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緑縁

 

二子玉は百貨店、小洒落た花屋を脇目に通り過ぎ、結局はフロアを一周する形で入店したのは前々から殺風景な玄関に気の利いた植物などがあってもよいのではないかと思っていた。

こちらヴィム・ヴェンダースを信奉する身としては荒野に寂れ立つサボテンが第一の理想にあるが、アロエヨーグルトですら時にむせ返る男にその育生のハードルは高かろう。

いや失礼、ここでハードルという言葉を惰性にかまけて安易に使いたくない。

それは末席ながら文章を綴る者としての矜持、あるいはプライドとして聞き受けていただいても構わない。

アロエヨーグルトですら時にむせ返る男にその育生のレオタードはきつかろう。

よし、ハードルですね。

それから後ろ手に店内を見て回り、狐の尾に商秋を思わせたパンパスグラス、気まずいぐらいに鮮やかなワインレッドは鶏頭、そしてついに運命的な出会いに導かれた。

先の尖る縞模様の分厚い葉々が競うように宙へ伸び、その無垢で健気な姿にしばらく見惚れる。

そして鉢に刺さる名札が目については即座の得心、ツルツルとした手触りからその名が付いたのだろう。

後ろ手を崩さぬまま「このサルスベリアは持ち帰れますか」と店員にポンと投げかけたところ、彼女はメジャーリーガーばりに「サンスベリアですね」と打ち返してきた。

それは世間的に「サンスベリア」というのかも知れないが、後ろ手に紳士を気取るお客様が「サルスベリア」と発したのなら差し当りスッと流してもよいではないか。

なにも「サンスベリア」を「ビッグブラジャー物語」と大胆に読み間違えたわけではない。

それでもサルスベリアと間違えたからにはサルのように顔を赤らめつつ店員による育生レクチャーをおとなしく受ける。

要約するとサンスベリアとは初心者にお誂え向きの植物であり、水をあまり必要としないばかりか冬場などは努めて控えるべきと念を押され、せめてもの手間として「葉に埃が溜まりやすいので時々ティッシュで拭いてあげてください」とのことであり、こちらの他意のない「あまり手が掛かりませんね」という言葉にある種の寂しさをみたか、彼女は「たまに話し掛けてあげてください」といって梱包を始めた。

 

サンスベリアとは風水学の見地よりその鋭い葉先によって邪念邪気を退散させて幸を呼び込む効能があるという。

ここでこちらの近況を明かせば「サラダ感覚」という言葉に酷く取り憑かれており、会話や独り言へ強迫的に捻じ込まずには居られない。

例えば運転中など「前のダンプ、サラダ感覚で車線変更するじゃない」といった具合に口を衝き、いずれは自分自身が「サラダ感覚」のように軽薄な男に成り果ててしまうのではないかという懸念がある。

だが、それも今日までのこと。

うがい手水に身を清め、いざおもむろに紙袋からサンスベリアを取り出し、玄関の然るべきスポットに配置を叶えたのなら憂う空に陽が差し込み、セネガルの水汲み少女はその長い帰路にて七色に輝くガラス玉を見つけ、カナダの少年は渓流に釣り糸を垂らし釣り人であった亡き父と心が繋がり、そしてこちらは「サラダ感覚」という呪縛から解放されるのであろう。

帰路、二子玉川駅から乗り込んだタクシー、ヘッドレストに下がるドライバーの自己紹介には奇しくも「趣味 観葉植物を育てること」と記され、その左証として助手席のドリンクホルダーに小さな白い花をつけた植物を備える。

防犯板越しに見受ける還暦に絡む男性シニアドライバー、その物腰は至って朗らかに柔らかく、これは購入したばかりのサンスベリアから早速贈られた幸運に違いない。

速度こそ気合の入ったトラクターばりだが、アクセルの加減やブレーキの踏み具合がなんとも優しい。

植物を愛する者は優しくなるのか、はたまた優しい者ゆえに植物を愛するのか。

後部座席にて答えのない自問にしばらく思い耽けては精神に渇きを覚え、そのうち明確な答えという潤いを運転席に欲する。

「そちらはなんというお花ですか」

「こちらはチェッカーベリーのみゆきと申します」

信号待ちでもその優しさに抜かりはなく、前車への配慮からヘッドライトを落とす。

「みゆきさんですか」

「えぇ、名前をつけることでより愛着が湧きますからね」

「あぁ、そうですね。そうですよね」

「もうそちらのサンスベリアにはお名前をつけましたか。つい目に入りまして」

予期せぬ問いにこちらも車窓よりつい目に入ったものを咄嗟に読み上げる。

「タイヤ館」

運転手さんは「お珍しい名だ」とだけいってヘッドライトをオン、例によってアクセルを優しく踏み込むと思いきや、心なしか怒気を内包する走り出しを尻肉に感知する。

それも無理はなく植物を愛する者とは自他の所有に関わらず広くそれらを愛するがゆえ「タイヤ館」などと悪戯に名付けられては憤りを覚えて当然だろう。

車内に冬を先取る冷ややかな沈黙が訪れ、用賀から桜新町を抜けて駒沢に差し掛かる頃合いで「タイヤのように力強く転がり続け、いつしか立派な館に飾られる一角の植物となって欲しいのです」と放つ。

受けて運転手さんは「それは素晴らしいお名前だ」といって眉間が緩んだ弾みか、欧米的なコブサラダ感覚で堂々と消防署の真ん前に止めたの。

 

fin

子犬も餓死するスローバラード

 

八月一日(月) 「立ちバックで出来た子供は足腰が強い」と頑なに言い張る年上の方が空き巣に家を荒らされるも何ひとつ盗まれなかったという伝説を打ち建てては炎節の滑出し。

八月二日(火) 宇宙に逃げるな、おれ。おれに逃げるな、宇宙。

八月三日(水) よそから頂いた清水白桃を台所で食らいつく。中学の頃に仲間内で鑑賞したAV「汁まみれの桃かじり」が脳裏を掠め、むせる。

八月四日(木) 古今東西のスピリチュアルに通ずる者曰く、おれの背後には限りなくタコスっぽいシルエットの守護霊がついているという。

八月五日(金) それは喫緊に迫るものではなく、さりとて度外視にも当たらないライトな便意にいざなわれてキャロットタワーのトイレへ。唯一の個室はすでに人があり、しばらく待っていると内側からノックがする。凝り固まった社会通念を叩き壊されて動揺。「います」と言って精一杯でした。

八月六日(土)  実家のおかんより甥が大きなトノサマバッタを捕獲したと写真を送って寄越した。その大きさがわかるようにタバコを横に添えるというのは今や昔、嫌煙の昨今ではボトルガム辺りが適当だと思っていたがブナシメジはないでしょうよ。

八月七日(日) 池尻のイタリアンにジョルジオ・キンタマーニというピザ職人がいるのだが、生地をこねくり回す際に心のどこかで「ちゃんと手ぇ洗ってんべな?」と思ってしまう極めて無礼なこちらの気持ちもしっかり石釜で焼き上げて昇華してくれる。いつもありがとうございます。

