月別: 2020年11月

五指に余る般若湯のブルース

 

暮れ時のスペインバルにて生ハムでビールとチリワインをしこたま呷り、イワシの酢漬けでもしこたまに呷れば鱈のコロッケが配されたころにはだいぶ仕上がっており、悪癖、忙しなく動き回る給仕の男に絡み出す。

「最近は、最近はなんだ、ヤングの自殺が激しいってね」

「えぇ、悲しいことに」

「虚無と目が合っちまったんだわ、皆」

「トムと目が合った。なるほどですね」

先刻に紋甲イカのフリットを注文したはずがイワシの酢漬けをベストスマイルで持って来たあたりも合算すると彼は相当に耳の遠い男であるらしいが、ふと、近頃の荒んだ世には少しぐらい耳の遠い方が種々の醜聞を避けては幸せなのかも知れない。

対してこちらは耳が通っている方であり、テーブルをひとつ挟んだ男たちの会話までクリアに聞こえてしまうとなにやら大層盛り上がっているらしく、その中のひとりが口にする言葉が一々引っ掛かる。

「さぁ、忙しくなるぞ!」

「大きな声は地声だ!」

「止めても行くんだろ?」

それらはテレビドラマかなにかで聞き慣れた言葉であるが、それを実地でふんだんに使用する人は初めてみた。

鱈のコロッケを「ジャ」と齧れば魚皮もしっかり練り込んでいるようで酩酊の中にあっても滋味深い。

 

このまま帰るのも惜しい気持ちから目についた靴屋、古着屋と千鳥足で渡り歩いては散々ひやかし、ペットショップではケージの隅でチマとふて寝をするポメラニアンの赤ちゃんに心を奪われる。

「五万やんからこの子を親元へ帰してくんないか」

こちらの熟柿くさい突然の提案を受けた女性店員は田舎の父より丹精込めて拵えた木彫りのおりものシートをプレゼントされたような緊迫の面持ちでバックヤードへ走り、ややあって和太鼓のような店主を引き連れて戻った。

「あの、どのようなご用件でしょうか」

「時にご主人、りっしょくとたちぐいは同じく立食と書くが、そこには歴とした貴賎的な差がある」

「はぁ、言われてみれば」

「ちょいと日本語を齧ったそそっかしい外国人が立食パーティーをフルパワーでたちぐいパーティーと読み上げちゃったらどうすんの!?さらにりっしょく蕎麦なんてお上品に間違えた日にゃその割り箸は黒檀かい!?おん!?」

そこからの記憶は曖昧に途切れ、気づけば公園のベンチに伸びていた。

鈍する思考回路を差し置き、下腹部がモズモズし始めると小便が外界に焦がれている。

やおら立ち上がり公衆便所まで悠然と歩を進めるも、その実、紙吹雪が五、六枚頭に乗っただけでも放尿がスタートしてしまうのではないかと思うほどに限界は近かった。

ならば小便とは関わりのない物事を言葉に起こすことで尋常でない尿意をはぐらかす。

「そういやこないだ行った飲み屋は最高だったわ!しょんべん横丁!んん、こんなご時世だけどそろそろ海外旅行にでも行きてぇな!そうさなぁ、ベルギーなんてどうかしら!しょんべん小僧なんかひやかして!」

もはや小便は脳にまで逆流しているようで、策士尿に溺れる。

だがここ一番の踏ん張りに強いのが湘南漢の矜持であり、死力を尽くした内股歩行でなんとか便所まで辿り着くとそれこそナイアガラの滝の如くに全解放。

その強烈な快感は筆舌に尽くし難く、遡ること小六の運動会は組体操本番を迎え、二人一組のサボテンを完全に忘れてはピラミッド作成の為に独り後方へ走り出すという生き急ぐエジプト人を大衆の面前に晒してしまったほろ苦い思い出まで危うく便器に流してしまうところだった。

ナイアガラの滝から華厳の滝、そして日本一低い嘉相滝を経て、中華の厨房で細く出しっ放しにした水道のように尿の勢いが収まるとタイル壁の落書きに気づく。

「ヤリマン実家」

矢印の先には03から始まる電話番号が記され、そのまま暫し考え込むにヤリマンの実家に電話をして一体なにをどうしろという。

しかもそれらしい若い女ではなく、明らかな父親が兜の緒を締め直し、はりきって受話器を取った場合には何らかの保険が適応されて然るべきではないか。

このままでは埒が明かず、こちらも現代人の端くれとして電話番号を検索にかけてみたところヒットしたのはとある手芸用品店。

なるほど、ヤリマンの実家だけあって常に糸を引いているということなのだろう。

 

差し迫る生理現象からの解放は心身を軽くし、世の中とは思い込みでありアルコホルも幾分に抜けたような気がする。

ならばもう一軒寿司屋と洒落込み、氷見の鰤刺しなんぞをあてにキリとした冷酒でもどうだろう。

そして板場に位置なすはなんとも言えない婀娜っぽさが純白の調理衣では隠しきれない女性職人などがよい。

他愛のない会話に食は進み、酒は活き「ん、白魚を頼んだ覚えはないよ。あぁ失敬!お姉さんの指でしたか!」という手榴弾をいつ放とうか逡巡していると、どこぞの酔ったオヤジが来店早々彼女に悪態をつく。

