ひすい

 

先日、五本木に構える小さな喫茶店がその営業にピリオドを打った。

そこの店主とは数年前に知り合い、連絡先の交換などは一切せずとも奇遇に再会しては飲み交わすという縁を重ね、かの店がオープンする際のレセプションパーティーに招かれた。

ほろ酔い加減に「なんで六本木じゃなく五本木を選んだの?」というこちらの不躾な問いに彼はこう答えた。

「木が一本足りなかったんだよね。勇気という名の木が」

言い淀むことのないその返答は前以て熟考されたものとみえて、連れの者が吹き出すと店主は憎々しいほど満足気だった。

しかし、それよりも忘れられない出来事が五本木に向かう車内で起きている。

ドライバーは連れの者であり、彼は平時において紳士であるがハンドルを握ると超攻撃的な人格に変貌する。

信号待ちでは激しい貧乏揺すりで車体を揺らし、横断歩道を渡るホームレスのおじさんにもそれはそれは手厳しい。

「税金払ってねぇんだから信号を渡る権利なんかねぇんだよ!もみあげを轢かれやがれ!」

そして前を走る「IWAIDA TAXI」にもその毒牙は及ぶ。

「岩井でいいじゃねぇか!余計な田をそっと付けてんじゃねぇよご先祖さんよぉ!」

「まぁまぁ落ち着けよ。音楽でも流してさぁ」

幾分か落ち着きを取り戻した彼は近頃聴いているという八十年代ジャニーズを再生する。

車内に流れる仮面舞踏会と世田谷公園から出て来た人類史上最も短い短パンを履いてランニングに勤しむおじさんのコンビネーションに吹き出すとその拍子に思い出した。

「ちょっとニュース速報が入ったんだけど」

「早く言えよ」

「おれ二十八ぐらいまで歌詞の仮面でかくしてをずっと仮面デカくしてと思い込んでたわ」

連れの者は神妙な面持ちで前方を見据え、丹田に気を込めて放った。

「従来のサイズではご不満ですかい!?」

 

この度は残念ながら看板を下ろす運びとなってしまったが、店主の彼にとっては煩わしい悩みから解放されたと捉える向きもあるのではないか。

以前池尻の飲み屋で例によって偶然の再会を果たし、そのまま酌み交わしては談笑に至った際のこと。

過去現在未来において小学校の校歌には絶対に使われないであろう言葉を挙げてゆくゲームが始まった。

ジャンピング・ニーや高校、はたまた部分入れ歯やとばっちりなどが出揃うもこちらが挙げた「そぼろ」という響きが逸品だとその栄冠に輝く。

しかし、ややあって彼はそれを取り消した。

「やっぱりそぼろはダメだ」

訳を尋ねると万が一ではあるが酔狂な作詞家が「そぼろポロポロ、思い出ポロポロ」という歌詞を付けるかも知れないという懸念を示し、それは経営者たる者の先見の明を垣間見た瞬間だった。

「そりゃそうと店の方はどうなのよ、オーナーさん」

彼は竹串をタクトに散らばる思考を指揮するような仕草の終に「脱サラして自営をする人たちはみんな思う。結局働くことに変わりはない」と発した。

すまじきものは宮仕えとは言え、自ら営む者にも苦悩や重圧は容赦なくのし掛かるのだろう。

そして竹串をへし折るとその心内に棲む悩みを明かしてみせた。

「毎日見栄晴にそっくりなお客さんが来るんだ」

 

どのような箸使いをすればそのようになるのか、どう贔屓目に見ても彼のおでこにチャンジャの欠片が貼りついているではないか。

その真面目な顔つきから即時の指摘は憚られ、よくよく拝するに彼自身がチャンジャに貼りついているようにも思えて妙。

「それ場所柄ご本人さんの線もあんじゃないの?」

「そうなんだよ、だから困っている。本人だった場合タレントの性質上そっとしておくべきなのか。それともまたタレントの性質上お声がけの一つもした方が良いものか。馬鹿馬鹿しいと思うかも知れないが、うちのような小さな店は小さな心遣いから成り立っているんだ」

「偉い。それは見上げた心がけだわ。まぁ何にせよとりあえずは本人確認だべな。そっからは自然に広がってくんじゃない?」

「あぁいいね。自然に広がる感じ、それベストだね」

それから一週間が経ち、懇意にしている従業員からついにオーナーがかのお客さんに接触を図ったとの一報を受けた。

忍びの如く抜足差足でその背後に回り込み、お盆で人目を遮って話し掛けるとすぐさま深々とつむりを下げては速やかに戻って来たらしい。

従業員の彼曰く、その一連の様は誤って交番へ侵入したスイカ泥棒のようであったと。

「見栄晴じゃなかった。生まれて初めて言われたって」

ヤング過ぎて見栄晴をよく知らない彼がその返答に窮しているとオーナー自ら和風ピザトーストを焼き上げ、謝罪に添えてお客さんに献上した。

ここでこちらの私見を明かせば人違いは特段失礼に当たらない気がする。

しかし和風ピザトーストまで駆り出した大々的な謝罪によって自らが三つ指ついて失礼を招いているのではないか。

そんな彼の生真面目が時として報われ、ある雑誌に取り上げられたことがある。

取材の前日は入念な店内の清掃、その仕上げに散髪へと勇んだところで奇しては火曜日にあたり、よせばいいものの奥さんが一世一代の晴れ舞台だと自棄っぱちに鋏を入れた。

するとどうだ、園児が描いたお父さんのような素朴さと無政府状態をそのまま落とし込んだ髪型となり、整髪料を塗りたくってみるもどうにもならず、一旦は自殺も考えたがそのまま翌日の取材に臨んだ。

「うちの看板メニューはこちらの和風ピザトーストでしてね、えぇ。京都の九条ネギ、湘南のシラスをふんだんにトッピングしております。さ、皆さん冷めないうちに」

それが取材陣に振る舞われるとそこここより明るい声が上がり、オーナーがそれを喜んでいるとカウンターのタバスコがカタンと倒れ、衆の視線が一斉にその方へ向いた。

そこで繰り広げられたのはネズミがゴキブリを追い掛けるという飲食店では決してあってはならぬ大アクシデントであり、女性の短い悲鳴が響くとナボナの落ちる音でさえも聞こえる静寂が訪れた。

すると極限状態に晒された変な髪型のオーナーに鹿児島方面の貴婦人が憑依。

「ハムスターとカブト虫を飼ってごわすの」

露骨な苦し紛れであるが出版社の方々には柔軟な良識と職業柄の探究心が備わっており、果敢な一人の女性がその泥舟に乗り込んでみせた。

「名前はなんと言うのですか…?」

「ハ、ハム太郎と……カブト虫」

咄嗟に思い付いたとっとこ的な事故のダメージは甚大であり、カブト虫の命名まで気力が回らないとなるといよいよ舟は傾き始め、女性にライフジャケットを手渡すとオーナーはこのまま一蓮托生、舟と共に朽ちると言った。

荒波に揉まれ、幾度も沈んでは浮かび、たちまち流されてゆく男。

浮き輪を掛けてあげたいと願うやいなや「すでに輪を掛けてすんごい変な髪型ですじゃん」とはその女。

 

fin

死育の荒野に煙る雨

 

シフトレバーをRに入れ、ルームミラーと目視で後方及びその往来を確認。

ハンドルを目一杯切り、アクセルを踏み込もうとしたところで助手席の者が言い放った。

「猫って基本スポーツ刈りじゃないですか」

いつだったか三茶の西友前で全く面識のないおばさんに「餃子の皮買ってないわ」と面と向かって言われたことがある。

それと同じような衝撃にこちらとしてはただただ放心より手立てはない。

「スポーツ刈りじゃないですか、基本猫って」

「…そうね」

「それに比べて犬は割と毛があるんですよね。猫は基本スポーツ刈りなのに」

「…うん、そうね」

「あ!芝犬はスポーツ刈りか!」

「お前スポーツ刈りスポーツ刈りうるせぇよ!こっちはもうスポーツ刈りの一日の摂取量はとうに超えてんだオラ!」

「あれ、亀田さん犬派猫派どっちでしたっけ」

「あ?おれは猫派よ。顔面が大福みたいな茶トラのスコティッシュとか超ベスト」

「飼えばいいじゃないですか。そんなに好きなら超ベスト」

「考えなくもないけどな、死別の辛さを想像すんとおれにはちょっと無理だわ」

「あぁ!パグもスポーツ刈りでした!盲点!」

「だからいつも思うのは猫を飼ってる人よりおれの方が何倍も猫愛が大きいんじゃねぇかって」

「いやそれはただ死別から逃げているだけですよ。飼っている人はですね、その日まで最大限の愛情を注ぐので悲しみはもちろんありますがそれ以上の温かい日々の思い出がすべてを包み込んでくれるのです」

「へっ!もっともらしいことをいけしゃあしゃあとまぁ!ムカつくなぁ…お前なんかしゃしゃってんなぁ!お前の母ちゃん出べそ!へっへー!」

「母ちゃん来週乳がんの手術です」

「本当にごめんなさい」

 

その夜、その寝しなは見上げる天井をスクリーンに己の飼育遍歴を遡る。

やはりその筆頭には小学生の時分よりなじみ深いザリガニがお出ましになった。

近所の田んぼや用水路にて素手で捕獲しまくり、その中から取りわけ凶暴なものを最良とした選別を友人と行い、それぞれに数匹をバケツに入れて帰宅する。

ザリガニとは共食いに躊躇のない生き物であり、こと凶暴極まる猛者たちの夕餉には一晩では食い切れない厚切りの食パンがよいであろうとバケツに一枚放り投げた。

翌朝、その様子を見るとパンが丸ごと残りザリガニの姿がない。

バケツ中の水気をすべて吸い上げた食パンはもはや半片のようであり、それをデュロンと割り箸でめくり上げると見事に全滅しているではないか。

予期せぬ事態に呆然とし、家族の共々から酸欠の指摘を受けて「あぁ、そうか」と思ったところに世帯の主である父親が現れた。

「パンに覆われ幸せ過ぎて死んだのではないか」

ボブディランをボディラインと誤読する父ではあるが、物事とは捉え方によって幸にも不幸にも展開してゆくものだとそこに教わった。

そして時を置かずに飼ったのはシマリスであり、警戒心が非常に強く人に懐くまで時間がかかると聞いていた。

しかしどうだ、蓋を開ければ初日からアグレッシブに愛を求めて来るではないか。

助走をつけてこちらの足に飛び乗り、ササと肩まで登ったかと思えば胸ポケットに入り込んで眠る。

ものすごく可愛いじゃないか。

そんな夏の終わりのこと、トランクス一丁で涼んでいると可愛いのがモソモソ内腿を辿ってその奥へと侵入した。

「メッ!やめなさいコラ!メッ!」

次の瞬間、キャン玉の皮の端をホチキスでパチンと打ち込まれたような、股間辺りで強烈なフラッシュが焚かれたような激痛が走る。

「ずぃぁ!!」というこちらの悲鳴にタタタと逃げるリス野郎。

局部を確認するのがどうにも怖く、パンツに手を突っ込み恐る恐る手の甲でポフポフすると若干の出血を認めた。

するとそれまでの愛情は一気に消え失せ、それ以降は恐怖心から奴に触ることができない。

それでも人肌を求めて来る小さな生き物に心は乱され、親戚より譲り受けた剣道の防具を完全防備して愛でようかと思い至った矢先、短パン姿の親父が片膝を立てて椅子に座る姿を見た。

新聞に目を通しながら横チンという名の新曲をリリースしているじゃない。

えらいショックを受けながらも凝視したその訳とは「色艶」「質感」がまるで胡桃と見紛うものであり、思わずピシと膝を打つ。

「あぁ!こないだ胡桃と間違えたんだ!」

それから一ヶ月後、親父のわんぱくな横チンに飛び掛かろうとするその愛らしい姿を思い出しては涙に暮れた。

 

近頃ではひょんなことから女子大生と知り合い、時々にメールのやり取りをしている。

「トイプードル飼ってんだっけ」

「うん、今髪型一緒なの。前髪ぱっつんで」

「あぁそう。でも間違いなくそのうち死んじゃうけどその辺の心構えはできてんの?」

「それはいつかは死んじゃうけどね。多分私すごい泣いちゃうけどね」

「もうそれ悲しみに片足突っ込んでるよな。なんならもうすでに悲しいよな」

「全然悲しくないよ。今から悲しむなんて損で不幸でしょ。そんなこというなら藻とか飼えばいいじゃん」

「こんな日本語を使う日が来るとは思わなかったけど藻は愛せない。藻を散歩に連れ出したら警察に顔面パンチされるでしょ」

「えー大丈夫だよ。藻と同じ髪型とかにすればいいじゃん」

「で、最期は藻だけに喪に服すってな。山田君!座布団ダッシュで持って来て!」

「山田君って山田孝之?」

「座布団と幸せを運ぶ山田隆夫その人よ」

「もうよくわからないからとりあえずその人と一緒に藻と同じ髪型にすればいいじゃん」

もはやこのようなイカれた小娘の戯言に付き合っている暇はない。

おれは愛玩たる小動物の死に対する誠実な心構えというものを求めており、その暁には牡牝に関わらず「うり」と名付けた顔面が大福のような茶トラのスコティッシュを飼うと決めた。