八月八日(月) もう亀田錬太郎でも亀田ピチピチギャルでも構わない。そんな荒む夜にはひねり揚げをさらにひねり上げるより道はなし。

八月九日(火) 世界で一番美味いものはカレイの西京焼きということで異論はないだろう。スポーツ、レジャーに持って来い、果ては犬小屋の屋根を雨風から守る為の屋根をDIYする義父の背を見ながら頂くのもこれまた味わいに深いだろう。

八月十日(水) ある公共施設の関係者から「急に空きが出たので何か講演しませんか」と弁の立つ聡明な男に連絡が入った。彼は一晩の思案を経て「ライフセーバーのはとこが教える水難事故防止術」というタイトルを打ち出すも「思いの外に岸も間柄も遠いよね!」と未然に気づく。さすが聡明である。

八月十一日(木) 夏。昼下がりのうたた寝。球児の打ち鳴らす金属音。夢の中で和尚より「お前はなんちゅう鐘の打ち方をするんだ!」と右フックを頂戴する。

八月十二日(金) バンドに携わった者なら一度は耳にする言葉。部外者からの「じゃあ俺カスタネット〜!」という言葉。ギャグにしてはつまらな過ぎるし本気にしては覚悟がなさ過ぎる。

八月十三日(土) 写真集『九龍城探訪』を紐解くとき決まってジョイ・ディヴィジョンは『Disorder』をかける。心の成田空港より心の旅客機にて心の海外旅行へ。心の機内食をいただき、心の糸ようじを使い、心の背もたれを倒して心地よい心持ち、真心こもる心のCAのおもてなしと心温まる映画鑑賞、心なしに食い込む心のパンツを心ゆくまで直し倒す。しばらくの夢心地に耽り、写真集を閉じて余韻に浸れば心は自由に不自由を知り、心は不自由に自由を知る。

八月十四日(日) 夕暮れ時、小道一本挟んでギリギリ世田谷区民になれなかった男に電話をする。「今何してんだオラ」と尋ねたところ「免許の写真にボールペンで増毛を」という。

八月十五日(月) 先客の初老男性が焼き鳥を焼く大将に向かって「あとパンチパーマのコメンテーターも」と追加注文。受けて大将が「あいよ!」と威勢良く返したところからこちらの重篤な空耳でしょう。

八月十六日(火) キャロットタワー下の喫煙スペースに集う人々が全員ニューバランス。いや!孤軍奮闘ダンロップが一名いますね!これはもうアンバランスだ!

八月十七日(水) 近頃車内にて久宝留理子の『男』をよく聴く。音割れするほどに音量を上げてはボルテージを高めて「私はあなたのママじゃないのよ!!」と前の車に向けて咆哮に及ぶ。

八月十八日(木) ミラーボールを天井に設置して日本のどこかで発せられる「マドレーヌ的な?」という言葉に反応してゆっくり回り出すシステムを構築したい。その暁には僕と踊りませんか。

八月十九日(金) バスを待つお坊さんの風呂敷から木魚がチラリ。えっろ。

八月二十日(土) 湯船に浸かりながらオリジナルの日本酒を作ったのならその名はいかにと思案する。志ん朝さんのお言葉には「酒は命を削る鉋」とある。ならばそれに倣いてポンと一文字に「鉋」というのはどうだろう。キレの良い辛口のごとくタイトな上に皮肉味もしっかり効いており我ながらに非の打ち所がない。するとつい嬉しくなり日本酒好きを公言する男にその命名の良否を問うた。「うん、鉋、いいね。全然関係ないけどリュック・ベッソンってカステラを紙ごと食いそうだよね」との雷撃的な返答に鉋が刃こぼれを起こしたような心持ちに至る。「全然関係ないけどリュック・ベッソンってカステラを紙ごと食いそうだよね」という名の大吟醸。長いネーミングの割りになんの意味も残さず、それはすなわち翌日まで酒が残らないという漢気プロミス。こら完敗だ。そして乾杯だ。

八月二十一日(日) 自分の脇を見て脇見運転をした場合はダブル脇見運転ということでいいと思います。

八月二十二日(月) スーパーのレジにて店員さんが「ポイントカードはお持ちですか」と三十そこそこのスーツを着た男に尋ねる。彼は「ぶっちゃけ無いです」と答えた。いいよ、そんなぶっちゃけなくて。

 

fin

破落戸のアナザーグリーンワールド

 

腰痛の原因は先夜の夢にある。

こちらが働くコンビニに強盗が現れ、レジの金をすべて巻き上げられた。

バックヤードより駆けつけた店長が逃走する男に尻文字で「まて」と告ぐ。

それがいまひとつの不発に終わると「まて」の語尾に「!!」を付け足せとこちらに要求。

そして二人合わせての尻文字である「まて!!」が豆粒大となった強盗の背に完成したところで目が覚めた。

上体を起こすと腰に強い痛みを覚え、それは明らかに夢の世界での「!!」というイレギュラーな尻の動きに無理が祟った。

何事も早いうちの対処こそが物を言う惑星において家の隣が整骨院と来れば渡りに船、早速扉を開けるとチャイムが鳴り、つっかけからスリッパへと履き替えて「なんと代わり映えのしない行為だ」などと思っているうちに奥の部屋より五十に掛かるかという毎回サバサンドにレモン汁をかけ忘れそうな男の先生が現れた。

問診が始まり、腰の痛みを訴えつつ卓上カレンダーに気を取られた理由を記せば七月六日と八日を大きく巻き込む形で七月七日にパワフルな花丸を飾っていた。

さらにお借りしたトイレのカレンダーにも七月七日に派手なデコレーションが施してある。

「おどれは彦星かい」

それから腰に重点を置いた按摩が行われ、頃合いをみて「七月七日に何かあるのですか」と聞きたいところであったが「あぁ、川に遊びに行くんです」などと答えられたら大変なことになる。

しばらく無言にやり過ごし、そのうちこちらのポカポカと心地よい気分に添った声質で「あれですか、腰はお仕事で」と問うて来た。

いい大人が夢の中での尻文字で負傷したなどとは言えず「え、あぁ、まぁ」と目を擦りながら曖昧に返すと先生は手を止めて「ある程度の歳を重ねると毎日どこかしらに不調があって健全なのです」といった。

 

整骨院からそのまま散歩がてらに駒沢公園、ベンチにてアイスコーヒーを吸い上げればエクアドル豆の豊かな香気が鼻に抜ける頃、長年に懸命に生きてきた勲章である不調とは健全と称して然るべきだと思った。

治癒の熱がこもる腰をさすりながら辺りを見回せば、未来を語らう恋人たち、孫にペットボトルで殴られまくるお馬さんごっこのおじいさん、そして道着姿でランニングコースを走りゆくは若葉の学生群。

