ぬめり思う、故にぬめりあり

 

時代の変わり目といわれる昨今、変わらぬものに安堵するもまた人の姿。

個人的に挙げれば、まいばすけっとのパスタがそれに当たる。

離婚とシャワーフックの末期的なぐらつきが重なり憔悴しきったイタリアンシェフがアルパカに唾を吐き掛けられながら作ったような揺るぎない不変のテイストは安堵だけにあらず、今日日に「不味い」という希少価値をも与えてくれる。

また過日に訪れたひと気のない秋夜の海岸ではビル・エヴァンスの『Peace Piece』を寄せては返す穏やかな波音に溶かし、永年に色褪せないものとしての安堵を万感の内に覚えた。

さっそく近しい年上の方に少々物憂げを気取ってそれをお伝えしたところ「俺は炒飯と五目炒飯を注文してしまったことがあるから大丈夫」とよくわからない励ましの言葉を賜る。

 

太子堂小学校にうねって掛かる遊歩道、黄赤に混じる落ち葉を踏み歩けば「万古不易」「諸行無常」という対義の言葉に囚われた。

永久に変わらぬこと、そして常に変わってゆくこと。

気の遠くなる美しい矛盾に際し誠実な在り方として吐き気を催せば、おぼつかぬ足取りの先、ベンチにて冷茶を喫するおじいさんの後頭部に十倍かめはめ波を放つ幼子をみた。

そのまばゆい閃光に目が眩むと思考は冷徹に冴えて本能、目前に浮遊する辞を不躾に掴み取る。

「常に変わってゆくことこそ永久に変わらぬこと」

 

三軒茶屋の街並みも日に刻々と変わってゆくのなら己の肉体も変わってゆくが理。

近頃では鼻毛に白毛が混じり始め、見積もる十年内には黒毛が混じっているという逆転オセロ現象が鼻腔内に巻き起こるのだろうがオセロとは角を取った者が制するもの、ならばこちらは鼻パックを用いて角栓を取ることでそれに応じたい。

そして肉体が変わるのならば当然心にも変化が起こり、ここのところ長年吸い続けるタバコにも思うところがある。

赤子の頃は母親の乳を吸い、やがて小学校では牛乳を吸い、また放課後にはツツジの蜜を吸い、変声の頃にはタバコを吸い、時にUFOに吸い上げられ、そのうち女の紅唇と乳を吸い、悪知恵もつく壮年の末には脱税という甘い汁を吸い、果ての晩年はその天罰として大病に罹り麻酔を吸う。

振り返るこれまでの人生、また馳せるこれからの人生、とにかく吸いっぱなしではないか。

よくわからないがこのままではいけない気がする。

昨日見かけた法律では裁けないぐらいに眼鏡がズレまくっていた工事現場の交通誘導員もこのままではいけない気がする。

 

なにはさて、経年による味覚の変化がこのところ顕著に現れており、嬉々として食したはずのジャンクフードもすっかり影を潜めた。

それが証拠に凍てる雪山にて遭難、そこへ雪の精霊が現れ「不憫な者よ、そなたにはビッグマックかうら若き女子の使用済みギョウ虫検査セロファンのどちらかを授けよう」と選択を迫られたのなら救助ヘリからも一目瞭然の赤面を以ってして後者を選び取ることだろう。

とくに好むのは豆腐であり、この時期にはキンと冷えたバーボンソーダとおろしニンニクに生醤油をツッと落とした湯豆腐がとにかくたまらない。

先日などは興に乗じて手作り豆腐を拵えようと思い立っては吉日、大豆を粉砕するために何年も使っていないミキサーを引っ張り出すとやはりそこは湘南の猛る血が騒ぎ出す。

黒板消しクリーナーでコールを切っていた学生時代にミキサーのオンオフボタンでタイムスリップ、人は変わってゆくようでその実あまり変わらないのかも知れない。

奴がウォンウォン雄叫びを上げればこちらも呼応、さらに気合いを入れる為に鉢巻的なものを欲するも手近には間抜けの代表格であるおにぎり柄の手拭いしかない。

「てめぇなに見てんだクラァ!殺すぞ!」とそれに向けて叫んだこちらに無理もなく。

 

変わらぬもの、変わってゆくもの。

蕎麦焼酎ロックを片手に上京をして間もない頃を回顧する女が「そら私にも清純だった時代があったのよ」と語らう。

数年前の深秋は今時分のこと、図書館にて穏やかな青年との出会いがあったという。

一目にして惹かれ合い、自然お付き合いという流れに相成った。

「そら運命を感じたわよ。むしろ運命の方が感じたのかもね」

彼は穏やかな上に極めて寡黙な男であり、彼女は重ねるプラトニック・デートの大半を占める無言タイムにいつしか誠実な人柄をみた。

どのような場面に際しても心を寸分に乱すことなく、誰しもを分け隔てなく丁寧に接する彼の態度に「ヴァージンを捧げてもよい」と子宮からのLINEが入ったという。

ある晩の帰りしな、彼女は思い切ってこう告げた。

「ねぇ、この前話していた爪楊枝で作った爪楊枝入れが見たいの」

彼は神妙な面持ちに「うん」とだけ添えると珍しく手を繋いできたという。

ふたりは手を繋いだままアパートの階段を上がり、彼の部屋の前にたどり着く。

「ちょっと待ってて、散らかっているから」

彼が慌ただしく物々の整頓に励む姿を台所の少し開いた窓より彼女は微笑ましく見つめる。

そして大事件が起きた。

なんと彼はタオルを振り回し始めた。

それも親の仇のごとく、それも湘南乃風ファンクラブナンバー1桁台の激しさのごとく、彼は猛烈にタオルを振り回し始めたという。

男とはセックスを前にすればあれだけ温厚な彼ですらこうも獣と化すものか。

その変貌ぶりに驚き、絶望、そして恐れをなして覚悟とは名ばかりに彼女はその場から足早に去った。

「もう電子レンジを挿入されるかと思ったよね」

おそらく彼の行為はライフハックにおける室内消臭の一環であり、今更彼女にそれを伝えたとて過去は変わらず、現在は落砂に過ぎ去ってゆくのだ。

 

fin