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落ち葉散りしく電撃バップ

 

十一月一日 (月) パン屋で働く若い女性店員の腕には無数の火傷痕、いつの日か抱きかかえる小さな息子が不思議そうに触れる。

十一月二日 (火) 小料理屋にて麦のソーダ割り、お通しには油揚げと大根を薄口に煮たもの。とても気が利いているじゃない。うむ、ならばそれに対極するものとはなにか。そら出所祝いを監獄レストラン・ザ・ロックアップで開催することに決まってんべが!

十一月三日 (水) 素人独りキャンプを敢行した男曰く、それはそれは想像を絶する体験であったらしい。まず現地まで四時間超のノンストップ・ドライビング、そして到着するやいなやテントの設営に取り掛かるも三時間半を費やした挙句に諦めると夕飯に予定していたローストビーフなど精魂尽き果て作る気がしない。しょうがなく車を飛ばし遠方のマニアックなコンビニへ向かい、山崎まるごとソーセージとまるごとバナナを頬張り、いささかにまるごとが過ぎると頬を染めつつそのまま駐車場で翌朝まで眠り続けたという。

十一月四日 (木) 友人の弟の同僚が飼う小鳥が体調を崩す。

十一月五日 (金) もう何年も会っていないアメリカ人の友人を想う。別れ際に教えた「根性焼きお願いします」はどこかで使ったのだろうか。

十一月六日 (土) パソコンの裏に忘れ去られた付箋を発見。そこには「野良パンティー」と殴り書き。根性焼きお願いします。

十一月七日 (日) 焼酎から日本酒へ切り替わる折をみて「映画に出てくる極悪犯罪集団はなぜ金を求めるのか」と年上の方に問うた。金など使わずにすべてその暴力で奪えばいいのではないかと。すると年上の方が箸を置いて「じゃあお前はジュース買うのに毎回自販機をこじ開けるのか!」と熱く張り上げた。ありがとうございます、お勉強させて頂きました。

十一月八日 (月) ユーチューブのおすすめに「恋ノチカラ第一話」が現れた。このドラマはすでに二十周は観ている。おれは死と宇宙以外に興味のない男だがこの作品にはなぜか惹かれる。内容も奇を衒うものではないラブストーリーだが気付けば二十一周目の準備運動として首をコリコリ回していた。やっぱね、深っちゃんの健気さと揺れる乙女心よ。春菜ちゃんも良い子でね。だもんでちょいと女女な展開が続くと思いきや児玉清さんが「僕はそのやり方は好きではない」なんつってピリッと締める口直し感なんざもはや梅水晶の類よ。でもね、壮吾と年上彼女のゴタついた件はちょっと要らないかなぁ。テンポが滞る感じかなぁ。いや、待てよ、わざと滞らせてラストに向けて段差をつける作戦だとしたらおれはもうケツの毛をすべて抜いてレターパックでフジテレビに送らなきゃならないよ。んん、結局ぶっ通しで観ちまった朝方にふと思い出すのは数年前に飲み屋で知り合った女だわ。恋ノチカラが好きだってんで嬉々として関連縛りのしりとりをした。こっちが張り切って「フェンネル!」つったら「ルー大柴!」ってよ。ルー大柴出てねぇわ殺すぞ雌豚が!

 

fin

別途、デラシネの記

 

十月一日 (金) 日出づる国に生まれ育ち、平時において「セットもございます!」という言葉だけは口にする機会がないと思っていた矢先、とあるヤングの集いにフレッシュネス・バーガーを種々大量に差し入れをしたところ「全員分あんから慌てんな!」の次にとうとう「セットもございます!」が飛び出した。人生の新たな扉を開いた心持ちに秋空は高く。

十月二日 (土) エルビス・コステロはライブ・アット・ジ・エル・モカンボ。ライダースの背に「即死」と白マジックで大大と書き、チンザノ・ロッソを抱えて高円寺を練り歩いた十五年前の思い出。エルビス・コステロはライブ・アット・ジ・エル・モカンボ。今ではブロッコリースプラウトを検索している。これもまたある意味でロックンロールなのではないでしょうか。

十月三日 (日) 三軒茶屋のレコード屋へ。先客とご主人がソフト・マシーンの音楽的立ち位置について意見を交わす脇にてこちらはやはりエルビス・コステロのレコードを漁る。本命に据えたライブ・アット・ジ・エル・モカンボは欠品。ご主人曰くあまり出回っていないらしい。先客はキング・オブ・アメリカが好きだという。それから話はバディ・ホリー、クラッシュ、ダムドへ至り、気づけば六十分余りの豊かな時が経っていた。おれはレコードプレーヤーを持っていない。

十月四日 (月) 我々は必ず死ぬ。金を出して購入した物すら全て一時的な借物だぜ。

十月五日 (火) 若者に「タクシー来ねみじゃね?」といったら静かに首を横に振られる。

十月六日 (水) 前を走る車、初心者マークに福岡ナンバー。いよいよ三田のT字路を曲がると目前に東京タワーが迫る。彼らのリアクションがどうしても見たい。しかし今日日東京タワーなんぞにヒイヒイいう者などないか。スッと横づけしてその様子を窺ったところ、若い男女が揃ってタワーを指差し大層盛り上がっているではないか。なにかこちらも嬉しくなるがどうしてもグータッチの意味がわからない。

十月七日 (木) 近頃の夢に野沢雅子が頻繁に出てくる。これはなにかあるのではないかと「野沢雅子 夢」と検索にかけた。すると「かめはめ波で聖火を灯したい」とヒット。いや、そういうことではなくてだね。

十月八日 (金) 亡くなられた柳家小三治さんに黙祷を。当然にこちらの一方的な面識であり、唯一落語に繋がれたご縁でありました。また巡る夏の寝しなには決まって青菜、植木屋が帰路に就くころにはこれもまた決まって幸せな眠りに落ちることでしょう。これからもよろしくお願い致します。

十月九日 (土) カラオケにて三日月を歌い上げる女よりもマラカスを持ったはいいがその出番が全くない男の切なさたるや。

十月十日 (日) 日本に長らく住む外国人の友人が物憂げにいう。「十年前に赤坂見附で食べたチキンカツ軍艦が忘れられない」おれも今日という日を忘れない。

十月十一日 (月) 空車で爆走してゆくタクシーをみた。腰を抜かすほど意味がない。いや、意味がないという意味があるか。

十月十二日 (火) ちえこ幼稚園の看板にしつこく落書きをする者がある。「え」の上部を白いマジックで塗りつぶしてどうしても「ちんこ」にしたいらしい。それを阻止すべく幼稚園の者が黒マジックで書き直すというエンドレスな攻防が人知れず三軒茶屋の片隅で巻き起こっている。

十月十三日 (水) 近所の公園でおじいさんと少年が警察ごっこ。取り調べの段にてゴム鉄砲の乱射を浴びるおじいさん。「何を食い逃げしたんだ!」そう詰められたおじいさんは「春雨」と答えた。少年警官は食い逃げ犯の顔付近に発砲。「顔はダメよ!顔は!」とおじいさん。

 

fin

続、続、デラシネの記

 

九月一日 (水) メルカリで購入した九千八百円のTシャツが腰を抜かすほどのワキガ臭。内訳にしてその九千円分がワキガ臭。女遊びに盛る友人より「コーラで洗え」とのアドバイスを直電にて受ける。

九月二日 (木) コンビニの前でフランクフルトと黒ラベルを自棄気味にキメるお姉ちゃんをみた。察するに彼氏がバナナボートを長年に渡りバナナンボートと言っていたのではないか。