ハーネスを付けて駒沢公園を散歩すればその愛らしさにランナーたちの熱視線を一手に集め、そのまま246を渋谷方面へ向かえばまたその愛らしさにドライバーたちのよそ見を誘発、玉突き事故の多発などが予見されるがそれはご愛嬌。

そのまま上馬の交差点を左に折れて環七沿いを真っ直ぐ進むと駒留陸橋の高架下に居を構える現実に存在するホームレスおじさんを思い出す。

以前より見知ってはいたがしこたま飲んだ先日の帰り道、気が大きくなるままに二、三の言葉を交わすとそのまますんなりうち解けた。

おそらく年の頃で六十を手前、よれたスーツにつっかけを履きこなし一見にして福富町はポーカー屋の店員風情を思わせるが、その実、大手証券会社の研究所に勤めていた身分らしい。

それが証拠に口振りは至って穏やかであり、その根源は揺るぎない博識によって支えられているように見受けられ、世界情勢、心理学、宇宙論と話題は尽きず、こちらの質問には歯もろくにないがすべて咀嚼してわかりやすく説いてくれる。

玉に瑕は耳の方がギネス級に遠く、やかましいバイクが通り過ぎると「はいはい、それも一理あるね」と突然言い出したりもした。

思い返せばその脇には雑種の老犬がちょこなんと座していた。

おじさんはもうじきこの世を去るであろう愛犬にどのような思いを抱いているのだろうか。

求める答えがそこにある気がして鬱々とした小雨の中、手土産はタバコ二箱に老犬への心付けとしてワンパック三本入りの魚肉ソーセージを携えて高架下へ向かった。

 

道中、iPhoneに蓄えた曲をシャッフルすると「Summer」が流れ出す。

夏の始まりにして夏の背を感ずる心持ちもまた一興。

次第に雨足は強まり、傘を差して自転車に乗る若者がパトカーのスピーカーから大々的に注意を受けている。

ヘイポリスメン、その勢いでローションの中身ではなくその容器に滑ってすっ転んだ昨夜のおれも注意してくれないか。

ほどなく高架下へ到着するもおじさんの姿がない。

根元まで焦がした吸い殻の詰まるワンカップと健闘虚しく海苔が七割方置き去りになった手巻き寿司の包装フィルム。

物悲しい気持ちは陸橋をフライパンと見立て、炒飯を炒めるような音を発する雨路の軽トラに積載してやり過ごす。

しばらくその辺をうろうろとしてはみるが一向にその影が見えないとなると帰ろうとしたところで現れるのがこの世の通例であり、それに漏れずに現れたおじさんと老犬を微笑ましく感じた。

「あ、ども。こんばんわ。ちょっと聞きたいことがありまして」

「ん、なに?なんだって?」

「や、ちょっと聞きたいことがありまして。これタバコどうぞ。あとこれはワンちゃんに」

「おぉ、悪いね。ありがとありがと。いやぁ、それにしても雨が止まないねぇ」

老犬は濡れた体をブルブル震わせ、おじさんはその飛沫に「ちべて」と返した。

それから他愛のない会話をかさね、いざ本題へ切り出そうとするも老犬を撫でつけるその姿に見入ってしまう。

刻一刻と過ぎ去る老い先短い愛犬の現在を汚れた手でそこに留めようとしている。

「今日は何が聞きたいの?」

「あ、んん、なんだろ。忘れました」

「なんでも答えるよ。こんなに貰い物をしたらなんでも答えなくちゃね」

「いや、本当に忘れました。まぁなんですよ、忘れるほどのことですよ」

「遠慮はよくないよ。ほらなんでも答えるから」

「死期が迫るワンちゃんにどのような思いをお持ちですか」

ワンちゃんという響きが柔軟剤のような働きを得ては語気の角を削り、咄嗟にして完璧に近い形で伝え切れた。

しかし向こうの表情はとても窺えず、老犬を撫でる手が止まったところから険が出ているやも知れない。

「何ラストエンペラー?」

「え!?」

「うん、だから何ラストエンペラーって言ったの?」

「でぶラストエンペラー」

「あぁ…はいはい、でぶラストエンペラーね。んん、なんだろうラストで気が緩んだのかねぇ。揚げたバナナでも食べ過ぎたんでしょう」

 

fin

疫病と海のマリアージュ

 

日本政府による非常事態宣言が発令されて二週間。

新型コロナウイルスは未だピークの見えない甚大なダメージを全世界に与え、その罹患の有無に関わらず人々の心にまで深く浸潤しつつある先日のこと、地元の旧友から東京の現状を問われた。

「東京は今どんな感じよ」

「どんな感じ。んん、人と車は確実に減ったな」

「あぁこっちもそんな感じだわ。でな、俺はちょっとコロナ鬱っぽい」

「お前はコロナ鬱という字面に引っ張られてんだけだろ」

「いや、近頃ではもう眼鏡を外すことすら億劫でな」

「大丈夫かよ三児の父が」

なんでも朝は眼鏡ごと洗顔し、夜は眼鏡と共に湯船に浸かり、そのまま眼鏡を掛けた状態で床に就くという。

一家の大黒柱がフルタイムで眼鏡を掛け狂う様にさぞご家族は不安な毎日を送っていることだろう。

「もう朝起きると眼鏡が実験に失敗した博士みたいになってんのよ」

つらい現状をひた隠し、自虐に走る彼はさらにその速度を上げて結論らしきものへと辿り着く。

「人道的に許されるのなら顔面に眼鏡を埋め込む手術を受けてもいいと思っている」

遠因にせよここまでの覚悟を仕向ける新型コロナウイルスの正体とはいかに。

ザリガニをザリッピと呼んでいるようであればまだ良い奴なのかも知れない。

だがみだりに増殖を繰り返すこと人々の生命を容易く奪い、旧友を眼鏡移植にまで踏み切らせようとするその所業から極めた大悪党であることは明々白々たる事実。

しかし、身近の聡明なる者に言わせるとこう来る。

「これは人類にとって大変な苦難に違いありませんが、同じく人類にとって進化に必須である新たな抗体を得るチャンスなのです」

そのように小難しい角度から照らす見解もあるのだろうが、この乱れた世相を好機と捉えることは日々の実害を得つつに難しい。

旧友は前向きな言葉をこちらへ、そして自らに向けた。

「コロナが収まったら子供達と海に行きたい」

 

我々湘南に育った者は海と共に生きてきた。

海はときに厳しい父であり、また優しい母の面影も忍ばせながら気の置けない友人であると同時に睦まじい恋人のようでもあり、ぶっちゃけ海であった。

そんな海には数え切れないほどの思い出がある。

段ボールで雨風を凌ぐおじさんや夜のさざ波を聴き入る恋人たちにロケット花火を撃ち込んだこともある。

またそうかと思えば純情極まりロマンチックにメッセージボトルなんぞを水面に投げ入れたこともある。

書き出しは渾身の「Hi ! what’s up !?」に威勢良く幕を開けるも拙い英文で綴った自己紹介の後がどうにも続かず、しょがないので急に実印を押してみるという暴挙に出た。

そして住所を記す頃にはオーストラリアに住むアヴリル・ラヴィーン的な女の子がフードを被りて犬を連れ、海岸を散歩している映像がクランベリーズのドリームスをBGMとして脳裏に浮かんでいた。

今にして思えばそこが盛り上がりの頂点であり、ちょっとした漁船のような大五郎(4リットル)のボトルを海に投げ入れるとそのまま数ヶ月忘れた。

「あんたに手紙が届いているわよ」

垂乳根の言葉に暫しの時を要し、ハッとしてそれを奪い取っては自室に籠る。

宛先には極寒の地でつららの先に墨をつけて書いたような震える字で「かめたれんたろう様」としてある。

「せめて宛先だけでも日本語で」というアヴリルのいじらしい気遣いに甚く感動した。

国際結婚も視野に入れながら封筒を裏返すと差出人は岩井茂。

気の利いたオーストラリアンギャグに軽く吹き出すと増しての好感を持つ。

「初めまして、茅ヶ崎に住む岩井茂(76)と申します。先日海岸でメッセージボトルを拾った者です。投下地点から余りにも近過ぎるのでずいぶん悩みましたが、このようにお返事させて頂いた次第です」

それは親父のキャビンを一本くすねた荒む14歳の夏だった。

 

「眼鏡を外す時はちゃんと動画に収めて送るから」

もはや義を重んじる痴漢に成り果てた旧友との通話を終うと夕刻、食材の買い出し、その帰りしなは駒沢公園へ立ち寄った。

風が大樹に茂る葉を揺らし、それが大歓声のように聞こえるのは先日購入したジョージ・コックス(五万九千円)のパンキッシュながらにジェントルも兼備したどこまでもクールなフォルムのせいだろう。

ベンチに腰を下ろすと「お疲れぃ」などと呟いてのハイネケン。

向かいのベンチでは若い白人の男が読書の傍ら、銀のスキットルを時折に煽っている。

するとこちらの視線に気づいたか、人懐こい笑い皺を目尻に寄せて「乾杯」のような仕草をするではないか。

唐突の舶来じみた小粋な振る舞いに際してついハイネケンを掲げて頷いてしまった。

単に無精髭と形容してはこちらが無精となり得る雄感をナチュラルに醸した髭に黒いハットを浅く被り、トムフォードの眼鏡に黒のスキニーと白い無地のTシャツ、そしてつま先の地が剥き出しになった皮のブーツ。

活字を追うその姿は知を猟るワイルドなハンターのようであり、完全にこの空間のイニシアチブを先取されてしまった。

おそらく下ろし立てのジョージ・コックスも彼が履いた方が似合うのだろう。

同じヒト科野郎部門に属してはいるが、何一つとして優位にたてる気がしない。

しかし馬齢ながらに重ねた経験という部分ではこちらにも勝機はあるのではないか。

草木も眠る丑三つ時、人の気配を察してエロビデオの自販機と壁に挟まるように隠れるも次の客に滞りなく発見された宇宙規模の恥ずかしい経験など彼にはないだろう。

また丹沢のキャンプ場へ家族で行った時のこと、コテージに入ると床に正露丸大の黒い物体が落ちており、母親がそれを拾ってスンと嗅いでは驚きの鑑定結果を発表した。

「これうんこよ!」

自分と親父の「あぁそう。じゃあ早く捨てろよ」のようなつれない態度が面白くないのか「これ絶対うんこだから!ちょっと嗅いでみて!ほら!うんこうんこ!」と啖呵売の如くに連呼。

雄大な大自然に囲まれたキャンプ場に到着してからもう「うんこ」しか言わない母親を持った経験は彼にはないだろう。

順調に勝利を連ねると運もこちらに加勢する。

彼の座るベンチの下にはピルクルの紙パックが潰れて横たわり、対抗意識からこちらも屈んでベンチの下を確認したところ何かとんでもない物がヘナと横たわっているではないか。

おニューの靴では気が引けるも踵で踏みつけてそれを引きずり出し、つま先で広げてみるとこれでもかと親不孝な配色を展開したド派手なジョギパンと来た。

蛍光オレンジを基としてショッキングピンクやラメったパープルのラインが縦横無尽に入り混じり、そこへ酒乱の父が帰って来て遂にはお神酒に手を出すとお婆さんは泣きながらそれを止め、お爺さんが警察へ通報しようとするも気が動転してリカちゃん電話に掛けまくり「こんばんは私リカだよってさ!」とカチキレたお爺さんのこめかみに浮かんだ青筋のような太いラインもよくわからない幾何学模様を成してはジョギパンに尽くしていた。

それは日和るピルクルなどに到底勝ち目はなく、結果、白人の若者を完膚無きまで叩きのめしてしまった。

するとどこからともなく「勝者の虚無」が現れ、ハイネケンの缶をどかして真横に腰掛けた。

「どうだ、虚しいだろ」

「えぇ、勝者というのは虚しいものですね」

「その虚しさの中には敗者だけが味わえるナルシズムに対する嫉妬も混じっているのだ」

「もうどっちが勝ったのかわかりませんよね」

程なく白人の若者はこちらに軽く手を振りその場を去った。

主を失い、ベンチ自身が主と成り代わった目の前の光景に思うところは何もなく、それよりも彼は日本語訳の「老人と海」をどれほど理解できたのだろうか。

こちらこそ読書に疎い者ではあるが、いつだったかタイトルの「海」に惹かれて読んだことがある。

うろ覚えのところを歯茎を剥き出しにして捻り出すと確かロボコップに憧れる青年が床屋で角刈りに挑むまでを追った青春群像ドキュメンタリー的な物語であったと記憶している。

