漏れては時候不順の折

 

六月、これといった祝日もなく特段の風物的な催しは見当たらない。

それでも無理な体勢からトスを上げるのなら大林素子の誕生月ではあるが、やはり個人的には夏へ向けて体調を整える穏やかな坂道のような時節だと思っている。

しかし、今年の六月は生涯に忘れ得ぬものとなった。

「馬っ鹿野郎!お前そしたらすぐにでも菓子折りのひとつも持って謝りに行くのが人の道ってもんだろ!あんま世の中舐めてんとお前ん家の家系図に東海大相模を書き込んで甲子園みたくすんぞ!お!?」

このように威勢良く年下の者を叱りつけた翌朝、うんこを漏らしていた。

松山城の模型、その総仕上げとして頂にハメ込む屋根を紛失して以来の大変なショックを受けるも束の間、下痢と吐瀉物が激しく外界への脱出を試みる。

心当たりは売れ残りの海鮮巻きか、それとも常温で放置したカット・パイナップルか、はたまたあの日君が夕暮れの海に深く沈めた言葉か。

ともかく住民票を便座に移したかのようにそこから動けないとなると長期戦に備えてiPhoneを持ち込みラジオをつけたところ、DJのお兄さんが幼い声色と生電話でやりとりをしていた。

「へぇ、今おばあちゃんの家にいるんだ。ちなみにおばあちゃんは今何をしているのかな?」

「爆睡してる」

こちらが食あたりに苦しんでいる最中にも世間は平常運行の時を刻んでいるらしく、長らく便座に腰掛けていると仄暗い意識の水面にこのようなことを浮かべる。

「カブトガニは自分のことをカブトガニとは思っていない。ならば我々人類も高次元の生物に全員ワキガの三者面談と呼ばれていてもそう不思議ではない。あぁ!ぽんぽ!ぽんぽさんが痛いの!」

 

昼過ぎ、未だゴキュゴキュと腹から不穏な音が鳴り、食欲などは当然にないが水分補給は当面に肝要なものだと体が訴えている。

飲みかけのペットボトル群にも疑念を向け、すべて排水口にぶち撒けると自宅からおよそ二十五メートル離れた自販機までの遠征を心に決めた。

平時では取るに足らない距離ではあるが、個人的な緊急事態宣言下に恐れたのは道中での便意であり、それが発動してしまえば問答無用で堪える間もなく流出してしまう。

しかし、恐る恐るに外出してみるとそれは杞憂に過ぎた。

なぜならその道すがらに大規模施設の建築現場があり、簡易トイレが目につくと万が一の際にはお借りした後の謝意として石膏ボードの五、六枚も搬入すれば事は済む。

病は気からというが気は病からとも言える好例に心地よく包まれていると道の向こうからもうどちらが散歩の主導権を握っているのかわからない干し芋のようなおじいさんと芋けんぴのような鋭い眼光の犬がやって来た。

犬はごく自然にしゃがみ込み、プルプルとその身を震わせ糞をしはじめるとその姿は己が辿る未来だったような気がしつつ自販機に到着すると「すばらしいお茶」という自賛に攻めるサンガリアの商品が目前にしゃしゃり出る。

なにかこう、すき家の「クリームチーズアラビアータ牛丼」とヤケクソ具合が似ている。

さて見繕うは熊野古道水にドデカミン、そして出会ったからにはすばらしいお茶も購入しようとしたところで財布を持っていないことに気づく。

自販機にしてみれば終戦のような物悲しい眼差しでこちらを見据えるおじさん一名あり。

「クソが」

思わず口にした罵りは言葉通りの誘い水、拭き過ぎてヒリつく菊門に不快な重力を感じた瞬間には小走りの帰路、これは家までもたないと吹き出る脂汗、そこで保険を掛けていた工事現場の簡易トイレ、ドアが開いてバスタオルで頭をわしゃわしゃするおじさん、仮設シャワー。

近年稀にみる絶望の最中にも小走りの悪戯な振動はリスクが高過ぎると本能的に判断すると急遽忍者のような摺り足を用いて犬畜生の糞を始末するおじいさんの脇を通過する。

人は下痢も極まると犬がひり出した固形の糞にも羨望の眼差しを向けてしまうものらしい。

 

なんとか青空の下での粗相は免れ帰宅するも、とにかく下痢が常に滝。

苛立ちに任せてセイロガン糖衣Aとロキソニンを大量にボリボリ喰らうとついには白蛇を首に巻きつけた今は亡き祖母が現れた。

「よくお聞きなさい。人はあらかじめ海パンを履いてゆくからいつも本パンを忘れるのです」

そう言い残して祖母は消えてゆき、白蛇の赤い眼光、その残像も寸刻おいてこれもまた消えていった。

それからというもの、若干にトイレの回数が減ったような気がするもマサ斎藤のフィギュアを愛でるという就寝前の慣行を欠くと心身ともに弱っている実感が湧き、ほとほと嫌気がさしたところで睡魔の尾を見つけ、掴み、そして落ちた。

 

主に回し蹴りで暴漢どもを痛めつけ、妙齢なるご婦人を助けるとどうしてもお礼がしたいと食い下がる。

「いや、礼など結構です。助けたのはこちらの身勝手な性分ですので」

「いえ、ぜひお礼をさせて下さい」

ご婦人はシートがザクザクに破れて雨水をこれでもかと吸い込んだYAMAHAジョグを差し上げるという。

あまりにもしつこいのでとりあえず格好だけでも跨がると尻がもうビシャビシャに濡れた。

尻の冷たい翌朝、二日連続で糞を漏らすと頭の中で渡る世間のオープニングが流れる。

確かにショックではあるが、事態を冷静に捉えている自分もいた。

「オムツ買おっ」

ドラッグストアの開店時間と同時に勇んで入店、店員さんには言い訳がましく「介護に使うのですが」と伝えたもので三十二枚入りのこの上なく気合が入ったものを勧められた。

「幼き時分にオムツを履き、老いてはオムツとの再会を果たす」

これが正しい道筋だと思っていたが、まさかその中間でサプライズ・ティータイムがあるとは思いも寄らなかった。

おもむろに広げた純白のオムツには思いのほか悲壮感はなく、そのまま「どら」なんといって履いてみるとそのシルキーな履き心地に甚く感動する。

特に臀部周辺の手厚く守られている感覚などは彷徨える自意識をその内に閉じ込めて力強く肯定してくれた。

尻の不快感がない久々の朝、オムツに漏らした形跡はなく、その喜びに続くこれまた久々の空腹感がなんとも愛おしい。

大阪王将よりふわとろ天津飯、餃子、ちゃんぽん麺、麻婆茄子と張り込んでのオーダー。

配達員のお兄さんには快気の祝儀を切り、いざ割り箸を割ったところで自殺が過る。

唐突のオムツ姿で「お、ご苦労さん。これ少ないけどタバコ代にでもしてくんな」じゃねぇよ。

 

fin

続・デラシネの記

 

五月一日(土) 「もういくつ寝るとお正月?」と問われれば震えながら「に、二百日ぐらいでしょうか」と答申する候、うららかな薫風に心揺すられること五年ぶりに髭を落としてみれば「絶対髭あった方がいい」と身も蓋もないことを周りの者たちはいう。「剃り損」という一聴にして新たな株用語の響きすらあるが、それはなんともあてどなくただただ腹立たしい皐月の口切り。

五月二日(日) セブンイレブンにてコーヒーカップを手に彷徨い歩くおじいさんをみた。しばらく様子を窺うと震える指先でポットのロックを解除。それは緊急事態宣言の解除をも願う美しい所作に思え「それはお湯ですよ」などという軽々しい言葉は控えて飲み込んだ。

五月三日(月) 足の爪を切り、親指の角に溜まったカスの匂いを嗅いでいるところを草むしりに勤しむおばさんに見られる。

五月四日(火) 柿の木坂の側道、バックミラーに映るトラックには三名が横並びに座している。運転手は上半身裸の黒人、中央に位置なす厚着のおじさん、そしてタンクトップのお兄ちゃんというラインナップ。これはもう両サイドのエアコンが壊れて中央にパワフルな冷風が集中しちゃってんな!

五月五日(水) パンツの食い込みは事件か事故か。

五月六日(木) コロナの影響をもろに受けて失職、離婚という荒れたオフロードを目下激走中の友人から深夜のメール。「大麦、ハブ茶、発芽大麦、とうもろこし、ハトムギ発酵エキス、玄米、タンポポの根、びわの葉、カワラケツメイ、ごぼう、あわ、きび、小豆、エゴマの葉、ナツメ、ゆずの皮、俺」彼はもう十六茶の新たな成分として生きてゆくつもりらしい。えぇ、心配です。

五月七日(金) 近頃ではおっさん化現象が進み、とにかく待てなくなってきた。銀行の窓口業務はお金を取り扱うのだから慎重にもなるだろう。しかし「裏でジェンガしてんじゃねぇの?」と思うほどに遅い時がある。いや、なにもジェンガをするなとは言っていない。「あ、ちょっと一回ジェンガしてきます」という一言があってもいいじゃないって話よ。

五月八日(土) 九十の齢も登り詰めようかという祖父は未だ物事に明るい。不義理にも電話での挨拶はそこそこに「爆風スランプって知ってる?」と突然問うたところ「ん?あぁ、それはアメリカの政治家さんだろう」とのこと。いや、多分ね、多分よ?「逆風トランプ」と勘違いしてんじゃねぇかな、うん。

五月九日(日) スマパンの『1979』を聴くと心が透き通り、決まってあの懐かしい映像が淡く浮かび上がる。十五の時分、勇気を振り絞り真夜中のエロビデ自販機まで行ったはいいが、先輩ヤンキーたちが二、三人やって来ては袋小路。咄嗟に自販機と自販機の隙間に隠れるも滞りなく発見される。向こうはめちゃくちゃ驚いていた。もう「だっふんだ!」みたいな声をあげていた。

五月十日(月) 贔屓にしているガソリンスタンドに気易い店員さんを持っている。彼は世界を股に掛ける俳優を目指して英会話を学んでおり、半年前からおれとの会話は英語縛りとなっている。すると物事に弊害は付き物のようで、新人店員がおれを日系の外国人と思い込み、牛糞の乾き具合を小枝で突ついて調べるようなおよび腰で「へ、ヘイ、ワッツアップ!?」とブチ込んで来るじゃない。

五月十一日(火) 環七は高円寺方面、大原を抜けた辺りで脇の下を覗き込む本物の脇見運転に遭遇する。

五月十二日(水) これからバンドを組むのならムスクというバンド名。これだけはもう決まってんだ。

五月十三日(木) 三十七億年前、無数の有機物質がつい奇遇に合わさり、朝礼で倒れる女子生徒が感じた気の遠くなるような長い時を経て海中を漂い始めた微生物こそ我々の祖先であると聞く。だがそれは権威ある生物学者が嫁の実家へ行き、居間に義父と二人きりの場面にてとりあえず目についた和竿の漆による照りを素人ながらに讃えた後の尋常でない静寂の気まずさからひり出された作り話かも知れないぜ。

五月十四日(金) こむら返り、その激痛の渦中にこそアフリカ某国の水を汲みに片道八キロという道のりを歩く少女を慮り、その苦を共有すべきではないか。

五月十五日(土) 夕暮れの駒沢公園。縄を二本使った所謂ダブルダッチに興じる若人衆あり。BGMはパブリックエネミー辺りか、側転から縄の内に入り込み片手でバク転などをかまし、その上で縄に引っかからないと来れば魅入ってしまう。これは対価が発生して然りと及ばずながら人数分の飲料を差し入れる。一人だけホットの綾鷹になってしまうのはこちらの不手際、延いてはご愛嬌。その場を離れ、しばらく歩いていると入念なストレッチに精を出す若人あり。「さて、君は何を見せてくれるのかな?」と自然な形で待ち受けているとトートバッグからトンファーを取り出した。トートバッグからトンファーの衝撃たるや仲良しこよしの縄跳びなんか目じゃねぇぞ!おう!綾鷹こっちに回せオラ!ホットの綾鷹オラ!