九月三日 (金) 時を司る神を裏切るため、突然豚の角煮を拵えるべくピーコックへ。クックパッド曰くさほどの難儀はないという。女遊びに盛る友人より「コーラを入れろ」とのアドバイスを直電にて受ける。

九月四日 (土) いい歳をしてなぜ未だに不可解な夢を現実だと思うのか。いきなり「本番お願いします」とステージに放り出されてスポットライト。筒型ウエットティッシュのこまごまとしたセッティングを大衆に披露しているとロボコップが激怒、野沢雅子がベンチプレス。

九月五日 (日) 溜池と宇田川はダメ。日本橋と笹塚は良い。神谷町はその中間。あ、なか卯の話です。

九月六日 (月) 交通誘導員のおじいさんがベンチでコーヒーブレイク。その陽に焼けた横顔に「人が必ず死んでゆくのは義務ですか、権利ですか」と不躾に当てる。すると即答の形で「シフト制だよ」と仰った。深奥な哲理に触れて気配は秋。

九月七日 (火) その昔、承認欲求をこじらせながら控えめに芸能界を目指す男の家に泊まった。しこたま呑んだおれは床に転がりそのまま眠りに落ちた。どのくらい経ったのだろうか、うっすら目を開けると彼はデスクにてシュッシュッと音を立てながら作業に励んでいた。これは完全なる自慰行為の現行犯ではないかとタウンワークを丸めて背後から殴りつけようとしたところ、彼は延々とサインの練習をしていた。「シコりの最たるもんじゃねぇか!」という機智に富む反射的なツッコミは我ながら手柄として未だ心の冷蔵庫に貼り付けています。

九月八日 (水) 富山かイスタンブール、500円玉をトス、表が富山なら裏はイスタンブール、床を転がりベッドの奥へ、あぁ君も旅に出たのねと。

九月九日 (木) エアコン業者、出前館、ヤマト運輸が我が家の玄関に大集合。

九月十日 (金) 友人が泥酔、電柱ごとにゲロを吐き散らす体たらくに腹心の部下がコンビニに走るとぐんぐんグルトを買って来たらしい。そして胸ポケットにはプチ歌舞伎揚を捻じ込まれたと聞いた。ヤフーニュースのトップもんだろ、それ。

九月十一日 (土) この世に言い切れるものなど何もない。よって言い切れるものなど何もないと言い切ることもできない。誰かF1のタイヤ交換体験ゲームを作ってくんないか。

九月十二日 (日) 目玉焼きに失敗した瞬間スクランブルエッグに急遽変更。そのてやんでぃ精神は江戸っ子より脈々と我々に引き継がれたものであろう。

九月十三日 (月) 鉄板焼きは麻布の十番。寡黙にも険はなく見るからの生真面目なコックさんに妙な了見を起こし「今までの人生で犯した一番の悪事はなにか」と尋ねた。すると「先輩が五時間かけて煮込んだテールスープをすべてこぼしてしまい、しかもそれが先輩の足にかかってしまった」との微笑ましい惨劇を白状。そして小声に次いだ「むかし駐輪場に放火したことがあります」はガーリックライスを頬張ることでスルー。

九月十四日 (火) 現状でリトル・ミス・サンシャインのDVDを三本所有していることは認識している。四本目からは青魚を日々に摂り、五本目にはついに頭部のCT検査、六本目はもう日本語を異国の言葉として聞けるという独り相撲甚だしい特技をかざしてシルク・ドゥ・ソレイユのオーディションを受けようと思う。

九月十五日 (水) もうね、近頃ではなか卯の方が俺のこと好きなんじゃね?みたいな。

九月十六日 (木) 結局の詰まるところに人は誰しも解放されたい。性、金、業に満ちることで解放されたい。そして誰しもその先の死に永遠の束縛を求めている。

九月十七日 (金) 同じマンションに住む男性外国人が突然の来訪。片言に「チリコンカンを作り過ぎた」とモニター越しに鍋を抱えてみせる。それは古き良き日本のご近所付き合い、お裾分けを思わせるものであり快くそれを受け取った。貧しい舌にいわせるとウェンディーズのチリよりもずっと美味い。そしてなにより鍋の取っ手に書かれた「外用」という文字が謎。

九月十八日 (土) 年下の者より彫り物を入れたいとの相談を受ける。カフェインレス・アイスカフェラテを啜り「まず人に相談している時点でお前はダメだ」と突き放す。それでも入れたい気持ちに揺るぎはないようで「どのような柄を入れたいのか」と引き戻せば特に決まっていないという。そこで「お前が心底惚れているものはなんだ」と詰めたところ、悩んだ挙句に「ケンタッキーです」と答えた。本人が心底惚れているのなら年上も年下もなく尊重する。「小さな骨を重ねてカーネル・サンダースの顔を浮かび上がらせてはどうか」「唇の裏にKFCと彫り込んだらいいのではないか」「もうケンタッキーの肉にお前の名前を彫りやがれ」との案を矢継ぎ早に出してはみるが当の本人が納得しない。その深夜に「カーネル・サンダースの顔をしたニワトリはどうでしょうか」というメールが来る。なんか俺が入れる立場になってんなオラ。

 

fin

木林森人人森林木

 

人生に意味はない。

そう綴るとき、雲居の光明は今も昔もこちらへと信用を乞う。

人生に意味はない。

そう綴るとき、深淵の闇は今も昔もこちらへと信用を乞う。

良きにつけ悪しきにつけ人生に意味はない。

ならば陰陽の境を身体の中心に据え、互い違いに踏み歩いてゆく。

 

ときにカサンドラ・ウィルソンのハーヴェストムーン、そのイントロに爪弾かれたアイリッシュ・ブズーキの調べ。

出だしのわずか数秒にして体感は永遠、この世に鳴らされた事実をおれは愛している。

人生に意味はないとは知れども、その愛はささやかな意味にして虚ろに辿る道に添えた一輪の花。

しかしそのような思索に耽るばかりに引き寄せたか、突然の電話により花は無残に千切られた。

「お忙しいところ失礼致します。こちらブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンの小林と申します」

茶碗蒸しの椎茸のようにしっとり控えめな声色の女性、それは数年前より愛飲する加熱式たばこグローの元締め会社からであった。

「吸う顔が蚊に似ているとの苦情が五件入っていまして」などとこちらのM心をくすぐる報告がなされるのではないかと期待するも、なんのことはない営業を兼ねたアンケートのようなもので途端にたばこ会社を煙たがる。

「おん、どうも、そんでなにか」

「現在亀田様がお使いのグローに関しまして不具合や改善のご提案などがございましたらお聞かせ願います」

「んん特には今思いつきませんが、強いて言えばこの前吸っている途中で掃除をしようと専用ブラシを穴に突っ込んだら毛という毛がすべて燃え尽きました」

「それでしたら吸った後に少し時間を置いてからお掃除を始めてはいかがでしょうか」

「はい」

かの偉人グラハム・ベルが電話を発明して以来これほどまでに意味のない通話があったであろうか。

人生に意味はない。

 

「人生に意味はないと思うのはお前の勝手だ。でも他人を巻き込むんじゃねぇよ」

性的嗜好はSではあるがM字に禿げてゆく友人Aがこちらに物申す。

ついて返す言葉を持つが、それは己の主義を自ら反故するようで沈黙は金としてやり過ごす。

「ダメだな。お前もうダメだな。うし、行こうか」

なんでも彼の親族が奥多摩に森を所有しているらしく、精神が参るとそこへ通い心の充電をするという。

「おれ別に病んでねぇよ。人生に意味はないというのがニュートラルの状態なんだわ」

ハンドルを握る彼は聞いたか聞かぬかルームミラーでM字禿げの深度を確認しては色濃く落ち込み、高井戸より中央自動車道、稲城ICを越えたあたりでついに口を開く。

「なんで人間は禿げるんだろう」

そこに辿り着いた脳内の経緯と穏やかにキレている語気に吹き出しそうになるも努めて返答する。

「この宇宙はすべてバランスで成り立ってんだ。だからユニセフがセネガルで植樹する度にお前の髪が抜けるということも大いにあり得る。てかお前もういい歳なんだから薄毛すら大人の嗜みぐらいに受け止める度量はねぇのかよ」

