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お狂気入門の門

 

落語の大河、その中洲にて江戸文字と出会って久しく、近頃ではご縁がありその道の師に手解きを受けている。

師が常々口にされるのは「その筆跡に江戸の風情を」というお言葉であり、ときにこちらの無理なリクエストに応えて「ミンティア」と勘亭流に書されたのだが、それは見事に江戸は八百八町、裏長屋の掃き溜めに至るまで清涼なる薫風が吹き抜けるようであった。

そんなつい先日のこと「江戸文化と庶民の暮らし」というイベントの一枠に江戸文字の精通者として師が招かれた。

「ご来場の皆様が江戸文字に触れて少しでも親しんでもらえれば」

そのような師の慎ましい動機からこちらも快く随伴させていただいたのだが、会場である小さな会議室に着くなり驚愕の光景が待ち受けていた。

受講者、三名。

内二名が頭部をスカーフで覆った外国人女性であり、残るは中年男性のみ。

そのうちにわんさと集まってくるのだろうと楽観していたのだが、結果として一時的に中年男性がお手洗いに立っては受講者二名、彼が戻ることで従来の三名となりそのまま定時を迎えた。

こちらはおこがましくも師への気遣いから最前列のど真ん中に陣取り、その背後の列にお三方が座するというフォーメーションが形成され、そのうち半纏姿の師が現れると若干の前屈みに揉み手をたずさえた一礼は見事に江戸を憑依させた米問屋の番頭のようであった。

 

師はホワイトボードを多分に活用されては江戸文字の起源にまで遡り、同時期の西洋文化にも触れることでその背景を分かり易く立体的に示され、崩しの規則性を統括した御家流に付随する広義と狭義の解釈を途切れなく小一時間に渡り熱く講話なされた。

物音ひとつ立てない背後の動向が気になる。

さりげなく振り返ってみたところ、外国人女性たちは言の疎通が叶わぬことでさらにも増して異文化に引き込まれているご様子。

そして中年男性は睡魔と丁々発止の死闘を繰り広げており、首は座らず、目は寄り目、口は半開きといった末期の様相を呈していた。

この顔、近頃にみた覚えがある。

そう、徹マン明けで子供の運動会に参加し散々走り回った後に父兄の飲み会に突入、その後再び雀卓に舞い戻ったあいつの東二局の顔ではないか。

とはいえ正直なところ、こちらも集中に欠けてきた。

受講中ではあるがポケットよりガムを取り出してみれば「Clorets」という表記が目に入ると「C」の中に赤い玉のようなものが幽閉されていることに気づく。

師はひたむきに身振り手振りの解説を続けているが、まさか目前の愛弟子が「C」と「l」に閉じ込められた赤玉を慮りて同情、それでも僅かな光を宿している様に前向きな含蓄を見出していたとは夢にも思わなかっただろう。

 

ホワイトボードに番付表が貼り出されると相撲字の講釈と相成る。

外国人女性のふたりはかの熱量をキープすること最早その眼差しは上がり座敷より稽古を見守る親方のよう。

中年男性も引き続き睡魔に土俵際まで攻め立てられてはいたがどことなく諦めを纏う一種の光悦が見て取れると、それはあたかも一人娘が紹介したいと連れてきた男がついぞ持参の割り箸ゴム鉄砲を片時も手放すことはなかったという表情であった。

「さて」と師、こちら受講者の四名を呼び寄せれば江戸文字の実地体験となる。

先ずは師が手本として墨をたっぷりと湿した筆で江戸情緒ほとばしる「正」を書き起こせば喝采が起こる。

「それでは皆さんもお書き下さい」

その声にすかさずの反応を示したのは外国人女性の二人組。

異国の方が古来より脈々と紡ぐジャパニーズ・カルチャーに嬉々として臨むその姿こそ師の本懐であると察するに涙腺が緩む。

外国人女性たちはどちらから書すかについてこれもまた嬉々と話し合っており、それでも埒が明かないという流れから各々手の平に拳を乗せポンポンと勢いをつけては異国のじゃんけん的な展開を目の当たりにした。

独特の掛け声と共に、片や手を蛇のように、片や熊手のような形を取る。

熊手の彼女がガッツポーズを決めればどうやら勝ったとみえ、敗者である蛇の彼女は「ウォーター」とのコメントを残した。

わからない、ウォーターがわからない。

それは会議室に満ち満ちた江戸文化が突如として異文化にひっくり返された瞬間であった。

さらに熊手の彼女が書き上げた「正」に際して中年男性が「僕も正です」とこれまた異文化なタイミングで自己紹介に及ぶ。

あの日、あの時、あの場所のみに生じた名もなき真理。

それは異文化とは国で別れるものではなく、異文化とは個々人に別れる宇宙のことであった。

 

「これをもちまして私の江戸文字講義を終わらせていただきますが、最後に何かご質問などございましたらお答え致します」

質問者、0名。

なんとも歯切れの悪いフィナーレにこちらが頭を抱えていたところで中年男性が気を使ってか「お好きな食べ物はなんですか」と体育館の天井に挟まったバレーボールのような質問を発した。

「茶豆でした」

その帰路、馴染みある師と並んで歩いてはいるが異文化という目に見えぬ壁を感じていた。

同じ人間という生き物ではあるが、この瞬間に何を思考しているのかまるでわからない。

ことによれば「強制送還では機内食は出るのか」という自問に思いを巡らせている可能性もゼロではなく「やはり強制送還なのでタラタラしてんじゃねーよが一袋だろう」という結論に至っていてもなんら不思議はない。

わからない、茶豆に対する私怨もわからない。

目の前をゆく自転車のおじさんがカゴにカゴを入れている。

わからない、もうおれにはわからない。

 

fin

あなたは私がイカのボディー

 

四月一日(月) 「五カ国に四店舗展開中!」という大胆な広告をみる。それはどこかの一店舗がワールドワイドに国境を跨いでいるのか、それともママチャリを担いだスポーツ刈りのターミネーターに追いかけられながら慌てて書いてしまったのか。

四月二日(火) 近頃は「ペリエとわだす(私)」という官能小説の執筆に勤しんでいる。だが書き出しを「人類最後の生き残りである鶴岡浩二が死んだ」としたばかりに話の見通しがまったくもって勃たないでいる。