 

fin

デラシネの記

 

四月一日(木) まだ夜も明けきらぬ環七は練馬付近のジョナサン。店内は真っ暗であるも青筋を立ててドアをこじ開けようとするエイプリルフールにしては塩がきつ過ぎる大胆なお婆さんを車内より発見。するとカーラジオから穏やかなゴスペルが流れ出し、それが目の前に展開される修羅場に合わさることで真っ暗な店内が死後の世界に見えた。彼女にはまだ死の許可は下りていないらしい。

四月二日(金) 泣く子も舌打ちをする伝説の異種格闘技戦、ジャイアント馬場VSラジャ・ライオンをYouTubeで。やはり何度観ても伝説であり、何度観てもカフェインレス・アイスラテを吹き出してしまう。

四月三日(土) 所用の後、セルリアンタワーで麻婆豆腐。人は美味過ぎるということにも微弱ながらにストレスを感じるものだと悟る。Youtubeの関連動画にジャイアント馬場VSラジャ・ライオン戦が組み込まれていてカフェインレス・アイスラテを吹き出す。

四月四日(日) 実家より甥が小学生になったとの知らせを受ける。そしてスローライフを掲げ、揚々と岩手に移り住んだ友人より「牛に足を踏まれて負傷した」との知らせを受ける。おそらくスローライフゆえに互いが互いにボーっとしていたのだろう。

四月五日(月) 特に何も出来事が起こらないという出来事が起こる。

四月六日(火) アニメ版沈黙の艦隊をYouTubeにて。中学の頃友人の家で夢中になって読破をした思い出があり、今こそアマゾンで全巻を買い揃えようと思い立つも、そのレビューに「外国人の友達がこれは敗戦国のポルノだと言っていた」と書かれており、言葉に尽くせぬ悔しさと悲しさからベランダより夜空を見上げるとそこには図星が暗々として輝く。

四月七日(水) 昨日の件を引きずっているようで気分が冴えない。我ながら平時に穏やかな人柄は見る影もなく、電柱に登る関電工の作業員にカンチョーしたいほど心が荒んでいたところにサイレンを鳴らしたパトカーが通り過ぎる。ふとアニメ版沈黙の艦隊における「海の悪魔」こと主人公海江田四郎艦長の声優を思い切って柳沢慎吾にしてみたらどうか。「魚雷全門発射!」と柳沢慎吾。ピーコックの前でひとりこみ上げる可笑しみを堪えていたのは私です。

四月八日(木)メロンジュースが呼んでいる気がして二子玉へ。その道すがら蔦屋家電のキッチンコーナーに立ち寄る。人をも殺せる大きなポリネシアン風のしゃもじはインテリアも兼ねているらしく、こちらがつい良い反応を見せたものだから店員さんも調子づいて「ボブ・サップの肩たたきにもなりますよ!」と張り切る。無視。

四月九日(金) 久しぶりにスタジオに入る。持参したLEW LEWISはSAVE THE WAILを音が割れるまでボリュームを上げてひたすらドラムをしばき倒す。無数の血豆が裂けてグリップが血潮でぬるぬるするがそんなの知らねぇ。帰路、東南アジア系のファミリーがわんさか乗り込む軽自動車に横づけされ「エチゴユザワ、ドッチデスカ?」と尋ねられた。そんなの知らねぇ。

四月十日(土) 鼻の真下に巨大な吹出物を設置した方が「あぁ、俺、誰かに想われてるわぁ」とおっしゃる。

四月十一日(日) 「宇宙に始まりはないが終わりはある」との近年の学説に触れ、混乱する頭をクールダウンする為に「ホームレスにもハゲはいるの!」と叫んだところ、駐輪場の方より「どわいしょ!」という誰かのくしゃみ、威勢のよい合いの手が入る。

四月十二日(月) 太子堂の空き地に個人で枠借りの出来る畑が興された。幼い子が一所懸命に種を蒔いており、小さな耳たぶが陽に透けている。そこへお祖父さんがネームプレートを差し込めば手書きで「ゴボー」としてあり、ややあって「これプチトマトだよ」という幼い声を背に聞いた。

四月十三日(火) 近所のイカれたおじさんが自販機に「僕、オリンピックやります!」と高らかに宣誓。

四月十四日(水) 前を走る車が座布団を投げ捨てた。横綱が負けたのだろう。以前にはバナナの皮を投げ捨てる車にも出くわしている。マリオカートなのだろう。

四月十五日(木) 古いクリアファイルより十五歳の頃に書いた詩を発見する。タイトルを「血まみれのポセイドン」として物騒ながらにその書き出しは「君をひまわり畑で見失った」と爽やかに肌寒く、その後は失恋を匂わす言葉がネチネチと執拗に連なり「君はひまわり畑で僕を見失った」として得意気に筆を置く。なんでもいいけど血まみれのポセイドンさんがずっと控え室で待ってんですけど!

四月十六日(金) 朝方の富ヶ谷。脇から出て来た車に道を譲ると五、六十代と思わしきおじさんが挨拶代わりか手拳銃をバキュンとして来た。するとこちらも弾を掴み取るなりパラパラと粉々にする仕草。そして数分後、初台の信号待ちで横並びになるという気恥ずかしさったるや、もう。

 

fin

バニライエローの怪

 

ドデカミンエナジーフロートがコンビニの棚から消えて早数ヶ月。

慕情は一途に募るばかりであり、向こうもおれを探しているかと思えば感は溢れて枕を濡らす。

ネット検索にかけはすれどもその結果は芳しいものでなく、電子路頭に迷い、途方に暮れてはAmazonに行き着き、当てのない指先を別冊ニュートン『無とは何か』の注文をすることでなんとか収める。

思い返すドデカミンエナジーフロートのラベルには「アルギニン&ローヤルゼリー200%」ともはや体に悪いのではないかと思わせる自棄っぱちな謳い文句が筆圧高く記され、更に「開栓後に放置をするとキャップが飛ぶことがあります」とこちらを散々に脅しつつも側面の縦ラインには「ここからはがせます」という打って変わる低頭な心配りに愛すべき本性を感じていた。

遊歩道に咲く梅をベランダより眺めているとライ・クーダーの奏でるバンジョーが自室より漏れて聴こえ、ヤマトの配達員が引く台車のゴロゴロという音に奇しくほんの数秒合わさる粗野で温かなカントリー。

せまる春の兆し、やはりその傍にはドデカミンエナジーフロートがあってほしい。

再度取り掛かる検索は自然と熱を帯び、ついには個人商店が運営するサイトにそれを見つけた。

二十四本入りにして三千六百二十四円、在庫は残り一箱。

この機を逃しては今際の際まで後悔するのは確定、されどもこの残り一箱はリアルタイムで反映されているものなのか、サイトの手作り感が加勢するところに不確定、しかしここでグズグズしていては他者に先取りされてしまう。

急いでカートにぶち込み、名前から住所、そして支払方法を手早く記入してニュースレターを手堅くオフ、勇んで決定ボタンを押したところ名前のフリガナが抜けていると不備の朱が入る。

「御社には亀田錬太郎をタモリンピックと読んじゃう者でもいんのかオラ!」

マウスを叩きつけて昂ぶりを発露、だがその内訳は所望する品にやっと出会えた喜びが大半を占めていた。

指示通りにフリガナを振り、配達時刻諸々を記入し終えるとピンクのウサギが「ご注文ありがとうございました」と頭を垂れる。

 

それから数日を経て一通のメールが届くもそのアドレスが実に怪しい。

英数字をランダムに、また湯水の如くにどこまでも羅列した悪徳業者のそれのようであり、確かに内容こそこちらが発注した品の確認メールではあれど、これは要警戒に値する。

我が家では幼い頃より「人は常に疑ってかかれ。疑うのは信じる過程であり卑下することはない」と事あるごとに父親から言い聞かされていた。

ここでひとつエピソードを挙げるのならば、ある日親父が小田原の箱根そばで手繰り終えると店を出た。

暫くして財布がないことに気づき、大慌てでそば屋に戻るその道中に「これは間違いなく隣り合わせた男がすったに違いない。道理で怪しい風貌をしていた」と訝る。

戻り着く店にはやはり容疑者の姿はなく、世知辛い世を儚む下方に堕する視線の先に自分が使用していたお盆を見た。

そこにはお盆の色、艶、木目にぴったりと同化した永遠に誰も気づかないであろう長財布がベロンと横たわっていたらしい。

ともかくおれの身体には長年に教え込まれた疑心というものが絶えず循環しており、今日日の世情において三千六百二十四円を言われるままにポンと払い込む了見など持ち合わせてはいない。

迂闊にも三千六百二十四円を鼻歌交じりに入金すれば軽傷でたれぱんだのマウスパッド、重傷で伊吹吾郎の等身大パズルが年に二ピースずつ送られて来る可能性も無きにしも非ず。

すると夜のしじまにキーボードを打つ音がパシャと弾ける。

「先日ドデカミンエナジーフロートを注文させて頂きました亀田錬太郎と申します。大変に失礼かと存じますが思う所を率直に申し上げますと、社会通念に照らし合わせて鑑みるにそちらのメールアドレスはすこぶるに怪しく、それにより入金に二の足を踏んでいる現状がございます。さて、如何したものでしょう」

