月別: 2021年9月

続、続、デラシネの記

 

九月一日 (水) メルカリで購入した九千八百円のTシャツが腰を抜かすほどのワキガ臭。内訳にしてその九千円分がワキガ臭。女遊びに盛る友人より「コーラで洗え」とのアドバイスを直電にて受ける。

九月二日 (木) コンビニの前でフランクフルトと黒ラベルを自棄気味にキメるお姉ちゃんをみた。察するに彼氏がバナナボートを長年に渡りバナナンボートと言っていたのではないか。

九月三日 (金) 時を司る神を裏切るため、突然豚の角煮を拵えるべくピーコックへ。クックパッド曰くさほどの難儀はないという。女遊びに盛る友人より「コーラを入れろ」とのアドバイスを直電にて受ける。

九月四日 (土) いい歳をしてなぜ未だに不可解な夢を現実だと思うのか。いきなり「本番お願いします」とステージに放り出されてスポットライト。筒型ウエットティッシュのこまごまとしたセッティングを大衆に披露しているとロボコップが激怒、野沢雅子がベンチプレス。

九月五日 (日) 溜池と宇田川はダメ。日本橋と笹塚は良い。神谷町はその中間。あ、なか卯の話です。

九月六日 (月) 交通誘導員のおじいさんがベンチでコーヒーブレイク。その陽に焼けた横顔に「人が必ず死んでゆくのは義務ですか、権利ですか」と不躾に当てる。すると即答の形で「シフト制だよ」と仰った。深奥な哲理に触れて気配は秋。

九月七日 (火) その昔、承認欲求をこじらせながら控えめに芸能界を目指す男の家に泊まった。しこたま呑んだおれは床に転がりそのまま眠りに落ちた。どのくらい経ったのだろうか、うっすら目を開けると彼はデスクにてシュッシュッと音を立てながら作業に励んでいた。これは完全なる自慰行為の現行犯ではないかとタウンワークを丸めて背後から殴りつけようとしたところ、彼は延々とサインの練習をしていた。「シコりの最たるもんじゃねぇか!」という機智に富む反射的なツッコミは我ながら手柄として未だ心の冷蔵庫に貼り付けています。

九月八日 (水) 富山かイスタンブール、500円玉をトス、表が富山なら裏はイスタンブール、床を転がりベッドの奥へ、あぁ君も旅に出たのねと。

九月九日 (木) エアコン業者、出前館、ヤマト運輸が我が家の玄関に大集合。

九月十日 (金) 友人が泥酔、電柱ごとにゲロを吐き散らす体たらくに腹心の部下がコンビニに走るとぐんぐんグルトを買って来たらしい。そして胸ポケットにはプチ歌舞伎揚を捻じ込まれたと聞いた。ヤフーニュースのトップもんだろ、それ。

九月十一日 (土) この世に言い切れるものなど何もない。よって言い切れるものなど何もないと言い切ることもできない。誰かF1のタイヤ交換体験ゲームを作ってくんないか。

九月十二日 (日) 目玉焼きに失敗した瞬間スクランブルエッグに急遽変更。そのてやんでぃ精神は江戸っ子より脈々と我々に引き継がれたものであろう。

九月十三日 (月) 鉄板焼きは麻布の十番。寡黙にも険はなく見るからの生真面目なコックさんに妙な了見を起こし「今までの人生で犯した一番の悪事はなにか」と尋ねた。すると「先輩が五時間かけて煮込んだテールスープをすべてこぼしてしまい、しかもそれが先輩の足にかかってしまった」との微笑ましい惨劇を白状。そして小声に次いだ「むかし駐輪場に放火したことがあります」はガーリックライスを頬張ることでスルー。

九月十四日 (火) 現状でリトル・ミス・サンシャインのDVDを三本所有していることは認識している。四本目からは青魚を日々に摂り、五本目にはついに頭部のCT検査、六本目はもう日本語を異国の言葉として聞けるという独り相撲甚だしい特技をかざしてシルク・ドゥ・ソレイユのオーディションを受けようと思う。

九月十五日 (水) もうね、近頃ではなか卯の方が俺のこと好きなんじゃね?みたいな。

九月十六日 (木) 結局の詰まるところに人は誰しも解放されたい。性、金、業に満ちることで解放されたい。そして誰しもその先の死に永遠の束縛を求めている。

九月十七日 (金) 同じマンションに住む男性外国人が突然の来訪。片言に「チリコンカンを作り過ぎた」とモニター越しに鍋を抱えてみせる。それは古き良き日本のご近所付き合い、お裾分けを思わせるものであり快くそれを受け取った。貧しい舌にいわせるとウェンディーズのチリよりもずっと美味い。そしてなにより鍋の取っ手に書かれた「外用」という文字が謎。

九月十八日 (土) 年下の者より彫り物を入れたいとの相談を受ける。カフェインレス・アイスカフェラテを啜り「まず人に相談している時点でお前はダメだ」と突き放す。それでも入れたい気持ちに揺るぎはないようで「どのような柄を入れたいのか」と引き戻せば特に決まっていないという。そこで「お前が心底惚れているものはなんだ」と詰めたところ、悩んだ挙句に「ケンタッキーです」と答えた。本人が心底惚れているのなら年上も年下もなく尊重する。「小さな骨を重ねてカーネル・サンダースの顔を浮かび上がらせてはどうか」「唇の裏にKFCと彫り込んだらいいのではないか」「もうケンタッキーの肉にお前の名前を彫りやがれ」との案を矢継ぎ早に出してはみるが当の本人が納得しない。その深夜に「カーネル・サンダースの顔をしたニワトリはどうでしょうか」というメールが来る。なんか俺が入れる立場になってんなオラ。

 

fin