー

 

四月一日(月) 「五カ国に四店舗展開中!」という大胆な広告をみる。それはどこかの一店舗がワールドワイドに国境を跨いでいるのか、それともママチャリを担いだスポーツ刈りのターミネーターに追いかけられながら慌てて書いてしまったのか。

四月二日(火) 近頃は「ペリエとわだす(私)」という官能小説の執筆に勤しんでいる。だが書き出しを「人類最後の生き残りである鶴岡浩二が死んだ」としたばかりに話の見通しがまったくもって勃たないでいる。

四月三日(水) ビンゴカードのフリーをすぐに開ける人が苦手だ。

四月四日(木) 越冬の労をねぎらい、革ジャンにミンクオイルを塗りつける。凍てる季節に彼らとは様々な場所へ赴いた。まいばすけっと三軒茶屋店を中心にまいばすけっと駒沢四丁目店、気の向くままにまいばすけっと太子堂二丁目店、時に血迷いまいばすけっと世田谷淡島通り店。いつもありがとう、来年もよろしく。

四月五日(金) サッカーにはペナルティエリアというものがあり、それはキーパーによる手の使用が認められた場だという認識のほつれからこのようなことに思い至る。なぜキーパーは敵のペナルティエリアまで遠路遥々出張ってはハンドボール的にゴールへ投げ込まないのか。なぜに。

四月六日(土) 真島昌利の歌声を聴くとハッとすんよな。

四月七日(日) 十年後には笑い話になるという巷の言葉を信じて「使用済みおりものシートで殴られたことがある」と近々仲間内に明かしてみよう。

四月八日(月) 通りかかったスナックの看板に「本日ヨーコ&和也とジェントルマン★ゴリラーズが来店!」としてあり「尚、司会のスキップ健は検査入院の為お休みです」とのこと。もう全体的に誰だ!

四月九日(火) 飲み交わす若人が「自分、人に怒れないんす」と呟いた。これより魔都東京CITYに力強く生きて行かねばならぬ分際として情けないではないか。「お前眼鏡取れ!そしてそこのポスターにキレてみろ!ほれ!やれぃ!」と西田敏行がジョッキを掲げるポスターを指差して煽るに煽る。ほどなく彼は己の殻を打ち破るように「このメス豚が!」と怒号を発した。お前一旦眼鏡掛けろ!お前一旦オラ!

四月十日(水) 完全に畳み切ったはずの歯磨き粉チューブから今日もばつが悪そうにニュッと出る。

四月十一日(木) 寿司を重く感じたら鬱病と聞く。いつも明るく安定した方が箸で寿司をつまみ上げる度に「よっ」という。なんだか心配です。

四月十二日(金) 男は常にちんこの存在を感じながら生きている。唯一例に漏れるのはサイレンを鳴らしてジリジリと慎重をもって赤信号の交差点へ進入を試みる救急車の隊員のみである。

四月十三日(土) 前をゆく車に「午後の紅茶」とのステッカーが貼ってある。なんと無意味であろうか。すわ、無糖ってか!?

四月十四日(日) とある水族館のホームページにて赤ちゃんペンギンの名を募っていた。これは奇を衒うことなく「ぺんちゃん」ぐらいの方がこの殺伐とした時世にハマるのではないか。そう思い立って「ぺんちゃん」と記しては送信するも数秒後にエラーメールとして「ぺんちゃん」は突き返された。それから何度送信しても「ぺんちゃん」が列を成してメールボックスに舞い戻る。そのうち苛立ちも極まり、ついには身も蓋もなく「ペンギン」と記して送信したところ小さな地震が発生する。

四月十五日(月) 空き巣と鉢合わせになった方の昔話を拝聴する。帰宅したところまったく知らない作業着の中年男がおり、驚きと恐怖のために裏返る声で「どちら様ですか」と言うことで精一杯だったという。そして物色の手を止めた空き巣の男がややあってまさかの「クレープ屋です」と答えた。結局刃傷沙汰も盗まれた物もなく、それでもクレープ屋と言っていたこともあり一応台所の戸棚を開けて確認したところおたまも無事であった。さらには現在もそのおたまを使用しており「一度見に来る?」と誘われたが丁重にお断りをした次第。

四月十六日(火) iPhoneに八千枚に及ぶ厳選されたエロ画像の貯蔵がある。この度、Webデザイナーの助力を得て最先端の透過技術により八千枚を一枚に重ねた。とんでもなく卑猥でカオティックな画像の誕生と思いきや、その結果は真っ黒。性欲の果てを示す真っ黒。換言にして可視化された死。

四月十七日(水) 女子相撲の、行司が、身につけた、蝶ネクタイの、裏のひだに、時空の歪みが、生じて、ガンジーの、眼鏡のつる先が、出たり入ったりしてたまるか!!

