人生に意味はない。
そう綴るとき、雲居の光明は今も昔もこちらへと信用を乞う。
人生に意味はない。
そう綴るとき、深淵の闇は今も昔もこちらへと信用を乞う。
良きにつけ悪しきにつけ人生に意味はない。
ならば陰陽の境を身体の中心に据え、互い違いに踏み歩いてゆく。
ときにカサンドラ・ウィルソンのハーヴェストムーン、そのイントロに爪弾かれたアイリッシュ・ブズーキの調べ。
出だしのわずか数秒にして体感は永遠、この世に鳴らされた事実をおれは愛している。
人生に意味はないとは知れども、その愛はささやかな意味にして虚ろに辿る道に添えた一輪の花。
しかしそのような思索に耽るばかりに引き寄せたか、突然の電話により花は無残に千切られた。
「お忙しいところ失礼致します。こちらブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンの小林と申します」
茶碗蒸しの椎茸のようにしっとり控えめな声色の女性、それは数年前より愛飲する加熱式たばこグローの元締め会社からであった。
「吸う顔が蚊に似ているとの苦情が五件入っていまして」などとこちらのM心をくすぐる報告がなされるのではないかと期待するも、なんのことはない営業を兼ねたアンケートのようなもので途端にたばこ会社を煙たがる。
「おん、どうも、そんでなにか」
「現在亀田様がお使いのグローに関しまして不具合や改善のご提案などがございましたらお聞かせ願います」
「んん特には今思いつきませんが、強いて言えばこの前吸っている途中で掃除をしようと専用ブラシを穴に突っ込んだら毛という毛がすべて燃え尽きました」
「それでしたら吸った後に少し時間を置いてからお掃除を始めてはいかがでしょうか」
「はい」
かの偉人グラハム・ベルが電話を発明して以来これほどまでに意味のない通話があったであろうか。
人生に意味はない。
「人生に意味はないと思うのはお前の勝手だ。でも他人を巻き込むんじゃねぇよ」
性的嗜好はSではあるがM字に禿げてゆく友人Aがこちらに物申す。
ついて返す言葉を持つが、それは己の主義を自ら反故するようで沈黙は金としてやり過ごす。
「ダメだな。お前もうダメだな。うし、行こうか」
なんでも彼の親族が奥多摩に森を所有しているらしく、精神が参るとそこへ通い心の充電をするという。
「おれ別に病んでねぇよ。人生に意味はないというのがニュートラルの状態なんだわ」
ハンドルを握る彼は聞いたか聞かぬかルームミラーでM字禿げの深度を確認しては色濃く落ち込み、高井戸より中央自動車道、稲城ICを越えたあたりでついに口を開く。
「なんで人間は禿げるんだろう」
そこに辿り着いた脳内の経緯と穏やかにキレている語気に吹き出しそうになるも努めて返答する。
「この宇宙はすべてバランスで成り立ってんだ。だからユニセフがセネガルで植樹する度にお前の髪が抜けるということも大いにあり得る。てかお前もういい歳なんだから薄毛すら大人の嗜みぐらいに受け止める度量はねぇのかよ」
「美容師が気軽に禿げていいわけねぇだろ!お前ヨガの先生がスーパー太っちょだったら嫌だろ!」
八王子ICを降り、夏の街道をひた走り、虫かごを下げた少年、遠方に揺れるは蜃気楼。
「なんだね、夏ってやつも虚像なのかも知んないね」
「そして人生に意味はないと繋げる気だろ」
「繋げる気はないけど繋がっちゃうところにおれの本心とお前の願望があるんだわ」
「エアコンを強と。お宅、熱中症ですね」
しばらくすると山道に入り、傾斜がエンジンを唸らせるとそのうち細い砂利道の向こうに数軒の民家がみえた。