四月三日(水) ビンゴカードのフリーをすぐに開ける人が苦手だ。

四月四日(木) 越冬の労をねぎらい、革ジャンにミンクオイルを塗りつける。凍てる季節に彼らとは様々な場所へ赴いた。まいばすけっと三軒茶屋店を中心にまいばすけっと駒沢四丁目店、気の向くままにまいばすけっと太子堂二丁目店、時に血迷いまいばすけっと世田谷淡島通り店。いつもありがとう、来年もよろしく。

四月五日(金) サッカーにはペナルティエリアというものがあり、それはキーパーによる手の使用が認められた場だという認識のほつれからこのようなことに思い至る。なぜキーパーは敵のペナルティエリアまで遠路遥々出張ってはハンドボール的にゴールへ投げ込まないのか。なぜに。

四月六日(土) 真島昌利の歌声を聴くとハッとすんよな。

四月七日(日) 十年後には笑い話になるという巷の言葉を信じて「使用済みおりものシートで殴られたことがある」と近々仲間内に明かしてみよう。

四月八日(月) 通りかかったスナックの看板に「本日ヨーコ&和也とジェントルマン★ゴリラーズが来店!」としてあり「尚、司会のスキップ健は検査入院の為お休みです」とのこと。もう全体的に誰だ!

四月九日(火) 飲み交わす若人が「自分、人に怒れないんす」と呟いた。これより魔都東京CITYに力強く生きて行かねばならぬ分際として情けないではないか。「お前眼鏡取れ!そしてそこのポスターにキレてみろ!ほれ!やれぃ!」と西田敏行がジョッキを掲げるポスターを指差して煽るに煽る。ほどなく彼は己の殻を打ち破るように「このメス豚が!」と怒号を発した。お前一旦眼鏡掛けろ!お前一旦オラ!

四月十日(水) 完全に畳み切ったはずの歯磨き粉チューブから今日もばつが悪そうにニュッと出る。

四月十一日(木) 寿司を重く感じたら鬱病と聞く。いつも明るく安定した方が箸で寿司をつまみ上げる度に「よっ」という。なんだか心配です。

四月十二日(金) 男は常にちんこの存在を感じながら生きている。唯一例に漏れるのはサイレンを鳴らしてジリジリと慎重をもって赤信号の交差点へ進入を試みる救急車の隊員のみである。

四月十三日(土) 前をゆく車に「午後の紅茶」とのステッカーが貼ってある。なんと無意味であろうか。すわ、無糖ってか!?

四月十四日(日) とある水族館のホームページにて赤ちゃんペンギンの名を募っていた。これは奇を衒うことなく「ぺんちゃん」ぐらいの方がこの殺伐とした時世にハマるのではないか。そう思い立って「ぺんちゃん」と記しては送信するも数秒後にエラーメールとして「ぺんちゃん」は突き返された。それから何度送信しても「ぺんちゃん」が列を成してメールボックスに舞い戻る。そのうち苛立ちも極まり、ついには身も蓋もなく「ペンギン」と記して送信したところ小さな地震が発生する。

四月十五日(月) 空き巣と鉢合わせになった方の昔話を拝聴する。帰宅したところまったく知らない作業着の中年男がおり、驚きと恐怖のために裏返る声で「どちら様ですか」と言うことで精一杯だったという。そして物色の手を止めた空き巣の男がややあってまさかの「クレープ屋です」と答えた。結局刃傷沙汰も盗まれた物もなく、それでもクレープ屋と言っていたこともあり一応台所の戸棚を開けて確認したところおたまも無事であった。さらには現在もそのおたまを使用しており「一度見に来る?」と誘われたが丁重にお断りをした次第。

四月十六日(火) iPhoneに八千枚に及ぶ厳選されたエロ画像の貯蔵がある。この度、Webデザイナーの助力を得て最先端の透過技術により八千枚を一枚に重ねた。とんでもなく卑猥でカオティックな画像の誕生と思いきや、その結果は真っ黒。性欲の果てを示す真っ黒。換言にして可視化された死。

四月十七日(水) 女子相撲の、行司が、身につけた、蝶ネクタイの、裏のひだに、時空の歪みが、生じて、ガンジーの、眼鏡のつる先が、出たり入ったりしてたまるか!!

四月十八日(木) コンビニの前で手巻き寿司を頬張る外国人を手巻きカメラで収める外国人をみた。

四月十九日(金) 中学の時分に好きな女を公園に呼び出しては告白に挑まんとす友人が自転車で向かった。仲間共々その合否を待つこと三十分、彼の姿を遠くにみた。それも両手放し運転の彼をみた。あれほど「どちらとも取れる!」と思ったことはない。

四月二十日(土) 人間に嫉妬という反射的な自己愛がなければ、巡り巡って、築地場外の大きなマグロの模型はなかったのかも知れない。

四月二十一日(日) 寝しなに思う。もしも自分が宇宙ステーションの船外作業を監督する立場にあれば、キャッキャとふざけ合う作業員たちになんと注意しよう。「お前ら浮かれてんじゃねぇ!」とだけは場所柄に極力避けたい。

四月二十二日(月) CoCo壱にてかくしゃくとしたおじいさんが「お持ち帰りを店内で」とワイヤレスワイヤーみたいな。

 

fin

うも

 

「今日日辺りは梅の盛りだ」と年上の方が仰った。

それに返す言葉を持ち合わせない無粋なこちらを不憫に察して「寒風にそよぐ紅梅に心揺さぶられることなく何に揺さぶられよう」として自ら引き取られた。

このように風流な方ではあるが、それも行き過ぎてか鼻くそが飛び出している。

するとこちらの視線を察して「これは鼻くそではない。瘡蓋だ」とすかさずの断りをお入れになった。

なんでも長らく左右の鼻腔内が荒れており、生じた瘡蓋を無理に剥がしたところガソリンスタンドで大出血という惨事に見舞われて以来一切触らずの自然治癒に任せていたが、それをよいことに近頃では際限なく迫り出してきたとのこと。

そして「人間は多少病んでいた方がよい。なぜなら患いの水底から見上げる眩い光に新たな叡智を賜ることが出来るから」と述べられた。

「ときにお前、観梅は好むか」

「んん、まぁ、どうでしょう、行ったこともなく好きも嫌いもないのですが、何というか魚肉ソーセージと同じ位置付けですね、えぇ」

そのような話の流れから近々某公園にて梅まつりが催されるとのことでその誘いを受ける。

 

当日は車を出していただき、しばらくは環七を北上、ハンドルを握る年上の方は厳めしいトムフォードのサングラスとバランスを取るようにして鼻くそ風の瘡蓋で抜け感を演出されていた。