「美容師が気軽に禿げていいわけねぇだろ!お前ヨガの先生がスーパー太っちょだったら嫌だろ!」

 

八王子ICを降り、夏の街道をひた走り、虫かごを下げた少年、遠方に揺れるは蜃気楼。

「なんだね、夏ってやつも虚像なのかも知んないね」

「そして人生に意味はないと繋げる気だろ」

「繋げる気はないけど繋がっちゃうところにおれの本心とお前の願望があるんだわ」

「エアコンを強と。お宅、熱中症ですね」

しばらくすると山道に入り、傾斜がエンジンを唸らせるとそのうち細い砂利道の向こうに数軒の民家がみえた。

割烹着を着たおばあさんがオレンジのマツダ・ロードスターを洗車するという非常にレアな場面に遭遇するや否や「あれ、俺の婆ちゃん」と少し禿げている者がいう。

「東京から参りましたAくんの友人である亀田と申します」と低頭する靴先に迂闊を覚えた。

なぜなら奥多摩も歴とした東京であり、これはしくじったと思うもおばあさんはニコニコとして不問、お茶と笹団子を勧めて来られる。

なるほど、この緑豊かな土地での生活が心に和やかなゆとりをもたらしているのだろう。

縁側に腰掛け、一服つけていると昨夜にヤフオクで出会ったヴィンテージ・アロハシャツの動向が気になりiPhoneを取り出したところでAがそれを止めてみせた。

「お客さん、もうこの地に入ったのなら携帯はご遠慮下さい」

目前の大自然に対する不粋なふるまいは早々にポケットに収め「さっせん」と添えて茶をすする。

だがしかし、向こうの居間ではおばあさんがバイタリティー溢れるスワイプを駆使したiPadで熱心な調べ物に勤しんでいるではないか。

どうやら資本の波はこの山里にも少なからず及んでおり、照りつける太陽、蝉の声、風鈴が鳴れば夏の昼下がり。

 

おばあさんより水筒、笹団子、熊よけのハンドベルと「日が暮れる前に戻りなさい」との言葉を授かり森へ入る。

「熊なんて出んだ」

「今年は結構出るらしい。もうこの界隈で十件以上の目撃情報が入っている」

「出たらどうすんだ」

「俺が囮になるからお前は熊の背後から水筒で思い切り殴りつけてくれ」

それは夢見がち且つ超リスキーな作戦であり、とりあえずお前を背後から水筒で殴りたい。

「どうですか、森林浴は。心の奥が落ち着くだろ」

「おん、思ったよりいいよ。青々しい匂いもまた」

時折思い出したようにハンドベルを打ち鳴らし、桃太郎さながらお腰に笹団子を縛りつけたAの後をついてゆくこと三十分、だいぶ歩いたと思うがまだ森の半分も達していないという。

木々の葉が風にさらされ、波打ち際のような音を立てる。

幻想的な木漏れ日を単なる自然現象として割り切れず、それに触れようとしたおれは「人生に意味はない」などと言い切れる資格があるのだろうか。

水筒の中身はまさかのスプライトであり、お茶という先入観をものの見事に粉砕するおばあさん。

「人生に意味はないとは傲り高ぶった先入観なのかも知れないな」

頭上に受ける日差しに地肌を透け倒したAがこちらに、そして緑々の世界に宣う。

「うんこしたい。いや、うんこする」

 

ハンドベルをこちらに預け、茂みに消えていったA。

血縁が所有する森にてひり出す野糞は一種の自爆ではなかろうか。

そのように分析しつつ、平らな岩に仰向けで寝ころべば岩肌が背にひんやり冷たく、現状にこれ以上心地よいものはなし。

一聴で珍しいとわかる鳥のさえずりに目を閉じると思考回路の澱が綺麗に洗い流されてゆくような感覚があった。

人生に意味はないのかも知れないが、おれは今ここに生きている。

意味という人間が作り出した足枷のような言葉に縛られながらもおれは今ここに生きている。

今こそハンドベルを高らかに鳴らすべきではないか、炎天の空に向けて「おれはここにいる」と。

そのとき、向こうの茂みが激しくワサワサと揺れ、鳥たちが飛び立った。

脳内は真っ白となり、そこへ少年野球時代の思い出があぶり出される。

帽子を取ったら盗塁のサイン、しかし夏の盛りで監督は試合中ずっと帽子を取っていた。

おれはもうじき熊に喰われて死ぬ。

そして奴の排泄物となり、肥やしとなり、この地に名も無い花として健気に生きてゆく。

しかし、そうは観念するも生への渇望はオートマティックに作動をした。

ハンドベルを商店街の福引ばりに振り乱したところ、茂みからこちらに叫ぶ者あり。

「俺みたいな!」

 

fin

天と選

 

梅雨煙る世田谷、あじさいより露玉堕ちては迫る都議会議員選挙。

いつかの雀荘よりつい履き帰ったサンダルをつっかけて日用品の買い出しへ向かう。

大きな水溜りを前に年甲斐もなくLR同時押しのわんぱく大ジャンプを繰り出しては自分のことが少し嫌いになりそうで逡巡、そこへ廃品回収車に対向する形で選挙カーがやって来ると互いの街宣が一時交じり合う。

「ご地域の皆様、私この度立候補しました不要になったゴルフバッグと申します。壊れていても構いません」

もう何のことだかさっぱりわからないが、そこには日々を営む清らかな民の響きがあった。

公園に差し掛かると傘も差さずにポスター掲示板から数センチという近距離から凝視する前世が煽り運転であったに違いないおじいさんを見た。

多少のやり過ぎ感はあれど、その佇まいは「都政とは己の生活である」とこちらに切々と語り説くようで。

三軒茶屋の駅前では候補者がマイクロフォンを用いて公約を掲げ、思い返せば数年前のこの場所でおれはひとりの男をある意味で当選させている。

「なんかいいナンパの仕方ってないすかね」

「あぁ!姫君ではないですか!私です!私ですよ!前世に家臣であった◯◯にございます!お忘れですか!ってのはどうよ」

「その◯◯はどうしましょう」

「名前なんてその辺の看板から適当に拝借すりゃいいのよ」

彼はさっそくスタバから出て来た女性に照準を絞り「あぁ!姫君ではないですか!」とおっ始めた。

たじろぐ女性など意に介さず「私ですよ!前世に家臣であったジーンズメイトもんじゃにございます!お忘れですか!」と捲し立てる。

おそらく姫君はジーンズメイトもんじゃという血迷った名の家臣など忘れたいし、何よりそれは冴えない大学生のデートコースじゃねぇか。

斯くして戦局は極めて劣勢に見えたがどうだ、そのうち彼女はクスクス笑い始めたではないか。

するとあれよあれよと事が進み、連絡先の交換、初デート、うれしはずかし朝帰り、惚れた腫れたの別れる別れないの末に祝言を挙げるというめでたい運びとなった。

そのようなことを思い出しながらその場を離れ、福太郎にて所用を済ませると右手にトイレットペーパーシングル十二ロール、左手には五箱を縦に連ねたスコッティ・ティッシュを二つ抱えキャロットタワーは地上百二十六メートルを見下ろす展望ロビーへ向かう。

