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ネバーランドは二番線より

 

振袖姿の麗しい娘さんがしゃなりと美容院から出づれば冬風のさなかに時節を知る。

今年もそのような場面に出くわすとあるハプニングが目の前に展開された。

ハザードを焚きながら徐行するお迎えであろう軽自動車に振袖姿の娘さんが手をふる。

助手席の母親はその晴れ姿に感極まると両手で口元を隠し、運転席の父は男親であり照れが先立つと直視できないようで娘さんはド派手な一塁ランナーと化す。

後部座席のおじいさんとおばあさんは慶事にふさわしいえびす顔を揃えて孫娘をみつめればその隣に座る妹は喜々として姉を撮る。

純白のファーショールがなびくことややあって麗しい娘さんが激高した。

「私どこに乗るのよ!」

家族愛が溢れすぎて乗車定員も溢れるというなんともやるせない事態の発生にそのまま終いまで見届けたいところだがこちらに所用がありその場から離れた。

振り向けば遠目におじいさんが車から降り、おばあさんもそれに続いて降りるという形。

「あぁ、二人はタクシーに乗り換えるのかな」

すると今度はおじいさんから軽自動車に乗り込み、おばあさんもそれに続き乗車するという趣旨のわからない席替えが白昼堂々と行われた。

ともあれ本日成人式を迎える娘さんにとって、そのすべての珍プレーは後年に必ずや微笑ましい思い出となることを宇宙が保証しており、電線よりその現場を眺めていた一羽のカラスがそれに同調するように「ガァ」と鳴くとこちらはこちらである疑問がふつと湧いたらしい。

「果たして真の成人などこの世に存在するのだろうか」

自分など白髪もちらほら生えようかというのにスーパーボールにキャッキャと戯れるは三年に一度のペースで軽くうんこを漏らすはでいつまで経っても成人になりきれない。

過日の正月などはちびっ子たちとフリスビーに興じていると高木の枝に引っかかってしまった。

ちびっ子たちの手前、ここはひとつ高所恐怖症を耐え忍んでプルプル登ったはいいが今度はあまりの高さにプルプル降りれないという新春のヒューマンパニック映画が突如として封を切る。

「コアラさんなの!?」

そのような身内からの野次を受けてこのまま一生木の上で生活するのかと覚悟したところ、通りすがりの消防団を名乗る男性が現れると出初式で使用するであろう竹で出来たクソ長い梯子を担いで駆けつけてくださった。

その節は大人げない大騒動を巻き起こしてしまいとんだ出初めとなってしまったことを関係各位の皆様へ低頭平身にて深くお詫び申し上げます。

やはりこのような大人になりきれない者の周りには自然と似る者が集うようで。

四十も半ばに差し掛かる友人の奥さんから聞いたところ、彼はオムライスを食べながらケチャップで口元を泥棒ヒゲのように汚してはコクリコクリと居眠りを始めた挙句、寝ぼけた開口一番に「しゅごい」といったらしい。

ここは国民の義務として「今んとこお前が一番しゅごいわ!」とクッキー缶のふたで脳天を殴打しなければならない場面だが優しい奥さんは「とりあえず口元のケチャップを拭いてあげた」と笑いながら回顧した。

そのように愛をもって受け入れられるケースも中にはあれど、往々にしていつまでも成人になりきれない者は周囲によだれ臭い多大な迷惑をかける如何ともしがたい存在としてそこに生き続ける。

「あぁ真の成人とまではゆかぬとも、せめてその頂を見据える者にはなりたいじゃない」

ある近しい者にいわせるとそこは間違いなく読書だと説く。

「読書とは他者の言葉を媒介とした己との対話であり、老いも若きも問わない自己形成において必要不可欠なものである」とガールズバーの放置タイムに重々しくいい放った時はテキーラ・サンライズを吹き出しそうになったが、時を経て思い返せばすんなりと腑に落ちるものがあった。

しかし、こちらはろくに書物を紐解いたことのない読書嫌いと来ている。

もっとも二十代の頃はロックンロールにかぶれてウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、セリーヌ、サルトルといったものを紫煙の向こうに読んだつもりになってはいたが、読解力がギネス級に乏しい因果の果て、綴られた物語の核心に触れた経験が一度もなければ「読破」という刻印を一度も押したことがない。

動もするとそれが元に卑屈になると思いきや、微塵の痛痒も感じないところに我ながらの頼もしい愚かしさがあった。

これはなにも本に限らず映画などの理解力もすこぶるに酷く、避けてはいるが偶さか人と鑑賞する場合には大抵このような事態に陥る。

「ねぇ、なんであのおじいさん怒ってんの?」

「そら息子が殺されたんだから怒るでしょうよ!」

「ねぇ、なんかおじいさん急激に若返ってない?」

「おんどりゃ!これは回想シーンでしょうよ!なんで息子が殺されてキレながらヒアルロン酸を眉間に注入するのよ!」

終いには「もうあなたは目ん玉ひん剥いて全編スローモーションで鑑賞しなさい!」とまでいわれる有様に近頃では読解、理解力に関して思うところもある。

「このままのほほんと生きて死ねば棺桶に花とスーパーボールを添えられてしまう」

差し当たりといえば不遜にも、これは真摯に読書と向かい合うときがついに到来したのかも知れない。

「読書とは己の嗜好に無関係なジャンルを敢えて選りすぐり読むべきである。そこには殺伐とした荒野が広がるも未知の美しい花が咲いているだろう」とは再び近しい者からの引用。

