遊侠の年尾

 

十二月一日 (水) チンパンにじゃんけんで負けたような悲痛の表情を浮かべ「もう男の見極めに自信がない」とは三十路の女。受けて「道端に三脚を立てて何かを計測している作業員の前を気持ち小走りになる男を選べ」と答えて師走の幕開け。

十二月二日 (木) 結婚相談所での出会いからめでたく結婚に至るも、そのまま公にしてはどこか引け目があり、式では「同志の集いで運命的な出会いを果たす」とパワフル且つ小綺麗にまとめ上げた男をおれは知っている。

十二月三日 (金) 早朝は築地場外市場。幻想的な朝焼けを単なる現象と捉えつつ、きつねやの牛丼とお新香に舌鼓を打ちつつ、隣に座る観光外国人のTシャツにプリントされた「ゴリラ豪雨」を脇目にしつつ。

十二月四日 (土) 友人家の幼子が新たな妖怪を作り出した。その名を「パソコンなめっこ」として苦手なものは砂利道とのこと。

十二月五日 (日) 年の瀬も迫り、銀行の前には警察の方が立っている。銀行強盗といえば海外では銃、日本では主に刃物がその凶器となり、いつも思うのはどこまでが効力として保てるのだろうか。木刀やゴルフクラブもありだろう、気合い次第では孫の手でもいけるかも知れない。いや、バズーカさえ背負えば卒業証書の筒でもいける。ならば一番ダメなものとはなにか。モコリンペンに絞ったところでサドルカバーという案も浮上。だが、だけども、やはり、やっぱり一番ダメなものといえば中学の修学旅行での大浴場にて恥かしがり屋の岩崎くんが腰に巻いたタオルしか思いつかない。一身上の都合により結び目を前に持ってきたものだからもうチンコしか見えねぇ。

十二月六日 (月) 宵の刻、男どもで寄り合うと石原さとみのうんこを幾らなら買うのかという議論が熱く交わされた。そのまとまったところを申し上げると「二万円で買うという者もあればまったく要らないという者もあり、両極の相。一部リサ・ステッグマイヤーのなら百五十グラム頂こうかしらと買い物カゴを小脇に肉屋テンションの者まであった」ということであります。

十二月七日 (火) 手掛かりになるのは薄い月明かり。

十二月八日 (水) 世田谷通り沿いのデンタルクリニックへ。処置を終えて今更ながら歯磨きの基礎を先生に伺ったところ「全体をかき回すのではなく二本単位で力を入れずに磨いてください」と仰る。「ありがとうございました」と一礼、去り際の背にマスクのせいか滑舌のせいかこちらの聞き間違いか「あと鎧で殴ってください」と先生がいう。

十二月九日 (木) 二子玉のデパ地下で出会った鰻おこわとやら、酒が邪魔になるほど旨い。

十二月十日 (金) YouTubeにて赤ちゃんアザラシの初泳ぎを鑑賞。飼育員のおじさんがプールにそっと放した途端にスイスイ泳ぎ出す。涙腺の開きを熱く感じ、堪らず給湯器パネルの交換に勤しむ業者のお兄さんに「血が知ってんだわ」と向けたところ、お兄さんがマスク内で吹き出す。なんか失礼だと思う。

十二月十一日(土) 厚手の靴下を求めて茶沢通り、ふと目についたお婆さんのホットスポット三恵。チラと覗けばなにかそれらしいものが陳列されている。入店を試みるとまず手の消毒に時間を取られた。なぜなら列をなす彼女たちは消毒液を前にして初めて手袋をノソノソ外す。中には消毒を無効化にする形で手袋をノソノソ再装着する者もあり。通路のド真ん中では生気を失ったお婆さんが突っ立っている。おそらく何を買いに来たのか完全に忘れたのだろう。そこを通り抜け、種々に展開される厚手の靴下を手に取るもサイズがすべて小さい。店員のお婆さんに男用はないのかと尋ねたところ「お祭り用の足袋ならあったような」と真顔でいう。それでも「まぁ履けば伸びんべ」と二、三足の購入を決めて会計の列に並ぶ。前に四、五人いただろうか、髪型が全員「小爆発」としか形容できない仕上がりになっている。それはいいのだが会計を済ませてからが非常に遅い。必ず店員のお婆さんと客のお婆さんによる軽いトークショーが開催され、それで終わったと思ったら大間違い、そこから割引券を持っていたなどと言いやがる。こちらは慣れないものだから徐々に苛立ってもくる。これはいけないと視線を外せば更衣室、靴と買い物袋が床に置いてあるにも関わらずそれに気づかぬお婆さんが思い切りカーテンを開ける。そして中で着替えるお婆さんもそれに気づかないという修羅場。入り口付近では三年ぐらい買い物袋をまさぐっていたお婆さんが「ここじゃない」と言い出す。

 

fin