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底辺×高さ÷波打ち際のチンピラ

 

七月一日(土) お相撲さんが眼鏡を掛けた時に生成される幕下感をどうにかして世界平和に繋げることはできないものか。

七月二日(日) どなたか「自分シャトルバス運がないんですよね」との発言に対する適した返しを教えてください。

七月三日(月) 一人暮らしの女が「最近は物騒だから一応青竹踏みを枕元に置いて寝ている」という。暴漢の足裏から反省と健康を促す気なのか。

七月四日(火) 男女問わずして色気というものは整っただらしなさのことなのです。

七月五日(木) お前な、それサンタクロースが「ツチノコはいません!」と言っているようなもんだぞ!

七月六日(金) 出前で取った醤油ラーメンが甘酸っぱい。我を第一に疑うのがこちらの数少ない取り柄であるが、確認に次ぐ確認の末はやはり甘酸っぱい。店に問い合わせたところ向こうは外国人の店員であろうか「甘酸っぱい」が今ひとつ通じない。最終手段として多少ややこしくなろうとも「初恋」の出番なのかも知れないと。

七月七日(土) ブレーキランプ八回点滅、ハンドルヌルヌルのサイン。

七月八日(日) 喫茶店にて「知りたくないもの」との話題に盛り上がる隣の男たち。「ん〜彼女の男遍歴は知りたくないなぁ」「俺は人間ドックの結果だな」「いやいやそこは同期の給料でしょ」などとぬるいことを延々に言い合っている。母親の性感帯だろうが!

七月九日(月) あぁ、それは良い意味でゴミですね。

七月十日(火) ピーコックにて薄皮つぶあんぱん一つの会計が神話的に遅いおじいさんに遭遇する。これはもうレジ打ちのおばちゃんに売りつけようとしているのではないか。

七月十一日(水) 付き合いの長い男が劣悪な育ちによりカタカナに不自由していると打ち明けてくれた。彼はラーメンをラァメンと綴る。お前それベテランのラーメン通じゃねぇか!

七月十二日(木) 会社員の傍ら独自に遺伝子学を修める方との昼食。「人間は遺伝子の乗り物だという巷の見解には概ねこちらも賛同しています。あ!ほら!ごらんなさい」と指差す先に炎天下のさなか自転車のチェーンを汗だくで直す男がいる。「遺伝子の乗り物が自らの乗り物を直していますよ。これは愉快、滑稽だ!」と大声でいう。なんとアカデミックな喧嘩の売り方だ。

七月十三日(金) 真夜中は丑三つ時、公安の職員がドアを強弱強弱弱とノックを打つ。向かい入れたこちらに「実は落合博満と奥田民生の中身はまったく同じなんです」と耳打ちしたとて特段の驚きはない。

七月十四日(土) 毎日スイカ食ってんなぁ。こらスイカが毎日を食ってんなぁ。

七月十五日(日) 「ロックがもう死んだんなら そりゃロックの勝手だろ」という気持ちで扉を開けてお年寄りを先に通す。

七月十六日(月) とある元高校球児が思い起こすには最後の県大会の準決勝で破れた際、監督が「生まれ変わったらお前たち九人が俺の監督になって欲しい」と言ったらしい。絵に描いたような熱中症じゃないスか。

七月十七日(火) 無限とは有限の中にだけ存在するし。

七月十八日(水) 246を見下ろすオーセンティック・バー。ビル・エバンスのピアノが黄泉より浮世を愁える。歩道に止めた年上の方の自転車を区の職員がトラックに積み込む。こちらが「いいのですか」という視線を送る。年上の方が小さく二回頷く。

七月十九日(木) はい!今!今!秋が忍び込みましたよ!

 

fin

基本的にはアイラブユー

 

六月一日(木) コンビニでペペロンチーノを温めてもらったところレジ周辺を漂う小恥ずかしいニンニク臭に土方の兄ちゃんが仲間内におどけて「イタリア〜ン」との反応を示した。黙れチュウソ〜ツが!

六月二日(金) ドデカミングという英語はないってさ。

六月三日(土) 高熱で寝込む夫より「叩いて、夢紡いで、ジャンケンポン!」とのうわごとがついにリリースされた為に止むを得ず救急車を呼んだとその奥さん。賢明な判断だと思います。

六月四日(日) 煩悩の果てに思い馳せる崇高な行為ですら煩悩なのだからスタンプラリーなど超煩悩です。怒っています。

六月五日(月) 紐グミを買い物カゴに入れて「はい、これはいらないね」と愛されたい気分だぜ。

六月六日(火) 夏を迎え撃つ度入りサングラスを誂えに渋谷の眼鏡屋へ。慎重且つ遊び心も忘れぬ品定めを経て滞りなく会計を終えると店員より加工に一時間ほどかかると告げられる。手渡された引換票には「亀!!田様」との印字がしてある。「魁!!男塾」じゃねぇんだ!忘れもしない二年前は「豆田様」だったじゃねぇか!どうなってんだオラ!

六月七日(水) 「泣きっ面に蜂」はもう古いのでここはひとつ「乳首が透ける濡れ衣」はいかがでしょう。

六月八日(木) 正常位で営む最中に女性のTシャツが徐々に下がって乳がスッポリ隠れてしまうことがある。そこで自らTシャツを捲り上げてくれる女性とローカル線で乗り合わせた蜜柑をこちらに差し出すおばあさんの心持ちはどこまでも柔らかく似かよう。

六月九日(金) 時折テレビで見かけるお節介なリポーターが昼時の会社に押し掛けては社員の弁当を見て回るという企画が直視に耐えない。生き別れた兄ならいざ知らず飯を食う者の箸を止めてまで尋ねることなどあるのか。そこに残されたワードは「美味しそうですね」「色どりがいいですね」「バランスがとれていますね」の三点に限られるのにも関わらずアホなリポーターが「いやぁ美味しそうですね!色どりもよくてバランスもとれていますね!」とひとりに全部言ってしまう。次の奴どうすんだよ!言うに事欠いて色が飛び果てたキティーちゃんのマウスパッドでも褒めるのか!?お!?

