新年明けましておめでとうございます。
常として「宝くじの当たる確率?んなもん当たりか外れかの二分の一じゃオラ!」などと息巻く性分であるこちらも大晦日から元日に切り替わる瞬間は自重に赴くところでやはり特別なものであります。
昨年末は友人宅に招かれてはご馳走となりタバコ所用にTシャツ姿でベランダに出たところ、はしゃぐ犬にロックを掛けられ、寒中は下顎をカカと震わせながらどこぞより打ち出す鐘の音に甲辰を迎えた次第であります。
世相諸々にございますが平身低頭より今年も何卒よろしくお願い申し上げます。
さて、元日は昼から湯船に浸かりシンディー・ローパーはトゥルー・カラーズに身を委ねて昨夜の一連を思い起こす。
犬に締め出されたことについては人間の沽券に関わる事案でありそれは相当のショックを心身に受けた。
だがしかし、それもおさまったのちに友人宅のタブレットから不粋にも検索履歴を盗み見してしまった結果は犬のくだり同等のショックを受けることとなる。
年明け早々に「江戸時代 口臭い」と検索する者があった。
タブレットからの発煙および爆発を免れたのは偏に甲辰を司る普賢菩薩様のご加護であろう。
それからその者、ハッと我に返ること次いだ検索は「初詣 明治神宮」としてわかり易く襟を正した模様。
そのような人の機微に触れ、そのような人の可笑しみに触れ、ことによると死後までもが対人間の世界なのではないかという了見に触れては一年の計は元旦にあり、今年は人間という生き物をつぶさに観察、または考察することで更なる己を知りたいと願う。
三が日、中日。
昨年末お世話になった家主より勧められたこの時節に相応する永平寺禅行を追ったドキュメントをYouTubeにて鑑賞。
俗世から離れた修行僧である雲水たちが一々の所作に自ら厳正を乞うことで煩悩からの解脱を懸命に試みる。
時折に挿入される四季折々の移ろいを纏った境内の映像とその元にて苦行に励む者たちの美しい対比は番組制作サイドの予期せぬ賜物であって欲しいというこちらのささやかな願いもこうして文字に起こすことで煩悩として形作られるのだろう。
鑑賞後の心持ちは清々しく健やかなものであったのだが、今年の抱負を人間という生き物をつぶさに観察すると掲げた以上はどうにも引っかかる箇所がある。
修行僧である雲水たちに眼鏡を掛けている者が散見される。
そもそも眼鏡とは「私、すんごい見たいんです。すんごい」という極まる煩悩を寄せて固めたような生活道具であることは自明の理。
だがどうだ、禅行を建前にそれについて疑念や恥じ入る様子など誰一人持たずにして、なんなら「煩悩からの解脱を願うこと自体が煩悩だ!」などと力強く説く大和尚が一番はりきって金縁の煩悩ダブルレンズを両目周辺に設置する始末。
入り組んだ聖なる矛盾と下卑た整合のその先に触れる。
なんのことはない、それは人間の愛らしさであった。
三が日、末日。
ひょいとポストを覗いたところ、毎年義理堅く年賀状を寄こす者より届いていた。
するとこちらもこちらで毎年義理堅くその返事は出さないことで双方の年始における通例となっている。
そんな彼は小心であるが時として大胆という人種に当たる。
そのような者の車選びとは中古車サイトを徹底的に巡り、弱腰ながら八方へ値切るに値切っては厳選に厳選を重ねた末にびっくりするようなものを選び出す。
昨年彼は十人乗りである中古のロケバスを購入した。
「なにか災害があった時に」と彼はいうが、こちらが思うに本人、妻、妻の母親という家族構成にも関わらず十人乗りである中古のロケバスを買ってしまったこと自体が災害なのではないか。
それも自宅から大型車専用駐車場まで自転車で三十分かかり、帰りは坂道の関係で四十分かかるという。
またCDプレーヤーが搭載されてはいるが聞くも涙、語るも涙、取り出しボタンが壊れており前の所有者が入れた英会話の教材CDを生涯聴くしかないという。
それは永平寺の修行僧もひれ伏す荒行ぶりではあるが、当の本人は意に介することなく時間を見つけて駐車場まで赴いては愛でるように洗車に勤しんだ。
そんなある日、妻の母を病院に連れてゆくことがあり、広大な車中にぽつねんと座る妻の母に「あ、お義母さん、どうぞ広く使って下さい、広く」と気遣った。
受けて彼女、義理息子の勧めをむげにはできず、熟考の末は通路を挟んだ向こうの席にのど飴をそっと置くという控え目な暴挙に出たと聞く。
さらに病院の駐車場で義母を待っていると施設の送迎車と思い込んだ超知らないおばあさんが二名、意気揚々と乗り込んできたという情報もある。
このように数多の悲しいエピソードをふりまく彼の愛車は現在どのような状況にあるのだろう。
こちらにしてはめずらしい新年の挨拶返しを兼ねた電話を入れたところこのような返答があった。
「あれはもう手放して今はキャンプに向かないキャンピングカーに乗っているよ」
その語調、早春のごときに朗らかでありもはや忌まわしい己の車運を愛していた。
なんでも展開式ベッドの角が常にホーンスイッチに触れており、やや強い寝返りには「ファン!」と反応するらしい。
さらに彼は「砂利道を走るとシャワーが」などとまだまだ嬉々と言いたげであったが、悲しみの耐性に劣るこちらの身が持たず、話の腰を折っては挨拶もそこそこに電話を切った。
彼は間違いなく幸せな男だと思う。
そしていつの日か彼が息を引き取った際には間違いなくオープンカーの霊柩車が配車されると思う。
fin