前日の記者会見にて「飛ぶ鳥と飛ぶ勢い」と世間に言い放った気鋭のヴィジュアル系バンド「Purple suicide」が初の武道館ライブを迎えた。
ギタリスト鶴岡八幡Gooの選曲によるシンディ・ローパーのSEが消え、次いで客電が落ちると個々人が一万五千の声援に呼応してどこまでも相乗に湧き上がる。
「TORIKABUTO」の激しく凶々しいイントロが轟き、真っ赤に染まる天井をみつめたヴォーカルJ・I・Nは押し寄せる感動を払い除けてこう思わずには居られない。
「すごいうんこがしたい」
最前列の女性客が取り乱して泣いている。
その姿はバンド冥利に尽きるものではあるが、何はさておき俺はすごいうんこがしたい。
すぐ後に控える約三十秒間のギターソロに乗じてトイレに直行したとて戻っては来れまい。
ならばトイレにマイクを持ち込み、前代未聞のうんこをしながら歌い上げるという誰もが不幸になる選択肢も現実味を帯びてきたところでそれすらも許さぬと無慈悲が舞い降りた。
なんと初の武道館に高揚した鶴岡八幡Gooが一曲目にも関わらず己のソロプレイに酔いしれながら行く手を阻むようにしてこちらへ向かって来るではないか。
そして寄り掛かるだけにとどまらず、背中合わせのその身を深く上下に擦りつけてはこちらの排便を促した。
ここで漏らしたのなら「J・I・N」ではなく八代先まで「う・ん・こ」と世間に呼ばれるだろう。
脂汗が冷や汗となり首筋をつたい、極まる不快をシャウトに込めればオーディエンスは大いに盛り上がる。
望んでいたとはいえなんと因果な職に就いたものだ。
すごいうんこがしたい。
舞台袖、感涙に咽ぶマネージャー堀田をみた。
彼は心優しく涙もろいが言うべき時は言う男でありメンバーの信頼を一手に引き受ける。
だがしかし、今の俺は我が肛門括約筋だけを信頼している。
もっともこの窮地の内情を知れば堀田はまたしても感涙に及んでは得心に至ることだろう。
二曲目の「IMAWA-NO-KIWA」が毎晩馬車に轢かれる夢をみるドラム立石with youのカウントにより口火を切る。
本来であればこのタイミングでハットを客席に投げ入れる予定であったが、いよいよの最終手段として用いる器として保持すべきだと反射的な判断を下した。
嗚呼、うんこがしたい、うんこをしたい、うんこにしたい、うんこもしたい、うんことしたい。
内腿が震え出せば、膝が笑う。
俺は大衆の面前でうんこを漏らす為にこの日まで生きてきたのか。
大衆は俺のうんこを漏らす姿を見る為にこの日まで生きてきたのか。
ベースの破れ鍋に綴じ蓋郎が一万五千人を恒例の悪口(あっこう)で煽るに煽る。
「おいおいおいおい糞野郎ども!!もっと揺らせ揺らせ揺らせ!!使えねぇビチ糞どもがオラ!!」
会場は爆発的な盛り上がりをみせるが、もう俺がピンポイントで怒られているとしか思えない。
それから状況は刻一刻と悪化の一途をたどり、もはやカッターナイフで指先をピッと切ったのならそこからうんこがミチミチと溢れんばかりの体たらく。
だが幸いにして歌詞は自ずと出て来るものであり、それに加えてただならぬ便意による殺気がともすれば外目に映えているのではないかというヴォーカリストの矜恃は辛うじてキープしているつもりではある。
三曲目の「K・A・M・A・K・I・R・I」では武道館中の人々が両手を鎌に大いに弾けた。
その狂乱姿より脳を占拠する強いイメージはその身体にも多大な影響を及ぼすとの触発を受ける。
ならば至急うんこ以外を考えるに努めたい。
「最近ひょうたん見てないな」
するとどうだ、苛烈な便意は強烈な便意へと等級を落とす。
「パチパチと青白く発光する霧状の地球外生命体になぜ甲子園のバックネット裏に陣取る野球少年たちはユニフォーム姿なのか順を追って説明できる人物になりたい」
するとさらにどうだ、身が軽くなったように思えた。
ならばここは駄目押しに最新型IH炊飯器のキャッチコピーでもひとつ捻ってみようではないか。
言わずもがなキャッチコピーとはその時代時代に即したものであるところ、昨今の世界情勢から戦争の加味は必須に思えた。
最前列の泣いていた女性客に耳打ちをする男が目に入る。
なんとなく女性の方にそれを避ける微動が見て取れると「友達以上恋人未満」というワードがひらめく。
最新型IH炊飯器、戦争、友達以上恋人未満の三役が揃い踏み。
「飯盒以上ステルス爆撃機未満」
我ながらなんと秀逸なキャッチコピーなのだろう。
だが炊飯器の蓋がパカと開いた場面を想像するにそれはうかつにもトイレを連想させた。
すごいうんこがしたい。
ライブはアコースティックセットに移行する。
もうとにかく座りたかった。
それは初武道館に燃え上がり激しく動き回ったメンバーたちも同じ気持ちであろうことは想像に易く、さらにこちらは椅子に腰掛けることで臀部を密閉してはうんこの無断外出を食い止めることができる。
一旦幕が下り、スタッフが椅子やアコースティックギターなどの準備に入る。
「これはトイレへ行けるのではないか?これはうんこだけに大チャンスなのではないか?」と思いきや、彼らの手際の良さはF1のタイヤ交換ばりに迅速であった。
うなだれながら真っ赤なチェスターフィールドに腰を下ろせば「ンビヴィ!」と尻の下で鳴った。
自覚のない屁、これはもう長時間に耐え抜いた肛門括約筋が限界を迎えたサインに違いない。
何か尻下より異を感じ取る。
座面のカバーをめくり上げるとそこにはブーブークッションが伸されていた。
このようなくだらない悪戯をする者など鶴岡以外に考えられない。
だがおかしなことに奴は汗をぬぐいモンスターエナジーをがぶ飲みするばかりでこちらに注目するそぶりがまるでない。
これは疲労により仕込んでいたことを忘れたのだろう、他のメンバー、スタッフ、幕外の観客にも取り立てた反応はない。
アベンジャーズのような屈強なる便意に胸ぐらを掴まれた者がブーブークッションを尻で踏むというあるまじき惨劇は人知れず過ぎ去っては重ねる惨劇にしてまた過ぎ去っていった。
今朝方、母より「お父さんね、熱中症になって今病院で点滴しています」との報を受けていた。
不吉の予兆は靴紐が切れるというが、この度は時間差を設けた尋常でない便意を以ってしてそれに成り代わったのであれば父は今頃どのような状態にあるのだろう。
熱中症など物ともせず自転車柄のブラジリアン・ビキニ姿で陰嚢を放り出しながら女子中学生の自転車のチェーンでも直しているのか。
アコースティックセットはこちらの独り弾き語りに締めとなり、ピンスポットを真上から照らされては超微弱な圧にすら耐えかねて遂にうんこの先っぽが外気に触れた。
爪弾くアルペジオは乱れに乱れ、極まる不安から辺りに一瞥配すも聴く者たちはそれに反して恍惚を浮かべていた。
すべては許される為に存在する。
ならば「うんこを漏らす」のではなく「うんこをする」という前向きな言葉の中に生きていたい。
スローバラードにそぐわぬ弦が切れんばかりの狂ったストロークは一万五千人を前にして排便を決意した者の弱さにして強さ、儚さゆえの美しさに鳴り響く。
fin