二十六階直通のエレベーター、服屋の姐さんに教わったYoung GuvはRipe 4 Luvが頭の中で流れるとそのまま鼻歌に漏れたところで独りであり、そこに先客の疎ら具合を推しはかる。

閑散とした展望ロビーは想像通りであったが、梅雨空のパノラマは「無音のジョイ・ディヴィジョン」と物憂げに形容したいほどに素晴らしく、地上であくせく選挙活動に勤しむ人々を天空から見下ろす優越感もそれに尽くしていた。

だが、心揺さぶる光景を塗り潰す思いが降って湧く。

「この様に大量のペーパー類を持ち込んだ客は竣工以来おれが初なのではないか」

このような自意識の隆起により他者の視線に蔑みを感じると頰をほのかに紅潮させては一度トイレへエスケープ、尿意など全くないが一応便器の前でちんたまをポ、ポロンと律儀にさらけ出してはすぐさま仕舞い込みハウス、そして洗面台では近頃のおっさん化現象から左瞼が二重になりつつあるのを確認、その後は入念に手を洗うと気を取り直してはロビーへ舞い戻る。

数分の間に客の配置に若干の変化があり、己の身にもなにかしらの変化を感じ取った。

すわ、洗面台に大量のティッシュをそっくり忘れて来たではないか。

なんだろう、このカラオケにマイマイクを忘れて来たような心持ちは。

しかし辺りに動揺を悟られてはならず、ここはひとつパリコレのランウェイさながらに鋭く踵を返す。

「おれは地上百二十六メートルで一体なにをしてんだ」とは思うも、所詮人間などは宇宙ステーションでも使用後の糸ようじのにおいを嗅ぐ生き物じゃないか。

若い男女が「世田谷線小っさ!世田谷線小っさ!」と大声ではしゃぎ、意味のわからないハイタッチを交わす。

「おうおう、田舎からのこのこ出て来たカップルさんよぉ、早くジーンズメイト行ってもんじゃに行きゃがれ!」と心内に轟かせながらその方を見下ろすと、これが小さい、世田谷線が思いの外に小さいじゃない。

「世田谷線小っさ!」

こらハイタッチも無理はないなと妙に得心を覚えたところで男が女に「はい、オレンジ色の屋根の家はどこでしょう」と突然の出題、受けて女は身を乗り出し「え、え、ちょっと待って、あ!あった!」と指を差し「じゃあ今まさに引越しをしている人はどこでしょう」などと切り返す。

他愛もないやり取りではあるが、別れた数年後の秋口辺りに「あの人は今頃どうしているのでしょう」と各々自らへ出題するのだろう。

さて、お次はどの方面を拝もうかとトイレットペーパーをボスボス蹴っぱくりながらうろついていると車椅子のおばあさんに介助の者が寄り添い景色を眺めていた。

「残念ですね。今日は雨だから富士山は見えませんね」

そこへ次いだおばあさんの言葉をおれはこの先々、折に触れて反芻することだろう。

「でも向こうからこっちは見えている気がするの」

それは都政然り、愛に然り、その真実を求めれば求めるほど見えなくなってゆく。

しかし、その事象は常に不動としてこちらを見つめている。

人は時として銘菓雷おこしのようなパーマの仕上がりに明日すら見えない日もあるだろう。

しかし、明日という日はしかとこちらを見つめてやまない。

おばあさんの金言に明鏡止水のごとく心が研磨されるとそのままタワーを降り、帰路に就く。

街の穢れを避け、足早に、人々の邪心を避け、足早に。

眼鏡屋の店頭に立つピンクの法被を着た店員の男がポケットティッシュを差し向けて来る。

右手にトイレットペーパーシングル十二ロール、左手には五箱を縦に連ねたスコッティ・ティッシュを二つ抱える者にポケットティッシュを差し向けて来る。

とても義務教育を修めた者とは思えない彼の状況判断能力にこちらはただただ悠然と見つめる他にない。

そう、あのマウント富士のように。

 

fin

漏れては時候不順の折

 

六月、これといった祝日もなく特段の風物的な催しは見当たらない。

それでも無理な体勢からトスを上げるのなら大林素子の誕生月ではあるが、やはり個人的には夏へ向けて体調を整える穏やかな坂道のような時節だと思っている。

しかし、今年の六月は生涯に忘れ得ぬものとなった。

「馬っ鹿野郎!お前そしたらすぐにでも菓子折りのひとつも持って謝りに行くのが人の道ってもんだろ!あんま世の中舐めてんとお前ん家の家系図に東海大相模を書き込んで甲子園みたくすんぞ!お!?」

このように威勢良く年下の者を叱りつけた翌朝、うんこを漏らしていた。

松山城の模型、その総仕上げとして頂にハメ込む屋根を紛失して以来の大変なショックを受けるも束の間、下痢と吐瀉物が激しく外界への脱出を試みる。

心当たりは売れ残りの海鮮巻きか、それとも常温で放置したカット・パイナップルか、はたまたあの日君が夕暮れの海に深く沈めた言葉か。

ともかく住民票を便座に移したかのようにそこから動けないとなると長期戦に備えてiPhoneを持ち込みラジオをつけたところ、DJのお兄さんが幼い声色と生電話でやりとりをしていた。

「へぇ、今おばあちゃんの家にいるんだ。ちなみにおばあちゃんは今何をしているのかな?」

「爆睡してる」

こちらが食あたりに苦しんでいる最中にも世間は平常運行の時を刻んでいるらしく、長らく便座に腰掛けていると仄暗い意識の水面にこのようなことを浮かべる。

「カブトガニは自分のことをカブトガニとは思っていない。ならば我々人類も高次元の生物に全員ワキガの三者面談と呼ばれていてもそう不思議ではない。あぁ!ぽんぽ!ぽんぽさんが痛いの!」

 

昼過ぎ、未だゴキュゴキュと腹から不穏な音が鳴り、食欲などは当然にないが水分補給は当面に肝要なものだと体が訴えている。

飲みかけのペットボトル群にも疑念を向け、すべて排水口にぶち撒けると自宅からおよそ二十五メートル離れた自販機までの遠征を心に決めた。

平時では取るに足らない距離ではあるが、個人的な緊急事態宣言下に恐れたのは道中での便意であり、それが発動してしまえば問答無用で堪える間もなく流出してしまう。

しかし、恐る恐るに外出してみるとそれは杞憂に過ぎた。

なぜならその道すがらに大規模施設の建築現場があり、簡易トイレが目につくと万が一の際にはお借りした後の謝意として石膏ボードの五、六枚も搬入すれば事は済む。

病は気からというが気は病からとも言える好例に心地よく包まれていると道の向こうからもうどちらが散歩の主導権を握っているのかわからない干し芋のようなおじいさんと芋けんぴのような鋭い眼光の犬がやって来た。

犬はごく自然にしゃがみ込み、プルプルとその身を震わせ糞をしはじめるとその姿は己が辿る未来だったような気がしつつ自販機に到着すると「すばらしいお茶」という自賛に攻めるサンガリアの商品が目前にしゃしゃり出る。

なにかこう、すき家の「クリームチーズアラビアータ牛丼」とヤケクソ具合が似ている。

さて見繕うは熊野古道水にドデカミン、そして出会ったからにはすばらしいお茶も購入しようとしたところで財布を持っていないことに気づく。

自販機にしてみれば終戦のような物悲しい眼差しでこちらを見据えるおじさん一名あり。

「クソが」

思わず口にした罵りは言葉通りの誘い水、拭き過ぎてヒリつく菊門に不快な重力を感じた瞬間には小走りの帰路、これは家までもたないと吹き出る脂汗、そこで保険を掛けていた工事現場の簡易トイレ、ドアが開いてバスタオルで頭をわしゃわしゃするおじさん、仮設シャワー。