暗雲立ち込める成人道に踏み入り光明を求めるならば、まずは腰を据えてまったく興味のない書物の読破に努めるが吉とした所用の帰りしな、ブックオフに立ち寄りそれらを見繕うとするもこれがまた難航に難航を極めた。

なぜなら小一時間の物色に精を出すも陳列された全ての書物に興味がない。

ならばそれこそ選び放題の好都合となるところ、選び取る段においてその触手はどうしても興味が主立って導くものであり、それを購入するとなれば本来の目的に対する純然たる矛盾が生じてしまう。

時は三国時代、怜悧を極めたかの諸葛亮ならばこの事態をどのようにして治めたのだろう。

ブックオフの通路にて彼になりきり、ヒゲを撫でつけ潜考していると向こうの島から大きな声がした。

「申し上げます!曹操軍が攻め入って参りました!」

「はっ小癪な!出合え!出合えおろぅ!」と羽扇を振りかざしそうになるもブックオフに曹操軍が攻め入るわけもなく、声の主は漫画三国志を最大出力で音読するおじさんだった。

その装いは「俺は成人なんかになりたくない。いつまでも大空に焦がれる少年でいたいんだ」といわんばかりのスウェットパンツをミリミリ引っ張り上げたスカイハイウエストに厚手のダウンジャケットもろともインを敢行した強力なおじさんだった。

聞き耳を立てるとどうやら気に入ったセリフに出くわすと音読が発動するようで。

「宴じゃ!」

成人になれぬのならここまで突き抜けなければ生きてはゆけない世の中なのだろうか。

「ふたりエッチ、白泉社!」

百戦練磨の勇猛たる武将たちに触発されてか「英雄色を好む」に乗じて出版社名付きの色気が出てきたようだ。

すると三国志ふたりエッチおじさんの天衣無縫なる振る舞いに際してこちらもどこかで触発されたらしい。

瞼を閉じればスーパーボールに我を忘れて軽くうんこを漏らし出初めの竹梯子で救出された日々が暗闇に浮かび上がる。

それは甚だきまりの悪いものではあったが間違いなく起きた現実であり、それを真っ向から受け容れられないのであればいつまで経っても成人の入り口にすら立てない気がした。

ならば瞼は閉じたまま、指先に触れた書物をノン・ルックでレジまで持ってゆく。

触感からすると文庫サイズにあらず、それは薄く、また幾分に縦長と感じられるところから最悪の大辞林は避けられたようだが次いだ懸念は北関東道路マップの線。

ともあれ自身で何を購入するのかわからないアジャパーな客はブックオフ史上初なのではないか。

それが証拠に店員さんの眼鏡の奥に動揺がみてとれた。

「に、二百円になります」

なにを買ったのだろう、百円玉を二枚出してなにを買ってしまったのだろう。

店を出ると国道246号では一車線を潰した大規模な道路工事が行われており、本日の勤めを終えたらしい交通整理のおじさんが工事看板に隠れて着替えをしていた。

やはり交通量の多い道端にて半裸を晒すのは誰でも恥ずかしいとみえてせかせかと気忙しい様子。

しかし、その衝立に見立てた看板には「最徐行」と記してあり、その実これは通行する者たちに「抜き打ち野ざらしストリップ」なるものを心ゆくまで堪能してもらいたいのではないか。

だが傍目にその真意は判然とせず、また黒いビニール袋に入った書物のタイトルも判然しないとなればこのようなことを冬空に呟かずにはいられない。

「この世界はわからないことで満ちている。だがおれはその事実をわかっている」

一端の成人めいた己の発語を心のともし火とすればそれに暖を取りつつ帰路を急いだ。

 

巨大ビーズクッションに身を預け、先刻の呟きを反芻するとそれは飽くまで言葉遊びであるところに成人めいたものが幾許か醸されるだけであり、本当の意味で「わかっている」と言い切れることなどこの世界に存在するのだろうか。

唯一不動のものとして生きとし生けるものはすべて死にゆく運命にあることはわかっている。

しかしそれだけを拠り所として生きるには精神衛生に酷であり、もうひとつくらい「わかっている」と確言できるものが欲しい。

近頃のお気に入りであるジャスミン茶を喫すと儚い香気が鼻へ抜ける。

するとどうだ、ジャスミン畑の向こうより前歯を一本欠いた男が満面の笑みを浮かべスキップしてやって来るではないか。

「なんかものすごい馬鹿っぽいのがスキップしてこっち来んぞオラ!」

目を凝らすとその男は先日飲み屋で知り合った青年であり、彼の話したことが鮮明に蘇ってくる。

彼は池尻に一人暮らしを営んでおり、仕事を終えて帰宅すると誰もいない真っ暗な部屋に向け決まってこういうらしい。

「そこにいるのはわかっている!」

その理由を尋ねると不届きに忍ぶ侵入者を驚かせたいのだと前歯を一本欠いた満面の笑みでそう答えた。

いつの日か帰宅すると知らないおじさんが靴下をドーナツに丸めたほぼ全裸姿でサボテンステーキを焼き上げていたという驚くべき惨事に出くわさないことを願うばかりだ。

それにしても「そこにいるのはわかっている」という一聴にして無骨ながら存在論にも通ず響きよ。

これはまさしく「生きとし生けるものはすべて死にゆく運命にある」にタメを張る見事な警句ではないか。

ここで先に名の挙がったウィリアム・バロウズの文技である「カットアップ」を拝借、真理を孕んだ二つのセンテンスを掛け合わせることでその強度を鍛え上げるという試みに至る。