「お前のブログみたいなものを読んだ」

「え、や、それはお目汚しで」

「お前、よもや己にユーモアの才覚があるとでも思ってないか」

「いえ、そんなことは滅相も」

「いや、それが文脈より不快に透けてみえる。ならばこれより梅の健気な姿に悔い改めよ」

「すみませんでした」

梅まつりの会場は国内外の老若男女で混み合っており「梅は玄人好み」という定説は雑踏に紛れて消えた。

どこからか雅に爪弾く琴の調べが漂う。

咲き誇る種々の梅からは妖艶な香りが強く醸され、それは鼻の穴が瘡蓋で詰まり狂っている年上の方にも十分に届いたようで古い小唄よりこのような引用をなされた。

「梅は匂いよ木立はいらぬ。人は心よ姿はいらぬ」

そう言い終えると予めのセットであったか、仕込んでいたカリカリ梅を慌てたように勧めて来られた。

 

梅木の元、そぞろ歩けば「野点・茶の湯」というブースにつきあたる。

和装の女性が茶を点てるとあってそれはそれは大の人気、待てない性分のこちらとしては避けたいところだが「これも一興」と仰られたからには長蛇の列に倣うまで。

「教えておく。茶道とは人を愛する過程の道名なり」

もう何というか、NASAの職員を強く惹きつける赤黒い隕石のような巨大な瘡蓋が鼻毛を巻き込んでお出かけモードに突入されていた。

それでも列は無情に進み、やがては野外に設営された茶席に招かれる順となる。

年上の方は配された茶をたなごころに二度ほど回して小川を流れる美しい所作で喫されたのだが、その顔面に際した若い女性給仕の表情が忘れられない。

脱水後の洗濯機からブラジャーを取り出しチューチューと追い脱水を敢行する義父を目撃したような表情が忘れられない。

 

次いでお隣は「作句コーナー」として短冊に筆ペンが用意され、書した作品を各々竹垣に立て掛けてはちょっとした発表会のような趣向となっていた。

「ほう、これまた一興。さすれば一句拵えようか」

先客の残した作品を眺めるにその多くが梅や春を主題としていたが、やはりはみ出し者はどこにでも存在するようで。

「ボブスレー 乗り遅れるな もうだめだ」

こんなにも諦めの早い句は初めてみた。

そして仲間内に急かされてか「すぐそこの ダイドー自販機 梅よろし」と自我が全く内在しない稀な句も発見する。

小さな兄弟が広場を駆けまわり、それを祖父母が写真に収めていた。

ならばこちらは目前の温かな場面に流れる春風に筆を委ねて詠う。

「花の兄 弟桜 春兄弟」

予習の成果より花の兄とはよろずの草花に先駆けて花開く意味合いから梅の異名を取っており、そこを花兄と縮めて書せば全て漢字表記に整うのだが、それでは花田虎上的なニュアンスが出てしまうという懸念があった。

それでもオオサンショウウオの好物のようなものを鼻先に垂らしたお方からは上々の評価を受ける。

ベビーカーに乗った小さな丸い子が梅を指差して「うも、うも」とそれは愛らしい。

ふと、年上の方にもこのような幼気な時期があったのだろう。

近頃では聴力の老いがみえ、おすすめを問われた居酒屋の店員が「燻りがっこのクリームチーズです」と答えたところ「助っ人外国人のバナナデイズ」と取り返しのつかない解釈をなさる始末。

それでも憎めないのはあちらの徳に由るものなのだろう。

おもむろに筆ペンと短冊を携え、神妙な面持ちで虚を見据えることしばらくあり「心中偽りなき言葉を起こすはただただ苦なり」と呟かれた。

「憚りながら、その苦を人は芸術と呼ぶのではないでしょうか」

かすかに震えた筆先が紙面に触れる、途端に解き放たれ、一息に綴り上げては圧巻を溢れる。

「鼻の中 瘡蓋だって 鼻くそだ」

それは限りなくボブスレーのテイストに近く、それでいて真実に近く、梅空は遠く。

 

fin

青髭樹海より仰ぐその富士額たるや

 

二月一日(木) 「何か手伝いますか?」ではなく「何か手伝えますか?」といってきた若人がいる。感心からご両親の人となりを伺ったところ「父は角刈りの女子中学生にカツアゲされたことがあります」という。

二月二日(金) どこかの企業面接にて「赤鉛筆を使い青を表現してください」という問題が出されたらしい。んなもん赤鉛筆を自分のケツにぶち込んで「アオッ!」しかないでしょうに。

二月三日(土) や、別に「カントリーマアムと三角木馬」でもいいと思うんです。思うんですけど諸々のセッティング等を考慮するとやはり「アメと鞭」がベストなのかなと、えぇ。

二月四日(日) ケバブ屋の中東オヤジが回転肉焼き機に「マワレ!!」とカチ切れていた。

二月五日(月) 降雪。思い出す二十歳の青い同棲。若気より鼻くそをせっせと壁へ貼り付けては「バカ」と形作り、ようやくの完成を迎えた矢先のこと。あれも雪の日であった。それを発見した彼女が「バカはあんたよ!」と泣いた。その涙が永い時を経て今しの雪と化したのでしょう。

二月六日(火) 人は神を信じる。ではなぜに大間沖で一本釣りされるビリヤード台を信じられない。

二月七日(水) 観光客丸出しであるクリント・イーストウッド風のナイスミドルが苦み走った表情をたたえ「長女」とプリントされたロンTを上半身にあてがってはこれを是としてレジに向かった。あぁ、止めておけば街の誉れと区長より表彰されたのではないか。

二月八日(木) 結婚相談所の男性職員と激しい口論となり「もう私があなたに教えられるのは豚小屋までの道順のみです!」とのアドバイスを受けた男がいる。

二月九日(金) 君の澄み切った心の中では隠れミッキーも丸見えさ。

二月十日(土) ウルフギャングの隣席では老年紳士がステーキを食しては激しく咳き込んだのち、水を携えた店員さんに「いやぁ三途の川の向こうに牛がいたね」との一言に辺りは大爆笑。人知れずワインで嫉妬を流し込む。

二月十一日(日) 以前「バーミヤン」を「バミャーン」との誰もが不幸になる筆致を披露した男が区役所に印鑑証明書を取りにゆき二時間が経つ。これはもう射殺されたのではないか。

二月十二日(月) たまにはシャインマスカットをデジタルパンティーと読み間違う夜があってもいいよネ。

二月十三日(火) 小学生の甥が「大人になったら警察官かムードメーカーになりたい」という。

二月十四日(水) 初のお見合いに挑んだ女友達が憤慨を持ち帰る。なんでも「ご趣味は?」という問いに対して「ペットボトルじぇす」との激しい寝言のような返答があったらしい。

二月十五日(木) アップルマークは一口だけ齧られている。酸っぱかったのでしょう。

二月十六日(金) 童貞を揶揄する言葉として「チェリーボーイ」というものがあるのですが、問題は童貞の有するチェリーが佐藤錦だった場合はどうすんだって話なのです。おい!そこのお前!真面目に話してんだ!メガネストローは一旦はずせ!