そのような視聴に溢れる「THE健全」にしばらく浸り『この素晴らしき世界』を鼻歌に興じれば大樹に集う小鳥たちが愛らしいコーラスをさえずる。

優美に移りゆく時の中で心に浮かび上がった言葉はジャイアント・ヘリコプター。

目の前の幼児が吉本新喜劇ばりに転んだのはおれのせいなのかも知れない。

それからしばらく健全ワールドに身を置き、いくらか後ろめたい欠伸が現れたところでなんとなく見習いマジシャンの男へ電話を入れる。

彼は入門早々に師匠が溺愛するインコを不手際により大空へ消してしまうマジックに成功しており、電話口の朗らかな様子からどうやらクビは免れたらしい。

そして昨日の出来事を語り出すにはホームレスの方々に向けて支援団体が炊き出しを催し、その余興として見習いながらに抜擢されたという。

和妻を汲む師匠より「人前に立つ経験は人前に立つことでしか得られない」と背を押され、結局はホームレスの五、六人が観客であったが背水の陣で挑んだ。

ここまで彼の話を聞いて「健全」を感じずにはいられなかったが、この辺りから彼の口調に陰りが見え始めた。

得意とするお札を使ったマジックでフィニッシュに取り掛かるという段にて「どなたか千円札をお借りできませんか」と観客の五、六人にお願いしたところ、誰も千円札を持っていないという事態が巻き起こる。

さらにその中の一人が「兄さん、そんなの持っていたらここにはいないよ」とマジックの最中にあるまじきレスポンスを繰り出し、これもまたあるまじきにマジシャン自らの財布から千円札を取り出そうとしたが折悪しく小銭しかないという凄惨なエンディングを迎えた。

この一部始終に聞き及んだ師匠が下唇をタパパパ震わせて烈火の如くに怒ったという。

「インコは何羽でも逃していい!だがお客さんに恥をかかすなど芸人として論外だ!」

師匠自らの私欲を排した叱咤に止めどない落涙を禁じ得ず、それが次第に晴れるとこの人に一生ついてゆこうと決めた。

人間とは極めて昂ぶるとき前代未聞のフレーズを大地に産み落とす。

「これからもインコを逃し続けさせてください!」

頭のおかしい弟子に気圧され、師匠は「よ、よし!」と言っては手持ち無沙汰、メガネケースを位牌の様に持ち始めたらしい。

 

fin

愛とそぼろ

 

六月一日(水) 真白に無垢であったこの原稿を「真白に無垢であったこの原稿を」と汚してしまった。そして「真っ白に無垢であったこの原稿を「真っ白に無垢であったこの原稿を」と汚してしまった。」とさらに汚してしまった。永劫に続く無垢への羨望は煩悩、家の棟も三寸下がる真夜中にイギーポップは「Paris77」をフルボリューム。そのうち内気な隣人がさすがに苦情を申し立ててくるだろう、イギーポップのTシャツを着た内気な隣人が。

六月二日(木) 四つん這いになったご婦人のパンツを下すたびに思う。どういう政策なのかアーチ状なるクロッチエンド(?)の跡が計ったかのようにして肛門を真横に分断している。「なぜだ!あと少しじゃないか!あと少しですべてを包み込めたじゃないか!今すぐKiss Me Wow Wow!」と毎度にひどく憤るが、上半分の肛門を地平線の向こうに昇る朝日に見立てることで崇高な心持ちを以ってしてその場をいなす、はぐらかす。

六月三日(金) 免許を取ったばかりの者から深夜の緊急連絡を受ける。盆栽とキャンピングカーに挟まれて車が出せないと大いに取り乱しているではないか。もはやこれは脅迫電話の類いに該当する事案だが向こうにしてみれば生きるか死ぬかの瀬戸際であるらしく、こちらの「盆栽をどかせ」という的確なアドバイスにも「もうお終いです、もうお終いなのです」と聞く耳を持たない。それから互いに言葉を失い、しばらくあって「もう売る。もうこの状態でこの車を売る」と苦渋の決断を電話の向こうに聞いた。

六月四日(土) かれこれジャスミン茶を飲み続けること三年余りにしてその体感的な効果効能を率直に申し上げると出前館の配達員である馴染みのおじさんがさりげなく添える「お熱いうちにどうぞ」がいつの間にか廃され、あまり良くない方向に小慣れてきたような気がしています。

六月五日(日)「あの世に行けば煩わしい人間関係に悩まなくて済みますよね」と近しい若者が自殺をほのめかす。年長のこちらとしては「あの世という概念を持ち出すのならどうせまた向こうで全員集合だぞ」と諭してスイカバーをおごる。

六月六日(月) 銀座シックスの地下駐車場から螺旋の坂を登り、DNAの立体構造のような螺旋の坂を登り、雨降りの地上にたどり着く。雨粒がフロントガラスに付着すると発作的に「あだすのカヌーが見当たりませんが。あだすのカヌーが見当たりませんが。あだすのカヌーが」と連呼する病がなくてよかった。

六月七日(火) 実家にある年季の入った扇風機は今年も登板を控えているらしい。ただ「切、弱、中、強」と並ぶボタンに深刻な接続不良が見受けられ「切、強、やや強、強」として今夏に扇風するらしい。

六月八日(水) 柄にもなく選挙について記してみればなんとなく投票所へ出向き、なんとなく良さげな候補者への投票はもはや犯罪に近いとさえ思っている。そこは最低でも立候補者の中学時代にまで遡った人物検証が必要となり、合唱コンクールの曲名から徒競走では裸足で走る江戸っ子スタイルであったか、また禁止のチャリ通が体育教師にめくれて「はい、次、毎朝自転車で足腰を鍛えている◯◯」とチクリとやられた経験の有無、そしてやはり真夜中にアダルトビデオの自販機まで馳せ参じ、後客の足音に自販機と自販機の隙間に隠れて秒で発見されるという伝説の有無などは特に確認しておきたいところである。

六月九日(木) 近頃では軽く温い掛け布団こそ良品という世相の価値観に揺らぎが生じているようで。なんでもある程度の重さに利するホールド感こそ安眠に導かれると確固たるデータが取られているらしい。やはり「安眠」という二文字にはおっさんとして惹かれるものがあり、通販サイトを覗くと七キロ、五キロの掛け布団がご用意されていた。「すき家のクリームチーズアラビアータ牛丼はやり過ぎではなかろうか」とまでに悩みは及び、結局は七キロと五キロの各一枚づつに購入を決めた。数日後、我が家に七キロ二枚、五キロ二枚という掛け布団が届く。湧き上がるドス黒い紫の感情を押し殺し、それでもどのようなものかと計二十四キロの掛け布団を体験。もうなんだろう、漬物に感謝ですね。

六月十日(金) 東京03のサングラスが無性に見たい日ってあるじゃないですか。

六月十一日(土) ママチャリの二人乗りをする若いカップルが爽やかに通り過ぎてアフタヌーン。不粋な職務を課された交番の警官がそれを注意したところ、大正ロマンよろしく横向きに座っていた彼女が「すいません」と改めて荷台に正面から跨がる。あの日あの時「そういうことじゃなくて」という言葉は彼女の為だけに存在していたアフタヌーン。

六月十二日(日) ドッジボールの顔面セーフというものにタイムマシン開発における重要なヒントが隠されている気がする。関係各所、ご参考まで。

六月十三日(月) 通販で購入した形から配色まで私的ベストなヴィンテージ・ベースボール・キャップがある。ただサイズが致命的にタイニータイニーであり、それが道理に被っていると徐々にせり上がっては最終的にワンツードンくんのようになる。が、それよりも、そんなことよりも折に触れてなんとか被れないものかと試す度に小さな地震が必ず起こる。つきましては以後地震が起こる時「あぁ、あいつ今被ってんな」とでも机の下より思っていただければ。