その返事はメールではなく、翌日の昼下がりに恭しい謝罪から始まる電話連絡を受けた。

声色から五十を越える業者の男が「どのようにこちらが正規の販売店だと証明すればよいものやら難儀をしております」と漏らす。

互いに次ぐ言葉を欠いては暫くの無言に陥り、時折の咳払いで電話回線の「生」を確認し合う。

 

こちらにはかの沈黙に沸々と湧き上がる思いがあった。

ふたりの漢が思慮を巡らせ、血の通わないネット社会に生きとし生けるものの熱い血潮を今注入せんとする。

「こちらの名刺を写メで送りましょうか」

「お言葉ですが名刺などいくらでもどのようにでも作れますよね」

「では免許証ではどうでしょうか」

「そんなのニンベンの者に頼めばどのようにでも作れますよ。いいですか私はね、あなた個人の生きている証が欲しいのです!」

ここまで来ると向こうから商談を断つことも大いにあり得たが「一度電話を切り、少し考えさせて下さい」と言い残した十分後には意を決したような雄々しい呼び出し音が鳴り、彼は淀みのない口調でこう発した。

「昨年に妻と行ったぶどう狩りの写真を送ります」

「それですよ!それ!」

画像を開くと星条旗のトレーナーを着る男性がピースサインを作る途中で撮られたのか、弾ける笑顔で目潰しの構えを取っている。

「こんな写真はなかなかお目にかかれないぜ。生への渇望が横溢してんじゃねぇかさ」

そして何気なく拡大したところ、チェーンのみのネックレスと思いきや、星条旗の星に同化したシルバーの星形ヘッドを確認した。

「親父のお盆状態じゃねぇか!なにこのすんごい親近感!うん、この人は悪徳業者じゃない!」

もうひとつ背中を押して欲しいという気持ちから拡大したまま後方の張り紙を映し出すと「休園中」としてある。

「あぁ!絶対いい人だ!この人絶対いい人だ!」

 

fin

捨てる神あれば拾うと見せかけてドラゴンスリーパーをしてくる神もあり

 

お通しの胡麻豆腐で差し歯が抜けた友人の第一声は「神様、私が一体何をしたというのですか」という敬虔な語気を穏やかに含むものであり、こちらとしては如月の序の口に相応しいなんとも清らかな心持ちとなる。

「もういい加減ハンドスピナーはやめなさいと神様からのお告げだろう」

「あぁ、そうか。そうですか」

「今どき張り切ってやってんのはお前とパプア・ニューギニアの子供達だけだ」

「あぁ神様、厳しくも温かいご忠告だけでなく歯を飲み込まずに済んだそのご加護にも感謝致します」

それから小一時間ばかり差しつ差されつの盃を交わしていたが「神様、私が一体何をしたというのですか」という彼の発言が心のささくれにずっと引っ掛かっていた。

思えば長きに亘るコロナウィルスの流行により陰鬱な日々をただただ消化するばかりであり「神様、私が一体何をしたのですか」と純な眼差しで宙に問う個人的な出来事も久しくなければそれは生きた屍に同じ。

彼が差し歯をティッシュに包み、それをポケットに入れる手前で「もうそろそろお開きにしようか」という。

「もうちょっとひとりで飲んで帰んわ」

退店する彼には一瞥もくれず、先刻の清らかな心持ちはどこへやら、煮え切らない己の生き様に生来の狂気がくすぶると手の甲を楊枝で強かに突く。

プツと丸く浮き出た鮮血に生の安堵を覚えると徐々に広がる暗褐色の孤島を上空からしばらく眺めていた。

 

叩きつけて丸め、捻ては伸ばし、美しいメロディーを発する粘土を用いて優雅な交響曲を奏でながらイカリングを作り上げたところで違法カジノ時代の先輩である大野さんが現れ「よくも俺のブタミントンを!」と突然の怒号を上げ、殴り合いの喧嘩の果てに目が覚めた。

枕元の携帯には数件の着信が残っており、留守電にもメッセージが入っている。

「あの、えっと、ちょっと頼みたいことがあって、ん、連絡ください、はい」

彼はシングルファーザーという襷を掛けて日々子育てに奔走しており、近頃では良い意味で疎遠となっていた。

そのように奮闘する男からの頼み事であれば一も二もなく引き受ける心構えで電話を折り返す。

「あぁ、ごめん、寝てたよ。どうしたの」

「申し訳ない。地元で急な不幸があってすぐに行かなくちゃならないんだけど、娘の人形を一晩だけ預かってくれないか。状況が状況だから持って行けないんだよ」

「あぁ、それはそれは。全っ然いいよ。向こう一年でも二年でも預かってやんよ」

「すまない、今からそっちに向かうから。本当にありがとう」

ほどなく車が着いたようでエントランスまで迎えに出ると彼はピンクがかったシースルーバッグをトランクから取り出していた。

そこには小さな家具のような物が多数、そしておもちゃの哺乳瓶を確認する。

「おう、久しぶりじゃねぇの。なんだか、なんだか大変だね、しかし」

「あぁ、本当に申し訳ない。このお礼はいつかするから」

そこへ妙にリアルな人形を抱えた小さな娘さんがモチモチやって来ては父に促されてこちらに挨拶をした。

「こんにちは……ぽぽちゃんをお願いします」

「お、こんにちは。ぽぽちゃんっていうの。わかったよ、大切にお預かりします」

そして彼女は今生の別れのように涙々の車窓からいつまでも手を振り、こちらもぽぽちゃんの手を握りいつまでもそれに応えた。

 

現在とあるバンドから歌詞の依頼を請けており、昨晩のポストに音源が届いていた。

「現代社会に対するピリッと皮肉めいた歌詞をスモーキーなチルブルースに乗せて欲しい」

前以てそのような要望があり、貰い受けたCD-Rを再生するとスティーブ・ソレイシーなる男が教鞭を執る英会話の授業がみっちり収録されていた。

「こちらの大胆な聞き間違いかも知れん」

大きく気を取り直そうと少しその辺を掃き掃除、その間に湯を溜め、加湿器の水を足し、ドクターマーチンの靴紐を黄色に変え、ユーチューブでシルクロード鉄道と検索、十五秒に一回「もこみち若っけ!」と言いながら鑑賞、髭を整え入浴、風呂上がりは入念な耳掃除に次いで「あ、あ、ワンツーワンツー」と聴力チェック、そして祈るような気持ちでCD-Rを再生するも引き続きスティーブ・ソレイシーが英会話の授業をしているではないか。

「神様、私が一体何をしたというのですか」

単に送り主が誤送したのであればまだしも、これぞ英会話の授業にしか聞こえない最新のスモーキーなチルブルースであった場合こちらの指摘はアーティストへの侮辱にあたる。

さて、これはどうしたものかと思案をしていると次第に睡魔に飲まれ、とろとろ落ちた。

 

着信音に起こされ、寝惚け眼に画面を覗けばFaceTimeという表示があり、それを素直に取ると不祝儀の場へ向かった彼の姿が映し出された。

「あ、どうも、今着きました」

「んん、そか、お疲れさんです。そか、うん」

「娘がぽぽちゃん今何しているの?ってうるさくて。ちょっとだけ映してくれないかな。すいません」

「ぽぽちゃん?あぁ、ぽぽちゃんね、ぽぽちゃんは今……ちょっと待って」

玄関の方へ視線を移すとぽぽちゃんはおでこを床につけて尻を突き上げ、新日本プロレス伝統トレーニングであるライオン・プッシュアップの途中体制に入っており「ぽぽちゃんは今筋トレしています」とは言えず、慌てて抱きかかえてはカメラの前へ突き出した。

すると父を介した娘さんから手厳しい指導が入る。

どうやらぽぽちゃんが今着ているものは余所行きのお洋服であるらしく、速やかに部屋着なるものへ着替えさせろとのこと。

ピンクがかったシースルーバッグより様々な家具や哺乳瓶を取り出し、洋服が大量に入ったポーチを見つけ出すとようやく指示の通りの格好をさせた。

「あとミルクを飲ませる時間だと。本当にすまない」

「いや、預かった以上はやるよ。気にすんな」

カメラ映りを意識したベストアングルでミルクを飲ませると哺乳瓶より「ゴクゴクゴク」と音声が鳴る。

「へぇ、今のおもちゃはすごいね、しかし」

なにかその様が愛らしく思え、ぐいぐい大五郎ばりに飲ませていると「ゴクゴクゴク…うぇーん!」と突然泣き出し、娘さんは画面から飛び出す勢いで「ちっち!ちっち!オムツ替えて!」と叫ぶ。

言われるままに従い、オムツをぺりぺり剥がし、予備のものを履き替えさせたところで娘さんより「はい集合集合!一回拭けや!このバカチンが!」のような叱咤を受けて「さっせん!」ともう一度脱がせてウエットティッシュで局部を拭き拭きしては「ふぃー」とひと段落。

そしてつい気の緩みからズボンの上からオムツを履かせてしまう。

もう娘さんは画面の向こうでそれはそれは激しく地団駄を踏み「これだから工業高校は!」と言いたげな怒気をこちらに向けて大泣きした。

 

ぽぽちゃんは体の構造上、入浴は完全なNGであり就寝前には必ずパジャマに着替えさせてから髪を梳かせとの言付けを受け、それを忠実に守ったのは彼の為、あるいは全世界に点在するシングルファーザーへの声援という捉え方をしてもらって構わない。

「さ、ねんねしましょう、ねんね」

ぽぽちゃんをおもちゃのベッドに寝かし付けようとしたその時、恐怖のFaceTimeが鳴り響く。

「あぁ、夜分にすいません。娘が寝る前にもう一度ぽぽちゃんに会いたいと」

「あぁ、はいはい」

首元までぴっちりボタンを留めたパジャマ姿、艶めくヘアに抜かりはない。

しかし娘さんは即座にナイトキャップの不備と就寝前のおしっこをこちらに申しつけた。

帽子を被せておもちゃの便座に座らせると「チョロチョロチョロ」と音声が流れることで放尿終了。

滞りなく諸々を済ませたはずが「オムツ!オムツ!」と力の限りに連呼している娘さんを解せずにいると満を持してオムツをつけたまま放尿させてしまった。

その罪は重く、謗りを免れる術もなければ又しても大泣きをさせてしまうかと思いきや、忙しない一日の疲れが小さな体にのしかかってか「あなたはもう馬鹿の特許を取りなさい。ね、悪いこと言わないから」という諦めムードを画面の向こうより気取った。