二月十七日(土) 駒沢公園のベンチにて小松菜の煮浸しに最も関係のないものはなんであろうと思案に耽る。やはりダンスバトルだろう。しかし、ややあってそれは揺らぐ。なぜなら最遠という意味合いにおいて関係性が生じてしまった。誰かフランスパンの先っぽで眉間をグリグリしてくんないか。

二月十八日(日) さきほど大人になって二度目のジャンピング乾拭きをしました。

二月十九日(月) 不意に「この曲いいな」と思えたのならそれに相応しい背景をすでにあなたは持っていたということなのです。そうなの!

二月二十日(火) 三軒茶屋の焼き鳥屋に到着するやいなや「大将!どれも美味しいね!参りました!んん、じゃあ白旗の白ワイン頂戴!」と厚顔にも言い放つおじさんに遭遇。受けてこちらは赤面の赤ワインでも頂戴しましょうかね!

二月二十二日(水) かかとがむき出しになる靴下こそルーズソックスでしょうが!ったく。

二月二十三日(木) 若き消防士を追った古いドキュメンタリーをYouTubeで。そこには上官より厳しい叱咤を受けながらも辛い訓練に耐え忍んで懸命に努力を重ねる若い姿があった。なぜ彼は挫けない。その答えは終盤のインタビューにて「自分は消防士ですから」との熱い一言に明かされる。そして画面はスタジオに切り替わり、進行役のおじさんが「みなさんご覧頂けましたか!まだまだ世の中捨てたものではございません!頑張れ!燃えろ消防士!」といって番組は幕を下ろした。ちょちょちょ消防士に「燃えろ」だけはつけないでくれます?

二月二十四日(金) 髭を生やす男としての心内を円グラフに示せば、その七十%が「剃るのが面倒臭い」となり、四十%が「髭があった方がかっこいいかも」という思いで占めている。そしてはみ出た十%を毎日カッティングしているということであります。

二月二十五日(土) ぶっちゃけ一週間そこらのアメリカ旅行なら「アイアムチョーノ」だけで乗り切る自信がありますね。

二月二十六日(日) 「私ね、雨が好きなの」じゃねぇ!

二月二十七日(月) 二百年後の不良たちはコンビニの前ではなく、アーノルド過炭酸Jプレイスの前に溜まるという予知夢を見ました。取り急ぎご報告まで。

二月二十八日(火) 片仮名の「ヨ」とアルファベットの「E」に筆先が迷ったのなら、強引ではあるがどちらとも取れる「王」を書きなさい。そしてそれを卑屈に感ずることなく王のごとくに鷹揚と振る舞うのです。

二月二十九日(水) 野郎どもに告ぐ。カロリーメイトのチーズ味のような漢にだきゃなんなよ。約束だ。

 

fin

寿正の鳥瞰図

 

新年明けましておめでとうございます。

常として「宝くじの当たる確率?んなもん当たりか外れかの二分の一じゃオラ!」などと息巻く性分であるこちらも大晦日から元日に切り替わる瞬間は自重に赴くところでやはり特別なものであります。

昨年末は友人宅に招かれてはご馳走となりタバコ所用にTシャツ姿でベランダに出たところ、はしゃぐ犬にロックを掛けられ、寒中は下顎をカカと震わせながらどこぞより打ち出す鐘の音に甲辰を迎えた次第であります。

世相諸々にございますが平身低頭より今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 

さて、元日は昼から湯船に浸かりシンディー・ローパーはトゥルー・カラーズに身を委ねて昨夜の一連を思い起こす。

犬に締め出されたことについては人間の沽券に関わる事案でありそれは相当のショックを心身に受けた。

だがしかし、それもおさまったのちに友人宅のタブレットから不粋にも検索履歴を盗み見してしまった結果は犬のくだり同等のショックを受けることとなる。

年明け早々に「江戸時代 口臭い」と検索する者があった。

タブレットからの発煙および爆発を免れたのは偏に甲辰を司る普賢菩薩様のご加護であろう。

それからその者、ハッと我に返ること次いだ検索は「初詣 明治神宮」としてわかり易く襟を正した模様。

そのような人の機微に触れ、そのような人の可笑しみに触れ、ことによると死後までもが対人間の世界なのではないかという了見に触れては一年の計は元旦にあり、今年は人間という生き物をつぶさに観察、または考察することで更なる己を知りたいと願う。

 

三が日、中日。

昨年末お世話になった家主より勧められたこの時節に相応する永平寺禅行を追ったドキュメントをYouTubeにて鑑賞。

俗世から離れた修行僧である雲水たちが一々の所作に自ら厳正を乞うことで煩悩からの解脱を懸命に試みる。

時折に挿入される四季折々の移ろいを纏った境内の映像とその元にて苦行に励む者たちの美しい対比は番組制作サイドの予期せぬ賜物であって欲しいというこちらのささやかな願いもこうして文字に起こすことで煩悩として形作られるのだろう。

鑑賞後の心持ちは清々しく健やかなものであったのだが、今年の抱負を人間という生き物をつぶさに観察すると掲げた以上はどうにも引っかかる箇所がある。

修行僧である雲水たちに眼鏡を掛けている者が散見される。

そもそも眼鏡とは「私、すんごい見たいんです。すんごい」という極まる煩悩を寄せて固めたような生活道具であることは自明の理。

だがどうだ、禅行を建前にそれについて疑念や恥じ入る様子など誰一人持たずにして、なんなら「煩悩からの解脱を願うこと自体が煩悩だ!」などと力強く説く大和尚が一番はりきって金縁の煩悩ダブルレンズを両目周辺に設置する始末。

入り組んだ聖なる矛盾と下卑た整合のその先に触れる。

なんのことはない、それは人間の愛らしさであった。

 

