六月、これといった祝日もなく特段の風物的な催しは見当たらない。
それでも無理な体勢からトスを上げるのなら大林素子の誕生月ではあるが、やはり個人的には夏へ向けて体調を整える穏やかな坂道のような時節だと思っている。
しかし、今年の六月は生涯に忘れ得ぬものとなった。
「馬っ鹿野郎!お前そしたらすぐにでも菓子折りのひとつも持って謝りに行くのが人の道ってもんだろ!あんま世の中舐めてんとお前ん家の家系図に東海大相模を書き込んで甲子園みたくすんぞ!お!?」
このように威勢良く年下の者を叱りつけた翌朝、うんこを漏らしていた。
松山城の模型、その総仕上げとして頂にハメ込む屋根を紛失して以来の大変なショックを受けるも束の間、下痢と吐瀉物が激しく外界への脱出を試みる。
心当たりは売れ残りの海鮮巻きか、それとも常温で放置したカット・パイナップルか、はたまたあの日君が夕暮れの海に深く沈めた言葉か。
ともかく住民票を便座に移したかのようにそこから動けないとなると長期戦に備えてiPhoneを持ち込みラジオをつけたところ、DJのお兄さんが幼い声色と生電話でやりとりをしていた。
「へぇ、今おばあちゃんの家にいるんだ。ちなみにおばあちゃんは今何をしているのかな?」
「爆睡してる」
こちらが食あたりに苦しんでいる最中にも世間は平常運行の時を刻んでいるらしく、長らく便座に腰掛けていると仄暗い意識の水面にこのようなことを浮かべる。
「カブトガニは自分のことをカブトガニとは思っていない。ならば我々人類も高次元の生物に全員ワキガの三者面談と呼ばれていてもそう不思議ではない。あぁ!ぽんぽ!ぽんぽさんが痛いの!」
昼過ぎ、未だゴキュゴキュと腹から不穏な音が鳴り、食欲などは当然にないが水分補給は当面に肝要なものだと体が訴えている。
飲みかけのペットボトル群にも疑念を向け、すべて排水口にぶち撒けると自宅からおよそ二十五メートル離れた自販機までの遠征を心に決めた。
平時では取るに足らない距離ではあるが、個人的な緊急事態宣言下に恐れたのは道中での便意であり、それが発動してしまえば問答無用で堪える間もなく流出してしまう。
しかし、恐る恐るに外出してみるとそれは杞憂に過ぎた。
なぜならその道すがらに大規模施設の建築現場があり、簡易トイレが目につくと万が一の際にはお借りした後の謝意として石膏ボードの五、六枚も搬入すれば事は済む。
病は気からというが気は病からとも言える好例に心地よく包まれていると道の向こうからもうどちらが散歩の主導権を握っているのかわからない干し芋のようなおじいさんと芋けんぴのような鋭い眼光の犬がやって来た。
犬はごく自然にしゃがみ込み、プルプルとその身を震わせ糞をしはじめるとその姿は己が辿る未来だったような気がしつつ自販機に到着すると「すばらしいお茶」という自賛に攻めるサンガリアの商品が目前にしゃしゃり出る。
なにかこう、すき家の「クリームチーズアラビアータ牛丼」とヤケクソ具合が似ている。
さて見繕うは熊野古道水にドデカミン、そして出会ったからにはすばらしいお茶も購入しようとしたところで財布を持っていないことに気づく。
自販機にしてみれば終戦のような物悲しい眼差しでこちらを見据えるおじさん一名あり。
「クソが」
思わず口にした罵りは言葉通りの誘い水、拭き過ぎてヒリつく菊門に不快な重力を感じた瞬間には小走りの帰路、これは家までもたないと吹き出る脂汗、そこで保険を掛けていた工事現場の簡易トイレ、ドアが開いてバスタオルで頭をわしゃわしゃするおじさん、仮設シャワー。
近年稀にみる絶望の最中にも小走りの悪戯な振動はリスクが高過ぎると本能的に判断すると急遽忍者のような摺り足を用いて犬畜生の糞を始末するおじいさんの脇を通過する。
人は下痢も極まると犬がひり出した固形の糞にも羨望の眼差しを向けてしまうものらしい。
なんとか青空の下での粗相は免れ帰宅するも、とにかく下痢が常に滝。
苛立ちに任せてセイロガン糖衣Aとロキソニンを大量にボリボリ喰らうとついには白蛇を首に巻きつけた今は亡き祖母が現れた。
「よくお聞きなさい。人はあらかじめ海パンを履いてゆくからいつも本パンを忘れるのです」
そう言い残して祖母は消えてゆき、白蛇の赤い眼光、その残像も寸刻おいてこれもまた消えていった。
それからというもの、若干にトイレの回数が減ったような気がするもマサ斎藤のフィギュアを愛でるという就寝前の慣行を欠くと心身ともに弱っている実感が湧き、ほとほと嫌気がさしたところで睡魔の尾を見つけ、掴み、そして落ちた。
主に回し蹴りで暴漢どもを痛めつけ、妙齢なるご婦人を助けるとどうしてもお礼がしたいと食い下がる。
「いや、礼など結構です。助けたのはこちらの身勝手な性分ですので」
「いえ、ぜひお礼をさせて下さい」
ご婦人はシートがザクザクに破れて雨水をこれでもかと吸い込んだYAMAHAジョグを差し上げるという。
あまりにもしつこいのでとりあえず格好だけでも跨がると尻がもうビシャビシャに濡れた。
尻の冷たい翌朝、二日連続で糞を漏らすと頭の中で渡る世間のオープニングが流れる。
確かにショックではあるが、事態を冷静に捉えている自分もいた。
「オムツ買おっ」
ドラッグストアの開店時間と同時に勇んで入店、店員さんには言い訳がましく「介護に使うのですが」と伝えたもので三十二枚入りのこの上なく気合が入ったものを勧められた。
「幼き時分にオムツを履き、老いてはオムツとの再会を果たす」
これが正しい道筋だと思っていたが、まさかその中間でサプライズ・ティータイムがあるとは思いも寄らなかった。
おもむろに広げた純白のオムツには思いのほか悲壮感はなく、そのまま「どら」なんといって履いてみるとそのシルキーな履き心地に甚く感動する。
特に臀部周辺の手厚く守られている感覚などは彷徨える自意識をその内に閉じ込めて力強く肯定してくれた。
尻の不快感がない久々の朝、オムツに漏らした形跡はなく、その喜びに続くこれまた久々の空腹感がなんとも愛おしい。
大阪王将よりふわとろ天津飯、餃子、ちゃんぽん麺、麻婆茄子と張り込んでのオーダー。
配達員のお兄さんには快気の祝儀を切り、いざ割り箸を割ったところで自殺が過る。
唐突のオムツ姿で「お、ご苦労さん。これ少ないけどタバコ代にでもしてくんな」じゃねぇよ。
fin