気にしいなB型気質からウィキペディアでそのあらましを確認して驚愕、うじきつよしをつまようじと読み間違えた親父よりもひどい間違えであった。

老漁師のサンチャゴは四日に渡る格闘の末、大きなカジキマグロを釣り上げる。

しかしその帰港の途、小さな帆掛け船に縛り付けた獲物をサメたちに食い散らかされてしまう。

だが気丈にもサンチャゴは不屈の気概を露にする。

「人間は負けるようにはできていない」

それは奇しくも昨今におけるコロナ禍の世に響く言葉ではないか。

再び風が大樹の葉を揺らすとそれは心地よい波音となり沖の向こうに小さな帆掛け船が見えた。

その美しい情景とバランスを取るように現れた「我」とはコロナ収束後の小旅行に想いを馳せることで自分なりの「老人と海」を思い描くことだった。

 

どこか名もない漁港町、それもどこかこじんまりとした釣り宿などがいい。

少しばかり腰回りに脂身のついた小綺麗な女将がそら豆でも剥いていたか、エプロンで手を拭きながら小走りにやって来てはこちらを出迎える。

「まぁ遠路お越しいただきありがとうございます」

上がり口には酒屋のカレンダー、それを死守する形の兜を被ったキティちゃん、そして周富輝をセンターに据置いて宿の者たちがそれを取り囲んだ記念写真。

先ゆく女将のパン線を凝視、二階へ通されると開けっ広げの窓から望む海に心を奪われる。

そこへお茶を淹れる女将が耳触りの良い声で「それだけが取り柄の宿でして」と控えめに添えた。

しばらくぼんやりとやり過ごし、微睡む手前で散歩を思い立つ。

漁港では目やにだらけの野良猫たちが商いに欠いた鮮魚を常時漁師から仕入れてか、すっかり干上がり地面に張りついたハゼなどには目もくれない。

「あら、いいご身分ですこと」

それを脇目に港を抜け、宿の二階より着目していた防波堤に腰を下ろす。

ラジオアプリからはカザルスによるチェロの独奏が流れ、重厚に色めき立つ低音は目下に広がる緩やかな波に幾分か寄与している。

心が満たされると鼓膜のタトゥーが疼きだした。

それは幼い時分に友人が夕暮れの海岸で言い放ったこと。

「海の水が全部アジャコングだったら」

その突飛な発想力に将来は大人物になるであろうと幼心に感じたものだが、世間がそれを許さず彼は現在お後二年の懲役を務める立場にある。

宿の女将が良かれと竿などを持たせていたがそのような気にはなれない。

日に照るウミガメの甲羅、その模様がにゅらにゅらと海面近くに揺れ、旋回を繰り返すことで徐々に内輪を縮めてクラゲに狙い澄ましている。

ついには噛みつくもその獲物はクルと体をかわした証に赤い印字を水面に表し、その文字こそ判然としないがビニール袋であることは間違いない。

「あら、これはいけませんよ」

すぐさまビニール袋を跨ぐ形で仕掛けを投げ入れ、糸を手繰りながらこちらへ誘導すると上手い具合に釣り上げることができた。

赤い印字とはところどころに擦れながら「ママの口ぐせ肉は三河屋」としてある。

「兄さん、そりゃ何よりの釣果じゃないか」

「え、あぁ、どうも」

「兄さん、もしかしたら今夜あたり竜宮城に招待されるかも知れんぞ、ははは」

「いやぁ、ね、まぁ、どうもどうも」

そこにはパレットを親指にはめ込んだ老人が立っており、その向こうにはキャンバスが画架に固定されている。

「何をお描きになっているのですか」

「うん、まぁなんてことはないんだがね、私はこの歳までありとあらゆる物を描いてきた。そしてとうとうキャンバスに寸分違わぬキャンバスを描こうと思い立ったのだがね、困ったことに描かずして既に完成しているのだよ」

「それは画家としての極致ではないですか」

「確かに極致と言えば収まりがいいのかも知れないがね、私はそのような言葉に縛られるより死ぬまで創作に苦しみ、死ぬまで創作に喜びを見出して生きたいのだよ」

「素晴らしい!極致という崇高な安住の地をかなぐり捨て、攻めて攻めて攻める筆にこそ画家本来の魂が宿ると!」

「まぁそんなに攻めなくてもいいのだが、確かに攻めの姿勢を忘れてはいけないな。よぅし!私は攻めていないようで攻めている、そんな作品を描いてみせる!兄さん、私は決めたぞ!」

「攻めていないようで攻めている……ベージュのTバックなんかどうでしょうか!」

「べべべベージュのTバックとな!見事に攻めていないようで攻めているではないか!まさに今の私にベストフィットした題材だ!!あらやだ、履き心地抜群!!」

「メイドイン……パ、パ」

「パリか!?メイドインパリスなのか!?」

「パ、パプアニューギニア」

「そら攻めてるねぇ!」

 

fin

ドーナツか幻象

 

ラベンダー色の入浴剤が湯に溶けてゆく様を眺めているとこのようなことを思った。

「この現世に存在するものはすべて俺の脳が拵えた幻の産物である」

気が触れるとは真実に触れると同義であり、そこには微塵の衒いもない。

ときに幻の分際で「給油口開けてください」などと仏頂面で迫り来るガソリンスタンドのお兄ちゃんがいる。

そこは己自身が創り出した幻の言うことであり、ある種の親心をもって素直にそれに従う。

またタクシーなどに乗車すると高齢の運転手と出会う。

見るからに運転慣れしていないようでシートを極限まで前方にスライドさせ、運動会の我が子を探すかのように辺りをうかがいながらおどおど走り出しては白状に及ぶ。

「すいません、道がまったくわかりません」

それは先刻に承知するところであり、我が幻を親身に温かく労わる。

「大丈夫ですよ。逐一こちらから指示を出しますから」

「すいません、助かります」

「あの、差し出がましいようですが環七をぐるっと何周かすればなんとなく東京の道が掴めますよ」

「ありがとうございます。この歳にして新人でしてナビの使い方すらわからないもので」

「失礼ですが営業所までは帰れますよね?」

「あぁ、そうですね。一か八かですね」

鉄火場の博徒のような高齢運転手にタマゴボーロを嚙んで含めるようにしてナビの操作法を教える。

このように日々出会う幻たちは自ら産み落としただけに無愛想でも愛おしく、また困っているところなどは素通りできない。

しかしつい昨夜のこと、それらを根底から覆す異形なる幻たちに出くわした。

「僕はオナベでもなくオカマでもない雪平鍋でありたい」とご乱心が過ぎる友人と飲んだ。

馬肉でしこたま飲んだ締めはミスドにでも行って清く別れようじゃないかという提案を受け、ドーナツをつまみながらコーヒーをすすり槇原敬之の行く末について語らっていた。

「あ、ちょっとお花を摘みに」

友人がトイレに立ち、しばらくすると足早に戻ってきては鼻息が荒い。

「どうした、壁にハングリースパイダーでもいたか」

「バッグがないの」

彼は大小に関わらず個室にて用を足すのが習慣らしく、この度はつい洗面台に鞄を置いたまま入室してしまったらしい。

「今日鞄なんて持ってたっけ?」

「持ってたの!ミスドのキーホルダーが付いたミスドのトートバッグ!」

ミスドのキーホルダーが付いたミスドのトートバッグをミスタードーナツで紛失するという想像を絶する非常事態。

最早こちらとしては与り知らぬところであり「すべては俺が創り出した幻だ」という信念がオールドファッションの如くホロホロと崩れそうになる。

不幸中の幸いにして携帯と財布はポケットに入れていたらしく、そこは難を逃れたと言ってもよさそうなところだが彼はいつまで経っても難と対峙をしている。

「なんか大切なもんでも入ってたのか」

「ううん、大した物は入ってないの。食べかけのぷっちょと小田原城のパンフレット」

「盗んだ奴が災難だわ」

「やっぱり盗まれたのかな。こんなこと思いたくないけど盗まれたのかな」

彼が恐る恐る辺りを見回すとこちらも自然と同じ動作に導かれるのだが、店内は閑散としておりそれらしい者など見当たらない。

唯一目に付いたのは窓際に位置なす高齢のご婦人であり、葬儀の帰りとみえて喪服に大粒のパールネックレス、その手首には大粒の数珠を身に付けている。

お召し上がりになっているものを高速二度見をもってして大層驚いた。

パールネックレスと数珠を付けてポン・デ・リングをはむはむしているではないか。

なんだろう、パンチパーマの人が理科の実験でスチールウールを燃やしているみたいな感じだろうか。

己の想像力などいともたやすく凌駕してみせるその現実を認め、それに付随する個の独自性も素直に認めなければならない時がやって来たようだ。

目の前に座る男が落涙を控えた震える声を漏らす。

「いいの、もういいのよ。盗まれようが失くそうが」

言葉の出合い頭事故を避けて彼の二の句を待ち受ける。

「だってここは彼の生まれ故郷じゃない!彼は帰って行ったの!彼は森に帰って行ったのよ!」

地方出身の彼は望郷の念を失われたトートバッグに重ねて泣いた。

側から見れば別れ話にこじれる二人のおじさんという修羅場であり、ここは無理にでも話題を変えなければならない。

「あのさ、究極の選択ってあんべ?おかんの携帯に加藤鷹からの鬼コールに対して同じレベルの嫌なことってなんだと思う?」

「今そういうのいいから。彼はね、彼は深い森へと帰って行ったのよ」

「いつまでもメソメソしてんじゃねぇブタゴリラが!ちゃっちゃと答えろオラ!」

「なんなのよもう!じゃあ自転車から一生降りれません!」

「なにぃ!?それはお焼香をあげるときもか!?」

「当たり前よ!だから一生降りれないって言ってるじゃない!彼女の親御さんと会食するときも降りれないの!なかなか店員さんが来なければ自前のベルをチリンチリン鳴らせばいいじゃない!」

そのうち互いの欠落した箇所を狙った罵詈雑言合戦が始まるとそこへ割って入ったのはミスドの男性店員。

「すいません、他のお客様にご迷惑が」

その物腰は至って柔らかく、されども瞳には漢が宿っている。

皆の制止を振り切りキャンプ場でひじきの煮物を作りそうな男だ。

「ごめんなさい。おう、帰んぞ」

「他のお客様ってガラガラじゃない!」

昂ぶりに乗じて暴言を吐くブタゴリラを一発張り倒して鎮静をはかるも益々の別れ話感が周囲に助長されて終う。

 