六月十日(土) ある男の皇居ラン仲間が急死したと聞く。彼は葬儀へ参列するにあたり鎮魂の心緒より黒のジョギパンでの装いを模索するも良識がそれを阻み、咎め、それを控えるに至ったと聞く。

六月十一日(日) 近頃では地震が頻発しており気にかけていたところで過去の震災関連動画がユーチューブに上がっていた。家屋が倒壊した住民の方々が疲労に窮しながらプライバシーのない体育館に寝泊まりしている最中、何かに興じる者たちがいる。震災の避難場所であろうことか倒壊を負けとするジェンガに興じる者たちがいる。いやはや娯楽のエンジョイパワーが不謹慎という概念を倒壊させた瞬間でした。でしたわ。

六月十二日(月) 近所のコンビニに東南アジア系の新人女性従業員テコキさんがデビュー。セルフレジにお札を吸わせつつ世界の某国において亀田とは「全員青ひげのバケツリレー」という意味合いである可能性もゼロではないと思いました。

 

fin

麝香街

 

先夜のこと、祖父より継ぐ焼肉屋を営む者と飲み交わす。

和食屋の個室にて種々と語らえば下戸である彼がハイピッチでグラスを空ける様より心中穏やかでないことは明らかであり、そのうち椀の海老しんじょを見つめつつに「うちの店はもうダメだ」と言い始めた。

尋ねるまでもなく長らく続いたCOVID-19を因とする客離れに重なり昨今の世界情勢における原材料の高騰などといった理由かと思いきや、彼はその矛先を驚くべき場所へ向けていた。

「千円カットの髪型が変だから客が離れたよ」

たしかにパキスタンの靴飛ばしチャンピオンみたいな髪型ではあるが、降りかかる経営難をそのまま千円カットの責とするのは筋違いというものであろう。

「大切に乗っていた車も売ろうと思う」

「そして火の車に乗り換えると」

彼はこちらの反射的な失言を飲み慣れぬハイボールの痛飲でもって受け流し、酔いどれにも仕切り直しては鞄よりスマホを取り出した。

「このままでは、このままではあれよ、天国のじじじいちゃんに申し訳が立たないのよ」

彼の差し出すスマホには常軌を逸する修羅の形相を表したおじいさんが映し出されており、なんでも生前の老人ホームにて行われた口じゃんけんの決勝戦を接写したものだという。

決勝という大舞台にテンションが上がり過ぎたか、たぎる口元は口じゃんけんの体を成してはおらず力んだ拳のみが通常じゃんけんのグーとなっている。

「決して、決してあれよ、人と争うことのない優しいじじじいちゃんだたよ」

梅のジュレを奇跡的に眼鏡のブリッジにのせて酔っ払う者に「力の限り争ってんじゃねぇか!」などと突っ込んだところで野暮というもの。

「そっか、優しいおじいちゃんだったんだ。それなら廃業してもお前が元気なら許してくれんべ」

彼はアルコールに巡るつぶりを抱え、消え入る声でこちらに謝意を示しては「俺、もうちょっと頑張ってみるわ」とすすり泣いた。

そして時と場を忘失しフグの唐揚げを配しに現れた女中さんに「いらっしゃいませ」といった。

 

翌日の昼下がり、昨晩の彼より連絡を受ける。

「やめようと思う、店」

「涙ながらに再起を誓った昨日の今日じゃねぇか。どうしたんだよ」

子曰く売り払う予定であった愛車のボンネットに「自転車」と悪戯に刻まれていたという。

彼は「もう人間が信じられない」とつぶやき、湧き上がる怒気に任せて「百歩譲って普通うんことかじゃないんですかね!?」と取り乱しては一方的に回線を切った。

小風がカーテンの裾を揺らすことで小風が可視されるよう。

ベランダより見下ろす遊歩道には犬のうんこをうんこ座りで処理をしているうんこ色のTシャツを着たおじさんが無自覚の統一性に生きる。

 

fin

忍び寄る蛇蝎のゴーストノート

 

四月一日(土) 含蓄に富む年上の方が会話の中で「身分相応、家賃Wow Wow」と述べられた。こちらの大胆な聞き間違いだと思うが、問題は本当に「身分相応、家賃Wow Wow」と言っていた場合にある。

四月二日(日) 何不自由ない裕福な家庭に生まれ育ち一流大学を滞りなく卒業した男がこの度「ランチパック占い」というコンテンツを膝をガクガク震わせながら立ち上げようとしている。よし、まずご両親に謝ろうか。一緒に行って頭下げてやんから。な?

四月三日(月) 出前館の配達員が玄関先でお釣りの計算にてんやわんやの間、こちらはこちらでスポーツ刈りとスポーツブラが結婚した場合その子供はスポーツヘアバンドになるのではないかとの考察に勤しむ。

四月四日(火) なぜに女は車のドアを親の仇のようにブァコン閉めるのだろうか。前世が国境の門番だったのだろうか。

四月五日(水) とうとうなか卯に飽きてしまった。ならば飽きた状態に飽きるのを待つ。これが漢のなか卯道。

四月六日(木) 赤提灯にて偶に境を接した同世代の行員と懇談に至る。やはり大人の四方山話とは仕事に行き着くものであり「今の職場に入って六年経つのですが一度だけ手刀を使ったことがあります」との告白を受ける。

四月七日(金) 気まぐれな父に苦労する母を見て育ち、ああはならぬと懸命な努力を重ねて腕利きの料理人となったが血は争えずにシェフの気まぐれサラダ。

四月八日(土) 「おじさん思うに音楽とは色の付いた時の経過だと思う」と二十も届かぬ女に説いたところ「キモ!」と言われたのでこちらも「キモ!」と言い返した。もっともこちらはM心から来る「気持ちいい」の「キモ!」ですがね。グフッ!