六月十四日(火) 新宿の小さな劇場で完全即興なる芝居を観る。女が「もう私たち別れましょう」という。受けて男がやや間を取り「どちら様でしょうか」という。そのようにスリリングな即興が目紛しく展開され、最終的にそば屋のオヤジが露出狂に露出するという前代未聞のエンディングを迎える。席を立つ男性客が呟いた「そう来ましたか」という一言に印象が残る。

六月十五日(水)  セックスに炊飯器を持ち込もうとした男にビンタを口切りとした説教をしてやりました。

六月十六日(木) 何気ない日常の幸せは不幸という名の定食屋でしか味わえない。サービスの小鉢には小松菜のおひたし。さ、思う存分に浸っていただきましょう。自分の立ち位置が全然わっかんね。

 

fin

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五月一日(日) 陸橋より眺めるに今日も環七を種々の車が走ってゆく。その運転手一人一人にマイクを差し向け「あなたは何の為に車を走らせているのですか」と問えば業務的な理由がその半数を占め、そこから買い物、行楽、送り迎えといったものになるだろう。そこでさらに問いたい。「で、結局のところ宇宙的観点から一生物としてなぜあなたは車を走らせているのですか」と執拗に迫りたい。するとどうだ、皆一様に鼻水を垂らしてM字開脚で「よくわからない」と答えて精一杯だろう。ただ時として「病院のスリッパを返しにゆく」という宇宙的観点から大胆に突き抜ける者もある。陸橋より眺めるに今日も環七を種々の車が走ってゆく。

五月二日(月) 博識高い年上の方に「過去に起きた数々の凄惨な事件も現在という瞬間に至るには必要なピースだったのでしょうか」とお伺いしたところ「そんなことよりお前は自分の盗まれた自転車に毎朝追い抜かれる俺の気持ちがわかるか?」とキレられる。

五月三日(火) ちん毛を束ねた筆でまん毛と書して尚わだかまる心、トゥナイト、ん、トゥナイツ。

五月四日(水) 古代ギリシアの壺絵に人間の滑稽味を感じてやまない。往々にして自分が滑稽と感じるものは世間より芸術と呼ばれる。すると己の滑稽な私生活も芸術なのではないか。玄関の小窓よりNHKの集金人と目が合い、軽い会釈の後に居留守というスーパープレーなどは殊更に芸術といって差し障りないのではないか。

五月五日(木) 車内に流れる音楽のリズムと歩行者の歩くリズムがぴったり重なり合うと爽やかに苛つく。

五月六日(金) おそらく世界で初めて「冗談は顔だけにしてくれよ」と言った者は己の即応能力に自惚れ、それを言われた者はその晩の風呂上がりに足の爪を切っているところでようやくの合点があり「あんの野郎!」といきり勃つもすでに機を失しており「ま、いいか」と己の寛大さに自惚れたのであろう。

五月七日(土)   妻に欲情しない男がカレー、ハンバーグの二大巨頭を差し置き「毎日稲庭うどんでは飽きるでしょ」という。

五月八日(日) 富士そばにて手繰り手繰って高楊枝。先刻より発券機に対峙する巨大なリュックを背負う外国人男性がついに「天プラ蕎麦ドレデスカ」と助けを求めてきた。易く救いの手を伸ばさなかった子細に及べば異国にてそのように窮した一コマこそ後年に思い返すかけがえのない旅のメモリーとなろう。それから「ここここヒアヒア」などと教えて「オウ、サンキュ」「ユアウェルカム」というやり取りがあり、彼は満を持して「いなり二個」をズンと強プッシュ。おれはなぜ逃げるように去ってしまったのだろう。

五月九日(月)  人は公に言ってみたい言葉というものを個々に持っている。自分の場合は「もうそちら味付いてますんで」と前掛けで手を拭きながら言ってみたい。周りの者の中には「なんだチミはってか!?」をごく自然な形で言ってみたいと願う男がいる。彼は先日カラオケで部屋を間違えたところ首筋まで墨を入れたお兄さんに「お前誰だよ!」と叱られたらしく、後々思えばこれ以上ない今世紀最高のタイミングだったと虚空を睨む。

五月十日(火) コロナの影響で失職した男を慰めようと夜の三軒茶屋に呼び出すも彼は「恥ずかしながら三茶までの足代すらしんどい」という。「今日は全部こっちが持つからタクシーで来いよ」ともてなしたところ「ありがとう!じゃあ今日はマジで財布を持って行かないから!」と空元気に放つことで自尊心を保とうとする様がなんともいじらしい。ビッグエコー前で待っていると三宿方面よりやってきた。個タクのセンチュリーがやってきた。エンブレムの鳳凰もまさか後部座席の男が無一文だと夢にも思っていない個タクのセンチュリーがやってきた。偶然、偶然だろうが一刻も早く奴を引きずり下ろして殴りたがっているおれの拳、そう個タクの真っ白なセンチュリーがやってきた。

五月十一日(水) 地球外生命体に「お色直し三回」を完璧に理解させるぐらいの気力と体力が欲しいですね、えぇ。

五月十二日(木) 所用の流れから久しぶりに神奈川のコンビニへ。店内を駆け回る小さな子に父親より「おい!おま、あんまし調子ブッこいてんじゃねぇぞ!」と叱声が飛ぶ。東京の方にとっては耳にぶつかる不快なものとは思うが、神奈川を故郷に持つこちらとしてはどこか懐かしくなにか心が和む。さて無駄に広い駐車場にポツンと停まる彼のヤンキーカスタマイズされたワゴンRに刮目されたい。あずきバーの一本すら入らない極めたシャコタンに次いでルームミラーにぶら下がるのはもちろん大麻草を模した芳香剤、そして低学歴までもが透けて見えるクリスタルのシフトノブと来ればリア・バンパーに貼り付けられたステッカーは「E.YAZAWA」「倖田組」と自らの音楽的嗜好をご近所中にアピールするだけでは物足りず「熊出没注意」と悪戯に脅かした挙句に「ドライブレコーダー準備中!(笑)」ともはや収拾がつかないご様子こそ神奈川、神奈川県。

五月十三日(金) 茶沢通り、花屋の店先であろうことか「世界に一つだけの花」のイントロを口ずさみ始めてしまったおじさん。すぐさま周辺の緊迫した空気を察したか、歌い出しより急遽「上を向いて歩こう」に変更。危ねぇなもう!