この現世に存在するものは俺の脳が拵えた幻の産物などではなかった。

人は極まる難事に際して「幻であれ!」と切に祈り願うものであり、それを一個人が司るなど甚だしい妄想以外のなにものでもない。

思い返せば幼い頃、親父と遊園地でヒーローショーなるものを観たことがある。

司会のお姉さんが悪の手下どもにまんまと拐われ、会場中のちびっ子たちはヒーローの登場を今や遅しと待ちわびた。

すると悪の手下より遥かに脚の太いお姉さんがヒーローを呼び出すにはみんなの助けが必要だという。

「じゃあみんなで呼んでみようね!せぇの!◯◯マン助けてぇ!」

お馴染みのオープニングテーマが鳴り響くことややあって会場の対面に建つビルの屋上にヒーローが現れた。

「みんなもう大丈夫だ!お前らの好きにはさせないぞ!」

ついその勢いで四階建てのビルからひねりなんぞを加えて華麗に飛び降りるものだと思っていた。

するとどうだ、階段を小走りに下っているではないか。

目下、寝坊をして先行く登校班を全力で追いかける団地っ子のように階段を小走りに下っているではないか。

幼心に「幻であれ!」という堪らない気持ちが溢れた。

「ねぇ飛び降りないの!?」

モンゴルの大草原にて朝日に照らされた馬の群れに心を溶かしたような遠い目をしてそれに答えた親父を今でも覚えている。

「死んじゃう」

そんな夢もへったくれもない現実主義の親父だが、一日にして何度も「幻であれ!」と心中に叫んだことがあるという。

うちの親父は四柱推命を基にした占いや霊障相談を営んでおり、話は開業して間もない二十年前にまで遡る。

雨がしとしと降る肌寒い日のこと、妙齢なる女性が父の元へ訪れた。

熱い玉露にお茶請けのあんぽ柿を添えて話を伺う。

「今日はどうなされましたかな」

「三年前に結婚したのですが、何度も流産してしまうのです」

「それはそれは。さぞお辛いでしょうな。さ、お茶をお上がりください」

「はい、頂きます」

女性はお茶とあんぽ柿を口にすると一息つけたようで、親父は少しばかりの間を自他に与えたのちに一歩踏み込む。

「ご自身、ここ数年のお身体の具合はいかがでしょうか」

「とにかく肩凝りが酷いです。常に両肩がズンと重いといいますか」

「なるほど。水子様のご供養はお済みでありますか」

「いえ、済んでいません。それが原因でしょうか」

親父は引き続き入念な聴き取りを行い、それを箇条に記しては頭から目を通す。

「三年前にご結婚とありますが、これは一度向こうのご両親が反対なさったと」

「はい、バツイチの私をあまり良く思っていなかったようで」

そのとき女性の黒目がツツツと上部へ移行し「ぐるん」と白目になった。

成仏叶わぬ水子が彼女の表層に突如として出現すると親父は数珠と粗塩を手元に寄せる。

「…すいません。気分が悪いです」

「大丈夫ですよ。お気を確かに」

「もどしそうです。お茶をもう一杯頂けませんか」

「わかりました。少々お待ちを」

給湯室で新たな茶を入れ、好評につき第二弾のあんぽ柿を添えようとしたところ先の包みに記載された印字が目に入る。

消費期限が阿呆みたいに半年を過ぎているではないか。

水子が暴れ始めたと思いきや、食中毒の線も太く出てきた。

「幻であれ」

開業したばかりで経験が浅いとはいえ鼻水を垂らしながら当人に「ん、どっち?」などと首を傾けてお茶目に問えば術師としての沽券に関わる。

残るあんぽ柿を開封してクンと嗅いでみるも特段に異臭などはなく、試しに前歯でチリと齧る。

曰く「柿農家のおじさんをゴーヤで殴りつけたような味のグミ」とその強烈な味を形容した親父。

もはや水子か食中毒かわからない以上はフルパワーで経をあげつつ千切れんばかりに数珠をジャカジャカ鳴らし山盛りの粗塩を女性に振りかけるしかないと揺れる心に決めた。

しかし彼女はトイレに駆け込むと篭ったまま出て来ない。

女性の尊厳を守りつつドア越しにその容態を五分おきに確認していると、あろうことか過活動膀胱がしゃしゃり出て強烈な尿意を催した。

そのまま風呂場の排水溝にでも放てばよいものの潔癖の気がある親父にそれはできなかった。

最寄りのコンビニへ向かおうとするも確実に間に合わないと観念、ならば事務所前の駐車場で立ちションを敢行するしかないという大脳の提案に全細胞が賛同したらしい。

女性のヒールを蹴散らし、右足に革靴、左足には健康サンダルという緊急極まる出で立ちで階段を下って駐車場へ急ぎ、車と車の間へ走り込んでは突き当たった塀に思いの丈をぶちまけた。

なにか視界の隅に動くものを認めたが強烈な尿意からの開放感に気にも留めない。

それでも視線のようなものを感じてその方へ首をひねると、小雨のなか草むしりに精を出す大家のおばあさんが大塩平八郎の乱に出くわしたような顔で親父を見据えていた。

「幻であれ!」

その距離三メートルあるかないか、おそらく大家さんは雑草も抜いて度肝も抜かれたことだろう。

その場に相応しい言葉など互いに持ち合わせてはおらず、それでも何か言わなくてはと先陣を切ったのは三〇二号室の亀田さんだった。

うちの親父はこと挨拶に関しては平時より非常にうるさく、耳をほじりながら「あ、うす」と親戚のおじさんに挨拶をした十代の時分にはこっ酷く叱られた。

それがどうだ、ションベンをしながら「あいにくのお天気ですな」と大家さんに挨拶をカマしたらしい。

親父は回顧の総括に入る。

「あの日は全体的に幻であれと本気で願ったよ。そしていつしかその願いは叶っていた。過去はすでに消え失せている以上もうそれは幻だ。やはり今しかないんだ。人は今を生きるしかないんだ。ちょっと小便」

幻とは儚い願いであり、また願いとは慈しむべき幻なのだろうか。

巨大ビーズクッションに身を預けてグローで一服、先の雪平鍋野郎からメールが届く。

「なんとトートバッグが家にありました!(´∀`)」

黒目がツツツと上部へ移行し「ぐるん」と白目に。

 

fin

闇を撃つ葦たちの日に

 

半担々麺の肉味噌をほぐしていると境を接する男たちの会話が熱を帯びてきた。

「この情報過多の時代に平々凡々と当たり前なことを言っても一瞬で埋もれて誰も気付かないんだよ!」

「そうですよねぇ」

「そうですよねぇじゃないよ本当に!小学生にメンコを教える近所のおじいさん、主婦に野菜を売る八百屋では当たり前過ぎて誰も食いつかない時代なんだよ!そこをなんとか捻って新たな価値を創造するのが我々の使命ではないのか!?」

「そうは言っても難しいですよぉ」

情熱をもって生業に語る先輩を軽くいなすような後輩では側に気分が良くない。

そこは間髪入れずに「先輩!そこは主婦にメンコを教える近所のおじいさん、小学生に野菜を売る八百屋という案はどうでしょうか!」というぐらいの機転と覇気が欲しいと思いながら半担々麺をひとすすり。

ここでなぜ「半」なのかを注釈すると「あぁもう少し食いてぇな」という想いを大切にしている。

そのような後ろ髪を引かれる慕情が十年に渡って積もり積もるとそれは太い贔屓としての自負が自然と生まれるものであり、ときに鼻水を垂らし狂った若造が「担々麺大盛りで!」なんというのを耳にすると後ろに回り込んでもみあげを揉み上げてしまいたくなるほどにここの担々麺を愛している。

しばらくすると隣の先輩は熱意をキープしたままアドバイスモードに突入する。

「今からクライアントにこちらの意向を通し易くするテクニックを教えちゃいます!」

「え、そんなものあるんですか」

「まずは先方に無理めの意向をあえて吹っ掛ける。そして向こうが断ったところでこちら本来の意向を渋々といった具合に提示する。向こうは一度断っている引け目もあり、こちらの言い分を受け入れる可能性が極めて高い!」

「え、え、もう一度説明してもらっていいですか?」

嗚呼、機転の才もなければ覇気もないところに人の話も満足に聞けないという後輩に成り変わって進言したい。

「先輩!それは今履いてるパンティーを二枚ください、と言うことですよね!」

隣では喧々諤々とした仕事に関する論議が続き、とどのつまりは昨今における玉石混交なる情報過多の時代をいかにサバイブするかにその焦点は再び戻っていた。

するとこちらはこちらで興が乗り、ゴマの滋養がふんだんに溶け込んだ残り汁に半ライスを投下した「担々おじや」なるものを久々に拵える。

その仕上げとして山椒を効かせた鶏肉とにんにく叩き胡瓜なるものを後乗せすればフルマラソンの給水ポイントでも殴り合いに発展するほどの逸品となる。

至上の口福を得ながら店内の鳩時計を仰ぎ見ると鳩が出てくる扉にガムテープ。

東南アジア系の雇われ店主である多忙なママに後年思い起こしても我ながら惚れ惚れとするような語気とタイミングでもって「あれ、どうしたの?」と問うたところ、驚くべき答えが片言にて返ってきた。

「鳩、自分ノタイミングデ出テキマス」

それは噴飯物の事態であるも、右倣え精神に基づく我々日本人への訓諭として捉えると正しくかの鳥は自由の象徴であり、そのような羨望を坦々おじやに溶かし込むと若干の苦味なる隠し味としてより一層の滋味を引き立てた。

 

店を後にして向かうは劇団を立ち上げた友人の旗揚げ公演。

先日松陰神社前の蕎麦屋にて一献交わした後、直々にその誘いを受けたものでありそこにはこのような一幕があった。

「と言うことで是非観に来て欲しい。これチラシ」

そこには「メソポタミアン・ラプソディ」と大々的に記されて次いだ概要が懇ろに綴られていた。

ー 舞台は古代メソポタミア。女王クババを手篭めにし、その領土、その肉体を我が物にせしめようとする隣国の王シッパル。そして執事であるウルクは仕えるクババへ密かな想いお寄せており、昂ぶる男たちは刺し違えて互いに果てる。クババの左目から流れ落ちる涙はユーフラテス、右目から流れ落ちる涙はティグリスの源流として後世に語り継がれたトライアングルラブストーリーが今幕を開ける ー

その下部には三名の顔写真が載っており、左からドッヂ弾平の珍念的な丸刈りの男性、睨みを過剰に利かせてしまい逆に弱さを露呈した主宰である友人、広瀬香美の若い頃を彷彿とさせる友達の姉ちゃん感が半端なくほとばしる女性というラインナップ。

「え、三人でやるの?」

「なにも大所帯だからいい舞台ができるとは限らんだろうが」

なにか刺々しくつんけんとした印象を受けるも、お猪口一杯の間を置けば旗揚げ公演を近々に控えた主宰兼役者として当然の姿のように思えた。

「消去法で辿り着いたんだけど、あなたもしかしてシッパルさん?」

「いかにも、我こそがシッパル王である」

「あ、もう入ってらっしゃる。OKOK。ちょっとシッパルさんに言いたいことがあるんだけど、言うだけ言うから聞くだけ聞いてくれよ」

「なんでも申してみぃ、愚民よ」

「料金が無料としてあるけど、これは金をもらうほどの自信がないってこと?」

「なにをいうか無礼な!そのようなことはない!」

「はて無礼はどっちかな。無料と設定することで観る者の張り合いを削いでいるのはその方じゃろがい!」

「ぬ、ぬぁにおぅ!?」

「なぁシッパルさんよ、落ち着いて聞いてくんな。演者とそれを観る者は常にイーブンでなければならない。言い方を変えれば相互のバランスが取れた張り合いにこそエンターテイメントの本質がある。ならば金を取れ。そのとき金は信頼という名に昇華するだろう」

「ぬぅ…しかしすでにチラシを刷ってしまっておる」

「今回は無料でいい。だがおれ個人としてここの会計をすべて持たせてもらうことで期待を込めたチケット代としたい。受けてくれるか?」

「…すまぬ、いや、ありがとう。俺、頑張るから」

「この偽物で跋扈する情報過多なる時代に古今未曾有な本物の舞台とやらを所望する」

 

会場はこじんまりとしたすり鉢状の視聴覚室のようなところであり、先着の五、六名がパラパラと散って着席していた。

こちらも後方の席に落ち着くと思い出したのは楽屋花として贈った小ぶりな胡蝶蘭。

それが入り口に見えないとなると、ステージ脇にぽつんと所在する白い花がそうではないか。

なだらかな階段を下り、指差し確認をしてマンマミーア。

「亀田錬太郎」ではなく「金田錬太郎」と記される名札が刺さっているじゃないの。

これではエロDVDを通販で買うときに毎回使用する偽名そのものではないか。

可憐な胡蝶蘭に寄り添う変態紳士と言う構図に暫しの放心状態に陥るも客電が落ちることで我に返った。

静々と着席すると程なく舞台袖からシッパルさんが現れ、パラパラと点在する観客がパラパラと拍手を送る。

彼の形は黒のパンツにその上半身は裸であり、そこへ二本のベルトをクロスに装着したとても正気とは思えない衣装にシッパルなる豪気な人格を顕示しているようだ。

続いて入場したのは写真に偽りなくドッヂ弾平の珍念ではあるが、よくよく精察するとボートレーサー養成所から初日に逃亡したような坊主頭の小柄な男であり、白いTシャツをナイキのハーフパンツにきっちり入れ込んでいるところから執事ウルクであることが伺える。

そして殿として入場したのはシースルーの布地をつむりから纏い、膝部の擦り切れたGパンをお召しになった女王。

よく見るまでもなくフルスイングで眼鏡を掛けており、メソポタミアの時代考証など屁で吹き飛ばすかのような力強い気概に益々の香美感があった。

恐ろしく金の掛かっていない衣装、そしてその舞台には古代を模した大道具や小道具などは一切ない。

するとこちらとしては感嘆として唸る他にない。

「んん…これは演者の力量でもって古代メソポタミアをそこに見せようとしている」

そこへシッパルさんが咳払いをひとつ前置いてこちら客席へ発した。

「皆さん!前へお集まり下さい!はい、前へお集まり下さい!やりづらいから」

上半身の裸体に二本のベルトをクロスで装着した人為災害野郎の指示に大人しく従う観客たち。

それを見て吹き出しそうになるも、ここで悪目立ちをしても仕方ないのでこちらもそれに従う。

舞台を間近にすると潰したバナナの段ボールが一枚敷かれていた。

「これは一体何に使われるのだろう」

壇上の三名が深々と頭を下げると開演の運びとなり、密集した効果であろうか大して増えていない観客の拍手が「パラパラ」ではなく明瞭な輪郭を持つ「パチパチ」という音に変わっている。

「音と空間」に関する考察へと脳が切り替わるも、暗転の為に照明スイッチを自ら落としたシッパルさんの姿は生活感がありありと迫るものであり、それに気を取られたことで舞台へと意識を引き戻してくれた。

 