三が日、末日。

ひょいとポストを覗いたところ、毎年義理堅く年賀状を寄こす者より届いていた。

するとこちらもこちらで毎年義理堅くその返事は出さないことで双方の年始における通例となっている。

そんな彼は小心であるが時として大胆という人種に当たる。

そのような者の車選びとは中古車サイトを徹底的に巡り、弱腰ながら八方へ値切るに値切っては厳選に厳選を重ねた末にびっくりするようなものを選び出す。

昨年彼は十人乗りである中古のロケバスを購入した。

「なにか災害があった時に」と彼はいうが、こちらが思うに本人、妻、妻の母親という家族構成にも関わらず十人乗りである中古のロケバスを買ってしまったこと自体が災害なのではないか。

それも自宅から大型車専用駐車場まで自転車で三十分かかり、帰りは坂道の関係で四十分かかるという。

またCDプレーヤーが搭載されてはいるが聞くも涙、語るも涙、取り出しボタンが壊れており前の所有者が入れた英会話の教材CDを生涯聴くしかないという。

それは永平寺の修行僧もひれ伏す荒行ぶりではあるが、当の本人は意に介することなく時間を見つけて駐車場まで赴いては愛でるように洗車に勤しんだ。

そんなある日、妻の母を病院に連れてゆくことがあり、広大な車中にぽつねんと座る妻の母に「あ、お義母さん、どうぞ広く使って下さい、広く」と気遣った。

受けて彼女、義理息子の勧めをむげにはできず、熟考の末は通路を挟んだ向こうの席にのど飴をそっと置くという控え目な暴挙に出たと聞く。

さらに病院の駐車場で義母を待っていると施設の送迎車と思い込んだ超知らないおばあさんが二名、意気揚々と乗り込んできたという情報もある。

このように数多の悲しいエピソードをふりまく彼の愛車は現在どのような状況にあるのだろう。

こちらにしてはめずらしい新年の挨拶返しを兼ねた電話を入れたところこのような返答があった。

「あれはもう手放して今はキャンプに向かないキャンピングカーに乗っているよ」

その語調、早春のごときに朗らかでありもはや忌まわしい己の車運を愛していた。

なんでも展開式ベッドの角が常にホーンスイッチに触れており、やや強い寝返りには「ファン!」と反応するらしい。

さらに彼は「砂利道を走るとシャワーが」などとまだまだ嬉々と言いたげであったが、悲しみの耐性に劣るこちらの身が持たず、話の腰を折っては挨拶もそこそこに電話を切った。

彼は間違いなく幸せな男だと思う。

そしていつの日か彼が息を引き取った際には間違いなくオープンカーの霊柩車が配車されると思う。

 

fin

寒は寸暇に火をつけて

 

師走の候。

僧も走ればこちらも独り東北自動車道をひた走る。

カーナビはつけず携帯は家に置いており現在地などわからない、いや、知りたくもない。

ただレンタカー屋に予約を入れていたはずのソウル・レッド・クリスタル・メタリックのマツダ・ロードスターがどのような手違いを経て本腰の商用車プロボックスになってしまったのかは大いに知りたい。

こちらの予想では発情期のチンパンジーが障子に穴を開けながら電話を受けていたのではないか。

旅の滑り出しからややハードな災難に見舞われたが、道中の予期せぬ事故をそこに消化したようで心持ちは至って軽やかにして穏やかであった。

 

不慣れなハンドル捌きもやがて板につくと内装にも目がゆく。

なるほど、働く車プロボックスの名に恥じぬ装備として運転席だけでドリンクホルダーが四つ、助手席をも加算した場合には驚きの計七つとなり、そのうちドリンクホルダーに車が付いている状態になるのではないか。

一期一会の長閑な風景が後方へ流れ去る。

急き立てるエンジン音とタイヤの摩擦音の向こう、ライ・クーダーのスライドギターが微かに聞こえた。

「お前は自身に倦んでいる。今こそあてどもない独り旅に出るべきだ。そこに出会う苦難ですらお前を抱擁するだろう」

これは庭先のテーブルに自ら置いたサングラスを強そうなモグラと見間違えて「キャア」と自爆された愛すべき年上の方のお言葉であり、それはそのまま今回の一泊独り旅を決意するものとなった。

強い日差しに目を細めればこのような思考が内にこもる。

「あてどもない旅はあてどもないことでその大義をすでに果たしており、こちらが受ける羨望を糖衣とした苦い疎外感はそれこそあてどもなく荒野を彷徨うし」

ほどなく料金所を冬晴れの下に望む。

 

こちら生来の漢につきETCカードなど軟派なものは当然持ち合わせておらず現金での支払いとなる。

愛想のよい係員のおじさんとのやり取りは数秒であったが、その衝撃たるや書する今を以てして鮮度を落とすことはない。

おじさんは間違いなく「はい、クンニちは。〇〇円です」といった。

バックミラーに捉えた料金所は徐々に遠ざかるも、おじさんの存在感はたちまち増しては生霊として助手席に座した。

きゃつは通る者すべてに「クンニちは」という空耳に寄りかかった社会通念を逸脱するご挨拶をカマすことでいつバレるやも知れないスリルに身を任せて愉しんでいやがる。

だがしかし、それは彼にとって人生というあてどもない旅に欠かせない一雫の潤いだとすればけしからん行為だと一概に断罪することなど誰にできよう。

「おじさん、俺にはまんまとバレてしまったが、これからどうするね」

「いつかはそんな日が来ると思っていたよ。いや、そんな日を待ち望んでいたのかも知れない」

そして係員のおじさんは「ありがとう」と霧に化してはエアコンの吹き出し口に吸い込まれていった。

 

焼き芋の販売車が二台、赤い提灯を激しくなびかせながら猛スピードでこちらを抜き去ってゆく。

それはイモ臭い熱々のカップルが季節はずれの波打ち際を追いかけっこしているようであった。

遅い午後の日差しを受け、あてどもなく高速を降りては導かれるまま道なりに走り続ける。

寒々と連ねる峰々を借景としたさびしげな田園風景が途切れることなく流れてゆく。

トタン板で設された古いバス停には農作業姿のおばあさんがちんまり座してはみかんを食しており、なんとも愛らしく絵になる佇まいにアクセルも緩む。

さすがに凝視は礼に失する行為であり流し目を用いて徐行したところ、あろうことかおばあさんはみかんを食しながらポンジュースを飲んでいた。

わからない、わからないがプロ野球選手が試合中のベンチでファミスタをやる感じなのだろうか。

 

