闇を撃つ葦たちの日に

 

半担々麺の肉味噌をほぐしていると境を接する男たちの会話が熱を帯びてきた。

「この情報過多の時代に平々凡々と当たり前なことを言っても一瞬で埋もれて誰も気付かないんだよ!」

「そうですよねぇ」

「そうですよねぇじゃないよ本当に!小学生にメンコを教える近所のおじいさん、主婦に野菜を売る八百屋では当たり前過ぎて誰も食いつかない時代なんだよ!そこをなんとか捻って新たな価値を創造するのが我々の使命ではないのか!?」

「そうは言っても難しいですよぉ」

情熱をもって生業に語る先輩を軽くいなすような後輩では側に気分が良くない。

そこは間髪入れずに「先輩!そこは主婦にメンコを教える近所のおじいさん、小学生に野菜を売る八百屋という案はどうでしょうか!」というぐらいの機転と覇気が欲しいと思いながら半担々麺をひとすすり。

ここでなぜ「半」なのかを注釈すると「あぁもう少し食いてぇな」という想いを大切にしている。

そのような後ろ髪を引かれる慕情が十年に渡って積もり積もるとそれは太い贔屓としての自負が自然と生まれるものであり、ときに鼻水を垂らし狂った若造が「担々麺大盛りで!」なんというのを耳にすると後ろに回り込んでもみあげを揉み上げてしまいたくなるほどにここの担々麺を愛している。

しばらくすると隣の先輩は熱意をキープしたままアドバイスモードに突入する。

「今からクライアントにこちらの意向を通し易くするテクニックを教えちゃいます!」

「え、そんなものあるんですか」

「まずは先方に無理めの意向をあえて吹っ掛ける。そして向こうが断ったところでこちら本来の意向を渋々といった具合に提示する。向こうは一度断っている引け目もあり、こちらの言い分を受け入れる可能性が極めて高い!」

「え、え、もう一度説明してもらっていいですか?」

嗚呼、機転の才もなければ覇気もないところに人の話も満足に聞けないという後輩に成り変わって進言したい。

「先輩!それは今履いてるパンティーを二枚ください、と言うことですよね!」

隣では喧々諤々とした仕事に関する論議が続き、とどのつまりは昨今における玉石混交なる情報過多の時代をいかにサバイブするかにその焦点は再び戻っていた。

するとこちらはこちらで興が乗り、ゴマの滋養がふんだんに溶け込んだ残り汁に半ライスを投下した「担々おじや」なるものを久々に拵える。

その仕上げとして山椒を効かせた鶏肉とにんにく叩き胡瓜なるものを後乗せすればフルマラソンの給水ポイントでも殴り合いに発展するほどの逸品となる。

至上の口福を得ながら店内の鳩時計を仰ぎ見ると鳩が出てくる扉にガムテープ。

東南アジア系の雇われ店主である多忙なママに後年思い起こしても我ながら惚れ惚れとするような語気とタイミングでもって「あれ、どうしたの?」と問うたところ、驚くべき答えが片言にて返ってきた。

「鳩、自分ノタイミングデ出テキマス」

それは噴飯物の事態であるも、右倣え精神に基づく我々日本人への訓諭として捉えると正しくかの鳥は自由の象徴であり、そのような羨望を坦々おじやに溶かし込むと若干の苦味なる隠し味としてより一層の滋味を引き立てた。

 

店を後にして向かうは劇団を立ち上げた友人の旗揚げ公演。

先日松陰神社前の蕎麦屋にて一献交わした後、直々にその誘いを受けたものでありそこにはこのような一幕があった。

「と言うことで是非観に来て欲しい。これチラシ」

そこには「メソポタミアン・ラプソディ」と大々的に記されて次いだ概要が懇ろに綴られていた。

ー 舞台は古代メソポタミア。女王クババを手篭めにし、その領土、その肉体を我が物にせしめようとする隣国の王シッパル。そして執事であるウルクは仕えるクババへ密かな想いお寄せており、昂ぶる男たちは刺し違えて互いに果てる。クババの左目から流れ落ちる涙はユーフラテス、右目から流れ落ちる涙はティグリスの源流として後世に語り継がれたトライアングルラブストーリーが今幕を開ける ー

その下部には三名の顔写真が載っており、左からドッヂ弾平の珍念的な丸刈りの男性、睨みを過剰に利かせてしまい逆に弱さを露呈した主宰である友人、広瀬香美の若い頃を彷彿とさせる友達の姉ちゃん感が半端なくほとばしる女性というラインナップ。