五月十四日(土) 年下の者が先日の初デートを嬉々として語り出し、こちらはうんうんと微笑ましく聞いていた。「中華街が意外と空いていたんですよこれが。で、ご飯食べて来年こそ眼鏡ぺちゃんこになって山下公園に行ったんですが、やっぱり海はいいですよね。今度はナイトクルージングしようかなんて。うん、良かった。すごい良かったです」という。来年こそ〜の件は聞き間違いだと思うが本当に言っていたとしたらおじさん心配です。

 

fin

追憶のエアポケットをまさぐる日は

 

夏のような白昼を経て春陽は落ち、隠れ家を高らかに主張する桜新町の和食屋へ出向く。

床の間より座して九年の行に励む達磨大師がこちらに一瞥くれ、先客の妙齢なるご婦人とその母親とみえる方がパンデミック終焉を心待ちとした海外旅行の計画に花を咲かせており、やはりこのように閉塞した世相にはそこここに咲き乱れる話題なのだろう。

誂えたものが出揃い始め、我々は海外旅行とは真逆に位置する畳鰯を話題に語らい、そのうちどこか倦んだ連れの者が柱に引っかかってぶら下がる靴べらを手に取った。

これは高確率で「聖徳太子」という悠久の時を経た通俗なボケを披露して来るに違いなく、それを未然に咎めたところで「物の使用来歴」という思考が浮かぶ。

当然靴べらは靴べらとしてその正業を持つが、時として客同士の喧嘩に駆り出された過去があるやも知れず、はたまた店主の孫娘さんなどがシルバニア・ファミリーの流し素麺における滑り台に使用した可能性もゼロではなく、なんなら直近では聖徳太子未遂という本来の用途から大きくかけ離れた事案も発生しかけている。

世に溢れる物とはそれぞれに言い尽くせぬ物語を黙して抱え、そこに存する。

向こうの席では先の母娘が海外旅行トークの絶頂を迎えており「絶対に使い捨て紙パンツの方がいい!」と言い切った娘の提案に居を正した母親が「紙パンツなんてダメよ。あなたね、旅先の方々にとって私たちは日本代表なのよ。それが紙パンツでいいわけないでしょ!」とそれは日の丸を背負った形で娘の柔頬に愛国の誇りを叩きつけるようだった。

こちらとしては昨今に忘れ去られた日本人としての美徳に心を打たれつつも、低頭にひとつ言わせてもらえるのなら飲食店で気高くパンツパンツと連呼しないで欲しい。

そのうちとうとう連れの者が「あぁ海外行きてぇな」などと感化され、靴べらの紐に指をかけてぐるぐる回せば「海外旅行」と「物の使用来歴」というワードが撹拌されては融合、するとそれに合致する大昔の記憶が蘇る。

 

遡ること十七、八の頃、アメリカは西海岸への旅を敢行した。

そのような決意に至った訳は経年の理を以ってしてもはや不明瞭にあるが、淡い霞のような記憶を仙人よろしく自棄っぱちに吸い寄せれば当時大人気を誇った「たまごっち」の入手に難儀をして「いぬっち」に早々と妥協した己の軟弱さが許せなかった。

あるいは「盗んだバイクで走り出す」という土着の流行り文句に際しておれはどうしてもバイクを盗まれた側のやるせない気持ちに寄り添ってしまうところがあり、これもまた己に軟弱を感じずにはいられなかった。

斯くして武者修行に通ずる気概の大小を腰に差し、いざサンフランシスコ国際空港に降り立つと早くも試練が訪れる。

年季の入ったラスタ帽を被るホームレスのおじさんが「ようようそこの兄さん、ちょいとばかり金くんねぇか」のようなことをいい、一応の前情報としてそのような場に当たったのなら一貫の無視がその善処とされていた。

しかしそれではまんまと軟弱を太らすこととなり、早速の機転に都こんぶを一箱進呈することで朗らかにその場を凌いだのはこちらの手柄だった。

タクシーに乗り込み、運転手にホテルの名を告げ、空港を発つ車窓より先のラスタおじさんが視界に入る。

無邪気に手を振ってみたところ、向こうはそれどころではなく慣れぬ都こんぶの酸味にサンフランシスコ中の皺を口元に寄せ集めて身悶えていた。

そのようにして酸フランシスコをスタート地点とした西海岸の旅が幕を開け、ロサンジェルスはチャイナタウン、ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド、無駄にでかい国立公園などにも歩を向け、街角のカフェで7UPを啜っていると堀内孝雄のヒスパニックバージョンに「お前はラスベガスへ行くべきだ!」と強く推される。

年齢のチェックが厳しいと聞いていた為、ギャンブルに栄えるラスベガスを訪れる計画はなかったのだが「アーユー孝雄堀内?」と一応おじさんに尋ねたところ「ヤァ!グッドラック!」と親指を立てたものでなんとなくそのような流れに身をまかせた。

 

眠らない街ラスベガスの質屋、そのショーウィンドウには未だ鮮明な記憶が残る。

ロレックスとロレックスに挟まれて入れ歯が鎮座するというラインナップは助さん、黄門様、格さんからなるフォーメーションをガラスの向こうに思わせた。

しばらくの街散策もそのうちに尽き、あたかも温泉街で温泉に入れないというような歯痒さにけばけばしいネオンを浴び飽きると何もすることがない。

ならば街中に散見される派手なサーカスのポスターを頼りに半ば強制の観覧を決め込み、必死のボディーランゲージと拙い英語を駆使してようやく会場にたどり着いたものの開演まで一時間超を余る。

仕方なく施設内を歩き回り、何周かするとついにはトイレ、植木、窓の開閉具合などのチェックといった警備員さながらの任務に就いていた。

そこへ現場スタッフが目の前でカードキーを使いドアを開けるとこちらも完全に閉まる前に掻い潜り、若さ余って興味本位の入室を果たす。

どうせバレたところでこちらは髭も生え揃わない小僧、理解できぬ英語の小言が二、三あるだけだろうと高を括っていたところ、先のスタッフがもう一枚のドアをカードキーで開け、足早に向こうへ消えると行くも戻るも叶わぬ密室が完成された。

小部屋にはテンガロンハットとムチが壁に立て掛けてあるだけであり、天井の隅に設置された防犯カメラも指折り数えようかというほど質素な空間だった。

当初こそ「まぁそのうち誰か来んべ」などと気楽に構えていたが待てど暮らせど進展はなく、徐々に言い得ぬ不安と異国のプレッシャーが足裏の不快な湿りとして現れたころ、防犯カメラへのアピールを始める。

まずは軽く手を振り、そして両手で手を振り、しまいには走り高跳びの観客を煽るような形で大きく手を叩き、今にして思えばとても助けを求めている人物には思えない。

それでもしばらく三種のアピールをカメラに繰り返し、ついに「オーライオーライ」と車を誘導するような新技が繰り出されると人間という生物が最も腹を立てる事柄を発見した。

それは「映ってるのか映ってないのかわからないカメラ」だということ。

壁を背にへたり込み、全く身動きの取れない現状に「なにが自由の国だ」と小さく嘲笑い、驚くべきことにこのような状況下でも筧利夫がなんか嫌いだった。

こうなればムチを用いてドアを破壊するしかないと異国の密室で決を固める。

窮地に陥る者は藁をも掴み、それはテンガロンハットもかぶる。

十分にドアとの距離を取り、上段にムチを構え、南無三と心底に深く沈め、思い切って振り下ろそうとしたその瞬間、おれは九死に一生を得た。

あれほどまでに血の通った「ピッ」という電子音を今に至るまで聞いたことがない。

定時を少し過ぎてサーカスは華々しく開催され、道化師が一輪車に跨りチェーンソーのジャグリング、屈強な男が鎖で象との綱引き、次いで檻に入ったライオンのお目見え、ややあって袖よりテンガロンハットにムチを手にしたボンテージを着こなす女性が現れた。