「さぁクババよ!今こそ我が国と統合するのだ!そしてこのシッパルの妃となり毎夜として統合しようではないか!デハハハハ!」

「そのような申し出など断固として受け入れられぬ!亡き父上に何としてもこの国を守ると雄鶏の血、童貞の尿、それに己の経血を混ぜたものを飲み干して誓いを立てたのだ!」

「デハハハハ!その男勝りな性格もたまらんぞ!しかし現にそなたの兵の士気は下がり、賊に成り下がる者まで続出する始末!我が国との統合こそが民にとってもこの上ない良策であるぞ!」

「そのようなことをするぐらいならここで舌を噛み千切り死んで差し上げようぞ!」

バナナの段ボールは女王が座る王座であり、そこに胡坐をかいて勝気を示すクババは開き直った女乞食のように見えなくもない。

だがそれよりも気になったのは執事ウルクがうつむいたままなにも喋らない。

しばらくクババとシッパルの丁々発止なるやりとりが続くも、彼は一度ハーフパンツをグッと引き上げただけで一向に喋らない。

そのうちおかしな間が生じ始め、とうとう業を煮やしたシッパルがウルクにその矛先を向けた。

「貴様!なんとかいったらどうだ!」

会場中の視線を一手に引き受けたウルクの下顎がカパパパと酷く震えているではないか。

すかさずシッパルがウルクの胸ぐらを掴みつつ耳打ちしているところを見るとセリフが飛んでいたようだ。

「あ!クババ様はお疲れであります!さぁシッパル殿にはお引き取りを願いましょう!」

お引き取りを願いたいのは思い出して口を衝いた「あ!」であり、ドトールでジャーマンドックを買って家で広げてみるとレタスドックだったときの「あ!」となんら遜色がない。

本編は未だ序の口ではあるが、これは昨今に稀有であるとんでもなく生々しい舞台が展開されているのではないか。

そのような予見に拍車をかけたのが次の出来事だった。

セリフを言い尽くしたであろう三名が真顔で立ち尽くすという謎のシーンがあった。

それは暗転待ちであり、その照明スイッチに一番近いのは執事ウルク。

しかし彼は微動だにせず手を前に組んだ小僧寿しのマスコットのような出で立ちを披露している。

そこへ古代メソポタミア設定の根幹を揺るがすシッパルの怒号が飛ぶ。

「電気!!」

物語の進行につれ、度々そのような下顎カパパな事態が発生するも苛立ちながらも甲斐甲斐しくフォローに回るシッパルの姿に観る者たちが次第に好感を持ち始めた。

無頼なキャラクターには不利益な様相ではあるが、こちらが久しく敬愛するかの古今亭志ん朝はこのような言葉を残している。

「つまりはね、結局のところ、芸事とはその人柄がすべてなんです」

 

執事ウルクがシッパルより届いた手紙を王妃に読み上げる。

「今夜、満月が登るハトラの丘にて待ち受けるものなり。女王様おひとりでのお越しを願う。シッパル」

「ウルクよ。これはどうしたものか」

「これはお戯れを。当然行ってはなりません。なにか企んでいるに違いありませんから」

「それでは怯えて逃げているようではないか」

「なりません。断じて行ってはなりません!」

「しかし」

「しかしもなにもありません!これは…これはひとりの男として申し上げております!」

「ウルク」

しかし夜に忍んで城を抜け出したクババはまさかの体育座りで待ち受けるシッパルの元へ。

「おぉ、来たか。夜風も冷たくなってきた」

「用件を手短に申せ」

「まぁそのような顔をするでない。まずは平時の無礼なる振る舞いをここに謝ろう。だがしかし、その責任の一端はそなたにもある」

広瀬香美に激似の友達の姉ちゃんこと女王クババは呆気にとられ、人差し指でクイと眼鏡を掛け直した後もその様を継続させている。

「解らぬことを申す。とうとう血迷うたか」

「そなたを愛しておる。近頃ではなにも手につかないほどにそなたを愛しておる」

隣に座る中年の男性客が独り言の枠内で身も蓋もない失言を漏らした。

「彼も早く眼鏡を掛けた方がいい」

そして愛の告白を真正面から受けたクババは一国を担う女王であるもそこは生来の女であり、心なしか以降の所作にそれらしい科が見受けられるとその機微に至る演技力は確かなものだった。

シッパルが去り、ひとり残されたクババは夜空を仰ぐ。

なにかポツポツと呟いており、観客の注意を十分に引いたところで「星に願いを」を生声で歌い上げた。

その独唱は揺れる女心という表現ではとても語り尽くせない。

ここで「柔らかな丸みを持つ声色ながら太い芯を一本通わせた堂々たる美声は視聴覚室の隅々まで響き渡った」などと軽々しく表現する者もあるだろうが、構造上四隅の鋭角に丸みを持つ歌声が入り込める訳がない。

そのような涙ぐましい揚げ足を取りたくなるほどに素晴らしい。

隣のオヤジを舞台に引っ張り上げて土下座させようかというレベルで素晴らしい。

もしもこちらに演出の権限があったのならここで「ロマンスの神様」を歌わせても素晴らしい。

気づけばあれよあれよと物語は佳境を迎える。

その頃にはベルトをクロスに装着したシッパルの姿に違和はなく、またオルクのセリフ失念時に発生する下顎カパパも当然のようにして、ことクババにおいては有能な俳優として崇める者もあったに違いない。

「さて、クババよ。先日の返答を聞きに参ったぞ。さぁ我が妃となるがいい!」

「クババ様申し上げます!我が城はこやつの軍に取り囲まれております!これは謀でございます!」

「デハハハ!やかましいわ!貴様がクババに惚れていることはとうに承知しておるぞ。ならば侍従の身分をわきまえず女王に邪な恋心を抱くその方こそが謀反者であろう!」

「…おのれシッパル、最早これまで!」

胸元より短刀を抜くウルクの仕草に対してシッパルも背より大刀を引き抜く仕草。

目には映らないがそこにはしかと鈍く光るもの。

クババのよく通る悲鳴を合図にしてクライマックスの大立ち回り。

短刀とはいえ武術の心得があるとみえて剣呑なるシッパルの大刀と五分に渡り合うウルク。

ときに激しい鍔迫り合い、また互いの摺り足で大きな弧を描きながらその先手を伺う。

そしてシッパルが猪突として打突に踏み込んだところ、やはり与える者にはきっちり与えるものでおそらく神様はA型なのだろう。

回避を試みて後方に下がったウルクは王座に見立てたバナナの段ボールに滑ってすっ転んだ。

バナナの皮に滑る人すらなかなかお目に掛かれない浮世にてバナナの段ボールに滑る男を間近で観るという贅沢。

開脚後転の途中のようなあられもない姿を晒し、よろよろと体勢を立て直すと彼は罪のないシッパルを見据えてこういった。

「この野郎」

そこでクババが眼鏡を掛け直しながら叫ぶ。

「もうよいもうよい!双方それまでじゃ!」

赤く剥き出しになった男達のプライドが求めるのはそのような日和った声ではなく、対峙した同類の性から吹き出す血潮、また極論、己のそれでも構わない。

ウルクは短刀の頭を掌で包み、シッパルは大刀を上段に構えると両者は引き寄せ合うようにして駆け出す。

そして相打ちの体となり男たちがその場に崩れるという悲劇的なシーンなのだが、なぜかそこで「金田錬太郎」の名札が目についた悲劇もここにご報告したい。

シッパルは完全に朽ちるもウルクには微かな息があり、残り少ない命を燃やして女王の元へ這い寄る。

やっとの思いで上体を起こし、王女に手を差し伸べたその口元が渾身のカパパパ。

そのカパパパは迫真の演技なのか、それともセリフが飛んだのか最早わからない。

この瞬間にこちらが求めていた情報過多なる時代に輝く古今未曾有な舞台がそこに成立した。

そこには現実と舞台の垣根を泥臭いベリーロールで飛び越えたヒューマニズムがこれでもかと横溢しているではないか。

ウルクはそのまま着地マットに倒れるようにして尽きた。

舞台に取り残された大女優は真の悲しみに出会った人間を熟知しているようで大泣きするような真似はしない。

両頬を伝うその一縷一縷をなでるように拭うことで両雄を弔う。

そして気丈な足取りで照明スイッチを落とせば会場に闇が訪れ、それこそが残された者の胸中として観る者たちへと差し出してみせた。

と、まぁ、そのような劇団があったら面白いと思う。

 

fin

ネバーランドは二番線より

 

振袖姿の麗しい娘さんがしゃなりと美容院から出づれば冬風のさなかに時節を知る。

今年もそのような場面に出くわすとあるハプニングが目の前に展開された。

ハザードを焚きながら徐行するお迎えであろう軽自動車に振袖姿の娘さんが手をふる。

助手席の母親はその晴れ姿に感極まると両手で口元を隠し、運転席の父は男親であり照れが先立つと直視できないようで娘さんはド派手な一塁ランナーと化す。

後部座席のおじいさんとおばあさんは慶事にふさわしいえびす顔を揃えて孫娘をみつめればその隣に座る妹は喜々として姉を撮る。

純白のファーショールがなびくことややあって麗しい娘さんが激高した。

「私どこに乗るのよ!」

家族愛が溢れすぎて乗車定員も溢れるというなんともやるせない事態の発生にそのまま終いまで見届けたいところだがこちらに所用がありその場から離れた。

振り向けば遠目におじいさんが車から降り、おばあさんもそれに続いて降りるという形。

「あぁ、二人はタクシーに乗り換えるのかな」

すると今度はおじいさんから軽自動車に乗り込み、おばあさんもそれに続き乗車するという趣旨のわからない席替えが白昼堂々と行われた。

ともあれ本日成人式を迎える娘さんにとって、そのすべての珍プレーは後年に必ずや微笑ましい思い出となることを宇宙が保証しており、電線よりその現場を眺めていた一羽のカラスがそれに同調するように「ガァ」と鳴くとこちらはこちらである疑問がふつと湧いたらしい。

「果たして真の成人などこの世に存在するのだろうか」

自分など白髪もちらほら生えようかというのにスーパーボールにキャッキャと戯れるは三年に一度のペースで軽くうんこを漏らすはでいつまで経っても成人になりきれない。

過日の正月などはちびっ子たちとフリスビーに興じていると高木の枝に引っかかってしまった。

ちびっ子たちの手前、ここはひとつ高所恐怖症を耐え忍んでプルプル登ったはいいが今度はあまりの高さにプルプル降りれないという新春のヒューマンパニック映画が突如として封を切る。

「コアラさんなの!?」

そのような身内からの野次を受けてこのまま一生木の上で生活するのかと覚悟したところ、通りすがりの消防団を名乗る男性が現れると出初式で使用するであろう竹で出来たクソ長い梯子を担いで駆けつけてくださった。

その節は大人げない大騒動を巻き起こしてしまいとんだ出初めとなってしまったことを関係各位の皆様へ低頭平身にて深くお詫び申し上げます。

やはりこのような大人になりきれない者の周りには自然と似る者が集うようで。

四十も半ばに差し掛かる友人の奥さんから聞いたところ、彼はオムライスを食べながらケチャップで口元を泥棒ヒゲのように汚してはコクリコクリと居眠りを始めた挙句、寝ぼけた開口一番に「しゅごい」といったらしい。

ここは国民の義務として「今んとこお前が一番しゅごいわ!」とクッキー缶のふたで脳天を殴打しなければならない場面だが優しい奥さんは「とりあえず口元のケチャップを拭いてあげた」と笑いながら回顧した。

そのように愛をもって受け入れられるケースも中にはあれど、往々にしていつまでも成人になりきれない者は周囲によだれ臭い多大な迷惑をかける如何ともしがたい存在としてそこに生き続ける。

「あぁ真の成人とまではゆかぬとも、せめてその頂を見据える者にはなりたいじゃない」

ある近しい者にいわせるとそこは間違いなく読書だと説く。

「読書とは他者の言葉を媒介とした己との対話であり、老いも若きも問わない自己形成において必要不可欠なものである」とガールズバーの放置タイムに重々しくいい放った時はテキーラ・サンライズを吹き出しそうになったが、時を経て思い返せばすんなりと腑に落ちるものがあった。

しかし、こちらはろくに書物を紐解いたことのない読書嫌いと来ている。

もっとも二十代の頃はロックンロールにかぶれてウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、セリーヌ、サルトルといったものを紫煙の向こうに読んだつもりになってはいたが、読解力がギネス級に乏しい因果の果て、綴られた物語の核心に触れた経験が一度もなければ「読破」という刻印を一度も押したことがない。