 

「ぽぽちゃんを横にすれば目は自動的に閉じるから」

これはシングルファーザーとして堂に入る男からの信頼できる言葉なのだが、はて、床の中から天井に向けて目をフルオープンさせているぽぽちゃんは一体どのような了見なのだろう。

もしや故障ともなれば娘さんの怒りは頂点に達し、ガムテープですね毛を抜き倒された挙句、その本数分のビンタがこちらの頰に叩き込まれる。

強引に目を閉じさせるも絶妙な間をもって「お待たせしました」と言わんばかりに瞼がツイと持ち上がって元の木阿弥、そのうち唇を頻繁にタコにする中学以来のチック症状を発症すればこちらの限界はすぐそこまで迫っていた。

「神様、私が一体何をしたというのですか」

しかし、迫っていたのは神が放たれた眩い光の群れ。

「あぁそうか!いつもと違うお家だから寝付けないってか」

ぽぽちゃんの頭を撫でると絵本でも読み聞かせようと即席の親心が芽生えた。

「確かすてきな三にんぐみがあったな。どこやったっけ、ちょっと待ってな」

いくら探しても絵本は見つからず、偶さか長年に紛失したドライヤーのヘッドが大山椒魚のぬいぐるみ、その腹部に滑り込んでいたところを発見しただけでも良しとする。

「はい、絵本がないから江戸文字入門でいいね」

それから勘亭流、寄席文字、相撲字という流れで懇々と言い含め、通人石井三禮翁の半生にスポットを当てたところでぽぽちゃんを窺い見るとこれがまたギンギンと開目しては寝そびれている。

ならば物は試しの心許ない最終手段、スティーブ・ソレイシー先生にご足労を願い英会話の授業を聞かせればそのうちうつらうつらと瞼が重くなるやも知れない。

おもちゃの洗濯機、そして物干しスタンドが目に入ると明日はスパルタ洗濯道場が待っているのだろう。

スピーカーからは優しげな声色で誘う異国の言語文化、それにまどろみ真っ先に寝入ったのはこちらの方という。

 

fin

丑は蹴り初めて頌春

 

昨年におかれましてはどなた様もコロナ野郎に手酷く翻弄された一年となりました。

こちらもご多分に漏れず、様々な場面で支障をきたしては苛立ち、当てのない矛先がいつしか己に向くことを恐れるとかぶを漬けて気を紛らわせ、通販より密教の法具である独鈷杵を取り寄せることで心の拠り所としてはみたものの、年明け早々ウーバー兄さんの自転車が脱輪を起こして大転倒、干支の縁起を担いだ牛タン弁当がぺちゃんこに潰れるという不穏極まる年始の滑り出しにがっくりきているところで明けましてあめでとうございます。

さて、年始の恒例であるポストチェックをしたところ、近頃にはめずらしい手書きの年賀状が入っており、すぐさま目に付いた裏面には太筆でこのように書してある。

「祝SEX三年!ヒューヒューだよ!」

そしてボールペンに持ち替え、猫の額のようなスペースに「最近セブンイレブンのタコスチーズブリトーにハマっています!」と近況シャウト。

差出人は確認するまでもなくIQが低過ぎてIQすら読めない恐れがある地元の古い連れであり、とどのつまりは郵便局に腹が立ってくる。

「仕分けの時点で燃せ燃せ!」

またこのようなアジャパーな年賀ハガキを丁重に抱えて神奈川と東京の県境をノコノコ越えた輸送業者にも腹が立ち、更にはこのような愚かしいハガキに限って切手シートの当たる確率が高いという宇宙のルールにも腹が立つ。

しかし年初めから怒ってばかりいてもしょうがなく、目が汚れたのなら美しいものに眼福を求めればよい。

新春の空の下、羽子板に興じる近所の幼い兄妹を微笑ましく見つめる祖父母の姿、また先日より放置されながらも無事に年を跨いだデカビタの瓶に刺さる花は美しい。

次第に毛羽立つ心はなだらかに落ち着き、目の前を大柄の白人男性がタンクトップに短パン姿で走りゆけば仄かな鉛筆の芯の香りに触発、今年に延期されたオリンピックは一体どうなるのだろう。

開催の是非に関しては目下喧々と揉めに揉めており、なかには大会の縮小案というものもあるようで個人的にはそれに賛成であり、その骨子となるプランはすでに打ち出してある。

もう贅沢は言いません、メイン会場は茅ヶ崎と平塚を繋ぐ湘南大橋より臨む大神スポーツ広場。

車が出せる父兄さんがあればお願いをして、豚汁はJOCサイドから出るのでおにぎりは各自持参とする。

そして動きやすい格好で集うという限りなく少年野球の納会的な開催の仕方はどうだろうか。

 

炬燵に入り紅まどんなに爪を立てたその時、年下の友人より「もしお暇なら今から駒沢公園に来ませんか」と誘いのメールが入る。

「なんか催し物でもあんの?」

「彼女に自転車の乗り方を教えるだけなんですが、なんとなく。ビールありますよ」

「あぁそう。あの五重塔辺りに行けばいい?」

出不精の自分がふたつ返事をした理由は以前より自転車に乗れない大人に興味があった。

時に自ら乗れない者を演じてサドルに跨るも、幼い頃に苦戦した思いなどすっかり忘れてどうしても運転できてしまう。

それに引き替え、乗れない彼ら彼女らには未だ穢れのないイノセンスがその身に宿っている気がするとそれは興味とは名ばかりの紛れもない嫉妬であることを認めなければならない。

メルカリで落としたZARAのボアコートを纏い、徒歩で駒沢公園へ向かうその道途にはセブンイレブン、何か差し入れでもと店内をうろつけば導かれたようにタコスチーズブリトーを手に取っていた。

それは血の巡りが悪いスーパー馬鹿野郎がハマり込んでいる品ではあるも、それを癪に食わず嫌いをするのは大人のやることではない。

その他諸々を買い込み、自由通りをひたすらまっすぐ進むと年始の駒沢公園は意外や人出があり程よい活気があった。

五重塔の真下に待つふたりと新年の挨拶を交わし、早速ビールを開栓。

「お前はダメだよ。これから自転車に乗るんだから」

彼氏にそのようなことを言われ、頰を膨らませてはむくれてみせる少し肉付きのよい榎本加奈子似の彼女。

そのようなこともあろうかと先のコンビニでノンアルビールも購入していたこちらの年の功が中央広場に冴え渡ると思いの外に小っ恥ずかしく、急いての照れ隠しにタコスチーズブリトーをふたりに勧めると年下の友人は一口でその虜となったようで、次いだ彼女も大絶賛と来れば殿に控えるこちらに注目が集まる。

「うん、旨いけど、なんだろ、うん、もうちょっとソースに辛味を入れて欲しいかな」などと述べてはみたが、一番入れて欲しいのは己の棺桶の中であり、とんでもなく美味いブリトーに出会ってしまった松の内。

すかさず地元のイカれた連れが「だべ?美味いべ?」と脳裏に迫り邪魔臭いことこの上なく、また彼女の膝当て、肘当て、ヘルメットという完全防備の装いに関しても準備万端この上ない。

元ヤンの彼から借りたのであろうコルク半のヘルメットには旭日旗のステッカーに「即死」という二文字が大々と記され、暴力的なまでにやる気が充ち満ちているではないか。

「じゃあそろそろ練習を始めようか」

「ちょっと待って!やっぱ無理無理!だってこんな細い二つのタイヤが横じゃなく縦に並んでるし!絶対に無理!」

そのような大人らしからぬ申し立てが辺りに響くとこちらとしては何かを感じずにはいられない。

そうだ、乗れない者とは乗る前から自転車のことで頭の中が九割を占め、残りの一割で自転車を発明した偉人のおでこを熱々のフライパンに押し付けたいと本気で願っているのだった。

早速彼女の身体からイノセンスが立ち昇るとこちらは凍てる風に嫉妬を冷ます。

「まずは漕がなくていいから跨いで向こうまで歩いてみようか」

「無理無理!怖いよ!だってこんな細い二つのタイヤが横じゃなく縦に並んでるんだよ!?」

「大丈夫、五つのタイヤが斜めに並んでないだけありがたいと思って」

渋々に自転車を跨ぎ、とぼとぼ歩き始めた彼女とそれを見送るふたりの男。

「一応今日中には乗れるようにしたいのですが、どうですかね」

「んん、そらもう偏に彼女の努力次第だべな」

なんでも彼女には同僚たちとのサイクリング大会が一週間後に控えており、さらにはインド人もびっくりの幹事を務める身であるという。

「なんでまた幹事なんて」

「よくわからないところで無駄に責任感が強いんですよ。まぁとにかくサイクリング大会の幹事が自転車に乗れないなんて八代先まで笑われますよね」

 

広場で遊ぶ少年少女の奇異な視線を一手に集めては帰還直後に「はい、今日はもう終わり。てか恥ずかしい」と無愛想に言い放った彼女。

受けて平時に温厚な彼の口調が少々乱れた。

「恥ずかしいのはいつも困難にぶつかるとすぐ逃げ出すピヨたんたんの甘ったれた根性だろうが!はい、もう一回!」

「嫌だ嫌だ!恥ずかしいよ!怖いし!」

「嫌もヘチマもあるか!本来自転車は小さい頃にクリアすべき第一のハードルなの!そこからケツを割った奴はいつかそのツケを払わなきゃならねぇの!ほら立って!もう一回!」

次第にピヨたんたんのすっぴん顔が崩れ、子供のようにボロボロ泣き出すと震える声で「ちんこ小っさ!」と急遽彼の陰茎お得情報を露わに吐き捨て、再び自転車に跨り歩き出した。

「ちょっと厳しいんじゃない?」

「いや、時間がないので多少は。お聞き苦しいところすいません」

「彼女のこと愛してんだ」

「はい」

それからというものスパルタ自転車教室の厳しさは一段に増し、一度だけ「もうサイクリング大会には車で参加する!」という前向きな暴言もあったが、彼女は何度も転び、何度も起き上がった。

「だから転ばないようにバランスを取るのと前へ漕ぎ出す作業を二つに分けちゃダメだって!同時同時!」

そのうちこのような具体的な指導の声が飛ぶとそれはそのまま彼女の成長の証であり、これは今日中に乗れるのではないかと園内全域に思わせたが、もう一息のところでうまくいかない。

「ちょっと小便行って来るから、休憩ね」

自転車にひょいと跨り、颯爽とトイレに向かう彼の姿を目の当たりにした彼女の表情に有り有りと羨望が浮かぶとこれがまた非常にいじらしく、こちらの琴線にリンボーダンスでジリジリと迫り来るではないか。

