月別: 2020年12月

歳晩に漬ける

 

師走に入り早々、よそから立派な聖護院かぶをいただくと漬物好きが高じてひとつ千枚漬けでも拵えようかと思い立っては台所、昨年離婚をした夫妻からの引き出物であるグラスに黒ラベルを注ぎ、なんとなくの耳寂しさからPoguesは『Fairytale of New York』をかけるとクリスマス感にグッと肩を組まれた。

「よう、今年のクリスマスはどうするんだ、ん?」

「別になんもしねぇよ、んなん女子供のもんだろ」

「あら、今日日そんな言い方をして。まぁいいや、今年はどうだったんだよ、総括的に」

「今年は何と言っても女子7人制ラグビーのセントラルシリーズで福井女子闘球倶楽部が優勝したな」

「もっとなんかあるだろ」

「第七回豆乳レシピ甲子園で福井の高校生、羽生まおさんのレシピが野菜部門の優秀賞に選ばれたな」

「そうですか。そらそうとなにをするんだ?かぶの御前で光る物を振り回しちゃって」

「千枚漬けを作んだよ。見りゃ分かりそうなもんじゃねぇか」

「へぇ、随分と乙なことを。作り方は知っているのか?」

「当たり前だろ。日出ずる御国の民なら誰でも知ってんよ、オラ邪魔だ邪魔だ」

クリスマス感がお手上げのポーズに戯けて消えると早速クックパッドで手順を引く。

ざっと流し読むと砂糖、塩、酢にみりんに昆布、そして柚子や鷹の爪などがあれば尚のこと良しとし、まずはかぶの皮を剥いて薄切りにしろこのクズ野郎としてある。

猫の手を添えソク、ソクと薄切りにしばらく没頭していると無心を自覚するという矛盾に苛まれながらも二十五枚を切り終え、お次は一枚づつの両面に塩を薄く付けて漬物鉢にずらしながら重ね、一日重石をして余計な水分を抜くことが出来ないのであればダッシュでお前の先祖の墓に糞をぶっかけるとしてある。

はて、ここで悩んだのが漬物鉢というものなど聞いたこともなければそれが道理に我が家には存在しない。

さりとて安易に挫折などすれば可愛い薄切りのかぶたちは就寝前のかぶパックの末路を辿ることになってしまう。

そこで考えついたのが小ぶりのパスタ鍋にそれらを重ね入れてはアルミ箔で覆い、丸めた新聞紙を緩衝材としてペットボトルを重石に据え置くというもの。

するとこの素晴らしい機転はなにがしかの神の嫉妬を買ってか、この三千世界で一番意味のないどこぞのお爺さんによる間違い留守番電話を差し向けてきた。

「あ、みきさん?今ね、箱根に着きました。あ、まだ足柄です。では」

この独り相撲甚だしい留守電の特筆すべき点は例えおれがみきさんだとしてもその意味のなさ加減がちっとも減らないところにある。

さて、ペットボトルで重しをかまし一日漬けると思いの外に水分が出ていた。

これはゆらゆら帝国でいうところの緑の液体であり、それを捨てるシンクに思い出す。

かれこれ十年近く前のこと、おれは一人でドラムを叩いて叫び散らすという音楽活動をしており、ある日のライブに亀川さんがお見えになっていたのだが、こちらのノーフューチャーな泥酔ぶりから挨拶すら満足に出来ず三下の分際で大変に失礼な真似をした。

そのような悔悟は何年経とうが持ち続けるべきであり、それを忘れぬよう戒めにかぶを一枚齧るとこれがまた許されたように旨い。

滲み出たぬめりは八百八寺の肥沃な土の香りを纏い、目を瞑れば寺から寺へと連れ回された修学旅行が浮かび、さらにはバス中での歌い回すカラオケでマイクが届かないとなるとジャックを最寄りの穴へ手際良くぶち込むバスガイドさんの腰つきまでも思い起こす。

かくして薄味を好むこちらからすればこれにて完成としてもよいところだが、やはり年の瀬も迫る今日この頃には真の千枚漬けなるものに挑みたいではないか。

 

ところで我が家ではサンタクロースに扮した親父が高一まで枕元にプレゼントを置いていた。

これを人に話すとある者はうどんを吹き出し、ある者は震える手でハザードランプを点灯させ、またある者は「やっぱりライトオンの株主総会ではみんなダサいのかな?」と急に口走るなどの動揺をみせた。

さすがのこちらも「このまま一生続くのかも知れない」という懸念があり、とうとう高一のクリスマスイブは刻にして丑満を過ぎた頃、枕元に迫る影へ突然「いつまで来るんですか」と問うたところ、薄闇のなか驚きをひた隠した親父が力なくも真摯に答えた。

「やめ時がわからない」

それはまるで定期便の亜鉛サプリのようであり、つまりはこれがサンタクロースの別れの言葉となった。

黒ラベルを飲み干し、なんとも言えない感傷に浸っているとインターFMよりWham!の『Last Christmas』が流れ出し、すかさずのクリスマス感がまたしても現れる。