割烹着を着たおばあさんがオレンジのマツダ・ロードスターを洗車するという非常にレアな場面に遭遇するや否や「あれ、俺の婆ちゃん」と少し禿げている者がいう。
「東京から参りましたAくんの友人である亀田と申します」と低頭する靴先に迂闊を覚えた。
なぜなら奥多摩も歴とした東京であり、これはしくじったと思うもおばあさんはニコニコとして不問、お茶と笹団子を勧めて来られる。
なるほど、この緑豊かな土地での生活が心に和やかなゆとりをもたらしているのだろう。
縁側に腰掛け、一服つけていると昨夜にヤフオクで出会ったヴィンテージ・アロハシャツの動向が気になりiPhoneを取り出したところでAがそれを止めてみせた。
「お客さん、もうこの地に入ったのなら携帯はご遠慮下さい」
目前の大自然に対する不粋なふるまいは早々にポケットに収め「さっせん」と添えて茶をすする。
だがしかし、向こうの居間ではおばあさんがバイタリティー溢れるスワイプを駆使したiPadで熱心な調べ物に勤しんでいるではないか。
どうやら資本の波はこの山里にも少なからず及んでおり、照りつける太陽、蝉の声、風鈴が鳴れば夏の昼下がり。
おばあさんより水筒、笹団子、熊よけのハンドベルと「日が暮れる前に戻りなさい」との言葉を授かり森へ入る。
「熊なんて出んだ」
「今年は結構出るらしい。もうこの界隈で十件以上の目撃情報が入っている」
「出たらどうすんだ」
「俺が囮になるからお前は熊の背後から水筒で思い切り殴りつけてくれ」
それは夢見がち且つ超リスキーな作戦であり、とりあえずお前を背後から水筒で殴りたい。
「どうですか、森林浴は。心の奥が落ち着くだろ」
「おん、思ったよりいいよ。青々しい匂いもまた」
時折思い出したようにハンドベルを打ち鳴らし、桃太郎さながらお腰に笹団子を縛りつけたAの後をついてゆくこと三十分、だいぶ歩いたと思うがまだ森の半分も達していないという。
木々の葉が風にさらされ、波打ち際のような音を立てる。
幻想的な木漏れ日を単なる自然現象として割り切れず、それに触れようとしたおれは「人生に意味はない」などと言い切れる資格があるのだろうか。
水筒の中身はまさかのスプライトであり、お茶という先入観をものの見事に粉砕するおばあさん。
「人生に意味はないとは傲り高ぶった先入観なのかも知れないな」
頭上に受ける日差しに地肌を透け倒したAがこちらに、そして緑々の世界に宣う。
「うんこしたい。いや、うんこする」
ハンドベルをこちらに預け、茂みに消えていったA。
血縁が所有する森にてひり出す野糞は一種の自爆ではなかろうか。
そのように分析しつつ、平らな岩に仰向けで寝ころべば岩肌が背にひんやり冷たく、現状にこれ以上心地よいものはなし。
一聴で珍しいとわかる鳥のさえずりに目を閉じると思考回路の澱が綺麗に洗い流されてゆくような感覚があった。
人生に意味はないのかも知れないが、おれは今ここに生きている。
意味という人間が作り出した足枷のような言葉に縛られながらもおれは今ここに生きている。
今こそハンドベルを高らかに鳴らすべきではないか、炎天の空に向けて「おれはここにいる」と。
そのとき、向こうの茂みが激しくワサワサと揺れ、鳥たちが飛び立った。
脳内は真っ白となり、そこへ少年野球時代の思い出があぶり出される。
帽子を取ったら盗塁のサイン、しかし夏の盛りで監督は試合中ずっと帽子を取っていた。
おれはもうじき熊に喰われて死ぬ。
そして奴の排泄物となり、肥やしとなり、この地に名も無い花として健気に生きてゆく。
しかし、そうは観念するも生への渇望はオートマティックに作動をした。
ハンドベルを商店街の福引ばりに振り乱したところ、茂みからこちらに叫ぶ者あり。
「俺みたいな!」
fin