近年稀にみる絶望の最中にも小走りの悪戯な振動はリスクが高過ぎると本能的に判断すると急遽忍者のような摺り足を用いて犬畜生の糞を始末するおじいさんの脇を通過する。

人は下痢も極まると犬がひり出した固形の糞にも羨望の眼差しを向けてしまうものらしい。

 

なんとか青空の下での粗相は免れ帰宅するも、とにかく下痢が常に滝。

苛立ちに任せてセイロガン糖衣Aとロキソニンを大量にボリボリ喰らうとついには白蛇を首に巻きつけた今は亡き祖母が現れた。

「よくお聞きなさい。人はあらかじめ海パンを履いてゆくからいつも本パンを忘れるのです」

そう言い残して祖母は消えてゆき、白蛇の赤い眼光、その残像も寸刻おいてこれもまた消えていった。

それからというもの、若干にトイレの回数が減ったような気がするもマサ斎藤のフィギュアを愛でるという就寝前の慣行を欠くと心身ともに弱っている実感が湧き、ほとほと嫌気がさしたところで睡魔の尾を見つけ、掴み、そして落ちた。

 

主に回し蹴りで暴漢どもを痛めつけ、妙齢なるご婦人を助けるとどうしてもお礼がしたいと食い下がる。

「いや、礼など結構です。助けたのはこちらの身勝手な性分ですので」

「いえ、ぜひお礼をさせて下さい」

ご婦人はシートがザクザクに破れて雨水をこれでもかと吸い込んだYAMAHAジョグを差し上げるという。

あまりにもしつこいのでとりあえず格好だけでも跨がると尻がもうビシャビシャに濡れた。

尻の冷たい翌朝、二日連続で糞を漏らすと頭の中で渡る世間のオープニングが流れる。

確かにショックではあるが、事態を冷静に捉えている自分もいた。

「オムツ買おっ」

ドラッグストアの開店時間と同時に勇んで入店、店員さんには言い訳がましく「介護に使うのですが」と伝えたもので三十二枚入りのこの上なく気合が入ったものを勧められた。

「幼き時分にオムツを履き、老いてはオムツとの再会を果たす」

これが正しい道筋だと思っていたが、まさかその中間でサプライズ・ティータイムがあるとは思いも寄らなかった。

おもむろに広げた純白のオムツには思いのほか悲壮感はなく、そのまま「どら」なんといって履いてみるとそのシルキーな履き心地に甚く感動する。

特に臀部周辺の手厚く守られている感覚などは彷徨える自意識をその内に閉じ込めて力強く肯定してくれた。

尻の不快感がない久々の朝、オムツに漏らした形跡はなく、その喜びに続くこれまた久々の空腹感がなんとも愛おしい。

大阪王将よりふわとろ天津飯、餃子、ちゃんぽん麺、麻婆茄子と張り込んでのオーダー。

配達員のお兄さんには快気の祝儀を切り、いざ割り箸を割ったところで自殺が過る。

唐突のオムツ姿で「お、ご苦労さん。これ少ないけどタバコ代にでもしてくんな」じゃねぇよ。

 

fin

続・デラシネの記

 

五月一日(土) 「もういくつ寝るとお正月?」と問われれば震えながら「に、二百日ぐらいでしょうか」と答申する候、うららかな薫風に心揺すられること五年ぶりに髭を落としてみれば「絶対髭あった方がいい」と身も蓋もないことを周りの者たちはいう。「剃り損」という一聴にして新たな株用語の響きすらあるが、それはなんともあてどなくただただ腹立たしい皐月の口切り。

五月二日(日) セブンイレブンにてコーヒーカップを手に彷徨い歩くおじいさんをみた。しばらく様子を窺うと震える指先でポットのロックを解除。それは緊急事態宣言の解除をも願う美しい所作に思え「それはお湯ですよ」などという軽々しい言葉は控えて飲み込んだ。

五月三日(月) 足の爪を切り、親指の角に溜まったカスの匂いを嗅いでいるところを草むしりに勤しむおばさんに見られる。

五月四日(火) 柿の木坂の側道、バックミラーに映るトラックには三名が横並びに座している。運転手は上半身裸の黒人、中央に位置なす厚着のおじさん、そしてタンクトップのお兄ちゃんというラインナップ。これはもう両サイドのエアコンが壊れて中央にパワフルな冷風が集中しちゃってんな!

五月五日(水) パンツの食い込みは事件か事故か。

五月六日(木) コロナの影響をもろに受けて失職、離婚という荒れたオフロードを目下激走中の友人から深夜のメール。「大麦、ハブ茶、発芽大麦、とうもろこし、ハトムギ発酵エキス、玄米、タンポポの根、びわの葉、カワラケツメイ、ごぼう、あわ、きび、小豆、エゴマの葉、ナツメ、ゆずの皮、俺」彼はもう十六茶の新たな成分として生きてゆくつもりらしい。えぇ、心配です。

五月七日(金) 近頃ではおっさん化現象が進み、とにかく待てなくなってきた。銀行の窓口業務はお金を取り扱うのだから慎重にもなるだろう。しかし「裏でジェンガしてんじゃねぇの?」と思うほどに遅い時がある。いや、なにもジェンガをするなとは言っていない。「あ、ちょっと一回ジェンガしてきます」という一言があってもいいじゃないって話よ。

五月八日(土) 九十の齢も登り詰めようかという祖父は未だ物事に明るい。不義理にも電話での挨拶はそこそこに「爆風スランプって知ってる?」と突然問うたところ「ん?あぁ、それはアメリカの政治家さんだろう」とのこと。いや、多分ね、多分よ?「逆風トランプ」と勘違いしてんじゃねぇかな、うん。

五月九日(日) スマパンの『1979』を聴くと心が透き通り、決まってあの懐かしい映像が淡く浮かび上がる。十五の時分、勇気を振り絞り真夜中のエロビデ自販機まで行ったはいいが、先輩ヤンキーたちが二、三人やって来ては袋小路。咄嗟に自販機と自販機の隙間に隠れるも滞りなく発見される。向こうはめちゃくちゃ驚いていた。もう「だっふんだ!」みたいな声をあげていた。

五月十日(月) 贔屓にしているガソリンスタンドに気易い店員さんを持っている。彼は世界を股に掛ける俳優を目指して英会話を学んでおり、半年前からおれとの会話は英語縛りとなっている。すると物事に弊害は付き物のようで、新人店員がおれを日系の外国人と思い込み、牛糞の乾き具合を小枝で突ついて調べるようなおよび腰で「へ、ヘイ、ワッツアップ!?」とブチ込んで来るじゃない。

五月十一日(火) 環七は高円寺方面、大原を抜けた辺りで脇の下を覗き込む本物の脇見運転に遭遇する。

五月十二日(水) これからバンドを組むのならムスクというバンド名。これだけはもう決まってんだ。

五月十三日(木) 三十七億年前、無数の有機物質がつい奇遇に合わさり、朝礼で倒れる女子生徒が感じた気の遠くなるような長い時を経て海中を漂い始めた微生物こそ我々の祖先であると聞く。だがそれは権威ある生物学者が嫁の実家へ行き、居間に義父と二人きりの場面にてとりあえず目についた和竿の漆による照りを素人ながらに讃えた後の尋常でない静寂の気まずさからひり出された作り話かも知れないぜ。

五月十四日(金) こむら返り、その激痛の渦中にこそアフリカ某国の水を汲みに片道八キロという道のりを歩く少女を慮り、その苦を共有すべきではないか。

五月十五日(土) 夕暮れの駒沢公園。縄を二本使った所謂ダブルダッチに興じる若人衆あり。BGMはパブリックエネミー辺りか、側転から縄の内に入り込み片手でバク転などをかまし、その上で縄に引っかからないと来れば魅入ってしまう。これは対価が発生して然りと及ばずながら人数分の飲料を差し入れる。一人だけホットの綾鷹になってしまうのはこちらの不手際、延いてはご愛嬌。その場を離れ、しばらく歩いていると入念なストレッチに精を出す若人あり。「さて、君は何を見せてくれるのかな?」と自然な形で待ち受けているとトートバッグからトンファーを取り出した。トートバッグからトンファーの衝撃たるや仲良しこよしの縄跳びなんか目じゃねぇぞ!おう!綾鷹こっちに回せオラ!ホットの綾鷹オラ!

