破落戸のアナザーグリーンワールド

 

腰痛の原因は先夜の夢にある。

こちらが働くコンビニに強盗が現れ、レジの金をすべて巻き上げられた。

バックヤードより駆けつけた店長が逃走する男に尻文字で「まて」と告ぐ。

それがいまひとつの不発に終わると「まて」の語尾に「!!」を付け足せとこちらに要求。

そして二人合わせての尻文字である「まて!!」が豆粒大となった強盗の背に完成したところで目が覚めた。

上体を起こすと腰に強い痛みを覚え、それは明らかに夢の世界での「!!」というイレギュラーな尻の動きに無理が祟った。

何事も早いうちの対処こそが物を言う惑星において家の隣が整骨院と来れば渡りに船、早速扉を開けるとチャイムが鳴り、つっかけからスリッパへと履き替えて「なんと代わり映えのしない行為だ」などと思っているうちに奥の部屋より五十に掛かるかという毎回サバサンドにレモン汁をかけ忘れそうな男の先生が現れた。

問診が始まり、腰の痛みを訴えつつ卓上カレンダーに気を取られた理由を記せば七月六日と八日を大きく巻き込む形で七月七日にパワフルな花丸を飾っていた。

さらにお借りしたトイレのカレンダーにも七月七日に派手なデコレーションが施してある。

「おどれは彦星かい」

それから腰に重点を置いた按摩が行われ、頃合いをみて「七月七日に何かあるのですか」と聞きたいところであったが「あぁ、川に遊びに行くんです」などと答えられたら大変なことになる。

しばらく無言にやり過ごし、そのうちこちらのポカポカと心地よい気分に添った声質で「あれですか、腰はお仕事で」と問うて来た。

いい大人が夢の中での尻文字で負傷したなどとは言えず「え、あぁ、まぁ」と目を擦りながら曖昧に返すと先生は手を止めて「ある程度の歳を重ねると毎日どこかしらに不調があって健全なのです」といった。

 

整骨院からそのまま散歩がてらに駒沢公園、ベンチにてアイスコーヒーを吸い上げればエクアドル豆の豊かな香気が鼻に抜ける頃、長年に懸命に生きてきた勲章である不調とは健全と称して然るべきだと思った。

治癒の熱がこもる腰をさすりながら辺りを見回せば、未来を語らう恋人たち、孫にペットボトルで殴られまくるお馬さんごっこのおじいさん、そして道着姿でランニングコースを走りゆくは若葉の学生群。

そのような視聴に溢れる「THE健全」にしばらく浸り『この素晴らしき世界』を鼻歌に興じれば大樹に集う小鳥たちが愛らしいコーラスをさえずる。

優美に移りゆく時の中で心に浮かび上がった言葉はジャイアント・ヘリコプター。

目の前の幼児が吉本新喜劇ばりに転んだのはおれのせいなのかも知れない。

それからしばらく健全ワールドに身を置き、いくらか後ろめたい欠伸が現れたところでなんとなく見習いマジシャンの男へ電話を入れる。

彼は入門早々に師匠が溺愛するインコを不手際により大空へ消してしまうマジックに成功しており、電話口の朗らかな様子からどうやらクビは免れたらしい。

そして昨日の出来事を語り出すにはホームレスの方々に向けて支援団体が炊き出しを催し、その余興として見習いながらに抜擢されたという。

和妻を汲む師匠より「人前に立つ経験は人前に立つことでしか得られない」と背を押され、結局はホームレスの五、六人が観客であったが背水の陣で挑んだ。

ここまで彼の話を聞いて「健全」を感じずにはいられなかったが、この辺りから彼の口調に陰りが見え始めた。

得意とするお札を使ったマジックでフィニッシュに取り掛かるという段にて「どなたか千円札をお借りできませんか」と観客の五、六人にお願いしたところ、誰も千円札を持っていないという事態が巻き起こる。

さらにその中の一人が「兄さん、そんなの持っていたらここにはいないよ」とマジックの最中にあるまじきレスポンスを繰り出し、これもまたあるまじきにマジシャン自らの財布から千円札を取り出そうとしたが折悪しく小銭しかないという凄惨なエンディングを迎えた。

この一部始終に聞き及んだ師匠が下唇をタパパパ震わせて烈火の如くに怒ったという。

「インコは何羽でも逃していい!だがお客さんに恥をかかすなど芸人として論外だ!」

師匠自らの私欲を排した叱咤に止めどない落涙を禁じ得ず、それが次第に晴れるとこの人に一生ついてゆこうと決めた。

人間とは極めて昂ぶるとき前代未聞のフレーズを大地に産み落とす。

「これからもインコを逃し続けさせてください!」

頭のおかしい弟子に気圧され、師匠は「よ、よし!」と言っては手持ち無沙汰、メガネケースを位牌の様に持ち始めたらしい。

 

fin