老若男女のオーディエンスから拍手喝采がステージに向けられると女性はムチでパンパンと床をしばいて見せ、テンガロンハットを胸の前に収めて深々とお辞儀をした。

おそらく、否、確実に満座の観客たちは十数分前に極東を生誕とするクレイジーボーイが生き延びる最終手段としてそのテンガロンハットを被り、そのムチで分厚いドア張り倒そうとしていたとは夢にも思わなかっただろう。

最後にもう一度ここに記す。

世に溢れる物とはそれぞれに言い尽くせぬ物語を黙して抱え、そこに存する。

 

fin

夜の果てのアイボリーペイン

 

三月一日(火) 日々に取り立てた不足もなく、日々にのうのうと過ごしている。そのようなことでは地球が消滅するときにドリフ大爆笑のテーマをBGMとした全人類が記されるエンドロールに自分の名は載らないのではないか。

三月二日(水) 「ビルを雑巾のように絞ったらヤクルトぐらいの水分は出ますか」と面識のない建築関係の方に不躾にもメールで問うたところ「ジョアぐらいは出るのでは」とのご返答を賜る。携帯画面に一礼、そっと削除。

三月三日(木) ある男の告白によると先日父親が長年愛用していたアホのようにぶ厚い眼鏡のレンズにひびが入り、新調すべくそのお供をする運びとなった。父親は久方ぶりの眼鏡屋に血湧き肉躍り、白いもみあげが逆立つほど様々なフレームを取っ替え引っ替えした結果、その翌日に新生活応援セールの陳列棚からアホのようにぶ厚いレンズの眼鏡が発見されたと店舗サイドより連絡を受けた。

三月四日(金) 乾燥機付き洗濯機の視察に家電屋へ。巨大なテレビの前を陣取るおじさんがロシア・ウクライナ情勢の映像に対して驚くべき見解を示した。「よくわからないが」と前に置いて「もうあれだ、もうプーチンは球拾いからやり直しだな!」と爆ぜる。

三月五日(土) カクテルのメニューにセックス・オン・ザ・ビーチを発見する度に「砂が入るのでは」と下世話な心配をしてしまう自分が嫌いではないっすね、えぇ。

三月六日(日) 「その深い二本のほうれい線が上へ上へと伸びてゆき、いつしかそれが眉間に交わるとき貴方は観光バスに轢かれるでしょう」と占いにハマる義母より物騒な宣告を受けた男を知っている。

三月七日(月) 永劫の戦争放棄宣言をした国のみが核兵器を保有する権利があんじゃねぇの的な。

三月八日(火) 横で眠る女が太字の寝言で「陶芸教室へ強盗よ」という。お前はもう誰だ。

三月九日(水) 近頃ではロシアの小さなラジオ局から二十四時間ノンストップで放たれる聖歌ばかりを聴いている。歌詞は一切わからないがその執拗な美しさに無宗教のハートが羨望を起こしてやまない。それがたとえ「実家の母ちゃん未だにカスピ海ヨーグルト作っているぜ!」と歌っていたとしても構わない。

三月十日(木) マンション前のゴミ捨て場をさもしい数匹のカラスが辺りを警戒しつつに荒らしている。ついばむアメリカンドッグはケチャップ&マスタードを店員が入れ忘れた為にこちらがついカッとなって丸ごと捨てたものであろう。そしてもうひとつ、元旦に気の向くまま厚紙に毛筆を立てたものの書き終えて自ら理解に苦しんだ「令和のマルコポーロ」がゴミ袋から路上に飛び出しているじゃない。

三月十一日(金) ついに理想的な薄手のいい感じにへたるグレーのトレーナーを古着屋にて発見。値札など見ずに、また試着などせずにカウンターへ持ってゆき早々の会計へ。二万五千円という値段に多少の驚きこそあれど、己のセンスが高く評価されたような心持ちが上回ると嫌な気分はしない。しかしそこで初めて気付いた左胸の「R」という刺繍に財布を開く手が止まる。Rは駄目だろう。錬太郎がRの刺繍は駄目だろう。それでも諦め切れず「この刺繍は錬太郎のRではないという意味でのRですよね」と無法にも店員に詰め寄る。彼が「え?」と狼狽する心情を短く表せばその語気こそ大昔に高円寺のピンサロで大会前の仕上がった女性ボディービルダーが登場した時に思わずこちらの口を衝いた「え?」に酷似していた。

三月十二日(土)茶沢通りの整体院前で客を見送る若い店員が「本当にすいませんでした!」と頭を下げた。受けておじいさんは「いや、ね、うん」などと言葉少なくいなしている。おそらく施術中のおじいさんがあまりにも大山椒魚に似ているものだから魚肉ソーセージを口にねじ込んでしまったのだろう。

三月十三日(日) 戸越から首都高、ハンドルを握る年上の方が「最近は瀬戸内寂聴を読んでいる」という。そして「彼女は九十九歳で亡くなった。それは自他に百の希望を抱かせたようで実に彼女らしい」と継いだ。こちらとしてはただただ頷くばかりで車は白金料金所に到着、それからしばらく走るとY字に岐れる一ノ橋JCTに臨む。「この一ノ橋ジャンクションの合流は怖いよ。向こうから来る車が全然見えないからね」と言いつつ無事に難所を乗り越え、そこへたまさかカーラジオからマイケル・ジャクソンが流れると氏は「お、マイケル・ジャクション」と発した。なんだかもう寂聴とJCTとジャクソンが入り混じった末の言い間違いなのか、それとも渾身のギャグなのかしばらくこちらには判然とせず、結局は年上を立てる形を以て窓を少し開けることで外気に流した。

三月十四日(月)未だ見ぬ娘が年頃となり、伏目に「の」の字を書きながら「今度会って欲しい人がいるの」などといい、松屋の限定メニューであるシャリアピンソースのポークソテーのような男を連れて来たのなら何もいうことはないぜ。

三月十五日(火) それぞれの狂気を持ち寄って。

 

fin

スポーティーな炬燵と悲しみのサンダーロード

 

二月一日(火) 自転車に乗れない成人は希少であるも希少価値はないという稀な価値があるようで、タバコの一服もつかぬうちに、やはりその価値もない。

二月二日(水) 貰い物のわたパチ系入浴剤で予期せぬ荒行さながらバスタイム。不快極まる激しいパチパチがすべて溶けきるころ先日ある男と行った「いやらしい響きの食べ物」の言い合いを思い出す。何を取り違えたか「ジーコのエキサイティングサッカー」と彼が言い出したので一旦中止に。

二月三日(木) もうパクチーの方も俺のことが嫌いな気がすんの。

二月四日(金) 生前ジョン・レノンが訪れた喫茶店のオーナーの孫娘の旦那の元部下の友人という完全に氷の溶けきったポカリスエット・イオンウォーターのような方に出会う。

二月五日(土) 甥より「なんでガムは口の中でなくならないの」と質問を当てられた。そこは「口の中でなくなったらお客さんが怒るからだよ」と叔父の沽券を死守。

二月六日(日) 女タレントとそのマネージャーなのか、それとも内見の女とエイブルの社員なのか。

二月七日(月) 何度も記しているが、やはり感性の核なるルーツを辿れば小学生時分に目撃した場面にある。ドッジボールの最後の生き残りとなった友人が遠目にもわかる大勃起を披露していた。即ち遺そうとしていた。そのような連綿と繋がる生命の物語を二十分休みのドッジボールにまざまざと見せつけられ、人間の業と笑いが綯い交ぜとなって未だこの胸に息づく。

二月八日(火) 超個人的な特技をここにひけらかすとおれは日本語を単なる音として聞き取ることが出来る。ただ超個人的な特技ゆえ他者には一切理解されず、唯一の使い道としては前車に追突をした際に降りてきたガルフィーを着る兄さんの荒々しい言葉にそれを使用するのみですね、えぇ、今んとこ。

二月九日(水) コロナ前の今頃か、さる筋からの勧めでとある自主映画の悪役オーディションを受けた。「一人ずつ僕に本気でキレてください」とは若い監督。しかし皆一様に「この野郎!」のような陳腐なものしか出てこない。そこでこちらは「自分は理不尽にキレることなど出来ない。不愉快だ!帰る!」とぶち込んだ。注文通りの怒りと隠し切れない誠実さを兼ね揃えた我ながらの見事なセリフに合格を確信してそのまま帰宅。のちにおれだけ落ちたと風の噂。この野郎!