動もするとそれが元に卑屈になると思いきや、微塵の痛痒も感じないところに我ながらの頼もしい愚かしさがあった。

これはなにも本に限らず映画などの理解力もすこぶるに酷く、避けてはいるが偶さか人と鑑賞する場合には大抵このような事態に陥る。

「ねぇ、なんであのおじいさん怒ってんの?」

「そら息子が殺されたんだから怒るでしょうよ!」

「ねぇ、なんかおじいさん急激に若返ってない?」

「おんどりゃ!これは回想シーンでしょうよ!なんで息子が殺されてキレながらヒアルロン酸を眉間に注入するのよ!」

終いには「もうあなたは目ん玉ひん剥いて全編スローモーションで鑑賞しなさい!」とまでいわれる有様に近頃では読解、理解力に関して思うところもある。

「このままのほほんと生きて死ねば棺桶に花とスーパーボールを添えられてしまう」

差し当たりといえば不遜にも、これは真摯に読書と向かい合うときがついに到来したのかも知れない。

「読書とは己の嗜好に無関係なジャンルを敢えて選りすぐり読むべきである。そこには殺伐とした荒野が広がるも未知の美しい花が咲いているだろう」とは再び近しい者からの引用。

暗雲立ち込める成人道に踏み入り光明を求めるならば、まずは腰を据えてまったく興味のない書物の読破に努めるが吉とした所用の帰りしな、ブックオフに立ち寄りそれらを見繕うとするもこれがまた難航に難航を極めた。

なぜなら小一時間の物色に精を出すも陳列された全ての書物に興味がない。

ならばそれこそ選び放題の好都合となるところ、選び取る段においてその触手はどうしても興味が主立って導くものであり、それを購入するとなれば本来の目的に対する純然たる矛盾が生じてしまう。

時は三国時代、怜悧を極めたかの諸葛亮ならばこの事態をどのようにして治めたのだろう。

ブックオフの通路にて彼になりきり、ヒゲを撫でつけ潜考していると向こうの島から大きな声がした。

「申し上げます!曹操軍が攻め入って参りました!」

「はっ小癪な!出合え!出合えおろぅ!」と羽扇を振りかざしそうになるもブックオフに曹操軍が攻め入るわけもなく、声の主は漫画三国志を最大出力で音読するおじさんだった。

その装いは「俺は成人なんかになりたくない。いつまでも大空に焦がれる少年でいたいんだ」といわんばかりのスウェットパンツをミリミリ引っ張り上げたスカイハイウエストに厚手のダウンジャケットもろともインを敢行した強力なおじさんだった。

聞き耳を立てるとどうやら気に入ったセリフに出くわすと音読が発動するようで。

「宴じゃ!」

成人になれぬのならここまで突き抜けなければ生きてはゆけない世の中なのだろうか。

「ふたりエッチ、白泉社!」

百戦練磨の勇猛たる武将たちに触発されてか「英雄色を好む」に乗じて出版社名付きの色気が出てきたようだ。

すると三国志ふたりエッチおじさんの天衣無縫なる振る舞いに際してこちらもどこかで触発されたらしい。

瞼を閉じればスーパーボールに我を忘れて軽くうんこを漏らし出初めの竹梯子で救出された日々が暗闇に浮かび上がる。

それは甚だきまりの悪いものではあったが間違いなく起きた現実であり、それを真っ向から受け容れられないのであればいつまで経っても成人の入り口にすら立てない気がした。

ならば瞼は閉じたまま、指先に触れた書物をノン・ルックでレジまで持ってゆく。

触感からすると文庫サイズにあらず、それは薄く、また幾分に縦長と感じられるところから最悪の大辞林は避けられたようだが次いだ懸念は北関東道路マップの線。

ともあれ自身で何を購入するのかわからないアジャパーな客はブックオフ史上初なのではないか。

それが証拠に店員さんの眼鏡の奥に動揺がみてとれた。

「に、二百円になります」

なにを買ったのだろう、百円玉を二枚出してなにを買ってしまったのだろう。

店を出ると国道246号では一車線を潰した大規模な道路工事が行われており、本日の勤めを終えたらしい交通整理のおじさんが工事看板に隠れて着替えをしていた。

やはり交通量の多い道端にて半裸を晒すのは誰でも恥ずかしいとみえてせかせかと気忙しい様子。

しかし、その衝立に見立てた看板には「最徐行」と記してあり、その実これは通行する者たちに「抜き打ち野ざらしストリップ」なるものを心ゆくまで堪能してもらいたいのではないか。

だが傍目にその真意は判然とせず、また黒いビニール袋に入った書物のタイトルも判然しないとなればこのようなことを冬空に呟かずにはいられない。

「この世界はわからないことで満ちている。だがおれはその事実をわかっている」

一端の成人めいた己の発語を心のともし火とすればそれに暖を取りつつ帰路を急いだ。

 

巨大ビーズクッションに身を預け、先刻の呟きを反芻するとそれは飽くまで言葉遊びであるところに成人めいたものが幾許か醸されるだけであり、本当の意味で「わかっている」と言い切れることなどこの世界に存在するのだろうか。

唯一不動のものとして生きとし生けるものはすべて死にゆく運命にあることはわかっている。

しかしそれだけを拠り所として生きるには精神衛生に酷であり、もうひとつくらい「わかっている」と確言できるものが欲しい。

近頃のお気に入りであるジャスミン茶を喫すと儚い香気が鼻へ抜ける。

するとどうだ、ジャスミン畑の向こうより前歯を一本欠いた男が満面の笑みを浮かべスキップしてやって来るではないか。

「なんかものすごい馬鹿っぽいのがスキップしてこっち来んぞオラ!」

目を凝らすとその男は先日飲み屋で知り合った青年であり、彼の話したことが鮮明に蘇ってくる。

彼は池尻に一人暮らしを営んでおり、仕事を終えて帰宅すると誰もいない真っ暗な部屋に向け決まってこういうらしい。

「そこにいるのはわかっている!」

その理由を尋ねると不届きに忍ぶ侵入者を驚かせたいのだと前歯を一本欠いた満面の笑みでそう答えた。

いつの日か帰宅すると知らないおじさんが靴下をドーナツに丸めたほぼ全裸姿でサボテンステーキを焼き上げていたという驚くべき惨事に出くわさないことを願うばかりだ。

それにしても「そこにいるのはわかっている」という一聴にして無骨ながら存在論にも通ず響きよ。

これはまさしく「生きとし生けるものはすべて死にゆく運命にある」にタメを張る見事な警句ではないか。

ここで先に名の挙がったウィリアム・バロウズの文技である「カットアップ」を拝借、真理を孕んだ二つのセンテンスを掛け合わせることでその強度を鍛え上げるという試みに至る。

「そこにいる生きとし生けるものはすべて死にゆく運命にあるのはわかっている」

しかしそれは残念な結果といって差し支えなく、ポジティブな驚きは皆無にしてなんなら少し野暮ったくなった印象すら受ける。

ここはひとつ大胆な手直しが必要らしい。

「生きとし生けるものはサボテンステーキ、すべて焼き上げる運命にあるとほぼ全裸のおじさん」

もうよくわからないが火葬場とメキシカンレストランの過酷なWワークに疲弊して大五郎をラッパ飲みした風呂上がりのおじさんが息子の嫁にでもくだを巻いているのだろうか。

引き続き人生の指針となる言葉の研究に勤しむもこれといった結果は出ず、寝転がる手元にカサという音。

それはブックオフで購入した我を成人へと導くであろう未だ名の知れぬ書物。

すぐさま袋から取り出そうとするも暫しの逡巡、それではなにか味気なく興が乗らない。

ならば就寝直前の暗がりを利して枕元へ配置すれば起床と同時に運命の出会いに導かれるのではないか。

また枕の下に潜らせておき、夢の中でご対面というロマンチックな展開も思いつくが「稲川淳二の怖い話」だった場合の金縛りを懸念するとやはりそれは速やかに避けた。

照明を落とし、袋より書物を取り出す。

闇に目が慣れると空調や加湿器などの電源ランプが思いのほか強い光量を発しており、あやうくタイトルが露呈する寸でのところ、手のひらで挟み込むようにして覆い隠すとそれは奇しくも合掌の形と相成ってそのまま恭しく枕元へ置いた次第。

床入りの習慣は聞き流す落語、三木助の芝浜も佳境に差し掛かる辺りでとうとう睡魔が勝る。

「情けないねぇこの人たぁお金が欲しいと思ってそんな夢を見たのかねぇ」

 

翌日は首、肩の不快な痛みに目を覚ます。

これは何年も前から続く起床時における恒例のイベントとなっており、一度この症状を睡眠外来の医師に診てもらったことがある。

「先生、鉄アレイの地縛霊でも憑いているのでしょうか」

「いえ、上手く寝返りが打てていないのでしょう」

やはり大人になりきれない者は赤ちゃんレベルで寝返りすら上手く打てないらしい。

しかしながら馬齢とはいえこちらにも積み重ねた経験則、対処法というものがある。

床の中で胸骨を張り、首を仰け反らせて深呼吸することで首肩の痛みを治めると今朝は起きぬけのフレッシュなひらめきに従い、仰け反らせた首をそのまま左右に振るというアレンジを付け加えてみた。

「メキャ」という軋りを合図にライトな首筋の捻挫を発症するも、我ながら覚えていたもので痛みに悶えながら枕元の書物をプルプル手繰り寄せた。

この書を読破した暁には末席ながら大人の仲間入りを果たし、首筋の真新しい痛みはおろか毎朝の定例なる苦痛、ひいては人生の鬱々たる数多の苦悩からも解放されることだろう。

今こそ眠気まなこを見開いてそのタイトルを刮目せよ。

ー お嬢さま生活復習講座 改訂版 ー

もうね、普通に「コラ」っていいました。

厳密にはキッチンに立つ新妻の尻を触ったときのような「こぉら」というニュアンスも含んでいたような気がする。

背表紙上部には定価本体千三百円としてあり、すかさずその脇には二百円というブックオフの値札。

どうやらその差額である千百円というもので世の中は回っているらしい。

それにしても「お嬢さま生活復習講座改訂版」とは思いも寄らなかった。

いや、思いも寄らぬところにこの度の本願がありこれは喜ぶべきものに違いない。

「宴じゃ!」

黒ラベルをプシュとやり、のどをひとつ鳴らす。

するとどうだ、ホップ畑の向こうより前歯を一本欠いた男がなんとも不安げな表情を浮かべてこちらへ向かって来ようかという体勢。

「いや違う違う!君じゃない!今、君じゃないから!」

慣れぬ読書に事欠いてアルコールに頼らなければならない体たらくを情けなく思いつつその前書きを読む。

「本書はお嬢さま生活としておりますが、それは高価な品々に囲まれた贅沢な生活という訳ではなく、人と物を大切にする贅沢な生活を記したマナーブックとなっております」

目次の第一章は「手紙」として、それが種々に十章まで連ねている。

まず口切りの章である手紙編では「お嬢さまはお礼の言葉をメールなどでは送りません。万年筆で手紙に綴り、そのインクは限ってブルーブラック。便箋は明るいグレーまたは淡いブルーのようなものを使用します」としてある。

そして詰めの一手はささやかな心配りとして宛てる人物に似合う記念切手を貼るとしてあり、この時点で近しい者のいう「未知の美しい花」を摘んだ気がした。

「なんとまぁこんな世界もあったもんだぜ」

感心しながら黒ラベルも二本目に差し掛かるとこの辺りでなにか固形物を口にしたい。

すると床にちんまり落ちているのは昨夜のキャベツ太郎。

それをつまみ上げて口にするとパッスパスな食感であるも、唾液を促すソーシィーなる馥郁は未だ健在となるとそれはトータルで想像通りだった。

「お嬢さまは床に落ちているパッスパスのキャベツ太郎など口にしません」

そのような叱咤の声が本書より聞こえるようであり、きちっと居直して読書を続けるとファッション編においてはこのようなことが記されていた。

「お嬢さまは一見でブランドとわかるものは着ません。なぜなら母と同じ行きつけのオーダーサロンで誂えたものを着用するからです」

なにか若干鼻についてきたところでブランドにまつわる自身の小噺をひとつ。

かなり昔の話になるが岩手県は遠野に住む母方のおじいさんが亡くなった。

時節は真夏の盛りであるところに盆地という地形も手伝いそれはそれは暑かった。

それでも当地の慣例に従い、つつがなく葬儀を終えると丁度夏祭りが行われ太鼓を打ち鳴らした山車が町内を練り歩くと母はそれを見て泣いた。

幼い日、父に手を引かれて行った夏祭りをそこに見たのだろう。

そんな母の姿に胸が詰まると「息子としてなんと声をかけていいのかわからなかった」といえばすんなりまかり通るところ、本音を明かせば確実に震えてしまうであろう第一声を予めに恥じてはそれを恐れた。

そうこう形見分けの段となり、蒸し風呂のような居間にておばあさんが一枚の半袖シャツをこちらに差し向けて言葉を添えた。

「これな、おじいさんが夏に着ていたシャツだ。錬太郎はこれを持ってけ」

シャツを広げるとその首元にはブランドのタグが貼り付いている。

「SEVEN GUYS」

すすり泣く母にその直訳を発表すると消え入る声でこういった。

「暑っ苦しい」

 