彼が戻ると特訓は再開され、緊張よりも疲労が勝りつつある彼女の懸命な姿にはやはり何か決定的なものがひとつ足りないようであり、本人は元より指導にあたる教官すら分かりかねている。

日も暮れかかり、彼女のイノセンスに対する嫉妬の感情が薄闇に紛れるとここはひとつ翼となりうる言を贈ろうと思い立つ。

「あのさ、ピヨたんたんの姉ちゃん、ちょっと自転車を思い切り蹴り倒してみ」

「え、なんでなんで」

「自転車に思い知らせてやんの。あんたを操縦するのはこの私よ!って。物事の全ては心の持ちようだから」

「うん、わかった。やってみる」

大袈裟な構えから繰り出された彼女なりの蹴りとは驚きのサドルにかかと落としであり、自転車は倒れずこちらが倒れそうになる。

「うん、違う違う。なんつーかもっとこう、ほら」

そして聞く耳を持たぬ矢継ぎ早の第二弾はタイヤにローキックという地味なダメージを与えようとして止まない。

そこへ盛り上がる友人が「もっと強く蹴らなきゃ!もっと強く!図書館でアメリカンクラッカーをしている奴を蹴り倒す感じで!」と畳み掛ければついに彼女は腰の入った前蹴りでもって自転車を倒すことに成功する。

やはり心の持ちようとは技術の前に立つ肝要なものであり、彼女の辿々しいハンドル操作がそのうちに影を潜めると目を見張る進歩の果ては広場を縦横に乗りこなすまでに到った。

 

それから一週間を過ぎた頃、キャップに入れ過ぎた柔軟剤を本体へぷるぷる慎重に戻しかけたところに入ったメールは年下の友人からであり、先日の礼を義理堅く口切りにこちらも気にかけていた例のサイクリング大会における事の次第がつぶさに綴られていた。

どうやらあれからも日々の特訓は続き、大会前日には人並みに乗れるようになったと。

「へぇ、すごいじゃない。頑張ってたもんな」

そして当日、会場である昭和記念公園に着いたところで初めて不安になったらしい。

今回は乗り慣れた自転車ではなくレンタル自転車であり、同僚がその冴えない顔色を心配したが幹事たる者ここで怖気付いてどうすると持ち前の責任感。

彼女は施設の方がいる前で自転車を蹴り倒して反射板を割ったらしい。

深呼吸をひとつ、携帯画面をそっと消し、柔軟剤を本体へ戻す作業に戻る。

手のぷるぷるが先刻よりも心なしか激しく。

 

fin

歳晩に漬ける

 

師走に入り早々、よそから立派な聖護院かぶをいただくと漬物好きが高じてひとつ千枚漬けでも拵えようかと思い立っては台所、昨年離婚をした夫妻からの引き出物であるグラスに黒ラベルを注ぎ、なんとなくの耳寂しさからPoguesは『Fairytale of New York』をかけるとクリスマス感にグッと肩を組まれた。

「よう、今年のクリスマスはどうするんだ、ん?」

「別になんもしねぇよ、んなん女子供のもんだろ」

「あら、今日日そんな言い方をして。まぁいいや、今年はどうだったんだよ、総括的に」

「今年は何と言っても女子7人制ラグビーのセントラルシリーズで福井女子闘球倶楽部が優勝したな」

「もっとなんかあるだろ」

「第七回豆乳レシピ甲子園で福井の高校生、羽生まおさんのレシピが野菜部門の優秀賞に選ばれたな」

「そうですか。そらそうとなにをするんだ?かぶの御前で光る物を振り回しちゃって」

「千枚漬けを作んだよ。見りゃ分かりそうなもんじゃねぇか」

「へぇ、随分と乙なことを。作り方は知っているのか?」

「当たり前だろ。日出ずる御国の民なら誰でも知ってんよ、オラ邪魔だ邪魔だ」

クリスマス感がお手上げのポーズに戯けて消えると早速クックパッドで手順を引く。

ざっと流し読むと砂糖、塩、酢にみりんに昆布、そして柚子や鷹の爪などがあれば尚のこと良しとし、まずはかぶの皮を剥いて薄切りにしろこのクズ野郎としてある。

猫の手を添えソク、ソクと薄切りにしばらく没頭していると無心を自覚するという矛盾に苛まれながらも二十五枚を切り終え、お次は一枚づつの両面に塩を薄く付けて漬物鉢にずらしながら重ね、一日重石をして余計な水分を抜くことが出来ないのであればダッシュでお前の先祖の墓に糞をぶっかけるとしてある。

はて、ここで悩んだのが漬物鉢というものなど聞いたこともなければそれが道理に我が家には存在しない。

さりとて安易に挫折などすれば可愛い薄切りのかぶたちは就寝前のかぶパックの末路を辿ることになってしまう。

そこで考えついたのが小ぶりのパスタ鍋にそれらを重ね入れてはアルミ箔で覆い、丸めた新聞紙を緩衝材としてペットボトルを重石に据え置くというもの。

するとこの素晴らしい機転はなにがしかの神の嫉妬を買ってか、この三千世界で一番意味のないどこぞのお爺さんによる間違い留守番電話を差し向けてきた。

「あ、みきさん?今ね、箱根に着きました。あ、まだ足柄です。では」

この独り相撲甚だしい留守電の特筆すべき点は例えおれがみきさんだとしてもその意味のなさ加減がちっとも減らないところにある。

さて、ペットボトルで重しをかまし一日漬けると思いの外に水分が出ていた。

これはゆらゆら帝国でいうところの緑の液体であり、それを捨てるシンクに思い出す。

かれこれ十年近く前のこと、おれは一人でドラムを叩いて叫び散らすという音楽活動をしており、ある日のライブに亀川さんがお見えになっていたのだが、こちらのノーフューチャーな泥酔ぶりから挨拶すら満足に出来ず三下の分際で大変に失礼な真似をした。

そのような悔悟は何年経とうが持ち続けるべきであり、それを忘れぬよう戒めにかぶを一枚齧るとこれがまた許されたように旨い。

滲み出たぬめりは八百八寺の肥沃な土の香りを纏い、目を瞑れば寺から寺へと連れ回された修学旅行が浮かび、さらにはバス中での歌い回すカラオケでマイクが届かないとなるとジャックを最寄りの穴へ手際良くぶち込むバスガイドさんの腰つきまでも思い起こす。

かくして薄味を好むこちらからすればこれにて完成としてもよいところだが、やはり年の瀬も迫る今日この頃には真の千枚漬けなるものに挑みたいではないか。

 

ところで我が家ではサンタクロースに扮した親父が高一まで枕元にプレゼントを置いていた。

これを人に話すとある者はうどんを吹き出し、ある者は震える手でハザードランプを点灯させ、またある者は「やっぱりライトオンの株主総会ではみんなダサいのかな?」と急に口走るなどの動揺をみせた。

さすがのこちらも「このまま一生続くのかも知れない」という懸念があり、とうとう高一のクリスマスイブは刻にして丑満を過ぎた頃、枕元に迫る影へ突然「いつまで来るんですか」と問うたところ、薄闇のなか驚きをひた隠した親父が力なくも真摯に答えた。

「やめ時がわからない」

それはまるで定期便の亜鉛サプリのようであり、つまりはこれがサンタクロースの別れの言葉となった。

黒ラベルを飲み干し、なんとも言えない感傷に浸っているとインターFMよりWham!の『Last Christmas』が流れ出し、すかさずのクリスマス感がまたしても現れる。

「なんだよ浮かない顔して。千枚漬けに失敗したのか」

「ちょっと昔のことを思い出してたんだわ」

「あれか、十四歳の頃クリスマスに貰ったパワフルな双眼鏡で湘南平に見飽きると隣家の生活ぶりを堂々と覗くというあの凄惨な事件か?」

「そんなこともあったな」

「みかんにむせるおじいさんの一部始終を覗くだけでは飽き足らず、終いには柿ピーの柿とピーナッツの割合が偏りまくっているおばあさんを憤慨しながら覗いていたな」

「結局双眼鏡は母ちゃんに没収されてな」

クリスマス感が笑いながら消えてゆくとついには千枚漬けの最重要ポイントに差し掛かる。

酢、砂糖、みりんを合わせ砂糖が溶けるまで火を通し、その間絶対に沸騰させてはいけないとのこと。

万が一沸騰させた場合には金玉をめくり上げたそのスペースを月極め駐車場にするという。

記述された分量を遵守、とろ火にかけ木べらでゆっくり慎重に掻き回しながら明年の家内安全、無病息災、五穀豊穣、行き着く先は世界平和と近所のギャル服を着こなすお婆さんへの天誅を祈願し、次第に砂糖のざらつきが緩いとろみに化すとどうやら山場は越えたようで。

お役御免の木べらをサッと洗い、元の位置へ戻そうとしたところ枕のビーズを満載にしたプラコップを張り倒し、コンロ周りは一瞬にしてビーズだらけとなり鍋の中にも五、六粒入ってしまうも大の大人が狼狽えるには値しない。

散らかったビーズは拾い集め、鍋の中からは菜箸でつまみ出せばいいだけの話。

「おれもそろそろ肝が据わってきたぜ」

コンロ周りの清掃を済ませ、鍋に入った不届きなビーズ達の退去を迫ろうとするも菜箸を片手に「あで?」と首を捻る。

なぜなら薄いブルーのストローを輪切りにしたようなビーズの姿がない。

鼻水を垂らしながら「ハンドパワーです」と呟いてはみたもののそれではなにも解決せず、これは最悪を想定しての実験を行わなければならない。

ビーズを一粒、湯気の立つ鍋に投下し、瞬きは極力に控えてその様を凝視していると汁に揺蕩うこと一分弱、こちらになんの挨拶もなく「スッ」と溶けて消えた。

「はいチョベリバです」

五、六粒がすでに溶け込んでいる現状からこの度の千枚漬けが完成した暁には原材料名、砂糖、塩、酢、みりん、ポリエチレンと包み隠さずラベルに記載せねばならない。

そのような責任感からスプーンの先で恐る恐る味見をしてみたところ危惧するケミった風味は皆無にして、むしろ陰ながら砂糖とみりんのわんぱくな甘さを酢と共に引き立てつつ上品に抑え込んでいる印象すらあり大変に良く出来ているではないか。

 

かぶの間に昆布を挟み、柚子の代わりに野菜室の奥で干上がる金柑を細かく刻んでは香りづけ、そして調合に少々手間取った汁を注ぎ、もう一日漬けるとついに千枚漬けが完成した。