「そこにいる生きとし生けるものはすべて死にゆく運命にあるのはわかっている」

しかしそれは残念な結果といって差し支えなく、ポジティブな驚きは皆無にしてなんなら少し野暮ったくなった印象すら受ける。

ここはひとつ大胆な手直しが必要らしい。

「生きとし生けるものはサボテンステーキ、すべて焼き上げる運命にあるとほぼ全裸のおじさん」

もうよくわからないが火葬場とメキシカンレストランの過酷なWワークに疲弊して大五郎をラッパ飲みした風呂上がりのおじさんが息子の嫁にでもくだを巻いているのだろうか。

引き続き人生の指針となる言葉の研究に勤しむもこれといった結果は出ず、寝転がる手元にカサという音。

それはブックオフで購入した我を成人へと導くであろう未だ名の知れぬ書物。

すぐさま袋から取り出そうとするも暫しの逡巡、それではなにか味気なく興が乗らない。

ならば就寝直前の暗がりを利して枕元へ配置すれば起床と同時に運命の出会いに導かれるのではないか。

また枕の下に潜らせておき、夢の中でご対面というロマンチックな展開も思いつくが「稲川淳二の怖い話」だった場合の金縛りを懸念するとやはりそれは速やかに避けた。

照明を落とし、袋より書物を取り出す。

闇に目が慣れると空調や加湿器などの電源ランプが思いのほか強い光量を発しており、あやうくタイトルが露呈する寸でのところ、手のひらで挟み込むようにして覆い隠すとそれは奇しくも合掌の形と相成ってそのまま恭しく枕元へ置いた次第。

床入りの習慣は聞き流す落語、三木助の芝浜も佳境に差し掛かる辺りでとうとう睡魔が勝る。

「情けないねぇこの人たぁお金が欲しいと思ってそんな夢を見たのかねぇ」

 

翌日は首、肩の不快な痛みに目を覚ます。

これは何年も前から続く起床時における恒例のイベントとなっており、一度この症状を睡眠外来の医師に診てもらったことがある。

「先生、鉄アレイの地縛霊でも憑いているのでしょうか」

「いえ、上手く寝返りが打てていないのでしょう」

やはり大人になりきれない者は赤ちゃんレベルで寝返りすら上手く打てないらしい。

しかしながら馬齢とはいえこちらにも積み重ねた経験則、対処法というものがある。

床の中で胸骨を張り、首を仰け反らせて深呼吸することで首肩の痛みを治めると今朝は起きぬけのフレッシュなひらめきに従い、仰け反らせた首をそのまま左右に振るというアレンジを付け加えてみた。

「メキャ」という軋りを合図にライトな首筋の捻挫を発症するも、我ながら覚えていたもので痛みに悶えながら枕元の書物をプルプル手繰り寄せた。

この書を読破した暁には末席ながら大人の仲間入りを果たし、首筋の真新しい痛みはおろか毎朝の定例なる苦痛、ひいては人生の鬱々たる数多の苦悩からも解放されることだろう。

今こそ眠気まなこを見開いてそのタイトルを刮目せよ。

ー お嬢さま生活復習講座 改訂版 ー

もうね、普通に「コラ」っていいました。

厳密にはキッチンに立つ新妻の尻を触ったときのような「こぉら」というニュアンスも含んでいたような気がする。

背表紙上部には定価本体千三百円としてあり、すかさずその脇には二百円というブックオフの値札。

どうやらその差額である千百円というもので世の中は回っているらしい。

それにしても「お嬢さま生活復習講座改訂版」とは思いも寄らなかった。

いや、思いも寄らぬところにこの度の本願がありこれは喜ぶべきものに違いない。

「宴じゃ!」

黒ラベルをプシュとやり、のどをひとつ鳴らす。

するとどうだ、ホップ畑の向こうより前歯を一本欠いた男がなんとも不安げな表情を浮かべてこちらへ向かって来ようかという体勢。

「いや違う違う!君じゃない!今、君じゃないから!」

慣れぬ読書に事欠いてアルコールに頼らなければならない体たらくを情けなく思いつつその前書きを読む。

「本書はお嬢さま生活としておりますが、それは高価な品々に囲まれた贅沢な生活という訳ではなく、人と物を大切にする贅沢な生活を記したマナーブックとなっております」

目次の第一章は「手紙」として、それが種々に十章まで連ねている。

まず口切りの章である手紙編では「お嬢さまはお礼の言葉をメールなどでは送りません。万年筆で手紙に綴り、そのインクは限ってブルーブラック。便箋は明るいグレーまたは淡いブルーのようなものを使用します」としてある。