二月十日(木) コンビニで買い物をした後、道すがらに年下の親しい者とバッタリ出くわす。「おう、景気はどうよ」などと鯔背な兄貴ぶるこちらのビニール袋にたべっ子どうぶつが透けているじゃない。パン線を恥じる女の気持ちが手に取るように、寒空の下。

二月十一日(金) 顎が外れるほど、愛したい。

二月十二日(土) 慎しみ深い年上の方に「三分間だけフリーザになれるとしたらどうします」と問うた。悩んだ末に「二分間でチンピラどもを懲らしめ、残りの一分間は土下座の体勢で元の姿に戻るのを待つ」とこれまた慎しみ深く。

二月十三日(日) 日本は平和ボケが過ぎる。それが証拠におれは近頃パーマン2号であるブービーは実のところヴーヴィーではないかという偏執的な妄想に取り憑かれている。

二月十四日(月) 世界で初めて眼鏡を装着して外出を試みた人物に畏敬を込めて思いを馳せる。その玄関先では顔面に訳のわからない器具をハメ込んだクレイジーな息子に涙を流した母親が「そのような格好で外出するのならば私を殺してから行きなさい」と自らの言葉に膝から崩れ落ちたであろう。

二月十五日(火) 「光ある未来を創造する」という企業理念を掲げる会社の面接にて感銘を受けた言葉を問われた際に「ノーフューチャー」と答えた男をおれは知っている。

二月十六日(水) 感度の高い三茶女子なら既にご存知であろう。エバラ焼肉のたれを「エバラ焼き肉んたれ」という野郎の方が義理人情にあつい。

二月十七日(木) バレンタインジャンボ宝くじなるものを一枚だけ購入した方がいる。一等の当たる確率は何千万分の一と巷で聞くが、その方はどこ吹く風か「当たりか外れかの二分の一だ」と見得を切る。やだ男らしい、えぇ、どうしよう、うん、抱かれてもいいかな、あ、ダメダメ、今日上中下揃ってないし、中?

二月十八日(金) 人々が死に絶えるとき、割り箸は割り箸という名から解放される。いけねぇ、近頃涙腺が緩くなってきたぜ。

二月十九日(土) とんかつ屋で若人と昼飯。「大磯ロングビーチって亀田さんの地元の方ですよね。当時はなんと略してたのですか」となめこ汁を掻き回して問うて来る。厨房からはパユパユとんかつを揚げる音。そのまま「や、普通に大磯ロングビーチだわ」と言っては湘南の戻って来ないブーメランパンツとの異名を持つこちらとしては捻りがない。「実は大磯ロングビーチとは既に略している形なんだ」と告げると彼の箸先からなめこが滑り落ち、散々気を引いてから「正式には超大磯ロングビーチズ」と発した瞬間、厨房から皿が割れるけたたましい物音。そんなに面白かった?今のそんなに面白かった?

 

fin

新春を借景としたブスバスガイドバスガス爆発

 

一月一日 (土) おそらく今から百五十年後にはその流動性を利して言葉に変化がみえる。音読みにして「新」は「しん」ではなく「スィン」と読まれていることだろう。「新郎新婦入場」は「スィン郎スィン婦入場」となり「新車で新大久保まで」とは「スィン車でスィン大久保まで」となる。あ、スィン年明けましておめでとうございます。

一月二日 (日) 近所の神社へ詣でれば蕎麦でも手繰ろうとするその帰路に真っ白な犬と出会う。「今年は良い年になるぜ」と確信したところで前方より僧の振り下ろす錫杖の「ジャ、ジャ」という邪気を打ち払うような音にこちらは厳かな心緒を有してそれを迎い入れる。まさか小学生の童が潰れた空き缶を踵に闊歩しているとは。

一月三日 (月) コンソメのゼリー寄せを一生食えないのとフルーツバスケットに一生参加できないという事柄はミリ単位でまったく同等のダメージではなかろうか。

一月四日 (火) 子供が吹き鳴らすリコーダーが聞こえる。昨年の初冬辺りから毎日エーデルワイスが聞こえる。飽きもせず練習に励んだ賜物として今ではメロディーに哀愁が寄り添う形でこちらの私生活を彩る。今日は新たな曲に挑戦するようで「もういくつ寝るとお正月」をおもむろにリリース。あと三百六十日ぐらいあるけど大丈夫か。

一月五日 (水) 対面する者が言いたいことを失念した模様。「ほら、なんだっけ、ほれ、あれなんだっけ」と延々に続けるもので次第にこちらも苛つき、いい加減な態度で「ブラウンシェイビングリポートだろ」といったところ「あぁ!近い近い!」と謎は一層に深まるばかり。

一月六日 (木) 「美味しく頂きました」とは屠殺されたものへの侮辱に他ならない。殺された挙句に美味しいなど亡くなったものは黄泉にて納得できないだろう。そこは無理にでも「すげぇ不味かった!」ということで「ざまぁみさらせ!」と向こうにせめてもの立つ瀬を与える。

一月七日 (金) 昨日の降雪から打って変わる晴天に凍てる歩道は滑りやすく、前をゆく40代とみえる女性が物理の法則に従い大胆に転倒した。実験に失敗した博士のような眼鏡のずれ方をして仰向けに寝転び羞恥に陥る女性に向かい「空は青いかい?」と咄嗟に放って両者赤面。

一月八日 (土) 昨年末に伊勢佐木町へ居を移した者曰く、スープの冷めない距離に暴力団事務所があるという。

一月九日 (日) タクシーを拾ったのなら乗り込む前に滞る後続車へ一礼しましょうか。

一月十日 (月) ユニクロの更衣室でユニクロの服を脱ぎ、ユニクロの服を試着するもあまり気に入らず、買わぬユニクロの服を脱ぎ、自前のユニクロの服を着てユニクロの更衣室を出る。

一月十一日(火) 近所のコンビニで働き始めた東南アジア系のテ君が同郷の先輩であるサヒブ君より防犯カラーボールでスライダーの握りをわりと厳しめに伝授されていた。

一月十二日(水) 「くちびるが薄く、口が軽そうな女」というある噺家の表現に出会い、嬉しくなって工事現場のカラーコーンを蹴り飛ばし、速やかに元の位置へ戻す。

一月十三日(木) 常々に恋愛は水球、結婚はハンドボールだと周囲にこぼしている。なんとなく競技形態が似ているところで恋愛は溺れることもあり、結婚は夫婦水入らずということ。やかましいって?本当にやかましいのは真夜中になにが悲しくて縄跳びをズッタンズッタン始めた上の階に住む外人野郎だろ!オウ、ソーリーじゃねぇ!