ちょっとした小皿へ選りすぐる三枚を移し、斜に重ねて色気を出すと携帯を取り出し記念の一枚。

しかし「なにかこう殺風景だな」と手元にある糸ようじをひょいと添えてみたところ、それで突き刺しては召し上がり、さらにはその場で歯間掃除まで出来るという至れり尽くせりJAPAN感が全面に出た。

すると徐々にエスカレートをして様々な物を添え出し、最終的には鉄アレイが主役のような仕上がりとなる。

これはいけないと一掃する最中の「殺風景こそ見る者の心情を写すキャンバスなのではないか」という確信めいた思いから三枚の千枚漬けのみをフレームに収めると次いで待ちあぐむは味見の段。

咀嚼毎に繊維組織から溢れ出すほのかな酸味と草野球のストライクゾーンのような寛大な甘さが相まってそれはそれは素晴らしく、酸味は母、甘みを子とした場合にはご飯という継父との相性を慮る節もあるが、漬物を優に超越した一品のおかずとしても成立するところから杞憂として飲み込む。

しばらくすると「せっかく写真に収めたのなら誰かに見て欲しいじゃない」という巷に蔓延る浅ましい了簡がムクムクと人並みに湧き、強盗にもフリスクを勧めるような心優しい人々を電話帳からピックアップ、そして「クォラ!千枚漬けの御前である!頭が高い控えおろぉ!」と添えて一斉送信。

返信を待つ間に湯を溜め、肩まで浸かり、なんとなくの鼻歌に『恋人がサンタクロース』を奏で出すと磨りガラスの向こうに見慣れたシルエットが現れ、咄嗟にBメロから『俺ら東京さ行ぐだ』へ変更、それがフッと消えたところからおそらくそれはクリスマス感であったに違いない。

風呂から上がると何件かの返信があり「すごい」や「美味しそう」などが居並ぶもこちらとしては退屈で仕方ない。

すると「我が家では紅白なますではなく赤かぶと白かぶの紅白千枚漬けをおせちに入れていますよ」という熱いメールが届いたものの、広瀬さんという方に全く覚えがない。

過去の送信履歴を調べるも手掛かりは掴めず、最終手段の「貴様Who are you?」を送信する直前に思い出して本当に良かった。

「チャリで轢いた人だわ」

思い返せばおよそ二年前、夜の茶沢通りで背後からチャリンコで轢き倒してしまったにも関わらず笑顔で「大丈夫です」と仰られた広瀬さんその人ではないか。

それを頭ごなしに「クォラ!千枚漬けの御前である!頭が高い控えおろぉ!」とは何事か。

それも送った写真は真っ白な千枚漬けであり、色も無ければ反省の色も無いときた。

なんと返信すべきか悩み込んだ挙句、自重を可視化するには硬く、そして重々しい物が適していると再度引っ張り出したのは鉄アレイ。

「お久しぶりです。その節は大変にご無礼致しました」と鉄アレイの写真に添えて返信。

すると「僕も最近体を鍛え出し、近頃ではジムに通っています」と仰る。

「そうですか。このようなご時世ではありますがお身体にご自愛ください。では失礼致します」

「あとですね、ホットヨガも始めようと思っています」

 

fin

五指に余る般若湯のブルース

 

暮れ時のスペインバルにて生ハムでビールとチリワインをしこたま呷り、イワシの酢漬けでもしこたまに呷れば鱈のコロッケが配されたころにはだいぶ仕上がっており、悪癖、忙しなく動き回る給仕の男に絡み出す。

「最近は、最近はなんだ、ヤングの自殺が激しいってね」

「えぇ、悲しいことに」

「虚無と目が合っちまったんだわ、皆」

「トムと目が合った。なるほどですね」

先刻に紋甲イカのフリットを注文したはずがイワシの酢漬けをベストスマイルで持って来たあたりも合算すると彼は相当に耳の遠い男であるらしいが、ふと、近頃の荒んだ世には少しぐらい耳の遠い方が種々の醜聞を避けては幸せなのかも知れない。

対してこちらは耳が通っている方であり、テーブルをひとつ挟んだ男たちの会話までクリアに聞こえてしまうとなにやら大層盛り上がっているらしく、その中のひとりが口にする言葉が一々引っ掛かる。

「さぁ、忙しくなるぞ!」

「大きな声は地声だ!」

「止めても行くんだろ?」

それらはテレビドラマかなにかで聞き慣れた言葉であるが、それを実地でふんだんに使用する人は初めてみた。

鱈のコロッケを「ジャ」と齧れば魚皮もしっかり練り込んでいるようで酩酊の中にあっても滋味深い。

 

このまま帰るのも惜しい気持ちから目についた靴屋、古着屋と千鳥足で渡り歩いては散々ひやかし、ペットショップではケージの隅でチマとふて寝をするポメラニアンの赤ちゃんに心を奪われる。

「五万やんからこの子を親元へ帰してくんないか」

こちらの熟柿くさい突然の提案を受けた女性店員は田舎の父より丹精込めて拵えた木彫りのおりものシートをプレゼントされたような緊迫の面持ちでバックヤードへ走り、ややあって和太鼓のような店主を引き連れて戻った。

「あの、どのようなご用件でしょうか」

「時にご主人、りっしょくとたちぐいは同じく立食と書くが、そこには歴とした貴賎的な差がある」

「はぁ、言われてみれば」

「ちょいと日本語を齧ったそそっかしい外国人が立食パーティーをフルパワーでたちぐいパーティーと読み上げちゃったらどうすんの!?さらにりっしょく蕎麦なんてお上品に間違えた日にゃその割り箸は黒檀かい!?おん!?」

そこからの記憶は曖昧に途切れ、気づけば公園のベンチに伸びていた。

鈍する思考回路を差し置き、下腹部がモズモズし始めると小便が外界に焦がれている。

やおら立ち上がり公衆便所まで悠然と歩を進めるも、その実、紙吹雪が五、六枚頭に乗っただけでも放尿がスタートしてしまうのではないかと思うほどに限界は近かった。

ならば小便とは関わりのない物事を言葉に起こすことで尋常でない尿意をはぐらかす。

「そういやこないだ行った飲み屋は最高だったわ!しょんべん横丁!んん、こんなご時世だけどそろそろ海外旅行にでも行きてぇな!そうさなぁ、ベルギーなんてどうかしら!しょんべん小僧なんかひやかして!」

もはや小便は脳にまで逆流しているようで、策士尿に溺れる。

だがここ一番の踏ん張りに強いのが湘南漢の矜持であり、死力を尽くした内股歩行でなんとか便所まで辿り着くとそれこそナイアガラの滝の如くに全解放。

その強烈な快感は筆舌に尽くし難く、遡ること小六の運動会は組体操本番を迎え、二人一組のサボテンを完全に忘れてはピラミッド作成の為に独り後方へ走り出すという生き急ぐエジプト人を大衆の面前に晒してしまったほろ苦い思い出まで危うく便器に流してしまうところだった。

ナイアガラの滝から華厳の滝、そして日本一低い嘉相滝を経て、中華の厨房で細く出しっ放しにした水道のように尿の勢いが収まるとタイル壁の落書きに気づく。

「ヤリマン実家」

矢印の先には03から始まる電話番号が記され、そのまま暫し考え込むにヤリマンの実家に電話をして一体なにをどうしろという。

しかもそれらしい若い女ではなく、明らかな父親が兜の緒を締め直し、はりきって受話器を取った場合には何らかの保険が適応されて然るべきではないか。

このままでは埒が明かず、こちらも現代人の端くれとして電話番号を検索にかけてみたところヒットしたのはとある手芸用品店。

なるほど、ヤリマンの実家だけあって常に糸を引いているということなのだろう。

 

差し迫る生理現象からの解放は心身を軽くし、世の中とは思い込みでありアルコホルも幾分に抜けたような気がする。

ならばもう一軒寿司屋と洒落込み、氷見の鰤刺しなんぞをあてにキリとした冷酒でもどうだろう。

そして板場に位置なすはなんとも言えない婀娜っぽさが純白の調理衣では隠しきれない女性職人などがよい。

他愛のない会話に食は進み、酒は活き「ん、白魚を頼んだ覚えはないよ。あぁ失敬!お姉さんの指でしたか!」という手榴弾をいつ放とうか逡巡していると、どこぞの酔ったオヤジが来店早々彼女に悪態をつく。

「はっ、この店は女風情が握るのかよ。あぁやだやだ、早く帰って旦那のおいなりでも握ってろ」

あまりの聞き苦しさに皮鯨のぐい呑みを干しては席を立つ。

「おっさん、ちょっとその辺お散歩しようか」

少しばかり灸を据えるつもりが、一時間弱に及ぶ殴り合いを繰り広げた結果、競り負ける。

もうどのような面を下げて戻ればよいのかわからず、そのまま帰宅しようとしたところで自転車の警官に呼び止められ、食い逃げの容疑で世田谷署まで連行される。

そのようなことを想像すると寿司屋は無難に通過し、その先に将棋倶楽部なるものを発見した。

外から伺うにはご老人方がそれぞれ難しい顔を突き合わせてそれに興じ、なかにはビールで喉を湿しながら熟考する形の良いおじいさんもあり、張り紙の「見学無料」にも背を押されるとなんとなくの入店。

こちらに一瞥もくれることなく没頭する男たちに居心地の良さを早々に覚え、あまりうろうろとはせず少し遠目からの見学を決め込むとなにか軽食などの注文をしなくてはならない心持ちとなる。

壁に張り出されたメニューは背後から拳銃を突きつけられて書いたのだろうか、激しく震えた文体で「おにぎり各種」「カップラーメン」「カレー」などとしてあり、ついに撃鉄を起こされたか絶体絶命におののいたようで炒飯を「チャハーン」と書き遺しているではないか。

差し当たって震えた文体が見事にマッチする「氷結」をキッチンの方角へ注文したところ、主人であろうか対局に臨むデニム地のエプロンを纏うおじいさんが「ん、冷蔵庫」と盤から目を離さずにいう。

「お金は」

「お金はお金は……ん、なるほど、ここに金を打ったらどうなのよっと」

そのような塩梅でゆるく時は流れ、どこからか「ピシャ」と小気味よい指し音が鳴るとその者の覚悟や生き様がそこに感ぜられ、金と銀の動きが今ひとつわからない素人の自分にも響くものがあった。