「なんだよ浮かない顔して。千枚漬けに失敗したのか」

「ちょっと昔のことを思い出してたんだわ」

「あれか、十四歳の頃クリスマスに貰ったパワフルな双眼鏡で湘南平に見飽きると隣家の生活ぶりを堂々と覗くというあの凄惨な事件か?」

「そんなこともあったな」

「みかんにむせるおじいさんの一部始終を覗くだけでは飽き足らず、終いには柿ピーの柿とピーナッツの割合が偏りまくっているおばあさんを憤慨しながら覗いていたな」

「結局双眼鏡は母ちゃんに没収されてな」

クリスマス感が笑いながら消えてゆくとついには千枚漬けの最重要ポイントに差し掛かる。

酢、砂糖、みりんを合わせ砂糖が溶けるまで火を通し、その間絶対に沸騰させてはいけないとのこと。

万が一沸騰させた場合には金玉をめくり上げたそのスペースを月極め駐車場にするという。

記述された分量を遵守、とろ火にかけ木べらでゆっくり慎重に掻き回しながら明年の家内安全、無病息災、五穀豊穣、行き着く先は世界平和と近所のギャル服を着こなすお婆さんへの天誅を祈願し、次第に砂糖のざらつきが緩いとろみに化すとどうやら山場は越えたようで。

お役御免の木べらをサッと洗い、元の位置へ戻そうとしたところ枕のビーズを満載にしたプラコップを張り倒し、コンロ周りは一瞬にしてビーズだらけとなり鍋の中にも五、六粒入ってしまうも大の大人が狼狽えるには値しない。

散らかったビーズは拾い集め、鍋の中からは菜箸でつまみ出せばいいだけの話。

「おれもそろそろ肝が据わってきたぜ」

コンロ周りの清掃を済ませ、鍋に入った不届きなビーズ達の退去を迫ろうとするも菜箸を片手に「あで?」と首を捻る。

なぜなら薄いブルーのストローを輪切りにしたようなビーズの姿がない。

鼻水を垂らしながら「ハンドパワーです」と呟いてはみたもののそれではなにも解決せず、これは最悪を想定しての実験を行わなければならない。

ビーズを一粒、湯気の立つ鍋に投下し、瞬きは極力に控えてその様を凝視していると汁に揺蕩うこと一分弱、こちらになんの挨拶もなく「スッ」と溶けて消えた。

「はいチョベリバです」

五、六粒がすでに溶け込んでいる現状からこの度の千枚漬けが完成した暁には原材料名、砂糖、塩、酢、みりん、ポリエチレンと包み隠さずラベルに記載せねばならない。

そのような責任感からスプーンの先で恐る恐る味見をしてみたところ危惧するケミった風味は皆無にして、むしろ陰ながら砂糖とみりんのわんぱくな甘さを酢と共に引き立てつつ上品に抑え込んでいる印象すらあり大変に良く出来ているではないか。

 

かぶの間に昆布を挟み、柚子の代わりに野菜室の奥で干上がる金柑を細かく刻んでは香りづけ、そして調合に少々手間取った汁を注ぎ、もう一日漬けるとついに千枚漬けが完成した。

ちょっとした小皿へ選りすぐる三枚を移し、斜に重ねて色気を出すと携帯を取り出し記念の一枚。

しかし「なにかこう殺風景だな」と手元にある糸ようじをひょいと添えてみたところ、それで突き刺しては召し上がり、さらにはその場で歯間掃除まで出来るという至れり尽くせりJAPAN感が全面に出た。

すると徐々にエスカレートをして様々な物を添え出し、最終的には鉄アレイが主役のような仕上がりとなる。

これはいけないと一掃する最中の「殺風景こそ見る者の心情を写すキャンバスなのではないか」という確信めいた思いから三枚の千枚漬けのみをフレームに収めると次いで待ちあぐむは味見の段。

咀嚼毎に繊維組織から溢れ出すほのかな酸味と草野球のストライクゾーンのような寛大な甘さが相まってそれはそれは素晴らしく、酸味は母、甘みを子とした場合にはご飯という継父との相性を慮る節もあるが、漬物を優に超越した一品のおかずとしても成立するところから杞憂として飲み込む。

しばらくすると「せっかく写真に収めたのなら誰かに見て欲しいじゃない」という巷に蔓延る浅ましい了簡がムクムクと人並みに湧き、強盗にもフリスクを勧めるような心優しい人々を電話帳からピックアップ、そして「クォラ!千枚漬けの御前である!頭が高い控えおろぉ!」と添えて一斉送信。

返信を待つ間に湯を溜め、肩まで浸かり、なんとなくの鼻歌に『恋人がサンタクロース』を奏で出すと磨りガラスの向こうに見慣れたシルエットが現れ、咄嗟にBメロから『俺ら東京さ行ぐだ』へ変更、それがフッと消えたところからおそらくそれはクリスマス感であったに違いない。

風呂から上がると何件かの返信があり「すごい」や「美味しそう」などが居並ぶもこちらとしては退屈で仕方ない。

すると「我が家では紅白なますではなく赤かぶと白かぶの紅白千枚漬けをおせちに入れていますよ」という熱いメールが届いたものの、広瀬さんという方に全く覚えがない。

過去の送信履歴を調べるも手掛かりは掴めず、最終手段の「貴様Who are you?」を送信する直前に思い出して本当に良かった。

「チャリで轢いた人だわ」

思い返せばおよそ二年前、夜の茶沢通りで背後からチャリンコで轢き倒してしまったにも関わらず笑顔で「大丈夫です」と仰られた広瀬さんその人ではないか。

それを頭ごなしに「クォラ!千枚漬けの御前である!頭が高い控えおろぉ!」とは何事か。

それも送った写真は真っ白な千枚漬けであり、色も無ければ反省の色も無いときた。

なんと返信すべきか悩み込んだ挙句、自重を可視化するには硬く、そして重々しい物が適していると再度引っ張り出したのは鉄アレイ。

「お久しぶりです。その節は大変にご無礼致しました」と鉄アレイの写真に添えて返信。

すると「僕も最近体を鍛え出し、近頃ではジムに通っています」と仰る。

「そうですか。このようなご時世ではありますがお身体にご自愛ください。では失礼致します」

「あとですね、ホットヨガも始めようと思っています」

 

fin