 

fin

デラシネの記

 

四月一日(木) まだ夜も明けきらぬ環七は練馬付近のジョナサン。店内は真っ暗であるも青筋を立ててドアをこじ開けようとするエイプリルフールにしては塩がきつ過ぎる大胆なお婆さんを車内より発見。するとカーラジオから穏やかなゴスペルが流れ出し、それが目の前に展開される修羅場に合わさることで真っ暗な店内が死後の世界に見えた。彼女にはまだ死の許可は下りていないらしい。

四月二日(金) 泣く子も舌打ちをする伝説の異種格闘技戦、ジャイアント馬場VSラジャ・ライオンをYouTubeで。やはり何度観ても伝説であり、何度観てもカフェインレス・アイスラテを吹き出してしまう。

四月三日(土) 所用の後、セルリアンタワーで麻婆豆腐。人は美味過ぎるということにも微弱ながらにストレスを感じるものだと悟る。Youtubeの関連動画にジャイアント馬場VSラジャ・ライオン戦が組み込まれていてカフェインレス・アイスラテを吹き出す。

四月四日(日) 実家より甥が小学生になったとの知らせを受ける。そしてスローライフを掲げ、揚々と岩手に移り住んだ友人より「牛に足を踏まれて負傷した」との知らせを受ける。おそらくスローライフゆえに互いが互いにボーっとしていたのだろう。

四月五日(月) 特に何も出来事が起こらないという出来事が起こる。

四月六日(火) アニメ版沈黙の艦隊をYouTubeにて。中学の頃友人の家で夢中になって読破をした思い出があり、今こそアマゾンで全巻を買い揃えようと思い立つも、そのレビューに「外国人の友達がこれは敗戦国のポルノだと言っていた」と書かれており、言葉に尽くせぬ悔しさと悲しさからベランダより夜空を見上げるとそこには図星が暗々として輝く。

四月七日(水) 昨日の件を引きずっているようで気分が冴えない。我ながら平時に穏やかな人柄は見る影もなく、電柱に登る関電工の作業員にカンチョーしたいほど心が荒んでいたところにサイレンを鳴らしたパトカーが通り過ぎる。ふとアニメ版沈黙の艦隊における「海の悪魔」こと主人公海江田四郎艦長の声優を思い切って柳沢慎吾にしてみたらどうか。「魚雷全門発射!」と柳沢慎吾。ピーコックの前でひとりこみ上げる可笑しみを堪えていたのは私です。

四月八日(木)メロンジュースが呼んでいる気がして二子玉へ。その道すがら蔦屋家電のキッチンコーナーに立ち寄る。人をも殺せる大きなポリネシアン風のしゃもじはインテリアも兼ねているらしく、こちらがつい良い反応を見せたものだから店員さんも調子づいて「ボブ・サップの肩たたきにもなりますよ!」と張り切る。無視。

四月九日(金) 久しぶりにスタジオに入る。持参したLEW LEWISはSAVE THE WAILを音が割れるまでボリュームを上げてひたすらドラムをしばき倒す。無数の血豆が裂けてグリップが血潮でぬるぬるするがそんなの知らねぇ。帰路、東南アジア系のファミリーがわんさか乗り込む軽自動車に横づけされ「エチゴユザワ、ドッチデスカ?」と尋ねられた。そんなの知らねぇ。

四月十日(土) 鼻の真下に巨大な吹出物を設置した方が「あぁ、俺、誰かに想われてるわぁ」とおっしゃる。

四月十一日(日) 「宇宙に始まりはないが終わりはある」との近年の学説に触れ、混乱する頭をクールダウンする為に「ホームレスにもハゲはいるの!」と叫んだところ、駐輪場の方より「どわいしょ!」という誰かのくしゃみ、威勢のよい合いの手が入る。

四月十二日(月) 太子堂の空き地に個人で枠借りの出来る畑が興された。幼い子が一所懸命に種を蒔いており、小さな耳たぶが陽に透けている。そこへお祖父さんがネームプレートを差し込めば手書きで「ゴボー」としてあり、ややあって「これプチトマトだよ」という幼い声を背に聞いた。

四月十三日(火) 近所のイカれたおじさんが自販機に「僕、オリンピックやります!」と高らかに宣誓。

四月十四日(水) 前を走る車が座布団を投げ捨てた。横綱が負けたのだろう。以前にはバナナの皮を投げ捨てる車にも出くわしている。マリオカートなのだろう。

四月十五日(木) 古いクリアファイルより十五歳の頃に書いた詩を発見する。タイトルを「血まみれのポセイドン」として物騒ながらにその書き出しは「君をひまわり畑で見失った」と爽やかに肌寒く、その後は失恋を匂わす言葉がネチネチと執拗に連なり「君はひまわり畑で僕を見失った」として得意気に筆を置く。なんでもいいけど血まみれのポセイドンさんがずっと控え室で待ってんですけど!

四月十六日(金) 朝方の富ヶ谷。脇から出て来た車に道を譲ると五、六十代と思わしきおじさんが挨拶代わりか手拳銃をバキュンとして来た。するとこちらも弾を掴み取るなりパラパラと粉々にする仕草。そして数分後、初台の信号待ちで横並びになるという気恥ずかしさったるや、もう。

 

fin

バニライエローの怪

 

ドデカミンエナジーフロートがコンビニの棚から消えて早数ヶ月。

慕情は一途に募るばかりであり、向こうもおれを探しているかと思えば感は溢れて枕を濡らす。

ネット検索にかけはすれどもその結果は芳しいものでなく、電子路頭に迷い、途方に暮れてはAmazonに行き着き、当てのない指先を別冊ニュートン『無とは何か』の注文をすることでなんとか収める。

思い返すドデカミンエナジーフロートのラベルには「アルギニン&ローヤルゼリー200%」ともはや体に悪いのではないかと思わせる自棄っぱちな謳い文句が筆圧高く記され、更に「開栓後に放置をするとキャップが飛ぶことがあります」とこちらを散々に脅しつつも側面の縦ラインには「ここからはがせます」という打って変わる低頭な心配りに愛すべき本性を感じていた。

遊歩道に咲く梅をベランダより眺めているとライ・クーダーの奏でるバンジョーが自室より漏れて聴こえ、ヤマトの配達員が引く台車のゴロゴロという音に奇しくほんの数秒合わさる粗野で温かなカントリー。

せまる春の兆し、やはりその傍にはドデカミンエナジーフロートがあってほしい。

再度取り掛かる検索は自然と熱を帯び、ついには個人商店が運営するサイトにそれを見つけた。

二十四本入りにして三千六百二十四円、在庫は残り一箱。

この機を逃しては今際の際まで後悔するのは確定、されどもこの残り一箱はリアルタイムで反映されているものなのか、サイトの手作り感が加勢するところに不確定、しかしここでグズグズしていては他者に先取りされてしまう。