四月九日(日) 昼休憩の植木屋トークが耳に入る。「お前、朝起きたら大谷翔平だったらどうする」というベテランからの問いに若手より「靴がないですね。サイズ的に」との泣く子も黙る超現実的な答えがあった。伸びる、彼の仕事は伸びると思う。

四月十日(月) かれこれ二十年近く一人暮らしをする男が深夜の小水に立った。用を足し終え床に戻ると抱き枕に「ヘイ、ボーイ。あたいのパンティーを全部隠したのはお前かい?」と国籍から立ち位置まで全くわからない台詞をごく自然に発してしまったという。そしてそれは一人で生きてゆく決意を固めた瞬間であったと次いだ。

四月十一日(火) さて、引き出しより発見された阿部寛の友人のサインはどうするべきか。

四月十二日(水) なるほどね。暗がりにゴムを探り当てたと思いきやカップラーメンに付属する焼豚だった的なね。あ、違げんだ。

四月十三日(木) 十数年前、南米ペルーより日本に移り住んだ男が懐古するにはOKサインに多大なる衝撃を受けたという。肛門という意味合いでそのサインを認識していたところ、若い日本人の女があるまじきダブル肛門サインをまさかの手眼鏡として装着、さらには満悦にも舌をベロンと出して写真撮影に嬉々と臨んでいるではないかと。なんならその脇で土嚢を枕代わりに眠るホームレスのおじさんが上品に見えたという。

四月十四日(金) なにもウンコの肩を持つわけではないが彼は常に男の在るべき姿を示している。まず良きにつけ悪しきにつけ圧倒的であるということ。そしてそれだけでなく老若男女を爆笑に導く才をも兼ね揃えており、女の扱いなどお手の物、臭い台詞を憚かることなく常に匂わせる。然りとて男の機微にも通じており、つまらないことはすべて水に流してくれる。総じて漢の在るべき姿であろう。

四月十五日(土) 公衆便所の落書きに「生まれ変わってもあなたのおちんちんでありたい」とチンコサイドより切なる願い。

四月十六日(日) お前な、留守電に知らない番号から「はっ、あだすです。あれから色々考えますてな、やはりベニヤでお願いしようかと思いまして。ん、や、違う、違うな。また連絡します」と純度の高い一人相撲メッセージを残された俺の気持ちがわかんのかよ!

四月十七日(月) ふと目についたNHKにて小さな女の子が「おばあさんおじいさんいつもありがとう」と平素の謝意を示すほのぼのとしたシーンにぶつかる。今日日らしく「おじいさんおばあさん」という慣例の並びではない。しかしだね、それがまかり通ると童話桃太郎に甚大な影響が出んの!「おばあさんは川へ洗濯に、おじいさんは山へ柴刈りに行きました」となるとじじいの山映像が邪魔でばばあがスッと桃待ちの体勢に入れないの!わっかんねぇかな!?テンポの話よテンポの!

四月十八日(火) 高尾山(表参道コース)は思いの外にカジュアルな山道であった。こちらが前夜より善かれと備えた人数分のスニッカーズが恥ずかしいくらいにカジュアルな山道であった。結局スニッカーズは社内恋愛の如くに隠し通し、独りになった帰路にて一口齧れば待ってましたとばかりに詰め物が取れる。そんな自分を嫌いになれねぇのよ。

四月十九日(水) 某コーヒーショップの常連である男が深く傷ついていた。なんでも若い従業員達から「ソイメガネラテ」との名前より長いあだ名が付けられていたという。

 

fin

水性ヤクザと油性シスター

 

三月一日(水) 家族愛をテーマとした歌詞に取り組んでいるのだが、何気なく書き出した「礼に始まりボディスラムに終わる」というフレーズから離れられずにいる。なんとか捻じ込めないものか。

三月二日(木) 春うらら、神様は飲めるハンバーグや車検を知っている。

三月三日(金)「はい!ウノ言ってない!」と指摘する醜い顔面にこそ二枚のペナルティーがあって然るべきだと思ウノ。

三月四日(土) コンビニで会計をするおじいさんが「あ、それとね、肉まんを一つ頂けると嬉しいです」といった。若干の違和感こそあれど「嬉しいです」という血の通った言葉は世知辛いこの東京砂漠に一雫の潤いをもたらした。ただもの凄く腰の低い強盗の線も否めないが。

三月五日(日) 通話中の若い営業マンより「エリアマネージャーが落馬しまして」という強めの寝言みたいな報告が漏れて聞こえてサンデーアフタヌーン。

三月六日(月) 食レポ系のYouTubeを立て続けに数本眺めるも大概が「わぁ!このお肉柔らかい!」のような紋切り型の感想しか出て来ずに辟易とする。せめて「わぁ!このお肉は高校球児の眉毛のようなその一点のみに命を懸けた畜産家さんの気概が口の中で躍動していて美味しい!」ぐらいは欲しいじゃない。

三月七日(火) 世の中には緊張感を備長炭と聞き間違えて歯を一本失った者がいるのです。

三月八日(水) ある男が結婚を決意した。そのきっかけは自らの性癖に端を発するといい、続を乞うたところなんと彼女との後背位の際には必ずクシャおじさんの顔真似をするという。まさか背後より肉棒を突き立てる彼氏がクシャおじさんと化しているとは夢にも思わない彼女に対していつバレるかわからないスリルを童心に貪っていた。しかし、彼女はとうの昔にラブホの鏡部屋にてクシャおじさんを目撃しており、友人に相談した結果「何かの病気かも知れないから安易に指摘しない方がいい」との結論に至った。だが先日のこと、珍しく酔った彼女が「何か隠し事してない?」とつい迫ってしまった。彼が「んなもん一切ない」と答えた瞬間に「エッチのとき変な顔してるじゃん!病気なら言ってよ!私、全部受け止めるから!」と泣き崩れた。彼は肩を震わす愛おしい女を後ろから優しく抱きしめ、習慣により少しクシャおじさんが出てしまったが気を取り直してプロポーズをしたという。こちらは大人として「おめでとう」と言ってはみたが一抹の不安が残る。そのような結婚の経緯を知った胎児は滅茶苦茶グレてパンチパーマに木刀を背負った状態で産まれて来るのではないか。いや、杞憂に過ぎればよいのだが。

三月九日(木) 深夜の世田谷通りは工事中。チャリの自分に誘導員が「はい、自転車通ります」という。

三月十日(金) 思い返す少年野球の試合にて勝敗を分かつ本塁クロスプレーの最中に主審へ麦茶を差し入れた小沢の母親のような剛勇なるスピリッツが欲しいぜ。

三月十一日(土) アイドル系インディーズレーベルの関係者が悩んでいた。なんでもデビューを控えた女の子二人組のユニット名が未だ決まらず難儀しており「セクシャル且つ二人の生真面目さが伝わるネーミングがあれば」と溜息をこぼす。こちらは湘南の男であり困る者を見過ごすことなど出来ない。一風呂浴びて「マン毛&ゴミ拾い」はどうかとメールしたところ「セクシャルの部分が取り返しのつかないことになっています」との即返が。

三月十二日(日) ユニクロの更衣室にいざ入らんとす若い男が「ヒーヒー言わせてやるから」と彼女に言い残してカーテンを閉めた。どどどどゆこと?