一月十四日(金) 平時は凪のように穏やかであるがハンドルを握った途端に大変キレやすくなる男がいる。信号のない横断歩道を猛烈に急いで渡るスーツのおじさんに「もうそんなに禿げてるなら急ぐことないだろ!」とキレた。よくわからない理論に気押されるとこちらも「ナイピー」とよくわからない合いの手。

一月十五日(土) 狭い土地に家を建て、気合いで駐車スペースを作ったはいいが左右ビスコ2枚ずつの隙間しかないという世田谷界隈で時折見かける光景がある。近所のおばあさんも長らく車庫入れに難儀をしていたが近頃ではどうだ、小気味よい切り返しをひとつ繰り出してはびっちり車庫入れを遂行するではないか。それは「成長に年齢など関係ない」と言わんばかりにしてこちらは不意の感動を受けた。先ほどおばあさんが車に乗り込むシーンを初めて見た。サイドドアは物理的に開かないのでバックドアからノソノソと侵入、それはそれは時給で働く覇気のない車上荒らしといって過言にあらず。

一月十六日(日) 己の死後を思うと先人に倣う深遠なる沈黙を現世に醸す自信がない。

一月十七日(月) 無果汁と記された飲料を前にしてなぜか思い出す。少年野球の試合でグローブと帽子をつけ忘れて守備に入ったあいつ。監督の「お前は何なんだ!」との真っ当な怒号も追って聞こえるようで。

一月十八日(火) 二十年前、プロレスラーに憧れてアニマル浜口レスリング道場の門を叩いた男がいる。彼は極度のあがり症を持ち、自己紹介の際にあがりまくってアニマル浜口ご本人に「初めましてアニマル浜口と申します」と言い放った。彼はその単独事故的な思い出だけでこれからも生きてゆけるという。

一月十九日(水) 諸兄に告ぐ。「バナナケースにバナナが入らない」と禅問答のような電話を朝っぱらからカマしてくるような女とは付き合わない方がいい。

 

fin

遊侠の年尾

 

十二月一日 (水) チンパンにじゃんけんで負けたような悲痛の表情を浮かべ「もう男の見極めに自信がない」とは三十路の女。受けて「道端に三脚を立てて何かを計測している作業員の前を気持ち小走りになる男を選べ」と答えて師走の幕開け。

十二月二日 (木) 結婚相談所での出会いからめでたく結婚に至るも、そのまま公にしてはどこか引け目があり、式では「同志の集いで運命的な出会いを果たす」とパワフル且つ小綺麗にまとめ上げた男をおれは知っている。

十二月三日 (金) 早朝は築地場外市場。幻想的な朝焼けを単なる現象と捉えつつ、きつねやの牛丼とお新香に舌鼓を打ちつつ、隣に座る観光外国人のTシャツにプリントされた「ゴリラ豪雨」を脇目にしつつ。

十二月四日 (土) 友人家の幼子が新たな妖怪を作り出した。その名を「パソコンなめっこ」として苦手なものは砂利道とのこと。

十二月五日 (日) 年の瀬も迫り、銀行の前には警察の方が立っている。銀行強盗といえば海外では銃、日本では主に刃物がその凶器となり、いつも思うのはどこまでが効力として保てるのだろうか。木刀やゴルフクラブもありだろう、気合い次第では孫の手でもいけるかも知れない。いや、バズーカさえ背負えば卒業証書の筒でもいける。ならば一番ダメなものとはなにか。モコリンペンに絞ったところでサドルカバーという案も浮上。だが、だけども、やはり、やっぱり一番ダメなものといえば中学の修学旅行での大浴場にて恥かしがり屋の岩崎くんが腰に巻いたタオルしか思いつかない。一身上の都合により結び目を前に持ってきたものだからもうチンコしか見えねぇ。

十二月六日 (月) 宵の刻、男どもで寄り合うと石原さとみのうんこを幾らなら買うのかという議論が熱く交わされた。そのまとまったところを申し上げると「二万円で買うという者もあればまったく要らないという者もあり、両極の相。一部リサ・ステッグマイヤーのなら百五十グラム頂こうかしらと買い物カゴを小脇に肉屋テンションの者まであった」ということであります。

十二月七日 (火) 手掛かりになるのは薄い月明かり。

十二月八日 (水) 世田谷通り沿いのデンタルクリニックへ。処置を終えて今更ながら歯磨きの基礎を先生に伺ったところ「全体をかき回すのではなく二本単位で力を入れずに磨いてください」と仰る。「ありがとうございました」と一礼、去り際の背にマスクのせいか滑舌のせいかこちらの聞き間違いか「あと鎧で殴ってください」と先生がいう。

十二月九日 (木) 二子玉のデパ地下で出会った鰻おこわとやら、酒が邪魔になるほど旨い。

十二月十日 (金) YouTubeにて赤ちゃんアザラシの初泳ぎを鑑賞。飼育員のおじさんがプールにそっと放した途端にスイスイ泳ぎ出す。涙腺の開きを熱く感じ、堪らず給湯器パネルの交換に勤しむ業者のお兄さんに「血が知ってんだわ」と向けたところ、お兄さんがマスク内で吹き出す。なんか失礼だと思う。

十二月十一日(土) 厚手の靴下を求めて茶沢通り、ふと目についたお婆さんのホットスポット三恵。チラと覗けばなにかそれらしいものが陳列されている。入店を試みるとまず手の消毒に時間を取られた。なぜなら列をなす彼女たちは消毒液を前にして初めて手袋をノソノソ外す。中には消毒を無効化にする形で手袋をノソノソ再装着する者もあり。通路のド真ん中では生気を失ったお婆さんが突っ立っている。おそらく何を買いに来たのか完全に忘れたのだろう。そこを通り抜け、種々に展開される厚手の靴下を手に取るもサイズがすべて小さい。店員のお婆さんに男用はないのかと尋ねたところ「お祭り用の足袋ならあったような」と真顔でいう。それでも「まぁ履けば伸びんべ」と二、三足の購入を決めて会計の列に並ぶ。前に四、五人いただろうか、髪型が全員「小爆発」としか形容できない仕上がりになっている。それはいいのだが会計を済ませてからが非常に遅い。必ず店員のお婆さんと客のお婆さんによる軽いトークショーが開催され、それで終わったと思ったら大間違い、そこから割引券を持っていたなどと言いやがる。こちらは慣れないものだから徐々に苛立ってもくる。これはいけないと視線を外せば更衣室、靴と買い物袋が床に置いてあるにも関わらずそれに気づかぬお婆さんが思い切りカーテンを開ける。そして中で着替えるお婆さんもそれに気づかないという修羅場。入り口付近では三年ぐらい買い物袋をまさぐっていたお婆さんが「ここじゃない」と言い出す。

 

fin