そして詰めの一手はささやかな心配りとして宛てる人物に似合う記念切手を貼るとしてあり、この時点で近しい者のいう「未知の美しい花」を摘んだ気がした。

「なんとまぁこんな世界もあったもんだぜ」

感心しながら黒ラベルも二本目に差し掛かるとこの辺りでなにか固形物を口にしたい。

すると床にちんまり落ちているのは昨夜のキャベツ太郎。

それをつまみ上げて口にするとパッスパスな食感であるも、唾液を促すソーシィーなる馥郁は未だ健在となるとそれはトータルで想像通りだった。

「お嬢さまは床に落ちているパッスパスのキャベツ太郎など口にしません」

そのような叱咤の声が本書より聞こえるようであり、きちっと居直して読書を続けるとファッション編においてはこのようなことが記されていた。

「お嬢さまは一見でブランドとわかるものは着ません。なぜなら母と同じ行きつけのオーダーサロンで誂えたものを着用するからです」

なにか若干鼻についてきたところでブランドにまつわる自身の小噺をひとつ。

かなり昔の話になるが岩手県は遠野に住む母方のおじいさんが亡くなった。

時節は真夏の盛りであるところに盆地という地形も手伝いそれはそれは暑かった。

それでも当地の慣例に従い、つつがなく葬儀を終えると丁度夏祭りが行われ太鼓を打ち鳴らした山車が町内を練り歩くと母はそれを見て泣いた。

幼い日、父に手を引かれて行った夏祭りをそこに見たのだろう。

そんな母の姿に胸が詰まると「息子としてなんと声をかけていいのかわからなかった」といえばすんなりまかり通るところ、本音を明かせば確実に震えてしまうであろう第一声を予めに恥じてはそれを恐れた。

そうこう形見分けの段となり、蒸し風呂のような居間にておばあさんが一枚の半袖シャツをこちらに差し向けて言葉を添えた。

「これな、おじいさんが夏に着ていたシャツだ。錬太郎はこれを持ってけ」

シャツを広げるとその首元にはブランドのタグが貼り付いている。

「SEVEN GUYS」

すすり泣く母にその直訳を発表すると消え入る声でこういった。

「暑っ苦しい」

 

それから何度も体勢を変え、ビールから久保田万寿に移行しつつ履き慣れない運動靴で靴擦れを起こしながらも次頁を追う。

終盤の八章では今までのおしとやかな筆路を覆し「お嬢さまは小物の作り方も詳しいのです!」と急にキレ出した一文の背景を思い浮かべる。

著者が締め切りに追われ苛々と執筆していると奇跡的にもNHKの集金、新興宗教の勧誘、巡回連絡カードの記入を求める警官、デカいしゃもじを抱え狂ったヨネスケ、誤配のピザハット、断水の予告チラシを持ってきた水道業者、二月に来ちゃった江戸っ子のように気が短い慌てん坊のサンタクロースなどが大挙として玄関先に押し寄せたのではないか。

だがそのような勘繰りも過渡にして、ついにはお嬢さまという生き物の本懐にアプローチすると熟柿臭をまとった独り言が口を衝く。

「おおお嬢さまとは他者を不快にしゃしぇないことがその全てでありぃ、そこに注ぐ心血の労を自らの愉しみに変換できる幸せな人の総称でありゅ」

最終の十章である「家事と趣味」を読み終える頃には自らの血肉に高濃度のアルコールおよび新生なる気高い美学が満ちる思いがした。

すると巻末に付録された「お嬢さま度測定テスト」なるものを読破記念のセレモニーとして行いたい。

それは全六十四項目の質問にチェックをつけてゆくというものであり、ここはひとつお嬢さまに倣って下ろし立てのボールペンを手に優雅な心持ちで取り掛かる。

「家でもジャケットを羽織ることがある」

「タオルはすべて白であり、またすべてにイニシャル入りである」

「家にはゲスト用のパウダールームがある」

「外出の際にはイニシャル入りのハンカチを三枚持ってゆく」

ご想像に易く、下ろし立てのボールペンを不憫に思うぐらいチェックを入れる箇所がない。

ひとつぐらい「急な葬儀に喪服と黒のサッカースパイクで臨んだ友人がいる」という項があってもいいじゃないか!このあばずれが!

なにか最後の最後でお嬢さまに思い切り突き放されたような心持ちがするも、他者を不快にさせないというお嬢さま精神がいつしか己の心に息づいていた。

ならば可哀相なボールペンには別紙を与え、絵描き歌でもってその面目躍如とした。

「ぼぼぼ棒が一本あったとしゃ、葉っぱかな?葉っぱじゃないよカエルだよぅ、おっぱい飲んでねんねすて、それを猟師が鉄砲で撃ってさ、あんぱん四つ豆六つ、あっという間にかわいいコックしゃん」

うろ覚えと酩酊が大いに祟り、あんぱんと豆が多過ぎたかそれは最早生物としての体を成してはおらず、強いて形容するならファンキーな梵字のようであり、とどのつまりはとてもじゃないが調理師免許を交付された者とは思えない。

それからどれくらいの時を移したろうか、途轍もなくかわいくないコックさんを眺めているとそれは我が内心をそのまま写しているようであり、居た堪れない感情が突如にして溢れた。

「君は調理師免許を!おれは大人の免許を交付されませんでした!」

底知れぬ虚無がもたらす全身の弛緩は清流の如く滑らかな所作の基にして、慎み深く携えたかの書物を一鳴りも立てずにゴミ箱へぶち込みましたのよ。

あぅら、御免遊ばせ。

 

fin

子年の子

 

新年明けましておめでとうございます。

昨年に於かれましてはひとかたならぬご愛読を賜り、ここに一重にも二重にも厚く御礼を申し上げる次第にございます。

さて、新年ということで皆様はどのような初夢を見られたのでしょうか。

古より縁起とされるは「一富士二鷹三茄子」と続き「四扇五煙草六座頭」と連ねるところ、こちらの不勉強により六に位置なす座頭の意味合いを調べますと、剃髪された盲人からの由来を受けて「怪我ない」という親戚のおじさんがトップバリュの発泡酒をあおりながら勢いのみで制定したようなものでした。

ちなみに私の初夢は富士そばにて鷹の爪をふんだんにふりかけた茄子天そばを食すというものであり、このままいけばパーフェクトな初夢となるところ、なぜか私は家庭科の授業で作ったナップザックを背負っており隣に座るジャッキーチェンがそれを大絶賛という吉凶に判然ならぬ訳のわからない初夢となっております。