三月十三日(月)  夢の中で都営バスと離婚をした。都営バスと結婚していたのもショックではありましたが。

三月十四日(火) では逆に聞くが君はコンビニを掛け布団とするパワフルな漢になりたくないのかい?

三月十五日(水) 生きてゆく上で大切なことは第一に人間は滑稽な存在と知り、第二に己もその中に含まれていると知り、第三にはAV女優のサイン会は中止になりやすいと知ることにある。

三月十六日(木) 中トロ、えんがわ、えんがわ、中トロ、えんがわ、茶碗蒸し、えんがわ、穴子、中トロ、えんがわ、海難事故的にカマンベールチーズ軍艦、えんがわ、トロたく、あら汁、えんがわ。

三月十七日(金) どうせ愛に辿り着くんだべ?

三月十八日(土) ある男が自宅にて女と情を交えた。事を終えて彼女にイカスミサイダーを勧めたところ「それよりパンツがない」という。ふたりで黒パンツを探すも見当たらず、本腰を入れた大捜索もついには打ち切りとなった。それから一ヶ月を経た先日の昼下がり、趣味のフィギュアを眺めていると真顔のダースベイダーが春を先取る形で黒パンツを身に纏っていたという。知るか。

三月十九日(日) 「よくわからないけど」という言葉ほど誠実なものはない。なぜなら我々人間は森羅万象にただただ浮かぶ笹舟のような存在であるからして「よくわからないけど茂美さんをください!」「よくわからないけど娘を頼む!」というやり取りこそ正しい。ただ「よくわからないけど店長のセカンドバックを揚げました!」という末恐ろしい新人バイトにはきっちり叱るべきだと思う。よくわからないけど。

 

fin

逆火の生きる

 

焚き火といって思い出すのは小学生時分にさかのぼる。

それは二月の開けた田んぼにて近所のおじさんが催したものであり、芋の焼き上がった頃合いに現れたのがしゃなりと老貴婦人、熱々の芋を掴み取り「ぅ熱い!」といってブーケトスばりに後方へ放り投げ、それがそのままおじさんの自転車のカゴに入った。

そのような美しい思い出を車窓に映し出し、向かうは「日帰りde焚き火体験!」なるもの。

完全に浮かれ切ったイベント名とは裏腹にこちらと運転する者は申し合わせたように沈黙、車内にはすでに焚き火のイメージがもたらす幽玄なる趣が色濃く漂っていた。

カーラジオより通販番組が流れる。

「先日紹介致しましたご商品、乳酸菌が4000億個と申し上げましたが正しくは3000億個の誤りでした。訂正してお詫び申し上げます」

以前にも同じようなものを耳にしたことがあり、やはり以前と同じように思った。

「この世は10分前行動以外に意味はない」

ダッシュボードの紅の豚が首を縦にカタカタ揺らすことでこちらの思いを高速で肯定していた。

 

中央道を降り、傾斜のかかる林道を登りきったところでハンドルを握る者が口を開く。

一時間近い無言のブランクが祟り、痰も絡めば縮こまる声帯は弱々しく「ジンバブエにバナナという名の首相がいたらしい」と遺言のように発した。

動揺するこちらの声帯も思いのほかに弱っており「Jリーグカレー」のような返答をして精一杯。

それから「彼はなぜこのタイミングでそのようなことを発表したのだろう」という疑問を新たな乗員として車内に迎え入れるも、目的地らしきものが目前に迫るころにはその発言こそ必要なピースとして数分前の世界に角を落とした形でピタリと収まりをみせていた。

だだっ広い駐車場に車は一台もなく、二台のレンタル自転車が一台ずつ二つの駐車スペースに駐めてあり、果たしてそれは有用なのかそれとも壮大な無駄なのかという一種の問い掛けには未だ答えを見出せずにいる。

寒さから逃れるよう競歩の体で施設に滑り込んだところ係員より「本日団体のキャンセルがありまして」という口切りからかくかくしかじかを経て「2人de焚き火体験!」との思い切った申し入れがある。

どっこいそれはシャイ・ボーイな我々の性格上に好都合であり快諾、ベンチコートが貸し出されると手厚いエスコートを得てテニスコート二面分のグラウンドに通された。

ははぁ、その中央にはそれらしい木材が組まれ、なるほど、点火を待ってして焚き火の開始ということか。

「本日の焚き火を担当いたします水木と申します。よろしくお願い致します」

なんだかとっても燃えにくそうな名前ではあるが、余計なツッコミは入れずにこちらと連れの者は拍手を打つ。

さっそく水木係員は「松ぼっくりこそ自然界の着火剤なんです」と丁寧に注釈を入れ、マッチを用いて数個燃やしては組まれた木材の中心部に落とし入れた。

ツッと天に引っ張られた煙が凍てる空気に身をよじらせる。

その様を食い入るように見つめていた連れの者が「煙の形がパンを焼くローマ人に見える」とおっしゃる。

こちらの赤面をよそに水木係員は草むらでオンブバッタを見たような「おぉ」という程よいリアクションを起こしては作業を続行する。

 