「え、三人でやるの?」

「なにも大所帯だからいい舞台ができるとは限らんだろうが」

なにか刺々しくつんけんとした印象を受けるも、お猪口一杯の間を置けば旗揚げ公演を近々に控えた主宰兼役者として当然の姿のように思えた。

「消去法で辿り着いたんだけど、あなたもしかしてシッパルさん?」

「いかにも、我こそがシッパル王である」

「あ、もう入ってらっしゃる。OKOK。ちょっとシッパルさんに言いたいことがあるんだけど、言うだけ言うから聞くだけ聞いてくれよ」

「なんでも申してみぃ、愚民よ」

「料金が無料としてあるけど、これは金をもらうほどの自信がないってこと?」

「なにをいうか無礼な!そのようなことはない!」

「はて無礼はどっちかな。無料と設定することで観る者の張り合いを削いでいるのはその方じゃろがい!」

「ぬ、ぬぁにおぅ!?」

「なぁシッパルさんよ、落ち着いて聞いてくんな。演者とそれを観る者は常にイーブンでなければならない。言い方を変えれば相互のバランスが取れた張り合いにこそエンターテイメントの本質がある。ならば金を取れ。そのとき金は信頼という名に昇華するだろう」

「ぬぅ…しかしすでにチラシを刷ってしまっておる」

「今回は無料でいい。だがおれ個人としてここの会計をすべて持たせてもらうことで期待を込めたチケット代としたい。受けてくれるか?」

「…すまぬ、いや、ありがとう。俺、頑張るから」

「この偽物で跋扈する情報過多なる時代に古今未曾有な本物の舞台とやらを所望する」

 

会場はこじんまりとしたすり鉢状の視聴覚室のようなところであり、先着の五、六名がパラパラと散って着席していた。

こちらも後方の席に落ち着くと思い出したのは楽屋花として贈った小ぶりな胡蝶蘭。

それが入り口に見えないとなると、ステージ脇にぽつんと所在する白い花がそうではないか。

なだらかな階段を下り、指差し確認をしてマンマミーア。

「亀田錬太郎」ではなく「金田錬太郎」と記される名札が刺さっているじゃないの。

これではエロDVDを通販で買うときに毎回使用する偽名そのものではないか。

可憐な胡蝶蘭に寄り添う変態紳士と言う構図に暫しの放心状態に陥るも客電が落ちることで我に返った。

静々と着席すると程なく舞台袖からシッパルさんが現れ、パラパラと点在する観客がパラパラと拍手を送る。

彼の形は黒のパンツにその上半身は裸であり、そこへ二本のベルトをクロスに装着したとても正気とは思えない衣装にシッパルなる豪気な人格を顕示しているようだ。

続いて入場したのは写真に偽りなくドッヂ弾平の珍念ではあるが、よくよく精察するとボートレーサー養成所から初日に逃亡したような坊主頭の小柄な男であり、白いTシャツをナイキのハーフパンツにきっちり入れ込んでいるところから執事ウルクであることが伺える。

そして殿として入場したのはシースルーの布地をつむりから纏い、膝部の擦り切れたGパンをお召しになった女王。

よく見るまでもなくフルスイングで眼鏡を掛けており、メソポタミアの時代考証など屁で吹き飛ばすかのような力強い気概に益々の香美感があった。

恐ろしく金の掛かっていない衣装、そしてその舞台には古代を模した大道具や小道具などは一切ない。

するとこちらとしては感嘆として唸る他にない。

「んん…これは演者の力量でもって古代メソポタミアをそこに見せようとしている」

そこへシッパルさんが咳払いをひとつ前置いてこちら客席へ発した。

「皆さん!前へお集まり下さい!はい、前へお集まり下さい!やりづらいから」

上半身の裸体に二本のベルトをクロスで装着した人為災害野郎の指示に大人しく従う観客たち。

それを見て吹き出しそうになるも、ここで悪目立ちをしても仕方ないのでこちらもそれに従う。

舞台を間近にすると潰したバナナの段ボールが一枚敷かれていた。

「これは一体何に使われるのだろう」

壇上の三名が深々と頭を下げると開演の運びとなり、密集した効果であろうか大して増えていない観客の拍手が「パラパラ」ではなく明瞭な輪郭を持つ「パチパチ」という音に変わっている。