つい先日は蛇崩川緑道をそぞろ歩いておりますと公園の砂場で親子が相撲を取っていました。

いわずもがな相撲とは神事に端を発し、素人相撲ではあれどこれは紛うことなき縁起物であります。

「んん、こら新年早々めでたいな。ちょっと見ていこう」

枡席に見立てたベンチを陣取ると温かいコーヒーなどあってもいいなと自販機へ。

そして冬天の下、何をどう間違えたかキンと冷えたチチヤスナタデココヨーグルト味を片手に観戦する運びと相成ります。

父親ひとりに対して幼い男の子が三人という一番、四股を踏む彼らに「んよいしょ!あどっこいしょ!」と声が飛ぶ。

声の主は空き缶を満載した自転車に跨るおじさんであり、前記したFの行く末をそこに見たような心持ちがいたしました。

父親の「はっきょいのこった!」の掛け声でいざ立合い、三人がかりで束になるも大人にはとうてい敵わない。

すると機転を利かせた子がスルと真後ろに回り込んでローキックを叩き込む。

それも狙い澄ましたように何度も同じ箇所にバスバスと叩き込みます。

そのうちローを嫌がり始めた父親に私はこのような格言めいたものを新春の空に詠わせていただきました。

「親の小言とローキックは後になって効いてくる」あらかしこ。

さて執拗な蹴りが長らく続き、見るに堪えない大カンチョー祭りに切り替わると人様の家庭事情なるものを次第に気取ります。

「継父なのではないか」

組んず解れつ奮闘する子に背後からみだりにカンチョーを叩き込む子、あとひとりはどうしたのかと見回せば砂場の端で何かしている。

父親が脱いだダウンジャケットのポケットに砂をパンパンに入れ込んでいる。

そのひたむきな姿はあたかも職人による悠久の時を経た手仕事のようであり、相撲に次いでまたしても縁起物に触れたところで確信したことがございます。

「こら完全に反りの合わない継父だわ」

缶の底にへばりついたナタデココのようにいけ好かない継父の打倒に粘る子供達。

私はその美しくも悲しい姿ですら新春の名の元に於いて縁起物として捉えたい。

空き缶を満載にした自転車のおじさんが近づいて来ました。

「兄さん、その空き缶くれるかい」

「え、あぁどうぞ」

「今日はどのくらいになったかな」

おじさんは大量の空き缶が入ったビニール袋を担いで重さを試し、私は数々の縁起を担いで蛇崩川緑道を三軒茶屋方面にまたそぞろ歩いていったのでした。

 

fin

銀輪のフィットネス

 

オリンピックを来年に控え、こちら極東の地では空前のフィットネスブームが巻き起こっている。

老いも若きも怠惰な生活を悪とし、善とするは手始めのウォーキングに幕を開け野菜を主とするバランスのとれた食生活を基本に適度な負荷運動をかの通念により推奨される。

こと流行りに敏感な若人たちは早々に酒を捨て、またタバコをへし折っては己の肉体を無二の嗜好品とした。

仕事終わりのデートではフィットネスジムにてエアロバイクにまたがり、時折交わすアイコンタクトで愛を育むと前を見据えて理想の自分へとペダルを漕ぎつづける。

ここでフィットネスにあるまじき贅肉のような余談なのだが、先日友人のSがエアロバイクに轢かれた。

「義理のお母さんがリンゴと50センチ定規を送ってきてな。定規の意図を考え込んでいたらドカンよ」

「そらお前定規だけにあんた達のはかりごとはすべてお見通しよ!ってなもんだろ。つか何気にジム通いまだ続いてんのな」

「そらそうよ。ちなみに月三万二千円払っていますから」

「高!月三万二千円のジムってやつはどうなのよ実際」

「素晴らしくポジティブな空気に満たされてるよ。お前みたいにグリグリ考え込んじまうネガティブなやつにはいいかもな。あ、今度見学に来いよ。な、ジムの見学に」

「で、おれが入会したらお前にいくらかのバックが入ると。んなの気が進まないことこの上なしだわ」

「まぁなんでもいいから気が向いたら来いよ」

それから数日が経ち、Sからのメールが届く。

「明日の夜六時から見学の申し込み入れてあるから。一応動きやすい格好でよろしく」

なんて自分勝手な野郎だ。

もうすっぽんぽんにヘルメットで行ってやろうかしら。

翌日、てっきりSも来るかと思いきや「明日から沖縄でゴルフだからいけない」などとぬかす。

お前の座席だけゴルフ場のグリーンに墜落すればいいのに。

日も暮れかかって雀色時、新調したばかりのパープルがイカしたiPhone11を駆使してようやくジムにたどりつく。

やはり高級フィットネスジムを謳うだけあってエントランスは白を基調とした高雅な造作であり、そこに浅黒く健康的な受付嬢を差し色に持ってくるあたり、なかなかどうして小粋にキメてきゃがる。