急いでカートにぶち込み、名前から住所、そして支払方法を手早く記入してニュースレターを手堅くオフ、勇んで決定ボタンを押したところ名前のフリガナが抜けていると不備の朱が入る。

「御社には亀田錬太郎をタモリンピックと読んじゃう者でもいんのかオラ!」

マウスを叩きつけて昂ぶりを発露、だがその内訳は所望する品にやっと出会えた喜びが大半を占めていた。

指示通りにフリガナを振り、配達時刻諸々を記入し終えるとピンクのウサギが「ご注文ありがとうございました」と頭を垂れる。

 

それから数日を経て一通のメールが届くもそのアドレスが実に怪しい。

英数字をランダムに、また湯水の如くにどこまでも羅列した悪徳業者のそれのようであり、確かに内容こそこちらが発注した品の確認メールではあれど、これは要警戒に値する。

我が家では幼い頃より「人は常に疑ってかかれ。疑うのは信じる過程であり卑下することはない」と事あるごとに父親から言い聞かされていた。

ここでひとつエピソードを挙げるのならば、ある日親父が小田原の箱根そばで手繰り終えると店を出た。

暫くして財布がないことに気づき、大慌てでそば屋に戻るその道中に「これは間違いなく隣り合わせた男がすったに違いない。道理で怪しい風貌をしていた」と訝る。

戻り着く店にはやはり容疑者の姿はなく、世知辛い世を儚む下方に堕する視線の先に自分が使用していたお盆を見た。

そこにはお盆の色、艶、木目にぴったりと同化した永遠に誰も気づかないであろう長財布がベロンと横たわっていたらしい。

ともかくおれの身体には長年に教え込まれた疑心というものが絶えず循環しており、今日日の世情において三千六百二十四円を言われるままにポンと払い込む了見など持ち合わせてはいない。

迂闊にも三千六百二十四円を鼻歌交じりに入金すれば軽傷でたれぱんだのマウスパッド、重傷で伊吹吾郎の等身大パズルが年に二ピースずつ送られて来る可能性も無きにしも非ず。

すると夜のしじまにキーボードを打つ音がパシャと弾ける。

「先日ドデカミンエナジーフロートを注文させて頂きました亀田錬太郎と申します。大変に失礼かと存じますが思う所を率直に申し上げますと、社会通念に照らし合わせて鑑みるにそちらのメールアドレスはすこぶるに怪しく、それにより入金に二の足を踏んでいる現状がございます。さて、如何したものでしょう」

その返事はメールではなく、翌日の昼下がりに恭しい謝罪から始まる電話連絡を受けた。

声色から五十を越える業者の男が「どのようにこちらが正規の販売店だと証明すればよいものやら難儀をしております」と漏らす。

互いに次ぐ言葉を欠いては暫くの無言に陥り、時折の咳払いで電話回線の「生」を確認し合う。

 

こちらにはかの沈黙に沸々と湧き上がる思いがあった。

ふたりの漢が思慮を巡らせ、血の通わないネット社会に生きとし生けるものの熱い血潮を今注入せんとする。

「こちらの名刺を写メで送りましょうか」

「お言葉ですが名刺などいくらでもどのようにでも作れますよね」

「では免許証ではどうでしょうか」

「そんなのニンベンの者に頼めばどのようにでも作れますよ。いいですか私はね、あなた個人の生きている証が欲しいのです!」

ここまで来ると向こうから商談を断つことも大いにあり得たが「一度電話を切り、少し考えさせて下さい」と言い残した十分後には意を決したような雄々しい呼び出し音が鳴り、彼は淀みのない口調でこう発した。

「昨年に妻と行ったぶどう狩りの写真を送ります」

「それですよ!それ!」

画像を開くと星条旗のトレーナーを着る男性がピースサインを作る途中で撮られたのか、弾ける笑顔で目潰しの構えを取っている。

「こんな写真はなかなかお目にかかれないぜ。生への渇望が横溢してんじゃねぇかさ」

そして何気なく拡大したところ、チェーンのみのネックレスと思いきや、星条旗の星に同化したシルバーの星形ヘッドを確認した。

「親父のお盆状態じゃねぇか!なにこのすんごい親近感!うん、この人は悪徳業者じゃない!」

もうひとつ背中を押して欲しいという気持ちから拡大したまま後方の張り紙を映し出すと「休園中」としてある。

「あぁ!絶対いい人だ!この人絶対いい人だ!」

 

fin

捨てる神あれば拾うと見せかけてドラゴンスリーパーをしてくる神もあり

 

お通しの胡麻豆腐で差し歯が抜けた友人の第一声は「神様、私が一体何をしたというのですか」という敬虔な語気を穏やかに含むものであり、こちらとしては如月の序の口に相応しいなんとも清らかな心持ちとなる。

「もういい加減ハンドスピナーはやめなさいと神様からのお告げだろう」

「あぁ、そうか。そうですか」

「今どき張り切ってやってんのはお前とパプア・ニューギニアの子供達だけだ」

「あぁ神様、厳しくも温かいご忠告だけでなく歯を飲み込まずに済んだそのご加護にも感謝致します」

それから小一時間ばかり差しつ差されつの盃を交わしていたが「神様、私が一体何をしたというのですか」という彼の発言が心のささくれにずっと引っ掛かっていた。

思えば長きに亘るコロナウィルスの流行により陰鬱な日々をただただ消化するばかりであり「神様、私が一体何をしたのですか」と純な眼差しで宙に問う個人的な出来事も久しくなければそれは生きた屍に同じ。

彼が差し歯をティッシュに包み、それをポケットに入れる手前で「もうそろそろお開きにしようか」という。

「もうちょっとひとりで飲んで帰んわ」

退店する彼には一瞥もくれず、先刻の清らかな心持ちはどこへやら、煮え切らない己の生き様に生来の狂気がくすぶると手の甲を楊枝で強かに突く。

プツと丸く浮き出た鮮血に生の安堵を覚えると徐々に広がる暗褐色の孤島を上空からしばらく眺めていた。

 

叩きつけて丸め、捻ては伸ばし、美しいメロディーを発する粘土を用いて優雅な交響曲を奏でながらイカリングを作り上げたところで違法カジノ時代の先輩である大野さんが現れ「よくも俺のブタミントンを!」と突然の怒号を上げ、殴り合いの喧嘩の果てに目が覚めた。

枕元の携帯には数件の着信が残っており、留守電にもメッセージが入っている。

「あの、えっと、ちょっと頼みたいことがあって、ん、連絡ください、はい」

彼はシングルファーザーという襷を掛けて日々子育てに奔走しており、近頃では良い意味で疎遠となっていた。

そのように奮闘する男からの頼み事であれば一も二もなく引き受ける心構えで電話を折り返す。

「あぁ、ごめん、寝てたよ。どうしたの」

「申し訳ない。地元で急な不幸があってすぐに行かなくちゃならないんだけど、娘の人形を一晩だけ預かってくれないか。状況が状況だから持って行けないんだよ」

「あぁ、それはそれは。全っ然いいよ。向こう一年でも二年でも預かってやんよ」

「すまない、今からそっちに向かうから。本当にありがとう」

ほどなく車が着いたようでエントランスまで迎えに出ると彼はピンクがかったシースルーバッグをトランクから取り出していた。

そこには小さな家具のような物が多数、そしておもちゃの哺乳瓶を確認する。

「おう、久しぶりじゃねぇの。なんだか、なんだか大変だね、しかし」

「あぁ、本当に申し訳ない。このお礼はいつかするから」

そこへ妙にリアルな人形を抱えた小さな娘さんがモチモチやって来ては父に促されてこちらに挨拶をした。

「こんにちは……ぽぽちゃんをお願いします」

「お、こんにちは。ぽぽちゃんっていうの。わかったよ、大切にお預かりします」

そして彼女は今生の別れのように涙々の車窓からいつまでも手を振り、こちらもぽぽちゃんの手を握りいつまでもそれに応えた。

 