「はっ、この店は女風情が握るのかよ。あぁやだやだ、早く帰って旦那のおいなりでも握ってろ」

あまりの聞き苦しさに皮鯨のぐい呑みを干しては席を立つ。

「おっさん、ちょっとその辺お散歩しようか」

少しばかり灸を据えるつもりが、一時間弱に及ぶ殴り合いを繰り広げた結果、競り負ける。

もうどのような面を下げて戻ればよいのかわからず、そのまま帰宅しようとしたところで自転車の警官に呼び止められ、食い逃げの容疑で世田谷署まで連行される。

そのようなことを想像すると寿司屋は無難に通過し、その先に将棋倶楽部なるものを発見した。

外から伺うにはご老人方がそれぞれ難しい顔を突き合わせてそれに興じ、なかにはビールで喉を湿しながら熟考する形の良いおじいさんもあり、張り紙の「見学無料」にも背を押されるとなんとなくの入店。

こちらに一瞥もくれることなく没頭する男たちに居心地の良さを早々に覚え、あまりうろうろとはせず少し遠目からの見学を決め込むとなにか軽食などの注文をしなくてはならない心持ちとなる。

壁に張り出されたメニューは背後から拳銃を突きつけられて書いたのだろうか、激しく震えた文体で「おにぎり各種」「カップラーメン」「カレー」などとしてあり、ついに撃鉄を起こされたか絶体絶命におののいたようで炒飯を「チャハーン」と書き遺しているではないか。

差し当たって震えた文体が見事にマッチする「氷結」をキッチンの方角へ注文したところ、主人であろうか対局に臨むデニム地のエプロンを纏うおじいさんが「ん、冷蔵庫」と盤から目を離さずにいう。

「お金は」

「お金はお金は……ん、なるほど、ここに金を打ったらどうなのよっと」

そのような塩梅でゆるく時は流れ、どこからか「ピシャ」と小気味よい指し音が鳴るとその者の覚悟や生き様がそこに感ぜられ、金と銀の動きが今ひとつわからない素人の自分にも響くものがあった。

しばらくすると対局を終えた主人のおじいさんは諸々に溜まった本業務へ戻り、その片手間に話しかけてくる。

「兄さんもやるのかい?」

「いえ、将棋はまったくわからないです」

「そうかい。あそこの子ね、まだ小学生なんだけど誰も歯が立たない。参っちゃうよ」

「神童ってやつですか。いるんですね本当に」

言われて気づいたが、確かに明らかな小学生が足をブラブラさせて枯れ枝のようなおじいさんと指し合っている。

その戦況はおじいさんのマリアナ海溝の如くに深まる眉間の皺がすべてを物語っており、そのうち孫ほどの年の差に関わらず一礼を以てして投降に至った。

しかし小学生は嬉しい顔をひとつせず、がぶ飲みメロンクリームソーダを「ジュ」と啜り、スマホをいじり出す。

将棋の世界は強さこそすべてなのかも知れないが、屠った者に対する敬意を欠いてはならない。

なぜそれを欠いてはならぬのか、五文字で簡潔に答えよと問われればココカラファインとしか言いようがないが、大幅な字余りにこちらの心意気を感じ取って欲しい。

もはや店内に相手はいないと見えて、しばらく小学生に対面する席が空くと昨夜になんとなく眼鏡フレームの溝に爪楊枝を当てがい、そのまま擦りつけたところ大量のカスがめくれ上がったばっちい男が登場する。

「ひとつお手合わせば願おうか」

小学生がスマホを閉じ、手早く駒を定位置に揃えるとこちらもそれに習い駒を揃え「飛車と角が逆だ」という指摘を主人のおじいさんより受けると男児がキャッキャと笑う。

一見無謀にも思える挑戦ではあるが、おそらく彼は将棋に心得のある者としか対戦の経験がなく、ド素人のファンキー且つアナーキーな動きには不慣れであるところに翻弄され、とどのつまりは敗北という未知の荒野に投げ出されることだろう。

開戦早々、こちらは王将を前後に行ったり来たりする戦術「殿、ご乱心」を披露。

案の定、小学生の表情には戸惑いらしきものが浮かぶも、次第に神童に相応しい落ち着きを取り戻すと我が陣内に角を乗り込ませ、散々引っ掻き回して王に迫るが今にして思えば隣の席で将棋崩しをプレイする後期高齢者のふたりこそなによりの強敵であったように思う。

互いの震える手で押さえた机は震え、震える山から震える指で震える駒を取り合っているではないか。

それも明らかに「カタタン!」と鳴っても双方にはそれが届かず、なにも無かったように競技が続行されるともう気になってしょうがない。

この凶悪なふたりをなんと形容すべきかうわの空で考えていると小学生がいう。

「詰みです」

あぁ、なるほど、罪なふたりだと得心がいき、盤に視線を戻すと断首宣言に震える我が大将の姿があった。

 

fin