爆ぜる火の粉は感情の入り込む余地を多分に残して消えてゆく。

焚き火を利したコーヒーが振舞われ、ひと啜り毎の異なる滋味に美味い以外の形容を持たない。

水木係員が「もう温かいコーヒーは衣類の類ですよね」という。

そんな気の利いた一言にはどうしても何か被せたい性分である連れの者が忙しなく膝を揺すり始めた。

またしてもローマ人がパンを焼き出すのではないかという懸念から奴のもみあげをむしり取り、それを火中にくべて落ち着きを促す。

聞き慣れぬ鳥のさえずりが止み、水木係員がスマホから最新洋楽ヒットチャートのようなものを流し始めた。

好意を踏み躙るようで申し訳ないが我々はそのような軽薄なものに心を動かされることはない。

むしろ「焚き火という古より繋ぐ癒しの場に一番似合わない曲」を各々YouTubeより持ち寄ろうではないか。

そのようなこちらの提案に連れの者は乗り気に、水木係員は好奇心が上回る戸惑いをみせた。

結果として言い出しっぺのこちらが召喚した『笑点のテーマ』は思いのほか評価は低く、次ぐ水木係員の『ズルい女』に関しては「焚き火の炎にズルい女への情念がリンクするからダメ」と連れの者が手厳しいジャッジを下す。

そして大トリである奴の番となり、こちらが「早くしろよ」と催促すれば「もうとっくに始まっている」という。

どういうことかとiPhoneを覗いたところ『癒しの焚き火サウンド』なるものがすでに再生されていた。

これはもう焚き火に似合う似合わないという次元ではなく焚き火の最中に焚き火の音を鳴らすことで「人生に意味はない」という揺るぎない真実を寒空へ捧げていた。

おれは奴のもみあげをむしり取り、それを火中にくべて称賛を表する。

 

fin

帰るなら門松の竹ン中に鍵を

 

新年明けましておめでとうございます。

なにやら今年も早々に騒がしく、年下の者が婚約中の彼女と電話越しに小競り合っており、近く伴侶となる者に向かって「なんでそうなるんだよ!この田舎侍が!」とは穏やかでない。

彼が電話を切るや否や、ある種の礼儀として間を置かずにその理由を尋ねた。

「いやアホがピーマンを挽肉に詰めているんですよ!」

平時に温厚である彼の剣幕から春先に控えた結婚式にて白無垢の上からブルマを履きかねないとまでその不安は飛躍しているのだろう。

彼にはすまないがこちらの正直なところを申し上げると常識に囚われない彼女の自由さが嫌味でなく羨ましい。

思い返す我が人生、ロックンロールだなんだと託つけては数々の不埒な言動に及びながらも結局は常識という名のプールの底を足先でツンツン確認していた気がする。

聞くも涙、語るも涙、とうとう二本のパイ毛が真正面に伸びようとしているお年頃、どうやら常識に囚われない自由なるものを多角的に検証する時を迎えたようで。

 

ささいな所用を携える外出にさえどこか深刻の感がつきまとう冬。

それが冷たい誘い水となり塀の向こうを定宿とする男が唯一娑婆に残した言葉をなぞる。

「棒棒鶏の棒の字はひとつ減らしてもよくないか」

やはり法律の外側、常識の外側に生きる男の言葉には重さは元より自業の得とはいえ抑圧からの解放を願うどこまでも自由に焦がれた響きがある。

寒空を仰げば名も定かでない鳥の群れが凍雲を背に闊達と飛び回る姿をみた。

また近所の変なおじさん代表を務めるよしゆきちゃんが新年の挨拶を欠いた自販機にキレている姿をみた。

さらにバス停から絶妙な距離を取ることでバスを待っているのか、それともそうでないのかが非常にわかりづらい新人バス運転手殺しのストロングスタイルで佇むおばあさんをみた。

こんなにも身近に常識に囚われない自由が溢れているとは存外であったがそれほどの感情は動かない。

それよりも自由とは当事者にその自覚はなく、それに際した他者が始めて感じるものだという実感を強く受け、その印象は死に同じ、また表裏の理から生にも同じと思い至る。

生きることは自由、死ぬことも自由という極めて捉えどころのない厳たる真実に我々人間は絶望する自由をも有するところに新たな自由がまた生み出されてゆくのだろう。

 

世田谷通りに徒を拾う。

自由を妄りに深掘りした為に心は暗く沈み、不自由になりかけていた。

ここはひとつ実家へ遊びに来ている甥との通話から無垢で瑞々しい自由に思い描く夢を抽出したい。

「お、あけおめ。どうなのよ、ぶっちゃけ将来は何になりたいんだよ」

男児が憧れる定番としてはパイロット、警察官、プロスポーツ選手、はたまた時代に感化されたプロゲーマー、ユーチューバーといった線もあるのか。

彼は「将来も自分だよ」と答えた。

なんと端的でいて詩的且つ機知に富んだ上で含蓄溢るるには哲学の崇高なる領域を自由に駆け巡っているではないか。

自分が彼ぐらいの年頃ではキョンシーを倒すことが夢であり、枕元には三十センチ定規と交通安全のお札を常備していたというのに。

とはいえ、知らぬ間に頼もしく育っているようで喜ばしい。

そんな賢い彼に限ってそのようなことはないとは思うが、この先々に大人を舐めるようなことがあってはならぬと教えるなら今、豊富な知識で圧倒するのもまた叔父に課された務めであろう。

「もしもし、あの、あれだな、インバウンドからのエビデンス的なアジェンダはもう勘定奉行だよな」

もはや自分で何を言っているのかさっぱりわからないが電話の向こうで彼がケラケラ笑うのでそれで良しとする。

 