四月十八日(木) コンビニの前で手巻き寿司を頬張る外国人を手巻きカメラで収める外国人をみた。

四月十九日(金) 中学の時分に好きな女を公園に呼び出しては告白に挑まんとす友人が自転車で向かった。仲間共々その合否を待つこと三十分、彼の姿を遠くにみた。それも両手放し運転の彼をみた。あれほど「どちらとも取れる!」と思ったことはない。

四月二十日(土) 人間に嫉妬という反射的な自己愛がなければ、巡り巡って、築地場外の大きなマグロの模型はなかったのかも知れない。

四月二十一日(日) 寝しなに思う。もしも自分が宇宙ステーションの船外作業を監督する立場にあれば、キャッキャとふざけ合う作業員たちになんと注意しよう。「お前ら浮かれてんじゃねぇ!」とだけは場所柄に極力避けたい。

四月二十二日(月) CoCo壱にてかくしゃくとしたおじいさんが「お持ち帰りを店内で」とワイヤレスワイヤーみたいな。

 

fin

うも

 

「今日日辺りは梅の盛りだ」と年上の方が仰った。

それに返す言葉を持ち合わせない無粋なこちらを不憫に察して「寒風にそよぐ紅梅に心揺さぶられることなく何に揺さぶられよう」として自ら引き取られた。

このように風流な方ではあるが、それも行き過ぎてか鼻くそが飛び出している。

するとこちらの視線を察して「これは鼻くそではない。瘡蓋だ」とすかさずの断りをお入れになった。

なんでも長らく左右の鼻腔内が荒れており、生じた瘡蓋を無理に剥がしたところガソリンスタンドで大出血という惨事に見舞われて以来一切触らずの自然治癒に任せていたが、それをよいことに近頃では際限なく迫り出してきたとのこと。

そして「人間は多少病んでいた方がよい。なぜなら患いの水底から見上げる眩い光に新たな叡智を賜ることが出来るから」と述べられた。

「ときにお前、観梅は好むか」

「んん、まぁ、どうでしょう、行ったこともなく好きも嫌いもないのですが、何というか魚肉ソーセージと同じ位置付けですね、えぇ」

そのような話の流れから近々某公園にて梅まつりが催されるとのことでその誘いを受ける。

 

当日は車を出していただき、しばらくは環七を北上、ハンドルを握る年上の方は厳めしいトムフォードのサングラスとバランスを取るようにして鼻くそ風の瘡蓋で抜け感を演出されていた。

「お前のブログみたいなものを読んだ」

「え、や、それはお目汚しで」

「お前、よもや己にユーモアの才覚があるとでも思ってないか」

「いえ、そんなことは滅相も」

「いや、それが文脈より不快に透けてみえる。ならばこれより梅の健気な姿に悔い改めよ」

「すみませんでした」

梅まつりの会場は国内外の老若男女で混み合っており「梅は玄人好み」という定説は雑踏に紛れて消えた。

どこからか雅に爪弾く琴の調べが漂う。

咲き誇る種々の梅からは妖艶な香りが強く醸され、それは鼻の穴が瘡蓋で詰まり狂っている年上の方にも十分に届いたようで古い小唄よりこのような引用をなされた。

「梅は匂いよ木立はいらぬ。人は心よ姿はいらぬ」

そう言い終えると予めのセットであったか、仕込んでいたカリカリ梅を慌てたように勧めて来られた。

 

梅木の元、そぞろ歩けば「野点・茶の湯」というブースにつきあたる。

和装の女性が茶を点てるとあってそれはそれは大の人気、待てない性分のこちらとしては避けたいところだが「これも一興」と仰られたからには長蛇の列に倣うまで。

「教えておく。茶道とは人を愛する過程の道名なり」

もう何というか、NASAの職員を強く惹きつける赤黒い隕石のような巨大な瘡蓋が鼻毛を巻き込んでお出かけモードに突入されていた。

それでも列は無情に進み、やがては野外に設営された茶席に招かれる順となる。

年上の方は配された茶をたなごころに二度ほど回して小川を流れる美しい所作で喫されたのだが、その顔面に際した若い女性給仕の表情が忘れられない。

脱水後の洗濯機からブラジャーを取り出しチューチューと追い脱水を敢行する義父を目撃したような表情が忘れられない。

 