しばらくすると対局を終えた主人のおじいさんは諸々に溜まった本業務へ戻り、その片手間に話しかけてくる。

「兄さんもやるのかい?」

「いえ、将棋はまったくわからないです」

「そうかい。あそこの子ね、まだ小学生なんだけど誰も歯が立たない。参っちゃうよ」

「神童ってやつですか。いるんですね本当に」

言われて気づいたが、確かに明らかな小学生が足をブラブラさせて枯れ枝のようなおじいさんと指し合っている。

その戦況はおじいさんのマリアナ海溝の如くに深まる眉間の皺がすべてを物語っており、そのうち孫ほどの年の差に関わらず一礼を以てして投降に至った。

しかし小学生は嬉しい顔をひとつせず、がぶ飲みメロンクリームソーダを「ジュ」と啜り、スマホをいじり出す。

将棋の世界は強さこそすべてなのかも知れないが、屠った者に対する敬意を欠いてはならない。

なぜそれを欠いてはならぬのか、五文字で簡潔に答えよと問われればココカラファインとしか言いようがないが、大幅な字余りにこちらの心意気を感じ取って欲しい。

もはや店内に相手はいないと見えて、しばらく小学生に対面する席が空くと昨夜になんとなく眼鏡フレームの溝に爪楊枝を当てがい、そのまま擦りつけたところ大量のカスがめくれ上がったばっちい男が登場する。

「ひとつお手合わせば願おうか」

小学生がスマホを閉じ、手早く駒を定位置に揃えるとこちらもそれに習い駒を揃え「飛車と角が逆だ」という指摘を主人のおじいさんより受けると男児がキャッキャと笑う。

一見無謀にも思える挑戦ではあるが、おそらく彼は将棋に心得のある者としか対戦の経験がなく、ド素人のファンキー且つアナーキーな動きには不慣れであるところに翻弄され、とどのつまりは敗北という未知の荒野に投げ出されることだろう。

開戦早々、こちらは王将を前後に行ったり来たりする戦術「殿、ご乱心」を披露。

案の定、小学生の表情には戸惑いらしきものが浮かぶも、次第に神童に相応しい落ち着きを取り戻すと我が陣内に角を乗り込ませ、散々引っ掻き回して王に迫るが今にして思えば隣の席で将棋崩しをプレイする後期高齢者のふたりこそなによりの強敵であったように思う。

互いの震える手で押さえた机は震え、震える山から震える指で震える駒を取り合っているではないか。

それも明らかに「カタタン!」と鳴っても双方にはそれが届かず、なにも無かったように競技が続行されるともう気になってしょうがない。

この凶悪なふたりをなんと形容すべきかうわの空で考えていると小学生がいう。

「詰みです」

あぁ、なるほど、罪なふたりだと得心がいき、盤に視線を戻すと断首宣言に震える我が大将の姿があった。

 

fin

ミドルパンクは排球に死す

 

近隣の体育館にてバレーボールの試合が行われるとの急な誘いを受けた先夜のこと。

特段の断る理由もなく、諾したのちに「それらしいシューズがない」と告げるも一切の心配はないという。

徒歩数分の涼風立つ道途、中学校の敷地に踏み入ると金木犀の香りの向こうからは床の擦れる音。

館内は中学生の汗と涙と生煮えの自意識を総じた懐かしい埃臭さに満ち、壇上の縁に腰掛けて手を振るのはこちらを誘ったA氏。

「いやぁ、ごめんね。どうしてもひとり足りなくて」

急な誘いから数合わせだとは察していたが、昨今のコロナ禍において適度な運動は免疫、代謝の面々に有効であるらしく、またそれを信じたい。

辺りを見回せば館内の者はすべてにマスクの着用をしており、先より目についていた男がやはり気になる。

身の丈は目見当で百八十の後半、いかり肩のアスリート体型であり、おしゃれ短髪というよりは小学生のころより通っている床屋仕上げといった純朴な風情に好感がもてる。

「彼はS君。バレーで大学に入ったうちのスーパーエースだから。彼がいる限り負けないよ」

一歩前へ進み出た彼はマスクを外してこちらに恭しく「Sと申します。今日はよろしくお願いします」とつむじがみえるほどに頭を下げた。

なんだろう、近年ではこのような気持ちのよい若者を気の利いたしゃぶしゃぶ屋にでも連れてゆき、三、四枚の肉を一度に頬張り白飯を掻っ込む姿を両手で頬杖をついて眺めていたい。

それについて「おそらく加齢が深く関与したであろうこのような思いとは人としての成熟の証なのだろうか」と今夏の実家にて六歳になる甥に尋ねたところ「予告する!あんたのお宝いただくぜ!」とルパンレンジャーのダブル変身銃DXで側頭部を殴られた。

このような未だはっきりしない思いを抱えつつ、これまた現状にはっきりさせたいことがある。

「あの、おれの靴はどうなってんの?シューズ的な、おれの」

「あぁ、はいはい」とリュックから花柄のポーチを取り出したAの手元がスローモーションにみえた。

そして薔薇が至るところに咲き乱れる折り畳みルームシューズの激しい反りを直しながら手渡される。

「お前、これ母ちゃんが授業参観のときに履くやつじゃねぇか」

「すまん、これしかなかったんだ」

こうなれば裸足での参戦もよぎるが、それでは相手チームに敬意を欠く。

されども薔薇がそこここにあしらわれたルームシューズをペタペタ履きこなすおじさんにポイントを取られるのも腸が煮えくり返るだろう。

ならば出来る限り相手の目線を上に持ってゆくには海苔を前歯につけるしかない。

しかし、よりによって相手チームには「永谷園のお茶づけ海苔」とプリントされた面白Tシャツを着る馬鹿者がおり、海苔にはすでに先約の掛かる形となっていた。

もはや八方塞がりのところに「まぁ履くだけ履いてみてよ」というAの声。

仕方なく嫌々に足を通してみると、なかなかどうしてその履き心地に不満はない。

 

「とにかく俺とSにボールを集めてくれ」

参謀格Aの指示に各々頷き、男六人で組む円陣に気合の掛け声が入る間際、眼下に広がるバレーボールシューズの群生に紅一点とした薔薇がよく映える。

センターラインに両チームが並び、主審より世情に則るマスクの着用、そしてハイタッチやハグの禁止が伝えられ、試合開始のホイッスルが高らかに鳴り響くと思いきや、主審であるお兄さんがポケットをパンパンゴソゴソと粗忽者の改札前状態に陥っているではないか。

サーブを控えたSがボールを床に叩きつける音のみが館内に響く。

ホイッスルをこの上なく家に忘れた彼は脳をフル回転させてオリジナルの開始合図を捻り出した。

「は、始まりぃ!!」

もうほとんど紙芝居に近いが、主審の決断に選手の入り込む余地はない。

いや、それにしても我らがスーパーエースS君のジャンプサーブは想像を超えて凄かった。

すさまじいドライブ回転のかかるそれはほぼスパイクのようであり、もはやバレーボールではなくドッジボールと化した敵陣の惨状に時として無回転サーブも織り込むものだからたまらない。

長らく超一方的な試合運びが展開されると主審がプレイを止めて「ずるい」という厳正なるジャッジを下した。

するとサーブはAに回り、それまでの発言や態度からこれまたエグいサーブが乱発するのではないかと思った。

しかし、それが、どうだ、糸くずのようなアンダーサーブはネットまで届かず、すべての者の顎が外れる。

それは相手チームへの小粋なハンデと捉えることも出来るが、おれはその時点でやつの実力を大いに怪しむ。

それからAの動きに着目していると、球技音痴に特有の「ボールが来ると上を下への大騒ぎ」が見て取れ、それに伴うミスが極めて多い。

こちらが分析するには必ず盆踊りのようなものを一節舞ってからボールに接する為、風呂上がりの便意ぐらいにタイミングが悪い。

そんなAに苛立ち始めるメンバー達だが、Sに限っては努めてチームの和に心を配っていた。

やはり団体競技で長年に揉まれた者はその人格からして仕上がっており、またこのようなこともあった。

激しいラリーの後、前衛と後衛のちょうど真ん中辺りに謎の物体が落ちていた。

競技を円滑に進めるべく主審が素早くそれを場外へ蹴り飛ばしたところ、Sが走り出してはそれを拾い、こちらへズンズン向かって来るではないか。

「シューズが脱げましたよ」

プロポーズのように片膝をつき、薔薇柄のルームシューズをそっと床に置いては引き上げる後ろ姿にこちらの理性もどこかへ引き上げたらしい。

それからというもの前衛で構えるSの突き出した尻がどうにも愛おしく、集中力が急激に低下するとチーム全体に伝播してか、敵軍の猪突とした追い上げも重なりついには同点となってしまう。

「ここです!ここはじっくり一本いきましょう!」

スーパーエースの檄に士気は高まり、お遊びだからこそ負けたくないという男心はメンバー六人に一致するところ。

敵のスパイクを弾いたボールがコート外へ飛んでゆき、そこへ決死のフライングレシーブを敢行するS。

宙に生きたそれをこちらも死なすまいと躍起に内へ返したところ、その落下地点には「うぇいさ!」とみなぎるAが待ち構えていた。

ここはひとまず敵陣に深く押しやればよいものの、お待ちかねの盆踊りが開催され、その一部に鬼のパンツの振り付けまでもが参入するとしゃかりきに打ったスパイクは明後日の方向へ。

これはもう数合わせ要員であることは棚に上げ、年長者という立場から奴を叱責しなければならない。

世間では「叱られるうちが花」というが、この度は「叱る人のシューズが花」であることから多少に気まずいところだが遠慮なくAを叱りつけた。

「お前、君ね、インポのレイプ魔みたいだぞ!」

 

試合は組んず解れつ苛烈なシーソーゲームの様相となり、思いの外に辛いのがマスクの存在だった。

すべての選手がその息苦しさから酷く疲弊していたが、それでも一番にハードだったのは主審のお兄さんであろう。

人手不足により通常の主審業務に加え線審及びスコアボードのめくり係に忙殺され、後々聞いた話によるとその当日に自宅のトイレが詰まり、ラバーカップを求めて三茶の西友まで出向くも目の前で売り切れ、しょうがなく駒沢のマルエツまで遠征したところ、ハンドルをオラオラ震わせた自転車のおじいさんに轢かれた挙句「スクールボーイ!てい!」と叱られる役どころまで一手に引き受けていた。