「音と空間」に関する考察へと脳が切り替わるも、暗転の為に照明スイッチを自ら落としたシッパルさんの姿は生活感がありありと迫るものであり、それに気を取られたことで舞台へと意識を引き戻してくれた。

 

「さぁクババよ!今こそ我が国と統合するのだ!そしてこのシッパルの妃となり毎夜として統合しようではないか!デハハハハ!」

「そのような申し出など断固として受け入れられぬ!亡き父上に何としてもこの国を守ると雄鶏の血、童貞の尿、それに己の経血を混ぜたものを飲み干して誓いを立てたのだ!」

「デハハハハ!その男勝りな性格もたまらんぞ!しかし現にそなたの兵の士気は下がり、賊に成り下がる者まで続出する始末!我が国との統合こそが民にとってもこの上ない良策であるぞ!」

「そのようなことをするぐらいならここで舌を噛み千切り死んで差し上げようぞ!」

バナナの段ボールは女王が座る王座であり、そこに胡坐をかいて勝気を示すクババは開き直った女乞食のように見えなくもない。

だがそれよりも気になったのは執事ウルクがうつむいたままなにも喋らない。

しばらくクババとシッパルの丁々発止なるやりとりが続くも、彼は一度ハーフパンツをグッと引き上げただけで一向に喋らない。

そのうちおかしな間が生じ始め、とうとう業を煮やしたシッパルがウルクにその矛先を向けた。

「貴様!なんとかいったらどうだ!」

会場中の視線を一手に引き受けたウルクの下顎がカパパパと酷く震えているではないか。

すかさずシッパルがウルクの胸ぐらを掴みつつ耳打ちしているところを見るとセリフが飛んでいたようだ。

「あ!クババ様はお疲れであります!さぁシッパル殿にはお引き取りを願いましょう!」

お引き取りを願いたいのは思い出して口を衝いた「あ!」であり、ドトールでジャーマンドックを買って家で広げてみるとレタスドックだったときの「あ!」となんら遜色がない。

本編は未だ序の口ではあるが、これは昨今に稀有であるとんでもなく生々しい舞台が展開されているのではないか。

そのような予見に拍車をかけたのが次の出来事だった。

セリフを言い尽くしたであろう三名が真顔で立ち尽くすという謎のシーンがあった。

それは暗転待ちであり、その照明スイッチに一番近いのは執事ウルク。

しかし彼は微動だにせず手を前に組んだ小僧寿しのマスコットのような出で立ちを披露している。

そこへ古代メソポタミア設定の根幹を揺るがすシッパルの怒号が飛ぶ。

「電気!!」

物語の進行につれ、度々そのような下顎カパパな事態が発生するも苛立ちながらも甲斐甲斐しくフォローに回るシッパルの姿に観る者たちが次第に好感を持ち始めた。

無頼なキャラクターには不利益な様相ではあるが、こちらが久しく敬愛するかの古今亭志ん朝はこのような言葉を残している。

「つまりはね、結局のところ、芸事とはその人柄がすべてなんです」

 

執事ウルクがシッパルより届いた手紙を王妃に読み上げる。

「今夜、満月が登るハトラの丘にて待ち受けるものなり。女王様おひとりでのお越しを願う。シッパル」

「ウルクよ。これはどうしたものか」

「これはお戯れを。当然行ってはなりません。なにか企んでいるに違いありませんから」

「それでは怯えて逃げているようではないか」

「なりません。断じて行ってはなりません!」

「しかし」

「しかしもなにもありません!これは…これはひとりの男として申し上げております!」

「ウルク」

しかし夜に忍んで城を抜け出したクババはまさかの体育座りで待ち受けるシッパルの元へ。

「おぉ、来たか。夜風も冷たくなってきた」

「用件を手短に申せ」

「まぁそのような顔をするでない。まずは平時の無礼なる振る舞いをここに謝ろう。だがしかし、その責任の一端はそなたにもある」

広瀬香美に激似の友達の姉ちゃんこと女王クババは呆気にとられ、人差し指でクイと眼鏡を掛け直した後もその様を継続させている。

「解らぬことを申す。とうとう血迷うたか」

「そなたを愛しておる。近頃ではなにも手につかないほどにそなたを愛しておる」

隣に座る中年の男性客が独り言の枠内で身も蓋もない失言を漏らした。

「彼も早く眼鏡を掛けた方がいい」

そして愛の告白を真正面から受けたクババは一国を担う女王であるもそこは生来の女であり、心なしか以降の所作にそれらしい科が見受けられるとその機微に至る演技力は確かなものだった。