それから何度も体勢を変え、ビールから久保田万寿に移行しつつ履き慣れない運動靴で靴擦れを起こしながらも次頁を追う。

終盤の八章では今までのおしとやかな筆路を覆し「お嬢さまは小物の作り方も詳しいのです!」と急にキレ出した一文の背景を思い浮かべる。

著者が締め切りに追われ苛々と執筆していると奇跡的にもNHKの集金、新興宗教の勧誘、巡回連絡カードの記入を求める警官、デカいしゃもじを抱え狂ったヨネスケ、誤配のピザハット、断水の予告チラシを持ってきた水道業者、二月に来ちゃった江戸っ子のように気が短い慌てん坊のサンタクロースなどが大挙として玄関先に押し寄せたのではないか。

だがそのような勘繰りも過渡にして、ついにはお嬢さまという生き物の本懐にアプローチすると熟柿臭をまとった独り言が口を衝く。

「おおお嬢さまとは他者を不快にしゃしぇないことがその全てでありぃ、そこに注ぐ心血の労を自らの愉しみに変換できる幸せな人の総称でありゅ」

最終の十章である「家事と趣味」を読み終える頃には自らの血肉に高濃度のアルコールおよび新生なる気高い美学が満ちる思いがした。

すると巻末に付録された「お嬢さま度測定テスト」なるものを読破記念のセレモニーとして行いたい。

それは全六十四項目の質問にチェックをつけてゆくというものであり、ここはひとつお嬢さまに倣って下ろし立てのボールペンを手に優雅な心持ちで取り掛かる。

「家でもジャケットを羽織ることがある」

「タオルはすべて白であり、またすべてにイニシャル入りである」

「家にはゲスト用のパウダールームがある」

「外出の際にはイニシャル入りのハンカチを三枚持ってゆく」

ご想像に易く、下ろし立てのボールペンを不憫に思うぐらいチェックを入れる箇所がない。

ひとつぐらい「急な葬儀に喪服と黒のサッカースパイクで臨んだ友人がいる」という項があってもいいじゃないか!このあばずれが!

なにか最後の最後でお嬢さまに思い切り突き放されたような心持ちがするも、他者を不快にさせないというお嬢さま精神がいつしか己の心に息づいていた。

ならば可哀相なボールペンには別紙を与え、絵描き歌でもってその面目躍如とした。

「ぼぼぼ棒が一本あったとしゃ、葉っぱかな?葉っぱじゃないよカエルだよぅ、おっぱい飲んでねんねすて、それを猟師が鉄砲で撃ってさ、あんぱん四つ豆六つ、あっという間にかわいいコックしゃん」

うろ覚えと酩酊が大いに祟り、あんぱんと豆が多過ぎたかそれは最早生物としての体を成してはおらず、強いて形容するならファンキーな梵字のようであり、とどのつまりはとてもじゃないが調理師免許を交付された者とは思えない。

それからどれくらいの時を移したろうか、途轍もなくかわいくないコックさんを眺めているとそれは我が内心をそのまま写しているようであり、居た堪れない感情が突如にして溢れた。

「君は調理師免許を!おれは大人の免許を交付されませんでした!」

底知れぬ虚無がもたらす全身の弛緩は清流の如く滑らかな所作の基にして、慎み深く携えたかの書物を一鳴りも立てずにゴミ箱へぶち込みましたのよ。

あぅら、御免遊ばせ。

 

fin

子年の子

 

新年明けましておめでとうございます。

昨年に於かれましてはひとかたならぬご愛読を賜り、ここに一重にも二重にも厚く御礼を申し上げる次第にございます。

さて、新年ということで皆様はどのような初夢を見られたのでしょうか。

古より縁起とされるは「一富士二鷹三茄子」と続き「四扇五煙草六座頭」と連ねるところ、こちらの不勉強により六に位置なす座頭の意味合いを調べますと、剃髪された盲人からの由来を受けて「怪我ない」という親戚のおじさんがトップバリュの発泡酒をあおりながら勢いのみで制定したようなものでした。

ちなみに私の初夢は富士そばにて鷹の爪をふんだんにふりかけた茄子天そばを食すというものであり、このままいけばパーフェクトな初夢となるところ、なぜか私は家庭科の授業で作ったナップザックを背負っており隣に座るジャッキーチェンがそれを大絶賛という吉凶に判然ならぬ訳のわからない初夢となっております。

つい先日は蛇崩川緑道をそぞろ歩いておりますと公園の砂場で親子が相撲を取っていました。

いわずもがな相撲とは神事に端を発し、素人相撲ではあれどこれは紛うことなき縁起物であります。

「んん、こら新年早々めでたいな。ちょっと見ていこう」

枡席に見立てたベンチを陣取ると温かいコーヒーなどあってもいいなと自販機へ。

そして冬天の下、何をどう間違えたかキンと冷えたチチヤスナタデココヨーグルト味を片手に観戦する運びと相成ります。

父親ひとりに対して幼い男の子が三人という一番、四股を踏む彼らに「んよいしょ!あどっこいしょ!」と声が飛ぶ。

声の主は空き缶を満載した自転車に跨るおじさんであり、前記したFの行く末をそこに見たような心持ちがいたしました。

父親の「はっきょいのこった!」の掛け声でいざ立合い、三人がかりで束になるも大人にはとうてい敵わない。

すると機転を利かせた子がスルと真後ろに回り込んでローキックを叩き込む。

それも狙い澄ましたように何度も同じ箇所にバスバスと叩き込みます。

そのうちローを嫌がり始めた父親に私はこのような格言めいたものを新春の空に詠わせていただきました。

「親の小言とローキックは後になって効いてくる」あらかしこ。

さて執拗な蹴りが長らく続き、見るに堪えない大カンチョー祭りに切り替わると人様の家庭事情なるものを次第に気取ります。

「継父なのではないか」

組んず解れつ奮闘する子に背後からみだりにカンチョーを叩き込む子、あとひとりはどうしたのかと見回せば砂場の端で何かしている。

父親が脱いだダウンジャケットのポケットに砂をパンパンに入れ込んでいる。

そのひたむきな姿はあたかも職人による悠久の時を経た手仕事のようであり、相撲に次いでまたしても縁起物に触れたところで確信したことがございます。

「こら完全に反りの合わない継父だわ」

缶の底にへばりついたナタデココのようにいけ好かない継父の打倒に粘る子供達。

私はその美しくも悲しい姿ですら新春の名の元に於いて縁起物として捉えたい。

空き缶を満載にした自転車のおじさんが近づいて来ました。

「兄さん、その空き缶くれるかい」

「え、あぁどうぞ」

「今日はどのくらいになったかな」

おじさんは大量の空き缶が入ったビニール袋を担いで重さを試し、私は数々の縁起を担いで蛇崩川緑道を三軒茶屋方面にまたそぞろ歩いていったのでした。

 

fin

銀輪のフィットネス

 

オリンピックを来年に控え、こちら極東の地では空前のフィットネスブームが巻き起こっている。

老いも若きも怠惰な生活を悪とし、善とするは手始めのウォーキングに幕を開け野菜を主とするバランスのとれた食生活を基本に適度な負荷運動をかの通念により推奨される。

こと流行りに敏感な若人たちは早々に酒を捨て、またタバコをへし折っては己の肉体を無二の嗜好品とした。

仕事終わりのデートではフィットネスジムにてエアロバイクにまたがり、時折交わすアイコンタクトで愛を育むと前を見据えて理想の自分へとペダルを漕ぎつづける。

ここでフィットネスにあるまじき贅肉のような余談なのだが、先日友人のSがエアロバイクに轢かれた。

「義理のお母さんがリンゴと50センチ定規を送ってきてな。定規の意図を考え込んでいたらドカンよ」

「そらお前定規だけにあんた達のはかりごとはすべてお見通しよ!ってなもんだろ。つか何気にジム通いまだ続いてんのな」

「そらそうよ。ちなみに月三万二千円払っていますから」

「高!月三万二千円のジムってやつはどうなのよ実際」

「素晴らしくポジティブな空気に満たされてるよ。お前みたいにグリグリ考え込んじまうネガティブなやつにはいいかもな。あ、今度見学に来いよ。な、ジムの見学に」

「で、おれが入会したらお前にいくらかのバックが入ると。んなの気が進まないことこの上なしだわ」

「まぁなんでもいいから気が向いたら来いよ」

それから数日が経ち、Sからのメールが届く。

「明日の夜六時から見学の申し込み入れてあるから。一応動きやすい格好でよろしく」

なんて自分勝手な野郎だ。

もうすっぽんぽんにヘルメットで行ってやろうかしら。

翌日、てっきりSも来るかと思いきや「明日から沖縄でゴルフだからいけない」などとぬかす。

お前の座席だけゴルフ場のグリーンに墜落すればいいのに。

日も暮れかかって雀色時、新調したばかりのパープルがイカしたiPhone11を駆使してようやくジムにたどりつく。

やはり高級フィットネスジムを謳うだけあってエントランスは白を基調とした高雅な造作であり、そこに浅黒く健康的な受付嬢を差し色に持ってくるあたり、なかなかどうして小粋にキメてきゃがる。

「亀田さんですね。ご見学のご予約承っております」

嬢の不自然を通り越した神々しい純白の歯に「過去私は漫画喫茶の個室に入ると十中八九シコっていました」と思わず懺悔しそうになる。

ほどなく年の頃二十七、八とみえるトレーナーの兄さんが現れると挨拶もそこそこにスポーツの経験を問われた。

「野球とバレーボール、あと剣道に公文です」

「はい、わかりました。よろしくお願いします」

持ち上げるのはバーベルに限るのだろう、お兄さんは公文という小ボケを持ち上げることはしなかった。

見学と記された名札を手渡され、まずは一階フロアの紹介を受ける。

チェストプレス、ショルダープレス、レッグプレスにベンチプレス。

もうイカせんべいでも作る気なのだろうか。

「では亀田さん少しチャレンジしてみましょう」

それは長州力のサイパンキャンプで見たことがあるレッグエクステンションという器具だった。

すね毛の付け毛という美容業界に喧嘩を売るようなネーミングセンス、嫌いじゃないぜ。

「無理はしないでくださいね」という注意を脇から受けていざトレーニングスタート。

少しばかり負荷をかけた単なる膝の曲げ伸ばし運動と思いきや、さにあらず。

ジム初体験の高揚感が加勢するも五、六回で太ももの力がまったく入らなくなる。

心地よい敗北感。

いつだったか似たような心持ちになったことがある。

あれは二年前の夏、友人の引越しを手伝い一人で冷蔵庫を三途の川を行ったり来たりしてマンションの二階まで運び上げたことがあった。

全身の筋力は底をつき、発育の良い小学生と腕相撲をしたら負けるのではないかという衰弱状態。

そこへ持ってきて友人の驚くべき声が一階より響いた。

「本当にごめん!戻して!冷蔵庫一階に戻して!」

衰弱による幻聴だろうと思い込むも再度響いたその声。

なまじ体力が余っていたのなら「お前もう二階の廊下に住めや!」などということもできた。

しかし著しい衰弱状態がそれを叶えず、妙に達観したようなフラットなテンションでそれに応えたのを今でも覚えている。

「あいよ」

そしてまたも三途の川を行ったり来たり、川辺で釣り糸を垂らす不帰の者に二度見されながら一階まで冷蔵庫を下ろすと全身の筋力はとうに底をつき、赤ちゃんのハイハイ競争に参加をしたのなら五人中四位という極めた虚脱状態。

おれはシーモンキーが孵化するような超ウィスパーヴォイスで友人に迫る。

「…お前…一階でよかったんじゃねぇか…オラ……THE…THE徒労じゃねぇか…お前…オラ」

「本当に申し訳ない、マンション間違えた」

 

二階フロアは更衣室であり、ここでは「チェンジングルーム」というらしい。

さすがは高級フィットネスジム、完全会員制ということで各々に個室が用意してあるだけにとどまらず、至れり尽くせりカウンターに常駐するスタッフが無料でドリンクをもてなすという。

「なにか飲まれますか?」

「え!あぁ、お水ください」

ずらりと並んだ多種のプロテインや果物に気圧され思わずスズメじみた受け答えをしてしまう。

「い、いやぁ、こういってはなんですがあまり人影がみえませんな」

「時間帯にもよりますが、私どもが最も不本意に思うのはただいたずらに会員様を募ることでサービスが隅々まで行き届かなくなってしまうことなのです」

「ははぁ、すると自然高額な月謝となりまたそれが自ずと足切りの効果をももたらすと」

「高額かどうかは個人様のお考え次第ですね。ただ我々はそれに見合うサービスを提供している自負はございます」

一分の隙もない真面目な返答に次ぐべき言葉が見当たらない。

おそらく彼は学生時代にマンコマーク速書き選手権などを経験していない気の毒な人種なのだろう。

「三階はヨガやエアロビクスなどに使われるスタジオとなっております」

なるほど階段の中腹あたりから四分打ちのバスドラがドゥンドゥン漏れて聞こえる。

二重に施工された防音扉の向こうでは女性インストラクターを陣頭に四名の男女がエアロビクスに汗を流していた。

「ご覧になられますか?」

「んん、ま、せっかくなんで、えぇ」

「では私少し外させていただきます。また戻って来ますので」

「はい、お疲れ様です」

重い防音扉を開けるとアグレッシブなユーロビートがけたたましく鳴り響き、ヘッドマイクを装着したポニーテールの女性インストラクターが熱く張り上げる。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セべン、エイッ!」