「亀田さんですね。ご見学のご予約承っております」

嬢の不自然を通り越した神々しい純白の歯に「過去私は漫画喫茶の個室に入ると十中八九シコっていました」と思わず懺悔しそうになる。

ほどなく年の頃二十七、八とみえるトレーナーの兄さんが現れると挨拶もそこそこにスポーツの経験を問われた。

「野球とバレーボール、あと剣道に公文です」

「はい、わかりました。よろしくお願いします」

持ち上げるのはバーベルに限るのだろう、お兄さんは公文という小ボケを持ち上げることはしなかった。

見学と記された名札を手渡され、まずは一階フロアの紹介を受ける。

チェストプレス、ショルダープレス、レッグプレスにベンチプレス。

もうイカせんべいでも作る気なのだろうか。

「では亀田さん少しチャレンジしてみましょう」

それは長州力のサイパンキャンプで見たことがあるレッグエクステンションという器具だった。

すね毛の付け毛という美容業界に喧嘩を売るようなネーミングセンス、嫌いじゃないぜ。

「無理はしないでくださいね」という注意を脇から受けていざトレーニングスタート。

少しばかり負荷をかけた単なる膝の曲げ伸ばし運動と思いきや、さにあらず。

ジム初体験の高揚感が加勢するも五、六回で太ももの力がまったく入らなくなる。

心地よい敗北感。

いつだったか似たような心持ちになったことがある。

あれは二年前の夏、友人の引越しを手伝い一人で冷蔵庫を三途の川を行ったり来たりしてマンションの二階まで運び上げたことがあった。

全身の筋力は底をつき、発育の良い小学生と腕相撲をしたら負けるのではないかという衰弱状態。

そこへ持ってきて友人の驚くべき声が一階より響いた。

「本当にごめん!戻して!冷蔵庫一階に戻して!」

衰弱による幻聴だろうと思い込むも再度響いたその声。

なまじ体力が余っていたのなら「お前もう二階の廊下に住めや!」などということもできた。

しかし著しい衰弱状態がそれを叶えず、妙に達観したようなフラットなテンションでそれに応えたのを今でも覚えている。

「あいよ」

そしてまたも三途の川を行ったり来たり、川辺で釣り糸を垂らす不帰の者に二度見されながら一階まで冷蔵庫を下ろすと全身の筋力はとうに底をつき、赤ちゃんのハイハイ競争に参加をしたのなら五人中四位という極めた虚脱状態。

おれはシーモンキーが孵化するような超ウィスパーヴォイスで友人に迫る。

「…お前…一階でよかったんじゃねぇか…オラ……THE…THE徒労じゃねぇか…お前…オラ」

「本当に申し訳ない、マンション間違えた」

 

二階フロアは更衣室であり、ここでは「チェンジングルーム」というらしい。

さすがは高級フィットネスジム、完全会員制ということで各々に個室が用意してあるだけにとどまらず、至れり尽くせりカウンターに常駐するスタッフが無料でドリンクをもてなすという。

「なにか飲まれますか?」

「え!あぁ、お水ください」

ずらりと並んだ多種のプロテインや果物に気圧され思わずスズメじみた受け答えをしてしまう。

「い、いやぁ、こういってはなんですがあまり人影がみえませんな」

「時間帯にもよりますが、私どもが最も不本意に思うのはただいたずらに会員様を募ることでサービスが隅々まで行き届かなくなってしまうことなのです」

「ははぁ、すると自然高額な月謝となりまたそれが自ずと足切りの効果をももたらすと」

「高額かどうかは個人様のお考え次第ですね。ただ我々はそれに見合うサービスを提供している自負はございます」

一分の隙もない真面目な返答に次ぐべき言葉が見当たらない。

おそらく彼は学生時代にマンコマーク速書き選手権などを経験していない気の毒な人種なのだろう。

「三階はヨガやエアロビクスなどに使われるスタジオとなっております」

なるほど階段の中腹あたりから四分打ちのバスドラがドゥンドゥン漏れて聞こえる。

二重に施工された防音扉の向こうでは女性インストラクターを陣頭に四名の男女がエアロビクスに汗を流していた。

「ご覧になられますか?」

「んん、ま、せっかくなんで、えぇ」

「では私少し外させていただきます。また戻って来ますので」

「はい、お疲れ様です」

重い防音扉を開けるとアグレッシブなユーロビートがけたたましく鳴り響き、ヘッドマイクを装着したポニーテールの女性インストラクターが熱く張り上げる。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セべン、エイッ!」

正面の巨大な姿見から察するに受講する四名は思いのほかお年を召しており、やはりこの国の富裕層を占めるのは高齢者だという縮図をそこにみた。

白髪をお団子にまとめたオーナー夫人然とする女性にどこぞの重役と思わしきおじさんの三名が一心不乱、前後左右にステップを踏めば女性インストラクターのヒップもたぱらんたぱらんと躍動する。

その一通りを眺め、特筆すべきは曲間の無音状態をインストラクターによる手拍子で埋めていたところにある。

もうまるっきし曙町のおっぱいパブと同じ手法を採用しているではないか。

姿見越しにインストラクターと完全に目が合った。

すると人差し指をこちらにクイクイさせて日本人が日本人に「カマン!」という。

「いやいや無理ですから!」とジェスチャーするも日本人が日本人に「カマンカマン!」とマイクを通して煽る。

おれは音楽に合わせて「踊る」という文化を持ち合わせてはおらず、そこには並々ならぬ羞恥と抵抗がある。

なんならもうすでに紙巻タバコからグロー、グローからアイコスを経て再度紙巻きタバコからのグローとタバコ業界に散々踊らされているのでもう勘弁してほしい。

しかし場の調を乱すのはなにより信条に反するところであり、Sにはヤクザまがいの激しいインフルエンザの罹患を願いつつ列の端に静々と加わった。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セベン、エイッ!」