「さぁさぁ一本いきましょう!一本!」

無尽蔵のスタミナを誇るSがチームを盛り立て、Aが不穏にも「うぇい!」などとそれに応え、残りの男たちが各々に頷くと家族のような気がした。

しかしこちらは数合わせ要員であり、この試合が終わればメンバーたちとは今生の別れとなるだろう。

そのような感傷は勝負事にはご法度なのだが、近頃ではこれまた加齢のせいか家族モノに酷く弱い。

現在NHKの童謡に飼っている金魚が大きくなり過ぎたという歌が流れている。

家族会議の結果、狭い水槽ではもう飼うことが出来ないとなり、別れを悟った弟が泣くと我慢していたお兄ちゃんもついには泣き出してしまい、テレビの前のおじさんも泣き出すという修羅場が時折我が家に発生している。

なにはさて、以前より知り合いであるAを除き、他のメンバー、ことにSとの出会いは素晴らしいものであった。

常に他者を気遣い、なにより和を尊び、得点の際には子供のように喜ぶ。

こんなにも真っ直ぐな男とは後にも先にも出会うことはないだろう。

最終局面を迎えるその直前、Sはタイムアウトを取りメンバーひとりひとりを優しく見据えた。

間もなく出でる言葉は熱く愚直なまでにストレートであり、また愛に溢れたものに違いないだろう。

「マスクで眼鏡が曇っているじじいを狙いましょう」

おれはスーパーエースの発言に狼狽し、思わず目をそむけたその先に主審が花柄の謎めいた物体を場外へ蹴り飛ばす姿をみた。

 

fin

艶笑オルタナティブ小噺

 

「ヒヤシンスの花言葉が乳首舐め手コキだとしたら、その快楽の最中に頭の中で咲き乱れたヒヤシンスの美しさは己だけのもの」

晩夏に差し掛かる夕暮れのベランダにてそのようなことを思見るとパルシステムの牛にすらムラムラしかねない近頃の荒ぶる肉欲には辟易している。

巷ではロードバイクに跨るご婦人がとみに増え、疾風の如く抜き去ってゆくその卑猥な尻肉をいつまでも凝視して飽きず、サドル後部に取り付けられた尾灯が遠く離れても「旦那!お尻はここですよ!」と点滅してこちらを導けばひとり照れ笑いを浮かべて「サンクス」と口にする人生をおれは愛している。

すると類友のシステムに則り「どうにかしてけん玉をセックスに持ち込みたい」と言って聞かないチャレンジャーが身近にいる。

彼は幼少よりそのフォルムに性的なものを感じていたらしく、ムラムラがピークに達したある晩に妻の了承を得て実行に移した。

シャワーを浴びて寝室に入ると全裸の妻が「うさぎとかめ」を口ずさみながらけん玉に興じており、そのうち調子に乗り出すと素っ裸のままヨーロッパ一周すると筋金入りの痴女めいたことをいう。

あられもない姿で大きく振りかぶり、成田空港より滞りなくテイクオフしたと思いきや、半円の弧を描いた玉がアッパーカットの要領で彼の陰嚢を強かにカチ上げた。

「バ、バードストライク」と言い遺して倒れ込んだ主人に駆け寄る妻は動転しており、謝罪を差し置いてこのような言葉が口を衝く。

「…はい、090の?」

たまっていたたまの休みにたまがたまたまたまに当たってたまらないとなれば最早セックスなどする気も失せて「ガンジス川で延々とだるま浮きをしていたい気分だった」と彼は回顧した。

このようにけん玉をセックスに持ち込む計画は頓挫の憂き目にあったが、その尊いチャレンジ精神には同じ漢として落涙を伴う共感を禁じ得ない。

以前、濡事に及ぼうとしたところでひらめきに包まれた。

「あの、ちょっとお願いがあんだけど」

無言で頷く女の色気に言いそびれそうになるも、我を通してミッドナイツ。

「すごい気持ちいいと思う場面に出くわしたら迷わずこう言って欲しい」

こちらの継ぐ句を待ち受ける女はやはり受け身の性である女そのものだった。

「ではぁ!こ、こらたまらんわい!」

 

性交を終え、満たされては失うという反物質のような不可解さを抱えて堕ちる性欲の奈落。

そこへ長い濡羽色の髪が垂らされ、救われた謝意を込めて指先で梳かせば寝物語、ピロートークの段。

「なんで言ってくんなかったのよ」

努めて丸みを帯びた語気を用いたところ、女とはその最中には別世界へ飛び立っておりそのような訳の分からないことなど忘れているという。

すると何かこちらの性技を賞賛されたような心持ちになるも、ホタルイカをからし酢みそで一杯引っ掛けるおじさんを性交中に突如登場させることによる平々凡々とあくびまじりの公務に就く「時を司る神」への挑発は失敗に終わった。

それから半月が経った頃「ニコラス・ケイジの臍の緒をドデカミン漬けにして保管しています」というこちらの甘くスパークリングな誘い文句を受けてノコノコやって来たのは件の女。

ロングから内巻きボブとなった大胆なイメチェンが玄関モニターより確認されるとこちらも何かチェンジしなくてはならない。

よって幼稚園に通う友人の娘より賜ったトイレットペーパーの芯で作成した眼鏡を手に取る。

そのフレームは芯を輪切りにしてヤケクソに連結したものであり、さらにレンズが無いと来ればそれはそれはドM仕様となっており、掛けて昇天、鏡の向こうにちょっとしたサイボーグ桃白白がいるじゃない。

これではとてもじゃないが太刀打ちできないと諦め、なにも代わり映えしない男のままで女を迎え入れる。

なにかDVD鑑賞をしたいという女の嗜好を下手に伺ってみればタイタニックのような壮大で物悲しいストーリーに少しばかり天使にラブソングを的な要素もありつつ後味はハンサム・スーツみたいな映画がいいという。

まるでヤクザは若頭補佐のような要望だが、こちらにはそれらをすべて叶える古今亭志ん朝のDVDを所持している。

ここで頼まれもせずに振り返ると、これまでの人生にはその時々に憧れの存在があった。

中学時分に甲本ヒロトに優しく胸ぐらを掴まれ、カート・コベイン、トム・ヨーク、マイルス・デイビスに次いで古今亭志ん朝というラインナップはその字面を眺めているだけで己の人生が豊かなものだと錯覚しては退屈しない。

ちなみに身近な者のラインナップも人それぞれ千差万別という意味合いでこちらに記す。

千堂あきほからマイク・タイソン、そして森高千里を経ての再びマイク・タイソンという興味深い憧れの経歴にその詳細を尋ねたところ、このような返答があった。

千堂あきほとマイク・タイソンの間に親の離婚があり、さらに森高千里とマイク・タイソンの間には母親の再婚があったという。

なんともわかり易く、またなんとも切ない人生の軌跡がそこにあった。

 

「あ、コツの妻ならお向かいのおかみさんです」

噺の終始、女の挙動ばかりが気に掛かるも一聴にしてサゲを理解した上に「面白い」という。

さらに「このおじさんの落語は魅力的で引き込まれるけど、一番落語の魅力に引き込まれているのはこのおじさんでしょ」などという。

なにか小学生とバッティングセンターへ行き、目の前で140キロのカットボールをきっちりセンターに打ち返す姿を目撃したかのような心持ちがするとこちらも打席に入らなければならない。

「憚りながら古今亭志ん朝を語らせてもらうと師匠の話芸というのは日頃に馴染んだ唄、舞踊、はたまた歌舞伎にいたる科がかった所作を噺に落とし込むことによって大江戸八百八町の情緒を立体的に体現している。そういった意味では落語は聴き手の想像力に委ねられる部分が多分にあれど、志ん朝さんはそこをもう一歩こちらに踏み込んで来る。しかし、それは威勢のよい江戸っ子というよりは足立ナンバーのハイエースにクラクションを鳴らす時のようなエンジェルタッチながらも聴く者を掴んで離さないところに美濃部強次という男の本質があるのだと思う」

と、言い切って女を覗くとTHE土偶のような面構えをしており、自らの雄弁を小っ恥ずかしく思っていると「今長々としゃべった一部に渡辺徹マヨネーズちゅーちゅーを組み込んでみて」という。

それは仰ぐ師に対して無礼であると拒否すれば「はい、じゃあ今日はノーセックスです。残念でした」という。

するとあの耳触りのよい師の声が天上より降りそそぐ。

「君ね、据え膳食わぬは男の恥ですよ。私のことなど気にしてはいけません。焼きおにぎりはニチレイですよ」

まさかご本人から背を押されたのなら何もためらうことなどありゃしない。

「憚りながら古今亭志ん朝を語らせてもらうと師匠の話芸というのは日頃に馴染んだ唄、舞踊、はたまた歌舞伎にいたる科がかった所作を噺に落とし込むことによって大江戸八百八町の情緒を立体的に渡辺徹マヨネーズちゅーちゅーしている」

そう言い終えた唇を奪ったのは内巻きボブの女ねずみ小僧。

「太てぇアマだ」とそのまま引っ捕らえ、御用提灯の揺れる元、男の力で押し倒すと妙にしおらしい。

それをいいことにブラを剥ぎ取り、その柔肌についた赤い跡を舌先でなぞると塩辛く、サテン地の紐パンに手を掛けようとしたところで「あらやだ!紐の端を咥えてツツと引張りそれを解けばいいじゃない!」という小粋且つ官能的な着想が我ながらにして末恐ろしい。

いざ紐の端を艶らしく咥え、顎をクンと引き、儚くも蝶の型崩れる様が目先に展開すればゆっくりゆっくり頑強に固結び。

以前、ガールズバーの女たちにセックスにおける興醒めする瞬間を挙げてもらったことがある。

まずはゴムをつけるのにバルーンアートさながらプードルを作る勢いで手間取る男。

次いで元カノと名前を間違える男にトランクスがチキンラーメンの男。

そして紐パンを固結びにしてしまう男も何気にチャートインしていた気がする。

だが不幸中の幸いに女は未だ気づいておらず、ならばと発電機を始動させるがごとく歯茎をすべて剥き出しにしたフルパワーで引張ったところ、もう一生サテン地の紐パンで生活しなければならないであろうその冷凍庫の霜に埋まるチューペットのような硬い結び目に女の末路を哀れむ。

するとこちらの動きが止まったことを不審に思った女はすぐさまその結び目に手をやり、こちら主犯格の男と物理の法則および宇宙に対して「チィッ!」とひとつ舌を打って紐パンを自ら縦に下ろした。

それはまるでチャキチャキの江戸っ子のようであり、おそらく先刻に鑑賞した落語が確実に影響している。

そしてぎくしゃくした雰囲気からなんとか本線へと色々な意味で立て直しての挿入。

「の」を腰で描きながら高度なピストンに励んでいると次第に女のひざの裏が湿り始め、なにか言葉を発する。

「するってぇとなにかい?するってぇとなにかい?ではぁ!こ、こらたまらんわい!」

 

fin