正面の巨大な姿見から察するに受講する四名は思いのほかお年を召しており、やはりこの国の富裕層を占めるのは高齢者だという縮図をそこにみた。

白髪をお団子にまとめたオーナー夫人然とする女性にどこぞの重役と思わしきおじさんの三名が一心不乱、前後左右にステップを踏めば女性インストラクターのヒップもたぱらんたぱらんと躍動する。

その一通りを眺め、特筆すべきは曲間の無音状態をインストラクターによる手拍子で埋めていたところにある。

もうまるっきし曙町のおっぱいパブと同じ手法を採用しているではないか。

姿見越しにインストラクターと完全に目が合った。

すると人差し指をこちらにクイクイさせて日本人が日本人に「カマン!」という。

「いやいや無理ですから!」とジェスチャーするも日本人が日本人に「カマンカマン!」とマイクを通して煽る。

おれは音楽に合わせて「踊る」という文化を持ち合わせてはおらず、そこには並々ならぬ羞恥と抵抗がある。

なんならもうすでに紙巻タバコからグロー、グローからアイコスを経て再度紙巻きタバコからのグローとタバコ業界に散々踊らされているのでもう勘弁してほしい。

しかし場の調を乱すのはなにより信条に反するところであり、Sにはヤクザまがいの激しいインフルエンザの罹患を願いつつ列の端に静々と加わった。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セベン、エイッ!」

その場での足踏みからボックスステップ、恥ずかしさこそ拭えないが我ながら軽快な身のこなしではないか。

隣のおじさんを見よ、ボックスステップというより徘徊に近い。

思っていたよりも楽しいではないか、エアロビクス。

お次は「エイッ!」のタイミングで一回転の旋回ジャンプをしろテメェらなに見てんだブチ殺すぞという。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セベン、エイッ!」

隣の疲れ切ったおじさんを見よ、もはや息も絶え絶え半回転しかできず一人だけ後ろ向きで着地。

すると正面の姿見に映った「海人」のバックプリントが銛でツボを突きまくってくるじゃない。

「海人が地上で溺れてやがる」

かなり露骨に吹き出してしまうもそれは大音量のユーロビートに掻き消され、ようやく体が温まってきたところだがエアロビクスは早くもラストダンスを迎えてしまう。

その仕上げにしてはいささか地味なもも上げかと思いきや、その後半にはフィナーレ的な小っ恥ずかしいアレンジを付け加えてきた。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セベン、スマイル!」

隣の疲れ果ててほぼ棒立ちの海人おじさんを見よ、もう常に半笑いの事態に陥っているじゃないか。

 

刹那、熟年、海人、酷疲、半笑、崇高、愚生、奈落、墜下。

 

おれはいつからこんな男に成り下がってしまったのだろう。

隣の海人おじさんはどんなに辛かろうがポジティブに努めているではないか。

それをなんだ!おれはその様を笑いものにしては見下し、偽物のポジティブに戯れて本物のネガティブに喰われているではないか!

うみんちゅというイメージから沖縄へ発つSの言葉がよぎる。

「素晴らしくポジティブな空気に満たされてるよ」

もうこの場所には居られない、もうこの場所には相応しくないという心緒だけが唯一の良心だった。

このジムでの最後のトレーニングとなるだろう、重い防音扉を開けて振り返らずにその場を去った。

 

それからというもの、Sからはなにも連絡がなかった。

こちらのメンタル的な理由で入会は断るにしても「で、どうだった?ジム」ぐらいの口切りは誘った以上むこうの義務ではないのか。

煮え切らない数日を経て、未だ痛むももの筋を摩りながら不本意にもこちらから連絡を入れた。

「もう東京に帰ってんの?」

「おん、とっくに」

互いの無言が暫し続くと堪えきれないのはおれの方だった。

「…で、どうだった?沖縄ゴルフ」

「よかったよ沖縄。でもやっぱ俺はハワイの方が好きだな。風土が俺に合っているんだろうね。…あ!」

「ん!?どしたどした?」

「来週炒飯食いに上海行って来るわ」

もうお前の炒飯だけ泥酔したローラが作ればいいのに。

確かにSは一般のサラリーマンが稼ぐ年収よりゼロがひとつ多い。

すると車はオフホワイトをまとうポルシェカイエンであり、汚れたホイールに金持ちのルーズさを醸し出せばその助手席に座る奥方は元ミスキャンパスの美人さんときた。

やっかみ半分でいわせてもらうがSは金を持って変わってしまった。

以前は人の機微に鋭感な男であったが今ではどうだ。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セベン、スマイル!」などと歯茎を剥き出しにしてどったんばったんもも上げの刑に処された友人などもはや気にも留めない。

人は大金を持つとその等価で大切なものを失うと聞く。

おそらくSの場合はおれとの友情を指すのだろう。

人によれば「あんな嫌なやつとは付き合えねぇよ」とあっさり絶交する者もあるだろうが、おれには思い倦ねるところがあった。

なぜなら大金と同等の自らの価値にある種の肯定感を貪るさもしい了見に自覚があるからだ。

結局どこまでいっても金金金の世の中、阿弥陀も金で光る世の中とな。

今夜はなにかくさくさして表でパッと飲みたい。

するとお誂え向き、以前記事に登場した内気な男Fをまんまと三軒茶屋まで呼び出した。

このFという男、これがまた前世で富の神ガネーシャの姉であるアネーシャのティーパンを盗んでじっくりコトコト出汁を取ったのではないかと思うぐらいに金がない。

「久しぶりだね。どうよ景気の方は」

「いやぁ本当に酷いもんですよ。俺、前世でなんかしたんですかね」

「んん、でも金がないのは罪じゃないからね。むしろ金が余計にあるから巻き込まれる厄介ごともあんし」

「そうですよね。あ、自分今年に入って月一でしていることがあるんです」

「なんだべ」

「給料日に全額引き出して自転車で金を轢くんです。主従関係をはっきりさせておくんです。お前は俺に遣われる立場なんだぞって」

「…ははぁ、一種のデモンストレーションだ。まぁ確かに人は誰しも金に遣われてる部分はあるよな」

「そうなんですよ。しかしですね、しかしそんな我ながらの蛮行こそ金に嫌われる原因でもある気がしないでもないんです」

いつになく饒舌に語るFを見据え、触れたくないがそろそろ触れなくてはならないことがある。

「んん、で、その顔面の激しい擦り傷はどうしたの?」

「あぁ、これ。少し前から体を鍛え始めまして」

「お前もかお前もなのか。本当に近頃は猫も杓子もジム通いってな」

「いえ、そんなお金はございませんよ」

聞くところによるとFは権之助坂の急勾配を自転車で駆け上り、下ってはまた駆け上るという繰り返しで体を鍛えているらしい。

もうこの時点でFを力強く抱きしめたい。

高級フィットネスジムなんかに通わなくても気持ちひとつでなんでもできんだオラ!

Fは顔面のかさぶたを摩りながらこう次いだ。

「最初こそいいトレーニングでしたがやはり人間の体はすぐに慣れてしまうんです。そこで考えたのが自転車の重量を増やすことでした」

もういい、Fよ、もういい。

これ以上なにかいったら号泣してしまいそうだ。

「自転車の前後に大きなカゴを取り付け、その中に水の入った二リットルペットボトルを満載にしました」

「…そら重い。そら重かろうよ」

「それがですね、上り坂より下り坂の方が危険だったんです。プラス六十キロ超の重さを侮っていました。いうことを聞かないブレーキとハンドルの合わせ技でガードレールに激突です。ハハハ」

「ハハハじゃねぇ!そんなんちょっと考えりゃわかりそうなもんじゃねぇか!」

「そうですよね。流血しながら散乱したペットボトルを回収するときちょっと泣きそうになりました」

「お前もうそんな危ないトレーニングはやめろよ。怪我しちゃなんにもならねぇじゃねぇか」

「あ、でももう大丈夫です。ペットボトルが吹き飛ばないようにカゴをガムテでぐるぐる巻きにして下り坂は自転車を支えて歩いていますから。これでも相当しんどいトレーニングになりますよ」

「お前まさか常にペットボトルを満載した自転車で生活してんのか?」

「えぇ、やはりトレーニングは毎日の習慣がものをいいますからね。この間はディズニーランドへ行って来ました。彼女は電車で俺は自転車で」

「おまんペットボトルを満載した破廉恥なニューアトラクションを遠方より勝手に持ち込んでんじゃねぇぞ!そもそも夢の国であるディズニーランドに駐輪場なんてねぇから!」

「いえ、ありますよ。普通に」

「よし普通にあるな!じゃあ行く方も行く方なら迎える方も迎える方だな!」

酒乱の気があるFは彼女からきつく飲酒を止められており、それを忠実に守っている様から長っ尻も酷だろうとこの辺りでお開きとした。

「うーおれだけ飲んじゃったよ。悪いねぇ」

「いえ楽しかったです。あ、自転車見ますか?」

西友の裏、前カゴの重量に耐えかねた前輪が急角度で真後ろを向く想像通りの常軌を逸した自転車がひっそり佇んでいた。

今この瞬間巨大隕石が地球に落下し、突然の大氷河期が訪れると我々人類はあっけなく死滅した。

それから何百万年の歳月を経て意思を持つ新たな生命体が地上に現れた。

そこでこのペットボトルを満載するクレイジーを可視化したような自転車を彼らには見られたくない。

なぜならその懸念に相応しく、かの未来にまでしぶとく生き永らえそうな満ち満ちた無駄な生命力をひけらかしているではないか。

そしてなにより気に触るのは一丁前に鍵など掛けてやがる。

「おうおうおう!こんなの盗まれる訳ねぇだろ!お前自惚れてんじゃねぇぞ!」

酔いに任せた語気が思いのほか強く響くと温厚なFがめずらしく反抗的な目をこちらに向けていた。

「俺だってそう思っていましたよ」

そう言い残すと茶沢通りに抜ける小道に消え、程なく戻って来たその手には二本の飲料。

「酔い覚ましです。どうぞ」

「お、おう、miuか。miuって。いや、ありがとう」

大の大人が二人して塀に寄りかかり、しばらく道ゆく人々を眺めた。

「実は先日盗まれたんです」

ことの経緯を語り出したFの表情は次第に憤怒の熱を帯び始める。

「俺はこれまで人を信用して生きて来ました。だから自転車に鍵を掛けることなどなかった。しかしそれをいいことに他人の自転車を盗んで乗り回す人間がいたんですよ!もう人間不信ですよもう!」

その怒りに同調こそできないが「鍵」という性善を疑うことで成り立つアイテムにはごく若い時分に多少思うところはあった。

「ん、でも自転車は無事に戻って来たんだべ?」

「はい。家から十メートル先の路肩に乗り捨ててありました」

おれはmiuおいしい水を一気に飲み干し、アルコールで浮ついた思考回路の浄化に努めては悟る。

乗り捨てるしか手段がなかったのではないか。

犯人は過酷な抜き打ちトレーニングに音を上げて乗り捨てるしか手段がなかったのではないか。

鍵を掛けていない自転車につい魔が差してしまった気の毒な犯人と八百万の神に中指を突き立てるが如く六十キロ超に及ぶ自転車のビルドアップを遂行したF。

おれが本件を執り持つ裁判長だとすれば双方の頰を張り倒して即閉廷、そのあと前室にて「喉が渇いた」と綾鷹を求めるもリラックマのお茶しかないというお付きの事務官に「miuといいリラックマのお茶といいダイドーばっかじゃねぇか!」と叱咤、またも頰を張り倒すことだろう。

「まぁ世の中悪い奴も少なからずいるんだ。少しは勉強になったろ」

「はい、それでも俺は人を信じたいです。そこから何かが始まる気がするので」

「はっ勝手にしろい。じゃあな」

「えぇ勝手にさせていただきます。では」

すずらん通りを力強く、ときにヨレながら進むマジキチ自転車とFの背を見送る。

「おし、帰んか。あ、グリーンブックのレンタル始まってんよな」

TSUTAYAに寄ろうとしたところ、Fが交番の前で刺股も登場しかねない四人体制の職質を受けていた。

おれはそれをスルーして歩を進める。

愛のあるスルーってあると思うんです、愛のあるスルーって。

 

fin