次いでお隣は「作句コーナー」として短冊に筆ペンが用意され、書した作品を各々竹垣に立て掛けてはちょっとした発表会のような趣向となっていた。

「ほう、これまた一興。さすれば一句拵えようか」

先客の残した作品を眺めるにその多くが梅や春を主題としていたが、やはりはみ出し者はどこにでも存在するようで。

「ボブスレー 乗り遅れるな もうだめだ」

こんなにも諦めの早い句は初めてみた。

そして仲間内に急かされてか「すぐそこの ダイドー自販機 梅よろし」と自我が全く内在しない稀な句も発見する。

小さな兄弟が広場を駆けまわり、それを祖父母が写真に収めていた。

ならばこちらは目前の温かな場面に流れる春風に筆を委ねて詠う。

「花の兄 弟桜 春兄弟」

予習の成果より花の兄とはよろずの草花に先駆けて花開く意味合いから梅の異名を取っており、そこを花兄と縮めて書せば全て漢字表記に整うのだが、それでは花田虎上的なニュアンスが出てしまうという懸念があった。

それでもオオサンショウウオの好物のようなものを鼻先に垂らしたお方からは上々の評価を受ける。

ベビーカーに乗った小さな丸い子が梅を指差して「うも、うも」とそれは愛らしい。

ふと、年上の方にもこのような幼気な時期があったのだろう。

近頃では聴力の老いがみえ、おすすめを問われた居酒屋の店員が「燻りがっこのクリームチーズです」と答えたところ「助っ人外国人のバナナデイズ」と取り返しのつかない解釈をなさる始末。

それでも憎めないのはあちらの徳に由るものなのだろう。

おもむろに筆ペンと短冊を携え、神妙な面持ちで虚を見据えることしばらくあり「心中偽りなき言葉を起こすはただただ苦なり」と呟かれた。

「憚りながら、その苦を人は芸術と呼ぶのではないでしょうか」

かすかに震えた筆先が紙面に触れる、途端に解き放たれ、一息に綴り上げては圧巻を溢れる。

「鼻の中 瘡蓋だって 鼻くそだ」

それは限りなくボブスレーのテイストに近く、それでいて真実に近く、梅空は遠く。

 

fin

青髭樹海より仰ぐその富士額たるや

 

二月一日(木) 「何か手伝いますか?」ではなく「何か手伝えますか?」といってきた若人がいる。感心からご両親の人となりを伺ったところ「父は角刈りの女子中学生にカツアゲされたことがあります」という。

二月二日(金) どこかの企業面接にて「赤鉛筆を使い青を表現してください」という問題が出されたらしい。んなもん赤鉛筆を自分のケツにぶち込んで「アオッ!」しかないでしょうに。

二月三日(土) や、別に「カントリーマアムと三角木馬」でもいいと思うんです。思うんですけど諸々のセッティング等を考慮するとやはり「アメと鞭」がベストなのかなと、えぇ。

二月四日(日) ケバブ屋の中東オヤジが回転肉焼き機に「マワレ!!」とカチ切れていた。

二月五日(月) 降雪。思い出す二十歳の青い同棲。若気より鼻くそをせっせと壁へ貼り付けては「バカ」と形作り、ようやくの完成を迎えた矢先のこと。あれも雪の日であった。それを発見した彼女が「バカはあんたよ!」と泣いた。その涙が永い時を経て今しの雪と化したのでしょう。

二月六日(火) 人は神を信じる。ではなぜに大間沖で一本釣りされるビリヤード台を信じられない。

二月七日(水) 観光客丸出しであるクリント・イーストウッド風のナイスミドルが苦み走った表情をたたえ「長女」とプリントされたロンTを上半身にあてがってはこれを是としてレジに向かった。あぁ、止めておけば街の誉れと区長より表彰されたのではないか。

二月八日(木) 結婚相談所の男性職員と激しい口論となり「もう私があなたに教えられるのは豚小屋までの道順のみです!」とのアドバイスを受けた男がいる。

二月九日(金) 君の澄み切った心の中では隠れミッキーも丸見えさ。

二月十日(土) ウルフギャングの隣席では老年紳士がステーキを食しては激しく咳き込んだのち、水を携えた店員さんに「いやぁ三途の川の向こうに牛がいたね」との一言に辺りは大爆笑。人知れずワインで嫉妬を流し込む。

二月十一日(日) 以前「バーミヤン」を「バミャーン」との誰もが不幸になる筆致を披露した男が区役所に印鑑証明書を取りにゆき二時間が経つ。これはもう射殺されたのではないか。