その場での足踏みからボックスステップ、恥ずかしさこそ拭えないが我ながら軽快な身のこなしではないか。

隣のおじさんを見よ、ボックスステップというより徘徊に近い。

思っていたよりも楽しいではないか、エアロビクス。

お次は「エイッ!」のタイミングで一回転の旋回ジャンプをしろテメェらなに見てんだブチ殺すぞという。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セベン、エイッ!」

隣の疲れ切ったおじさんを見よ、もはや息も絶え絶え半回転しかできず一人だけ後ろ向きで着地。

すると正面の姿見に映った「海人」のバックプリントが銛でツボを突きまくってくるじゃない。

「海人が地上で溺れてやがる」

かなり露骨に吹き出してしまうもそれは大音量のユーロビートに掻き消され、ようやく体が温まってきたところだがエアロビクスは早くもラストダンスを迎えてしまう。

その仕上げにしてはいささか地味なもも上げかと思いきや、その後半にはフィナーレ的な小っ恥ずかしいアレンジを付け加えてきた。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セベン、スマイル!」

隣の疲れ果ててほぼ棒立ちの海人おじさんを見よ、もう常に半笑いの事態に陥っているじゃないか。

 

刹那、熟年、海人、酷疲、半笑、崇高、愚生、奈落、墜下。

 

おれはいつからこんな男に成り下がってしまったのだろう。

隣の海人おじさんはどんなに辛かろうがポジティブに努めているではないか。

それをなんだ!おれはその様を笑いものにしては見下し、偽物のポジティブに戯れて本物のネガティブに喰われているではないか!

うみんちゅというイメージから沖縄へ発つSの言葉がよぎる。

「素晴らしくポジティブな空気に満たされてるよ」

もうこの場所には居られない、もうこの場所には相応しくないという心緒だけが唯一の良心だった。

このジムでの最後のトレーニングとなるだろう、重い防音扉を開けて振り返らずにその場を去った。

 

それからというもの、Sからはなにも連絡がなかった。

こちらのメンタル的な理由で入会は断るにしても「で、どうだった?ジム」ぐらいの口切りは誘った以上むこうの義務ではないのか。

煮え切らない数日を経て、未だ痛むももの筋を摩りながら不本意にもこちらから連絡を入れた。

「もう東京に帰ってんの?」

「おん、とっくに」

互いの無言が暫し続くと堪えきれないのはおれの方だった。

「…で、どうだった?沖縄ゴルフ」

「よかったよ沖縄。でもやっぱ俺はハワイの方が好きだな。風土が俺に合っているんだろうね。…あ!」

「ん!?どしたどした?」

「来週炒飯食いに上海行って来るわ」

もうお前の炒飯だけ泥酔したローラが作ればいいのに。

確かにSは一般のサラリーマンが稼ぐ年収よりゼロがひとつ多い。

すると車はオフホワイトをまとうポルシェカイエンであり、汚れたホイールに金持ちのルーズさを醸し出せばその助手席に座る奥方は元ミスキャンパスの美人さんときた。

やっかみ半分でいわせてもらうがSは金を持って変わってしまった。

以前は人の機微に鋭感な男であったが今ではどうだ。

「ア、ワン、トゥ、スリ、フォ、ファイ、シッ、セベン、スマイル!」などと歯茎を剥き出しにしてどったんばったんもも上げの刑に処された友人などもはや気にも留めない。

人は大金を持つとその等価で大切なものを失うと聞く。

おそらくSの場合はおれとの友情を指すのだろう。

人によれば「あんな嫌なやつとは付き合えねぇよ」とあっさり絶交する者もあるだろうが、おれには思い倦ねるところがあった。

なぜなら大金と同等の自らの価値にある種の肯定感を貪るさもしい了見に自覚があるからだ。

結局どこまでいっても金金金の世の中、阿弥陀も金で光る世の中とな。

今夜はなにかくさくさして表でパッと飲みたい。

するとお誂え向き、以前記事に登場した内気な男Fをまんまと三軒茶屋まで呼び出した。

このFという男、これがまた前世で富の神ガネーシャの姉であるアネーシャのティーパンを盗んでじっくりコトコト出汁を取ったのではないかと思うぐらいに金がない。

「久しぶりだね。どうよ景気の方は」

「いやぁ本当に酷いもんですよ。俺、前世でなんかしたんですかね」

「んん、でも金がないのは罪じゃないからね。むしろ金が余計にあるから巻き込まれる厄介ごともあんし」

「そうですよね。あ、自分今年に入って月一でしていることがあるんです」

「なんだべ」

「給料日に全額引き出して自転車で金を轢くんです。主従関係をはっきりさせておくんです。お前は俺に遣われる立場なんだぞって」

「…ははぁ、一種のデモンストレーションだ。まぁ確かに人は誰しも金に遣われてる部分はあるよな」

「そうなんですよ。しかしですね、しかしそんな我ながらの蛮行こそ金に嫌われる原因でもある気がしないでもないんです」

いつになく饒舌に語るFを見据え、触れたくないがそろそろ触れなくてはならないことがある。

「んん、で、その顔面の激しい擦り傷はどうしたの?」

「あぁ、これ。少し前から体を鍛え始めまして」

「お前もかお前もなのか。本当に近頃は猫も杓子もジム通いってな」

「いえ、そんなお金はございませんよ」

聞くところによるとFは権之助坂の急勾配を自転車で駆け上り、下ってはまた駆け上るという繰り返しで体を鍛えているらしい。

もうこの時点でFを力強く抱きしめたい。

高級フィットネスジムなんかに通わなくても気持ちひとつでなんでもできんだオラ!