シッパルが去り、ひとり残されたクババは夜空を仰ぐ。

なにかポツポツと呟いており、観客の注意を十分に引いたところで「星に願いを」を生声で歌い上げた。

その独唱は揺れる女心という表現ではとても語り尽くせない。

ここで「柔らかな丸みを持つ声色ながら太い芯を一本通わせた堂々たる美声は視聴覚室の隅々まで響き渡った」などと軽々しく表現する者もあるだろうが、構造上四隅の鋭角に丸みを持つ歌声が入り込める訳がない。

そのような涙ぐましい揚げ足を取りたくなるほどに素晴らしい。

隣のオヤジを舞台に引っ張り上げて土下座させようかというレベルで素晴らしい。

もしもこちらに演出の権限があったのならここで「ロマンスの神様」を歌わせても素晴らしい。

気づけばあれよあれよと物語は佳境を迎える。

その頃にはベルトをクロスに装着したシッパルの姿に違和はなく、またオルクのセリフ失念時に発生する下顎カパパも当然のようにして、ことクババにおいては有能な俳優として崇める者もあったに違いない。

「さて、クババよ。先日の返答を聞きに参ったぞ。さぁ我が妃となるがいい!」

「クババ様申し上げます!我が城はこやつの軍に取り囲まれております!これは謀でございます!」

「デハハハ!やかましいわ!貴様がクババに惚れていることはとうに承知しておるぞ。ならば侍従の身分をわきまえず女王に邪な恋心を抱くその方こそが謀反者であろう!」

「…おのれシッパル、最早これまで!」

胸元より短刀を抜くウルクの仕草に対してシッパルも背より大刀を引き抜く仕草。

目には映らないがそこにはしかと鈍く光るもの。

クババのよく通る悲鳴を合図にしてクライマックスの大立ち回り。

短刀とはいえ武術の心得があるとみえて剣呑なるシッパルの大刀と五分に渡り合うウルク。

ときに激しい鍔迫り合い、また互いの摺り足で大きな弧を描きながらその先手を伺う。

そしてシッパルが猪突として打突に踏み込んだところ、やはり与える者にはきっちり与えるものでおそらく神様はA型なのだろう。

回避を試みて後方に下がったウルクは王座に見立てたバナナの段ボールに滑ってすっ転んだ。

バナナの皮に滑る人すらなかなかお目に掛かれない浮世にてバナナの段ボールに滑る男を間近で観るという贅沢。

開脚後転の途中のようなあられもない姿を晒し、よろよろと体勢を立て直すと彼は罪のないシッパルを見据えてこういった。

「この野郎」

そこでクババが眼鏡を掛け直しながら叫ぶ。

「もうよいもうよい!双方それまでじゃ!」

赤く剥き出しになった男達のプライドが求めるのはそのような日和った声ではなく、対峙した同類の性から吹き出す血潮、また極論、己のそれでも構わない。

ウルクは短刀の頭を掌で包み、シッパルは大刀を上段に構えると両者は引き寄せ合うようにして駆け出す。

そして相打ちの体となり男たちがその場に崩れるという悲劇的なシーンなのだが、なぜかそこで「金田錬太郎」の名札が目についた悲劇もここにご報告したい。

シッパルは完全に朽ちるもウルクには微かな息があり、残り少ない命を燃やして女王の元へ這い寄る。

やっとの思いで上体を起こし、王女に手を差し伸べたその口元が渾身のカパパパ。

そのカパパパは迫真の演技なのか、それともセリフが飛んだのか最早わからない。

この瞬間にこちらが求めていた情報過多なる時代に輝く古今未曾有な舞台がそこに成立した。

そこには現実と舞台の垣根を泥臭いベリーロールで飛び越えたヒューマニズムがこれでもかと横溢しているではないか。

ウルクはそのまま着地マットに倒れるようにして尽きた。

舞台に取り残された大女優は真の悲しみに出会った人間を熟知しているようで大泣きするような真似はしない。

両頬を伝うその一縷一縷をなでるように拭うことで両雄を弔う。

そして気丈な足取りで照明スイッチを落とせば会場に闇が訪れ、それこそが残された者の胸中として観る者たちへと差し出してみせた。

と、まぁ、そのような劇団があったら面白いと思う。

 

fin