現在とあるバンドから歌詞の依頼を請けており、昨晩のポストに音源が届いていた。

「現代社会に対するピリッと皮肉めいた歌詞をスモーキーなチルブルースに乗せて欲しい」

前以てそのような要望があり、貰い受けたCD-Rを再生するとスティーブ・ソレイシーなる男が教鞭を執る英会話の授業がみっちり収録されていた。

「こちらの大胆な聞き間違いかも知れん」

大きく気を取り直そうと少しその辺を掃き掃除、その間に湯を溜め、加湿器の水を足し、ドクターマーチンの靴紐を黄色に変え、ユーチューブでシルクロード鉄道と検索、十五秒に一回「もこみち若っけ!」と言いながら鑑賞、髭を整え入浴、風呂上がりは入念な耳掃除に次いで「あ、あ、ワンツーワンツー」と聴力チェック、そして祈るような気持ちでCD-Rを再生するも引き続きスティーブ・ソレイシーが英会話の授業をしているではないか。

「神様、私が一体何をしたというのですか」

単に送り主が誤送したのであればまだしも、これぞ英会話の授業にしか聞こえない最新のスモーキーなチルブルースであった場合こちらの指摘はアーティストへの侮辱にあたる。

さて、これはどうしたものかと思案をしていると次第に睡魔に飲まれ、とろとろ落ちた。

 

着信音に起こされ、寝惚け眼に画面を覗けばFaceTimeという表示があり、それを素直に取ると不祝儀の場へ向かった彼の姿が映し出された。

「あ、どうも、今着きました」

「んん、そか、お疲れさんです。そか、うん」

「娘がぽぽちゃん今何しているの?ってうるさくて。ちょっとだけ映してくれないかな。すいません」

「ぽぽちゃん?あぁ、ぽぽちゃんね、ぽぽちゃんは今……ちょっと待って」

玄関の方へ視線を移すとぽぽちゃんはおでこを床につけて尻を突き上げ、新日本プロレス伝統トレーニングであるライオン・プッシュアップの途中体制に入っており「ぽぽちゃんは今筋トレしています」とは言えず、慌てて抱きかかえてはカメラの前へ突き出した。

すると父を介した娘さんから手厳しい指導が入る。

どうやらぽぽちゃんが今着ているものは余所行きのお洋服であるらしく、速やかに部屋着なるものへ着替えさせろとのこと。

ピンクがかったシースルーバッグより様々な家具や哺乳瓶を取り出し、洋服が大量に入ったポーチを見つけ出すとようやく指示の通りの格好をさせた。

「あとミルクを飲ませる時間だと。本当にすまない」

「いや、預かった以上はやるよ。気にすんな」

カメラ映りを意識したベストアングルでミルクを飲ませると哺乳瓶より「ゴクゴクゴク」と音声が鳴る。

「へぇ、今のおもちゃはすごいね、しかし」

なにかその様が愛らしく思え、ぐいぐい大五郎ばりに飲ませていると「ゴクゴクゴク…うぇーん!」と突然泣き出し、娘さんは画面から飛び出す勢いで「ちっち!ちっち!オムツ替えて!」と叫ぶ。

言われるままに従い、オムツをぺりぺり剥がし、予備のものを履き替えさせたところで娘さんより「はい集合集合!一回拭けや!このバカチンが!」のような叱咤を受けて「さっせん!」ともう一度脱がせてウエットティッシュで局部を拭き拭きしては「ふぃー」とひと段落。

そしてつい気の緩みからズボンの上からオムツを履かせてしまう。

もう娘さんは画面の向こうでそれはそれは激しく地団駄を踏み「これだから工業高校は!」と言いたげな怒気をこちらに向けて大泣きした。

 

ぽぽちゃんは体の構造上、入浴は完全なNGであり就寝前には必ずパジャマに着替えさせてから髪を梳かせとの言付けを受け、それを忠実に守ったのは彼の為、あるいは全世界に点在するシングルファーザーへの声援という捉え方をしてもらって構わない。

「さ、ねんねしましょう、ねんね」

ぽぽちゃんをおもちゃのベッドに寝かし付けようとしたその時、恐怖のFaceTimeが鳴り響く。

「あぁ、夜分にすいません。娘が寝る前にもう一度ぽぽちゃんに会いたいと」

「あぁ、はいはい」

首元までぴっちりボタンを留めたパジャマ姿、艶めくヘアに抜かりはない。

しかし娘さんは即座にナイトキャップの不備と就寝前のおしっこをこちらに申しつけた。

帽子を被せておもちゃの便座に座らせると「チョロチョロチョロ」と音声が流れることで放尿終了。

滞りなく諸々を済ませたはずが「オムツ!オムツ!」と力の限りに連呼している娘さんを解せずにいると満を持してオムツをつけたまま放尿させてしまった。

その罪は重く、謗りを免れる術もなければ又しても大泣きをさせてしまうかと思いきや、忙しない一日の疲れが小さな体にのしかかってか「あなたはもう馬鹿の特許を取りなさい。ね、悪いこと言わないから」という諦めムードを画面の向こうより気取った。

 

「ぽぽちゃんを横にすれば目は自動的に閉じるから」

これはシングルファーザーとして堂に入る男からの信頼できる言葉なのだが、はて、床の中から天井に向けて目をフルオープンさせているぽぽちゃんは一体どのような了見なのだろう。

もしや故障ともなれば娘さんの怒りは頂点に達し、ガムテープですね毛を抜き倒された挙句、その本数分のビンタがこちらの頰に叩き込まれる。

強引に目を閉じさせるも絶妙な間をもって「お待たせしました」と言わんばかりに瞼がツイと持ち上がって元の木阿弥、そのうち唇を頻繁にタコにする中学以来のチック症状を発症すればこちらの限界はすぐそこまで迫っていた。

「神様、私が一体何をしたというのですか」

しかし、迫っていたのは神が放たれた眩い光の群れ。

「あぁそうか!いつもと違うお家だから寝付けないってか」

ぽぽちゃんの頭を撫でると絵本でも読み聞かせようと即席の親心が芽生えた。

「確かすてきな三にんぐみがあったな。どこやったっけ、ちょっと待ってな」

いくら探しても絵本は見つからず、偶さか長年に紛失したドライヤーのヘッドが大山椒魚のぬいぐるみ、その腹部に滑り込んでいたところを発見しただけでも良しとする。

「はい、絵本がないから江戸文字入門でいいね」

それから勘亭流、寄席文字、相撲字という流れで懇々と言い含め、通人石井三禮翁の半生にスポットを当てたところでぽぽちゃんを窺い見るとこれがまたギンギンと開目しては寝そびれている。

ならば物は試しの心許ない最終手段、スティーブ・ソレイシー先生にご足労を願い英会話の授業を聞かせればそのうちうつらうつらと瞼が重くなるやも知れない。

おもちゃの洗濯機、そして物干しスタンドが目に入ると明日はスパルタ洗濯道場が待っているのだろう。

スピーカーからは優しげな声色で誘う異国の言語文化、それにまどろみ真っ先に寝入ったのはこちらの方という。

 

fin