彼方に日が落ちれば大禍時、ネット環境を持たぬ身から早々と宿探しに着手する。

あてどもない旅だがこちらも人の子、欲を言えばちょいと腰回りに脂身のついた色白の若女将(未亡人)が女手一つで切り盛りする古風な宿がいい。勧めたビールの一口二口で胸元まで真っ赤に染まる下戸ぶりが艶っぽく、徐々に敬語が崩れてゆくその様にこちらの理性も崩れるというもの。激しい情を交わし終え、互いの息も整わぬうちに汗ばむ肌を合わせてきては「遠縁に屋鋪要がいるの」とこちらの耳元に内密をささやく。

だがそのような妄想が現実に起こることはなく、実際に辿り着いた宿とは小さな平屋が五つ六つ点在する素泊まり施設のようなところであった。

なにが悲しくてスーパーポリスと刺繍されたキャップを被る受付のおじいさんがいうには「露天風呂はないけど部屋風呂のお湯は全部温泉のお湯だから」とのこと。

通された平屋は手狭な和室、短い廊下のつきあたりにはユニットバスというあてどもない旅にはマッチした質素な造りであり、玄関に飾られた絵画が唯一の装飾として自画像と銘打つそれは豊かな髭を蓄えた重厚な男性が椅子に腰をかけてはこちらをガン見しているというもの。

下駄箱の不具合を調べているスーパーポリスに「この方はオーナーですか」と尋ねたところ「いや、まったくわからない」という。

誰なのかまったくわからない自画像をしばらく眺める。

無意味という意味がこのあてどもない旅の答えに収まろうとしていた。

小さな湯船に湯を溜める。

大金持ちがコンタクトケースと見間違うであろう小さな小さな湯船に湯を溜めた。

 

fin

異母姉妹都市

 

十一月一日(水) 「わからないことはいつでも気軽に聞いてくれ」とおっしゃる右党の方が麦焼酎アクエリアス割りでスポーティーに悪酔いを起こして吐きまくった。その背中へ「なぜ若者は髪を染めるのでしょうか」と投げ掛けたところ「オウェェ!それは、それはだねゴフォ!やはり、やはりだねヴォェエエ!新たな自分とオロロ!新たな自分と出会いたいからじゃないかオロロロロ!!」とのご返答を頂きました。ありがとうございます。

十一月二日(木) 職を失い妻にせつかれコンビニのアルバイトに応募した男がいる。極度のあがり症から前職を問われた際に「トラックに野菜を積んで納品してみました」というお茶目な思いつきのような感じになってしまうが結局は採用を得たと聞く。おそらく向こうも「採用してみました」のような感じなのだろう。

十一月三日(金) 恩を仇でもなくベルマークで返してこないの。ね、約束。

十一月四日(土) プロのトレーナーがパイ筋とか言わないの。ね、約束。

十一月五日(日) トム・ヨークのツェルマット・アンプラグドをYouTubeにて鑑賞。素晴らしい。さらにその後にはシャンプーの詰め替え作業という素晴らしい日常が控えている。

十一月六日(月) 所用のついでに青山は骨董品店。さっそく目についたのはアフリカン・アンティークなるロングベンチ。それは極めて素朴な造作であるが腰掛けては感ずるところ乾いたアフリカの大地に陽が昇るよう。しかしその眩しい光は書籍その他で以前より魅かれていた黒絵式ギリシア壺が発するものであった。さて肝要である神話に基づいた影絵こそどのような具合で焼きつけられているのだろう。それが滑稽であればあるほど神々を介した人間の営みが如実と浮き彫りになり芸術の核に近づく。いざ刮目に至ればミューズ的な女性が何かを拾う所作があり、その真横では腰巻きを身につけた下僕の男がチャリンコの空気入れをスコスコするような体勢があった。これミューズ姐さんタイヤのゴムキャップ拾ってんな!

十一月七日(火) 人はよいのだが何を言っても張り合ってくる男がいる。こちらが「この前お金の本質は時間の短縮だと聞いて雷に撃たれた心持ちがしたよ」と口にしたところ「僕の手作り石鹸仲間なんて本物の雷に撃たれたことがありますよ」という。手作り石鹸あたりに人のよさが香っているのだがやっぱり張り合ってくるんだよなぁ。

十一月八日(水) 他者の労働に対して慈しみを覚えたのならその者の義務教育はそこで完結する。ちょっと真面目なことを言ったのでバランス取りますね。ビラビラ!もうビラッビラ!

十一月九日(木) 少し愛に欠ける物事として「現地解散」がまずその筆頭に挙げられるわけですが。

十一月十日(金) 思い返す今年の正月明けにオーストラリア人のA君その他数名とカラオケに興じた。彼は『わたしがオバさんになっても』の歌詞をきっかけに日本語を学んだといい当然そのレパートリーに組み込まれていた。しかし完璧な発音で進行するも「オープンカーの屋根はずしてかっこ良く走ってよ」の部分で彼は「オープンカーの屋根はずれて」と気持ちよく歌い上げてしまう。ここですぐさま訂正するが真の交友というものではないか。人のいないタイミングを見計らい「あのA君、オープンカーの屋根がはずれたらもうちょっとした事故なの」と事細かに説明したところ彼は真摯な理解をこちらに示した。そのようなことを思い出しながら彼より届いたメールを開いたところ、何やら同郷の者たちと浅草で観光を楽しんだようで「浅草の飲み屋さんでハメはずれて」としてある。あぁA君、そこなの、そこなのよ。

十一月十一日(土) 一ヶ月前にホームレスのおじいさんに超ハードグミ・コーラアップを一袋進呈した。先ほどばったり出くわしたのだが二本あった貴重な前歯が一本しかない。私、新たな十字架を背負って生きてゆきます。

十一月十二日(日) 声を震わせながら「東京23区すべて行ったことがあります」と嘘か本当かまったくわからないことをいう者がいる。

十一月十三日(月) 全国の観光地に設置された顔はめパネルを司る神が浴槽に降臨された。そしてこちらに「トム・ウェイツは日本でいうさだまさし?」とお尋ねになられた。去ねオラ。

十一月十四日(火) 発狂の恐ろしさとはその間にも傍目を感じることなのです。

十一月十五日(水) 出張のついでと急に泊まりに来た義父がYESNO枕の「YES」で寝始めたような灰色の空を仰ぐ。

十一月十六日(木) ちゃんとちゃべれ!