ショーウィンドウ越しのタヌキ風赤ちゃんポメラニアンに暫し見惚れてペットショップ。

そこへ若い男の店員がこちらの側について「昨日入ったばかりの男の子です」という。

昨日入社したのかも知れないが自分のことを男の子と呼ぶのはいくら多様性の時代とはいえ社会通念を著しく逸脱するものではないか。

大袈裟な戸惑いを眉間に示してみせるも彼はいつまでもニコニコしてやがる。

おそらく自由を求める余りこちらが無意識に引き寄せているのだろう、またもや大胆に自由を振りまく者と出会ってしまった。

「基本的に好奇心旺盛で人懐っこいですね。あとは関節の病気に気をつけて頂ければ」

彼の繰り出す我を前面に打ち出しまくった自己紹介に嫉妬混じりの嫌悪を覚え、詰まるところ自由とは程々の距離を置いて鑑賞するに限るらしい。

愛らしいタヌキ風赤ちゃんポメラニアンとの別れを経て茶沢通りを下り、本日の目的である銀行にたどり着く。

番号札を手に着席、辺りをぐるり見回すと壁一面に小学生による無数の書き初めが貼り出してあり「お正月」「賀正」「迎春」といった書面より仄かに立ち昇る篳篥や和琴の調べを受けてなんとも雅な心持ちとなる。

だがそれも束の間、正月縛りなど知るか!と言わんばかりの自由ほとばしるスピリットが一部の書より強勢と放射されているではないか。

親族の縁をすべて断ち切って「バドミントン」と書す者があり、さらに隣の席であったのだろうかそれに触発されて「ラケット」と追随する者まである。

いやはや自由とは感染してゆくものだという確信と近年における世界的な感冒症候群を重ね合わせては感涙に堪え、潤む脇目は「軽き石」という新たな萌芽をみた。

 

fin

四季の果てる街

 

十二月一日(木) 硬いバケットに生ハムとバターのみを小粋に挟み込んだサンドイッチに魅せられて三宿のパン屋へ今日も通う。前に並ぶ男性のヘッドフォンからナンダカンダが漏れて聞こえて師走は朔日。

十二月二日(金) なんとなく時節にそそのかされる形で押入れの整理に励めば身に覚えのない品々が発掘される。まずは風情など知ったこっちゃねぇキャプテン翼の扇子。さらに「R.HAYASHI」という全く心当たりのない名が親骨を縦に走り、こちらとしてはハヤシライスでないことを切に祈るばかり。続きまして有事の際にはいつでも真っ二つになるよう断面をマジックテープでとめたスイカのぬいぐるみ。宇宙規模の用途の無さに加え、苛つくことにドライクリーニング不可。

十二月三日(土) 大人になることで失うマイワールドへの没入。昨朝のこと、可燃ゴミの収集をする作業員の後方にて男児がどっぷりマイワールドに浸っていた。ゴミ袋を仲間と見立て「俺がなんとかするからお前たちは早く逃げるんだ!」と騒ぎ立てる。作業員のおじさんは手を緩めることなく回収車にどしどしそれを投げ込む。そのうち男児は何事もなかったように学校へ。おじさんも何事もなかったように次なる集積場へ。生きる、生きている、生きてゆく。

十二月四日(日) 静寂という最上のBGMに紫煙を燻らし、ターキー八年はオンザロック、物憂げに丸氷を指先で転がす。向こうの老紳士が渋く通る声色で「僕は一平ちゃんにからしマヨネーズを入れたことがない」と店主に逆マヨビーム発射。

十二月五日(月) 若い男女を乗せた電動キックボードが深夜の世田谷通りを滑走する。ハンドルを操る男のスマホからは大音量の『ホール・ニュー・ワールド』が流れ、彼の腰に腕を回した女はそのロマンチックな演出にうっとりしている模様。ならばこちらも負けじとディズニー対決。『星に願いを』を鼻歌に「足立ナンバーのいかついハイエースで彼らを横殴りに轢き倒して下さい」と星空に願った次第。

十二月六日(火) マルちゃん麺づくり鶏ガラ醤油の存在を知るか知らぬかで人生は決まる。

十二月七日(水) いつからか定かでないが玉袋を引っ張ると妙に痛い。サッカー日本代表ユニフォームを白衣のインナーに着こなす泌尿器科の先生より「それは誰でも痛いですよ」と病院が倒壊するような診断が下された。一応「メ、メッシも?」と尋ねたところ「メ、メッシも」とのこと。

十二月八日(木) 人は全てにおいて、人は得ることで、人は解放されたい。

十二月九日(金) 過日の押入れ整理では昔メモ帳として使用していたリラックマの手帳も人知れず発見されていた。意を決して本書を紐解けば冒頭からアクセル全開、恋の方程式として「底辺×高さ÷貴方」と我ながらギャグか本気かわからぬことを臆面もなく記しており、次頁はおかしな方向に落ち着きを払い「里芋のぬめりは彼らの生き延びる手段に他ならない」と毛筆で綴られていた。こわい、こわいの、自分が。

十二月十日(土) 皇居周辺の高級ホテルに勤めていた方と話す機会があり、一番変わった宿泊客について尋ねたところ「ルームサービスを頼む度に自分の髪が短くなってゆくと言い張る男性のお客様がいました」という。いやはや楽な仕事はないようで。

十二月十一日(日) 三軒茶屋はハナマサ前、幾分に傾斜のついた坂道をザルからこぼれたみかんが転がり落ちた。坂の下では天文学的な確率を偶さかくぐり抜けた草野球のユニフォームを着たおじさんが捕球体制に入る。

十二月十二日(月) 横チンとハミチンを同義と捉える世界ならばこちらの方から願い下げです。

十二月十三日(火) 若かりし頃に映画監督を志していた方との出会いがあった。伺う限りでは映画と呼ばれるものはすべて見尽くし、それだけでなく古今に至るアニメへの造詣も深いご様子。「もしピクサーから映画の制作依頼があったのならタイトルはどうしましょう」というこちらの愚問にも「知り過ぎたやす夫」と快く答えてくれた。それから互いに腹を割った討論があり、最終的には「敏感、やす夫、敏感」というタイトルに落ち着く。

十二月十四日(水) 寒空の下、Tシャツ姿の外国人を傍観するおじいさんが「やっぱりハンバーガーなんだろうね、ハンバーガー」と白息を立てる。

十二月十五日(木) ショットのライダースをまといルーリード詩集を小脇に冬の駒沢公園へ。サッカーコートでは素人から見ても素人とわかる試合が行われており、凍てるベンチに詩集を敷き込んでしばしの観戦。味方が驚くノールックパス、試合中にペナルティーエリアでの着替え、満を持して股間でのトラップ、フェイントを多用し過ぎて自ら惑わされる者、そしてなによりキーパーが革靴。こらもうルーリードどころじゃねぇ。

十二月十六日(金) ごはんの前にお菓子を食べて怒られる。

十二月十七日(土) 「今この瞬間に将来の連続殺人犯が生まれたとする。しかし事件は当然起きてはおらず、現段階ではこちらの仮定こそ殺人的な邪心に侵されているのではないか」と泥酔した友人に語ったところ「赤マジャパ、青ジャパマ、黄ジャンバラヤ」との思慮深い返答があった。

十二月十八日(日) 今年もご愛読ありがとうございました。来年は十徳ナイフのルーペの様にギリギリの存在価値を己に見出したいと思っております。それではよいお年を!