二月十二日(月) たまにはシャインマスカットをデジタルパンティーと読み間違う夜があってもいいよネ。

二月十三日(火) 小学生の甥が「大人になったら警察官かムードメーカーになりたい」という。

二月十四日(水) 初のお見合いに挑んだ女友達が憤慨を持ち帰る。なんでも「ご趣味は?」という問いに対して「ペットボトルじぇす」との激しい寝言のような返答があったらしい。

二月十五日(木) アップルマークは一口だけ齧られている。酸っぱかったのでしょう。

二月十六日(金) 童貞を揶揄する言葉として「チェリーボーイ」というものがあるのですが、問題は童貞の有するチェリーが佐藤錦だった場合はどうすんだって話なのです。おい!そこのお前!真面目に話してんだ!メガネストローは一旦はずせ!

二月十七日(土) 駒沢公園のベンチにて小松菜の煮浸しに最も関係のないものはなんであろうと思案に耽る。やはりダンスバトルだろう。しかし、ややあってそれは揺らぐ。なぜなら最遠という意味合いにおいて関係性が生じてしまった。誰かフランスパンの先っぽで眉間をグリグリしてくんないか。

二月十八日(日) さきほど大人になって二度目のジャンピング乾拭きをしました。

二月十九日(月) 不意に「この曲いいな」と思えたのならそれに相応しい背景をすでにあなたは持っていたということなのです。そうなの!

二月二十日(火) 三軒茶屋の焼き鳥屋に到着するやいなや「大将!どれも美味しいね!参りました!んん、じゃあ白旗の白ワイン頂戴!」と厚顔にも言い放つおじさんに遭遇。受けてこちらは赤面の赤ワインでも頂戴しましょうかね!

二月二十二日(水) かかとがむき出しになる靴下こそルーズソックスでしょうが!ったく。

二月二十三日(木) 若き消防士を追った古いドキュメンタリーをYouTubeで。そこには上官より厳しい叱咤を受けながらも辛い訓練に耐え忍んで懸命に努力を重ねる若い姿があった。なぜ彼は挫けない。その答えは終盤のインタビューにて「自分は消防士ですから」との熱い一言に明かされる。そして画面はスタジオに切り替わり、進行役のおじさんが「みなさんご覧頂けましたか!まだまだ世の中捨てたものではございません!頑張れ!燃えろ消防士!」といって番組は幕を下ろした。ちょちょちょ消防士に「燃えろ」だけはつけないでくれます?

二月二十四日(金) 髭を生やす男としての心内を円グラフに示せば、その七十%が「剃るのが面倒臭い」となり、四十%が「髭があった方がかっこいいかも」という思いで占めている。そしてはみ出た十%を毎日カッティングしているということであります。

二月二十五日(土) ぶっちゃけ一週間そこらのアメリカ旅行なら「アイアムチョーノ」だけで乗り切る自信がありますね。

二月二十六日(日) 「私ね、雨が好きなの」じゃねぇ!

二月二十七日(月) 二百年後の不良たちはコンビニの前ではなく、アーノルド過炭酸Jプレイスの前に溜まるという予知夢を見ました。取り急ぎご報告まで。

二月二十八日(火) 片仮名の「ヨ」とアルファベットの「E」に筆先が迷ったのなら、強引ではあるがどちらとも取れる「王」を書きなさい。そしてそれを卑屈に感ずることなく王のごとくに鷹揚と振る舞うのです。

二月二十九日(水) 野郎どもに告ぐ。カロリーメイトのチーズ味のような漢にだきゃなんなよ。約束だ。

 

fin

寿正の鳥瞰図

 

新年明けましておめでとうございます。

常として「宝くじの当たる確率?んなもん当たりか外れかの二分の一じゃオラ!」などと息巻く性分であるこちらも大晦日から元日に切り替わる瞬間は自重に赴くところでやはり特別なものであります。

昨年末は友人宅に招かれてはご馳走となりタバコ所用にTシャツ姿でベランダに出たところ、はしゃぐ犬にロックを掛けられ、寒中は下顎をカカと震わせながらどこぞより打ち出す鐘の音に甲辰を迎えた次第であります。

世相諸々にございますが平身低頭より今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 

さて、元日は昼から湯船に浸かりシンディー・ローパーはトゥルー・カラーズに身を委ねて昨夜の一連を思い起こす。

犬に締め出されたことについては人間の沽券に関わる事案でありそれは相当のショックを心身に受けた。

だがしかし、それもおさまったのちに友人宅のタブレットから不粋にも検索履歴を盗み見してしまった結果は犬のくだり同等のショックを受けることとなる。

年明け早々に「江戸時代 口臭い」と検索する者があった。

タブレットからの発煙および爆発を免れたのは偏に甲辰を司る普賢菩薩様のご加護であろう。

それからその者、ハッと我に返ること次いだ検索は「初詣 明治神宮」としてわかり易く襟を正した模様。

そのような人の機微に触れ、そのような人の可笑しみに触れ、ことによると死後までもが対人間の世界なのではないかという了見に触れては一年の計は元旦にあり、今年は人間という生き物をつぶさに観察、または考察することで更なる己を知りたいと願う。