 

fin

聖ヨハネ顔面セーフ修道院

 

十月一日(日) 上冬に際して本年における非常識大賞候補をここに挙げておきたい。やはり最有力は葬儀にてカラオケ好きであった故人を偲んだとはいえ友人代表の弔辞に「爆風スランプ」という前代未聞のパワーワードを涙ながらに練り込んだS氏。次点として東京駅より名古屋に帰郷する友人にういろうを土産に持たせたA氏。本年も残すところ二ヶ月、ダークホースの疾駆を期すれば金木犀が香る。

十月二日(月) この地には古よりスガシカオに爆似のおばあさんを見かけるとミシンのボビンケース運が上昇するとの言い伝えがございます。

十月三日(火) 今日日に珍しくは懐かしい小道を独占して大縄跳びに興じる子供達をみた。そこへAmazonの小箱を抱えた配達員の兄さんが大縄をひょいと飛び抜けては任務を続行する。やだ、かっこよ。

十月四日(水) 人がみた昨夜の夢など懇々と語られたとてその荒唐無稽ぶりに苦痛を覚えるばかり。とはいえ年下の者が嬉々と語るのならば時折の相槌も入れつつに聞くが大人というものであろう。そんな彼がみた夢はスラムダンクパン屋バージョン。「店長のゴリがオーブンへ生地をダンクしたんです」という滑り出しにさっそくこちらの顔面は引き攣るが「レジは彦一のお姉さんでした」という絶妙なリアリティーに救われる。

十月五日(木) 断捨離が高じて危うく自らも断じるところであったと「あっぶねあぶね」とは齢三十八に生きる女。

十月六日(金) それは半シャーベット状の地球外生命体に現地集合の意味を教えるぐらいに難しい。

十月七日(土) 粉チーズの包装を開けたところベリベリとそのすべてを引き裂いてしまう。すると透明の筒型容器に入った粉チーズが丸見え状態に晒された。「あぁ!もう全部見えてるよ!?もう一目で残量が丸わかりだよ!?いいの!?親御さんは知ってるの!?あぁすんごい!いぐ!」と思わず口にしてしまう。今後同じ場面に出くわしたのなら昔見たAV男優の「こんな短いパンツ履いて、違う、短いスカート履いて」というセリフも入れ込んでゆく予定です、はい。

十月八日(日) そら生きてりゃコピー機に詰まったクシャクシャの紙みたいな夜もあんべ。

十月九日(月) この先の未来に待ち受ける悲惨な事件や事故に対して我々は今なにができよう。やはり低脂肪高タンパクの食事を心がけるということなのだろう。あとりんご酢も。

十月十日(火) 酒の席で平成中期に生まれたスーパーヤングな女と口論になり「どうせお前みたいな者はハンセンが天龍のことをテンルーと呼んでたの知らねぇだろ!?」と息巻いたところ「キモみ深し」という捉えようによっては「秋、深し」のような風流な返答が。

十月十一日(水) 「俺はもう今後の人生でパンティーという言葉以外は使わない。よってこれより食すものも自ずとパンとお茶のみになるだろう」と若人に告げたところ「別に無言でメニューを指差したり無言でいくらでも宅配できるでしょうよ」との小生意気な指摘があり「パ、パンティー!」と叱りつけてやりました。

十月十二日(木) 戦争よりもまず先に靴擦れをこの世界から撲滅したい。

十月十三日(金) 彼女と大げんかをしてアパートを飛び出した友人。「ちょっと待ってよ!」と懸命に追いかけて来た彼女の足元はロングブーツに健康サンダル。彼はその常軌を逸した慌て方に深い愛を感じたという。

十月十四日(土) パトカーに向かって手を振る園児たちに警官も笑顔で応える。そんな温かな場面に際してこちらは万感を込めた敬礼を送る。パトカーは停まり「持ち物だけいいですか」と秋晴れの下。

十月十五日(日) 近頃では就寝時にマウスピースをはめて耳栓を装着したのちアイマスクをする。この勢いでゆくとそのうち腹巻やレッグウォーマーが加わり、最終的にはヘルメットを被りマイクを持って寝るようになるのではないかと軽く恐れている。

十月十六日(月) 銀行強盗に刃物を持ち込むより多少手間はかかれどターゲットとした女性行員の中学卒業アルバムをチラつかせた方が万事滞りなくゆくのではないか。

十月十七日(火) ある筋よりゴッホ展の招待券をいただきいざ新宿へ。電車、車、タクシーといった交通手段はあれど、ここはひとつゴッホの精神世界を慮りて歩いてゆこうと思い立った。環七を高円寺方面によちよち延々と歩き、大原より甲州街道、笹塚に差し掛かったところで疲れ切ってタクシーで帰宅。我ながらゴッホに引けを取らない狂気ぶりではないか。

 

fin

凍てるバナナの野望

 

九月一日(金) 昔々は学生時分のこと。バラエティー番組を眺めていると親父が「よく見ておけ。これがお前の存在を知らない人間の顔だ」といった。当時は若さゆえに意味がわからなかった。今もわからない。

九月二日(土) 長いことiMacの画面脇に備忘付箋が一枚貼り付けてあり、もはや風景に馴染んだところであらためて確認したところ「ウィリー納車」としてある。過去の俺よ、よくわからないがそれはお客様に対して大変に失礼な行為だと思う。

九月三日(日) 若い女人に「そろそろラグビーのW杯が始まるね」と振ったところ「ご想像にお任せします」とのこと。

九月四日(月) 歯科クリニックの待合室にて。高齢の女性が保険証を忘れたようで「アクティブシニアクラブ」なる会員証を用いて気合いで乗り切ろうとしている姿はまさにアクティブで。

九月五日(火) 千円カットで激落ちくんのような角刈りにされた男の報告によると飼っているうさぎがショック死しないよう帰路にキャップを購入しては目深に被って帰宅したという。

九月六日(水) なぜ我々人類は子孫を残そうとするのか。そんな本能ですら解明されていないうちから「自転車に乗るときはヘルメットを被りましょう」なんて言われても、ねぇ。

九月七日(木) 永劫にして常に「今」なのだから常に「タンクトップ」もそこに内包されて然るべきなのです。

九月八日(金) 「空車」と表示して猛スピードで滑走するタクシーはもう性癖なのだろう。

九月九日(土) 友人の幼い息子がポケモンカードの収集に飽き足らず、自ら試行錯誤を重ねてオリジナルモンスターを描いては「サンバイザー」と名付けた。すかさず父である友人が「うちの息子は被り物のサンバイザーを知らずにサンバイザーと名付けたのだからどちらも優劣なく本物のサンバイザーだと思う」という。どうやら息子さんは未来のモンスターペアレントをも産み出してしまったらしい。

九月十日(日) 血が覚えてんよ。

九月十一日(月)「格安スマホにしたいけどお店までいくのが面倒〜!」とカーラジオよりCMが流れる。そんな利己的で無精なやつに電話をかける相手もいなけりゃかけてくる者など皆無じゃコラァ!