Fは顔面のかさぶたを摩りながらこう次いだ。

「最初こそいいトレーニングでしたがやはり人間の体はすぐに慣れてしまうんです。そこで考えたのが自転車の重量を増やすことでした」

もういい、Fよ、もういい。

これ以上なにかいったら号泣してしまいそうだ。

「自転車の前後に大きなカゴを取り付け、その中に水の入った二リットルペットボトルを満載にしました」

「…そら重い。そら重かろうよ」

「それがですね、上り坂より下り坂の方が危険だったんです。プラス六十キロ超の重さを侮っていました。いうことを聞かないブレーキとハンドルの合わせ技でガードレールに激突です。ハハハ」

「ハハハじゃねぇ!そんなんちょっと考えりゃわかりそうなもんじゃねぇか!」

「そうですよね。流血しながら散乱したペットボトルを回収するときちょっと泣きそうになりました」

「お前もうそんな危ないトレーニングはやめろよ。怪我しちゃなんにもならねぇじゃねぇか」

「あ、でももう大丈夫です。ペットボトルが吹き飛ばないようにカゴをガムテでぐるぐる巻きにして下り坂は自転車を支えて歩いていますから。これでも相当しんどいトレーニングになりますよ」

「お前まさか常にペットボトルを満載した自転車で生活してんのか?」

「えぇ、やはりトレーニングは毎日の習慣がものをいいますからね。この間はディズニーランドへ行って来ました。彼女は電車で俺は自転車で」

「おまんペットボトルを満載した破廉恥なニューアトラクションを遠方より勝手に持ち込んでんじゃねぇぞ!そもそも夢の国であるディズニーランドに駐輪場なんてねぇから!」

「いえ、ありますよ。普通に」

「よし普通にあるな!じゃあ行く方も行く方なら迎える方も迎える方だな!」

酒乱の気があるFは彼女からきつく飲酒を止められており、それを忠実に守っている様から長っ尻も酷だろうとこの辺りでお開きとした。

「うーおれだけ飲んじゃったよ。悪いねぇ」

「いえ楽しかったです。あ、自転車見ますか?」

西友の裏、前カゴの重量に耐えかねた前輪が急角度で真後ろを向く想像通りの常軌を逸した自転車がひっそり佇んでいた。

今この瞬間巨大隕石が地球に落下し、突然の大氷河期が訪れると我々人類はあっけなく死滅した。

それから何百万年の歳月を経て意思を持つ新たな生命体が地上に現れた。

そこでこのペットボトルを満載するクレイジーを可視化したような自転車を彼らには見られたくない。

なぜならその懸念に相応しく、かの未来にまでしぶとく生き永らえそうな満ち満ちた無駄な生命力をひけらかしているではないか。

そしてなにより気に触るのは一丁前に鍵など掛けてやがる。

「おうおうおう!こんなの盗まれる訳ねぇだろ!お前自惚れてんじゃねぇぞ!」

酔いに任せた語気が思いのほか強く響くと温厚なFがめずらしく反抗的な目をこちらに向けていた。

「俺だってそう思っていましたよ」

そう言い残すと茶沢通りに抜ける小道に消え、程なく戻って来たその手には二本の飲料。

「酔い覚ましです。どうぞ」

「お、おう、miuか。miuって。いや、ありがとう」

大の大人が二人して塀に寄りかかり、しばらく道ゆく人々を眺めた。

「実は先日盗まれたんです」

ことの経緯を語り出したFの表情は次第に憤怒の熱を帯び始める。

「俺はこれまで人を信用して生きて来ました。だから自転車に鍵を掛けることなどなかった。しかしそれをいいことに他人の自転車を盗んで乗り回す人間がいたんですよ!もう人間不信ですよもう!」

その怒りに同調こそできないが「鍵」という性善を疑うことで成り立つアイテムにはごく若い時分に多少思うところはあった。

「ん、でも自転車は無事に戻って来たんだべ?」

「はい。家から十メートル先の路肩に乗り捨ててありました」

おれはmiuおいしい水を一気に飲み干し、アルコールで浮ついた思考回路の浄化に努めては悟る。

乗り捨てるしか手段がなかったのではないか。

犯人は過酷な抜き打ちトレーニングに音を上げて乗り捨てるしか手段がなかったのではないか。

鍵を掛けていない自転車につい魔が差してしまった気の毒な犯人と八百万の神に中指を突き立てるが如く六十キロ超に及ぶ自転車のビルドアップを遂行したF。

おれが本件を執り持つ裁判長だとすれば双方の頰を張り倒して即閉廷、そのあと前室にて「喉が渇いた」と綾鷹を求めるもリラックマのお茶しかないというお付きの事務官に「miuといいリラックマのお茶といいダイドーばっかじゃねぇか!」と叱咤、またも頰を張り倒すことだろう。

「まぁ世の中悪い奴も少なからずいるんだ。少しは勉強になったろ」

「はい、それでも俺は人を信じたいです。そこから何かが始まる気がするので」

「はっ勝手にしろい。じゃあな」

「えぇ勝手にさせていただきます。では」

すずらん通りを力強く、ときにヨレながら進むマジキチ自転車とFの背を見送る。

「おし、帰んか。あ、グリーンブックのレンタル始まってんよな」

TSUTAYAに寄ろうとしたところ、Fが交番の前で刺股も登場しかねない四人体制の職質を受けていた。

おれはそれをスルーして歩を進める。

愛のあるスルーってあると思うんです、愛のあるスルーって。

 

fin