 

fin

ぬめり思う、故にぬめりあり

 

時代の変わり目といわれる昨今、変わらぬものに安堵するもまた人の姿。

個人的に挙げれば、まいばすけっとのパスタがそれに当たる。

離婚とシャワーフックの末期的なぐらつきが重なり憔悴しきったイタリアンシェフがアルパカに唾を吐き掛けられながら作ったような揺るぎない不変のテイストは安堵だけにあらず、今日日に「不味い」という希少価値をも与えてくれる。

また過日に訪れたひと気のない秋夜の海岸ではビル・エヴァンスの『Peace Piece』を寄せては返す穏やかな波音に溶かし、永年に色褪せないものとしての安堵を万感の内に覚えた。

さっそく近しい年上の方に少々物憂げを気取ってそれをお伝えしたところ「俺は炒飯と五目炒飯を注文してしまったことがあるから大丈夫」とよくわからない励ましの言葉を賜る。

 

太子堂小学校にうねって掛かる遊歩道、黄赤に混じる落ち葉を踏み歩けば「万古不易」「諸行無常」という対義の言葉に囚われた。

永久に変わらぬこと、そして常に変わってゆくこと。

気の遠くなる美しい矛盾に際し誠実な在り方として吐き気を催せば、おぼつかぬ足取りの先、ベンチにて冷茶を喫するおじいさんの後頭部に十倍かめはめ波を放つ幼子をみた。

そのまばゆい閃光に目が眩むと思考は冷徹に冴えて本能、目前に浮遊する辞を不躾に掴み取る。

「常に変わってゆくことこそ永久に変わらぬこと」

 

三軒茶屋の街並みも日に刻々と変わってゆくのなら己の肉体も変わってゆくが理。

近頃では鼻毛に白毛が混じり始め、見積もる十年内には黒毛が混じっているという逆転オセロ現象が鼻腔内に巻き起こるのだろうがオセロとは角を取った者が制するもの、ならばこちらは鼻パックを用いて角栓を取ることでそれに応じたい。

そして肉体が変わるのならば当然心にも変化が起こり、ここのところ長年吸い続けるタバコにも思うところがある。

赤子の頃は母親の乳を吸い、やがて小学校では牛乳を吸い、また放課後にはツツジの蜜を吸い、変声の頃にはタバコを吸い、時にUFOに吸い上げられ、そのうち女の紅唇と乳を吸い、悪知恵もつく壮年の末には脱税という甘い汁を吸い、果ての晩年はその天罰として大病に罹り麻酔を吸う。

振り返るこれまでの人生、また馳せるこれからの人生、とにかく吸いっぱなしではないか。

よくわからないがこのままではいけない気がする。

昨日見かけた法律では裁けないぐらいに眼鏡がズレまくっていた工事現場の交通誘導員もこのままではいけない気がする。

 

なにはさて、経年による味覚の変化がこのところ顕著に現れており、嬉々として食したはずのジャンクフードもすっかり影を潜めた。

それが証拠に凍てる雪山にて遭難、そこへ雪の精霊が現れ「不憫な者よ、そなたにはビッグマックかうら若き女子の使用済みギョウ虫検査セロファンのどちらかを授けよう」と選択を迫られたのなら救助ヘリからも一目瞭然の赤面を以ってして後者を選び取ることだろう。

とくに好むのは豆腐であり、この時期にはキンと冷えたバーボンソーダとおろしニンニクに生醤油をツッと落とした湯豆腐がとにかくたまらない。

先日などは興に乗じて手作り豆腐を拵えようと思い立っては吉日、大豆を粉砕するために何年も使っていないミキサーを引っ張り出すとやはりそこは湘南の猛る血が騒ぎ出す。

黒板消しクリーナーでコールを切っていた学生時代にミキサーのオンオフボタンでタイムスリップ、人は変わってゆくようでその実あまり変わらないのかも知れない。

奴がウォンウォン雄叫びを上げればこちらも呼応、さらに気合いを入れる為に鉢巻的なものを欲するも手近には間抜けの代表格であるおにぎり柄の手拭いしかない。

「てめぇなに見てんだクラァ!殺すぞ!」とそれに向けて叫んだこちらに無理もなく。

 

変わらぬもの、変わってゆくもの。

蕎麦焼酎ロックを片手に上京をして間もない頃を回顧する女が「そら私にも清純だった時代があったのよ」と語らう。

数年前の深秋は今時分のこと、図書館にて穏やかな青年との出会いがあったという。

一目にして惹かれ合い、自然お付き合いという流れに相成った。

「そら運命を感じたわよ。むしろ運命の方が感じたのかもね」

彼は穏やかな上に極めて寡黙な男であり、彼女は重ねるプラトニック・デートの大半を占める無言タイムにいつしか誠実な人柄をみた。

どのような場面に際しても心を寸分に乱すことなく、誰しもを分け隔てなく丁寧に接する彼の態度に「ヴァージンを捧げてもよい」と子宮からのLINEが入ったという。

ある晩の帰りしな、彼女は思い切ってこう告げた。

「ねぇ、この前話していた爪楊枝で作った爪楊枝入れが見たいの」

彼は神妙な面持ちに「うん」とだけ添えると珍しく手を繋いできたという。

ふたりは手を繋いだままアパートの階段を上がり、彼の部屋の前にたどり着く。

「ちょっと待ってて、散らかっているから」

彼が慌ただしく物々の整頓に励む姿を台所の少し開いた窓より彼女は微笑ましく見つめる。

そして大事件が起きた。

なんと彼はタオルを振り回し始めた。

それも親の仇のごとく、それも湘南乃風ファンクラブナンバー1桁台の激しさのごとく、彼は猛烈にタオルを振り回し始めたという。

男とはセックスを前にすればあれだけ温厚な彼ですらこうも獣と化すものか。

その変貌ぶりに驚き、絶望、そして恐れをなして覚悟とは名ばかりに彼女はその場から足早に去った。

「もう電子レンジを挿入されるかと思ったよね」

おそらく彼の行為はライフハックにおける室内消臭の一環であり、今更彼女にそれを伝えたとて過去は変わらず、現在は落砂に過ぎ去ってゆくのだ。

 