九月十二日(火) 角張った雄々しい存在感。外敵を締め出すは任侠の本懐。だが武張る一見に反して気さくであり良い意味で軽い。おれはそんな風通しのよい漢になりたい。網戸じゃん。

九月十三日(水) 歯科クリニックにて。大方の治療を終えて院長先生より手鏡を手渡される。「見てください。下の歯の白い箇所。これは脱灰といって虫歯の始まりです」とショッキングな報を受ける。しかし、それよりもショッキングだったのは右の鼻穴から大胆に飛び出た鼻毛が己の湾曲を利して左の鼻穴に入り込もうとしていた。ねぇ、なんてことすんのよ。

九月十四日(木) 出前館の配達員であるおじさんがその去り際に「それではごゆっくりお楽しみください!」と言い残した。クレームは電話とメール、どちらがより有効なのだろう。

九月十五日(金) なんでしょうか、これは極めて個人的な話なのですが。自転車に乗るときのサドルと尻が密着する瞬間が物凄く恥ずかしい。後ろを通行する者に「あ、今サドルと尻が密着した!」と思われているのではないかという懸念に長年苛まれている。これを男気溢れる年上の方に告げたところ「お前がそういう目で他人を見ているからだ!」との即答があった。それから話はこちらの生活態度にまで波及し、口答えも挟めぬ説教じみたものとなる。そこへさらに「自転車から降りるときの尻も恥ずかしい」とはとてもじゃないが言えなかった。

九月十六日(土) 東急バスに乗車。しばらくすると後方より男の大きな声がする。「ファミリーマート!」「クリーニング!お急ぎOK!」「山田歯科!」などと目についた看板をみだりに大発表していた。そしてついに看板に飽き足らず「交番の前に犬とブス!」とご乱心。バス怖ぇ。

九月十七日(日) おみやげ屋をもみあげ屋と聞き間違えたやつがどうしても嫌いになれない。

九月十八日(月) 愛すべき平坦な毎日を脅かすものとして「幸せ」もそのひとつであることは言に及ばず。

九月十九日(火) おでん屋にて麦のソーダ割り。心なしか大将が陰をまといつつ油揚げに餅を入れる姿をみた。目眩がするほど広大な宇宙の片隅で油揚げに餅を入れなければならない己の因果と真摯に向き合っているのだろう。そんな誠実で微細な感覚がお出汁によく出ている。大将、同じのお代わり。

 

fin

眠り鱶に夏は透く

 

海に来ている。

海からすると原付の試験に落ちた経験を持つ男が来た。

熱い砂をつかむ。

熱い砂からすると横チンとハミチンの違いについて日々沈思する男につかまれた。

炎天の夏空を仰ぐ。

炎天の夏空からすると一ヶ月待ちの男性用ブラジャーを四年近く待ち続ける男に仰がれた。

そう、私は海に来ている。

 

炒るような砂浜ではビーチフラッグにビーチバレー、夏日に目を細めるその向こうではビーチヨガなるものが興じられる。

これ以上にないTHE夏的光景が展開されてはいるがお隣ではビーチ夫婦喧嘩が勃発しており、聞き耳を立てると奥さんがとにかくご立腹のようで。

「だからそれ履かないでって何回も言ったよね!?恥ずかしい!」

甲高い怒号の元へ視線を移せば縫製の際には溶接工よろしく遮光マスクを必須とする超蛍光イエロービキニパンツを履いた旦那さんが「ママはビール?ママはビールかな?」と小さな娘に伺いを立てるも露骨にあしらわれて険悪なムードは色濃くなるばかり。

そして尻に大きくプリントされた「Hello!」が食い込むことで「Hell」となり、それはそのまま旦那さんの心境を余すことなく表していた。

 

波音一つの間に世界では六人が奥歯を通したデンタルフロスの匂いを嗅ぎ、八人がトランシーバーのガチャガチャでミサンガが当たっているという。

ひときわカラフルなビーチパラソルの元では麩菓子を主食とする痩せこけたおじさんが家族のために干からびたワニ・フロートへむせ返りながら己のすべてを注入している。

その様からある男が過去に挑んだ自慰方法を思い出した。

美人と誉れ高い女友達に風船を膨らませてもらい、それを持ち帰っては風船の空気を耳とチンポコに吹きかけながらシコるというオリンピック強化選手のような猛る気概に満ちるものであったと聞く。

日に照る旅客機が夏雲に入り込む。

もう二度とその姿を目にすることはないとセンチメンタル・サマー。

かと思いきや雲を突き抜けた機体が再度のお目見えとなり、それは感動的な送別会の翌日に遊びに来ちゃったバイトの先輩を想起させた。

 

ビーチクリーンに勤しむ男女の集団が向こうよりジリジリと迫り来る。

巷に彼ら彼女らは「環境の向上、地域の治安保全、海へのゴミ流入阻止」との大義を掲げてはいるが、実際の現場ではどのような志に衝き動かされているのだろう。

トングを手にする若い女性にその旨を尋ねたところ「やっぱり綺麗な方が気持ちいいじゃないですか」という。

一陣の潮風が私と彼女の姿を型抜いては後方で合流を果たし、実直で清々しい彼女の言葉はエンドレス・サマーの嫉妬を買って陽射しも一層に盛る。

するとビーチクリーンに勤しむ方々が眩く輝きはじめ、この砂浜で一番のゴミは自分なのではないかという思いに駆られた。

「あの、すいません。一度そのトングでつまんでくれませんか。首の後ろあたりをクッと」

彼女は平成生まれとみえて柔軟にして従順と来れば戸惑う表情もそこそこにこちらの背後に回り込むと首の裏に位置なす風池のツボをまさに「クッ」とトングでつまみ上げた。

リクエスト通りの屈辱から抽出された快楽は束の間のこと、なにより想定外であったのは「庭先で捕獲されたモグラ感」という未知の辱めであった。

新たな扉をトングでこじ開けてくれた彼女には丁重な礼を申し上げる。

それにしても遅い、遅すぎる。

連れの者が「ビールを買いに行く」と告げて一時間が経つ。

これはもう「今、麦畑を耕している」以外の言い訳は通さない。

 

fin