 

三が日、中日。

昨年末お世話になった家主より勧められたこの時節に相応する永平寺禅行を追ったドキュメントをYouTubeにて鑑賞。

俗世から離れた修行僧である雲水たちが一々の所作に自ら厳正を乞うことで煩悩からの解脱を懸命に試みる。

時折に挿入される四季折々の移ろいを纏った境内の映像とその元にて苦行に励む者たちの美しい対比は番組制作サイドの予期せぬ賜物であって欲しいというこちらのささやかな願いもこうして文字に起こすことで煩悩として形作られるのだろう。

鑑賞後の心持ちは清々しく健やかなものであったのだが、今年の抱負を人間という生き物をつぶさに観察すると掲げた以上はどうにも引っかかる箇所がある。

修行僧である雲水たちに眼鏡を掛けている者が散見される。

そもそも眼鏡とは「私、すんごい見たいんです。すんごい」という極まる煩悩を寄せて固めたような生活道具であることは自明の理。

だがどうだ、禅行を建前にそれについて疑念や恥じ入る様子など誰一人持たずにして、なんなら「煩悩からの解脱を願うこと自体が煩悩だ!」などと力強く説く大和尚が一番はりきって金縁の煩悩ダブルレンズを両目周辺に設置する始末。

入り組んだ聖なる矛盾と下卑た整合のその先に触れる。

なんのことはない、それは人間の愛らしさであった。

 

三が日、末日。

ひょいとポストを覗いたところ、毎年義理堅く年賀状を寄こす者より届いていた。

するとこちらもこちらで毎年義理堅くその返事は出さないことで双方の年始における通例となっている。

そんな彼は小心であるが時として大胆という人種に当たる。

そのような者の車選びとは中古車サイトを徹底的に巡り、弱腰ながら八方へ値切るに値切っては厳選に厳選を重ねた末にびっくりするようなものを選び出す。

昨年彼は十人乗りである中古のロケバスを購入した。

「なにか災害があった時に」と彼はいうが、こちらが思うに本人、妻、妻の母親という家族構成にも関わらず十人乗りである中古のロケバスを買ってしまったこと自体が災害なのではないか。

それも自宅から大型車専用駐車場まで自転車で三十分かかり、帰りは坂道の関係で四十分かかるという。

またCDプレーヤーが搭載されてはいるが聞くも涙、語るも涙、取り出しボタンが壊れており前の所有者が入れた英会話の教材CDを生涯聴くしかないという。

それは永平寺の修行僧もひれ伏す荒行ぶりではあるが、当の本人は意に介することなく時間を見つけて駐車場まで赴いては愛でるように洗車に勤しんだ。

そんなある日、妻の母を病院に連れてゆくことがあり、広大な車中にぽつねんと座る妻の母に「あ、お義母さん、どうぞ広く使って下さい、広く」と気遣った。

受けて彼女、義理息子の勧めをむげにはできず、熟考の末は通路を挟んだ向こうの席にのど飴をそっと置くという控え目な暴挙に出たと聞く。

さらに病院の駐車場で義母を待っていると施設の送迎車と思い込んだ超知らないおばあさんが二名、意気揚々と乗り込んできたという情報もある。

このように数多の悲しいエピソードをふりまく彼の愛車は現在どのような状況にあるのだろう。

こちらにしてはめずらしい新年の挨拶返しを兼ねた電話を入れたところこのような返答があった。

「あれはもう手放して今はキャンプに向かないキャンピングカーに乗っているよ」

その語調、早春のごときに朗らかでありもはや忌まわしい己の車運を愛していた。

なんでも展開式ベッドの角が常にホーンスイッチに触れており、やや強い寝返りには「ファン!」と反応するらしい。

さらに彼は「砂利道を走るとシャワーが」などとまだまだ嬉々と言いたげであったが、悲しみの耐性に劣るこちらの身が持たず、話の腰を折っては挨拶もそこそこに電話を切った。

彼は間違いなく幸せな男だと思う。

そしていつの日か彼が息を引き取った際には間違いなくオープンカーの霊柩車が配車されると思う。

 

fin