fin

戦場のベストジーニスト

 

十月一日(土) 十代より狂った男に焦がれてきたが近頃そうでない。狂った男となったのだろう。

十月二日(日) 妻の悩みはその時代を色濃く映し出す。マンモスを追いかけていた時代には「旦那の持っている槍の先がすべて丸まっている」と死活に悩み、悠久の時を経た現代では「旦那がずっとスマホゲームをしてゴロゴロしている」と悩みは尽きない。百年後には「旦那のHVGプロピレンダブルコネクターが常に丸出しになっている」とでも悩むのだろう。

十月三日(月) 知り合いの奥さんが大学時代の友人たちとバンドを組んだという。それも奥さんがボーカルをとり、さらにはオリジナル曲の作詞まで担うという。夜な夜なノートにそのひらめきを書き綴り、読み返しては首を傾げ、それでもなお諦めない姿は妻の新たな一面にしてそれはアーティストといって何ら差し障りのないものだと言う。強いてネックを挙げるのならば「じゃあ先に寝るわ」と彼がいつものようにアイマスク、耳栓、マスクを装着して寝入るとしばらくして揺り起こされ「ねぇ、この世界が嫌いなの?」と奥さんのアーティストモードが今夜も発動するであろうと。

十月四日(火) 秋の夜長を持て余すことベランダにて紫煙を立てる。月光に導かれ「お前の母ちゃん出ベソ」という罵りワードにそこはかとない猥雑の感を捉えた。罵りを受けた者より「なんで知ってるの?」と返されたのなら閉口より術はない。これはもうペタジーニのみに許された言葉なのだろう。

十月五日(水) 前を歩くふたりの男子中学生。ナイキのスニーカーを履いた子がアディダスの子に向かって「お前ガリガリ君とからあげクンばっか食ってたら頭バカになるぞ!」と声高に忠告。あぁ、友情ってこんな感じだったっけ。

十月六日(木) 夢の中に時任三郎が現れ「君はスポーツチャンバラの臨時コーチみたいな顔をしているね」といって金縛りスタート。

十月七日(金) 蝿叩き工場の蝿のような生き様、妬けるぜ。

十月八日(土) なか卯笹塚店にて作業着姿のタフなる男たちが語らうには。「人生は近眼のバドガールだと思う」「わかるわ」わかんねぇわ!

十月九日(日) だって来世は宮大工か秋のカナダになりますし。

十月十日(月) 気づくか気づかないか。それに良し悪しはないと気づくか気づかないか。そしてそれに気づいたとて何も意味がないことに気づくか気づかないか。本日、肉だんごの日。

十月十一日(火) カツアゲと逆ナンの狭間に不老不死の花が咲くと云ふ。

十月十二日(水) 飯を共にする若人より「どうすれば二度と戻らない時間を大切に出来るのでしょうか」との問いが寄せられ「その時々に湧き上がる感情を丁寧に拾い上げることじゃないかしら」と答えたところ、若人爆笑豚丼噴射。丁寧に丁寧に「殺す」という感情を拾い上げました。

十月十三日(木) 久方振りの田園都市線。ほどなく「半蔵門駅での停電により三分の遅れが生じております。ご乗車の皆さま方にはご迷惑をおかけしております」とのアナウンスが入る。たった三分の遅れで大の大人が謝っているではないか。これはもう三十分の遅延を出したのなら謝罪は当然のこと荒狂う日本海にてファミチキを罪と罰でサンドしなければならない。

十月十四日(金) 今日日のガチャガチャは百円ではなく三百円からする驚き。ならばその驚きに乗じてリアル海洋生物シリーズ全八種と銘打つものに挑戦する。狙いは白い死神ことホホジロザメだがその高いクオリティーからカジキマグロや巨大イカでも構わない。いざ小銭を入れてハンドルをゲリンゲリン回したところカプセルがやけに軽い。ギャル男の弔辞ばりに軽い。それでも素直に開けてみると「シェイプ・アップ!」というハイテンションなステッカーが丸まって二枚。ちょ、上のもん出せや。早く。

十月十五日(土) 口喧嘩の際に始めてその者が有する語彙力が赤裸々となるようで。駒沢の学生だろうか、二人の若い男が白昼の道端で顔を突き合わせて口論に。「お前はもう死んでいる」「黙れ小僧」「お前はもう死んでいる」「黙れ小僧」と本人たちは至って真面目にファンタジックなラリーを延々と繰り広げて秋曇り。

十月十六日(日) 半月後に迫るハロウィン。毎年わかりづらいスーザン・ボイルのコスプレで渋谷を闊歩する男がこぼすには「誰かにバレたとき俺はハロウィンを卒業します」とのこと。やかましいわ。

十月十七日(月) マンションのポストに大量のチラシが入るストレスの果て、ついに「チラシ投函厳禁」とのステッカーを貼り出す。しばらくはその効果があったのだが、本日投函を厳禁とする忌々しいチラシをポスト内に確認した。日頃感じていたストレスに加え、わざわざステッカーまで用意した手間をも無視する不埒な所業に怒りが込み上げる。手荒にそれを掴み取り流し目に処したところ「あなたも骨格診断ファッションアナリスト検定を受けてみませんか!?」と。「受けません」と。

 

fin